No matter how hard I try, I can't be saved.2



 吉良は重い足を隊首室の方へと向けて運んでいた。
 まだ、怒っているだろうか。だがそれは、自身の軽率な発言によってのことであって、自業自得だった。

 ――――彼の魂魄が、虚に喰われたと考えるのが、普通ではないでしょうか。

 分かっていたはずだ。信頼する者が、最悪の事態でいなくなるということを一番恐れているのは紛れもない恋次自身であることも、全て。だから、わざわざ思い知らせる必要などないだろうに、自分は深く考えもせず、あのような取り返しのつかない言葉を口にしてしまった。
 謝らなければ、謝らなければ。そう考えながら布団に入っていたら、気付けば朝になっていて。一睡もしていないのだが、自分のあの言葉を受けて恐怖感が一層大きくなったであろう彼のことを考えると、どうということはなかった。
 隊首室の前までやってくると、深呼吸をする。
 謝らなければ、ならない。相手が自分の上司であるということではなくて、かつて同期であった、友達として。
「……阿散井くん」
 声をかける。返事はない。
「……阿散井くん?」
 少し声量をあげてみたが、やはり返事はない。それほどに怒っている、ということだろうか。怒り心頭に発していたとして、そこで部下から呼び捨てだと、火に油を注ぐようなものだろうか。改めて、言い直す。
「…阿散井隊長! 吉良イヅルです!」
 しかし、これもまた返事はなかった。眉根をよせて、イヅルは襖に手をかける。
「…失礼します」
 開けてみると、中には片付けられた書類の束があった。それを見て、驚く。恋次が朝には書類を全て終えているなど、これまでに一度もなかったことだ。寧ろ、彼はコツコツやるタイプ。毎日十枚から二十枚程度を終わらせて、イヅルに提出するよう申し付ける。それが、たった一日でこんな…。
「っ!!?」
 イヅルの目が見開かれる。彼の瞳がとらえたもの。それは、書類の束の陰に畳んで置いてあった。――――三番隊の、隊首羽織……。
「これは……」
 もう随分前のこと。藍染惣右介が本性をあらわした、双極の丘。反膜(ネガシオン)に包まれて、空へと消えていった、元三番隊隊長・市丸ギンの後姿を、思い出す。
 ドクリ、と心臓が脈を打った。
「吉良!」
 ふいに呼ばれ、振り向く。隊首室の入口に立っていたのは、檜佐木だった。
「檜佐木さ…、檜佐木隊長………」
「阿散井はどこだ?」
 有無を言わさない調子で尋ねてきた。
 狼狽えながらも、イヅルはそっと、手に持っていた隊首羽織を見せる。
「ちっ…! あいつらっ……!!」
 顔を顰め、拳を握り締める。
「…あの、うちの隊長に、何か?」
 しかめっ面のまま、檜佐木は懐から取り出した。―――九番隊の、副官章。
「これ…!」
「……朽木も、いねぇんだ…」
 イヅルもまた、苦虫を噛み潰したような顔をした。

   *   *   *

ある交差点の歩道にあったガードレールは、見るも無残なひしゃげ方をしており、原形のほとんどを留めてはいない。丁度その内側に立つ電信柱も、強く何かが擦れたような跡が残っていた。
 これで、まず、半信半疑であったことが、一つ解明される。
「……嘘じゃ、ねぇな…一護が死んだ・ってのは」
 ルキアは小さく頷いた。
 電信柱の下に置かれた、複数の花束。そのうちの一つには、メッセージカードが添えられていた。

 “元気でね。   井上織姫”

 何度も消して書き直したのだろう、文字の下が黒ずんでいる。
 死んだ者の魂は尸魂界に行く。
 輪廻の実態を知る数少ない人間からの、精一杯の言葉。ただ、ごく普通の者からすれば、死んだというのに「元気でね」とは、なんてメッセージだと認識されてもおかしくはない。つまり、この花束は多分、その輪廻の実態を知る人間数名が一緒になって置いたものであろう、ということだ。
「……よし。いつまでもここにいても仕方ねぇ。石田んとこ行こうぜ、ルキア」
 織姫は未だに一護の死のショックから立ち直ってはいないだろう。石田やチャドにしても同様だが、彼等ならまだ話を聞くことができる気がした。
「…ああ」
 彼女は白い花弁を撫で、赤髪の死神を追って踵を返した。

 石田の霊圧を探ってみると、この早朝から、彼はコンビニへ行っているようだった。そちらへ空を駆けていく最中、ルキアはポツリ、と言う。
「……一護は」
「…知らねぇぞ。何処にいると思う・って訊かれてもな」
 恋次は、こうして走っているときに、無駄にバタバタという風に煽られる音がしないことに、何となく違和感があった。たった、四年。たった四年でも、隊首羽織に慣れていたらしい。着た当初は、「邪魔」と言ってしばしば脱いでいた。イヅルに怒られながら、幾度も強引に着せられていたが。
 ふとルキアに目をやってみると、彼女も左袖に副官章がないのがどこか心もとないらしく、本来なければならないはずのそれをつけていたところを時折見つめている。
 三番隊隊長と九番隊副隊長が、揃って何をしているのだろう。
 いつしかの十番隊のように、三番隊自体が潰されることになったらと思うと、気が気ではない。それでも恋次は、こちらを選んだ。だから、もう尸魂界に戻ったら、少なくとも死神ではいられないだろうと感じている。それは今共にいるルキアも同じだ。
 それで、いい。ずっと後悔することになるより。自分で行動するのが、やはり彼等は性にあっているのだ。後悔しない為ならきっと、頑張れる。
 ただ、考え事をしながら走っていたら、空を飛ぶ鴉(カラス)に顔面衝突され、ルキアに「莫迦者が」と言われたのには、赤面するしかなかった(いつもなら怒鳴って誤魔化すのだが、このときのルキアはこれまでになく蔑んだ目でこちらを見ていたので、本気で凹んだのである)。考え事をするのも、自分の性にあわなかったりする。多分隊長として失格のレベルで。

 数分して、二人がコンビニの前にトン、と降り立つと、中から石田が出てきた。彼は一瞬驚いた顔をしたが、何となく予想でもしていたのだろうか、少し呆れ顔で笑った。
「…やあ、久しぶりだね」
 恋次は彼が手にもつコンビニ袋を見やった。分かりにくいが、かつて日番谷先遣隊として現世へきたときに、一角と弓親が多く買っていたものとよく似ているように思う。十中八九、コンビニ弁当だ。
 彼の視線に気付いた石田が、苦笑した。
「………別に、自分で料理を作る余裕もないわけじゃ、ないよ」
 想像していたことをピタリと当てられ、眉間に皺を寄せる。
「大学で授業を沢山とっていて、今日は暇がなくてね」
 無音の時が流れ、ルキアは口許に笑みを作った。
「…変わらぬな、石田」
 髪型も分け目が違うというだけで、強いて言うならほんの少し伸びた程度。眼鏡もとくに変化はない。新調したのだとすれば、同じものを購入したのだろう。それを、指で押し上げる仕草も、四年前と相違なかった。
「そう言う君達も、本質は変わってないさ」
 肩を竦め、僅かに笑う。
 そこで、道行く人やコンビニの店員が、不思議そうな瞳をこちらに向けていることに気付く。
 傍から見れば、石田は誰もいないところに話しかけているのだ。
「――――行こうか」
 石田が先立って歩き始めたので、その後ろに続く。


 つれられて来た場所は、見覚えのない公園だった。
 二年前に、子供の遊び場が極端に少なくなり家々が建つことに関して、地方で話し合いが催されたらしく、その末作られた公園らしい。
 たしかに、最近の子供は家の中でゲームばかりで、外で遊ばないことを小学校などは問題視しているが、その遊び場である空き地や公園が潰されてしまう上でのそれは、子供にとって理不尽だ。
 さすがにこの早朝、公園で遊んでいる子供は見られない。石田はベンチに腰をおろした。どぎついピンクで彩られたそれは、何となく目障りだった。
 ルキアはグルリと公園を見回す。
「どうかしたかい?」
「いや…私は、弓沢児童公園しか知らなかったのでな。…あそこと比べて、少し小さいと思って」
 弓沢児童公園は、一護とルキアが出会ってまだ間もない頃、“死神とは何たるか”について、少々揉めたところだった。
「あの公園は、二年ほど前に取り壊されて、今じゃ駐車場になってるよ。数少ない、この辺りの公園だったから、それが原因でここが作られたんだ」
 大して変わらない石田と話していると忘れそうになるが、現世でも余念という月日が経っている。その間に、知っていたものはなくなり、また新しいものが作られている。
 尸魂界でさえ、四年で隊長や副隊長や席官が変わっているし、世界の安定にも何かしらの変化がある。時間の概念は全く異なるはずなのにこれでは、現世に劇的な変化があるのも、考えてみれば当然のことだった。
「石田…」
 恋次が心配そうに声をかける。心なしか、彼はとても疲れているように感じられた。
「―――黒崎はどうしてる?」
 二人は口を閉じた。
「わざわざ、言いに来てくれたんだろう? 黒崎が死んで、きっと君達が近いうちに来るだろうとは思ってたよ。…で、どうしてるんだ、あのバカは?」
 ――――違う。
 一護のことを、彼が今どうしているのかということを、話しに来たんじゃない。寧ろ、こちらが訊きたいくらいだ。
「……すまぬ…」
 とっさに初めに出た言葉は、謝罪だった。
 それを耳にして、石田の目が見開かれる。彼はこういった察しがいいのだ。
「…何か、あったのか?」
「いねぇんだよ」
 恋次は石田の目を見て話すことができなかった。
 足元に視線を落としていると、雀が二、三羽いることに気付く。雀達は、死神の姿が見えるのだろうか。
「…いねぇんだよ。一護の奴。…現世(こっち)で死んでから、アイツの魂魄は行方不明なんだ」
「そんな…! どういうことなんだ!?」
 ベンチから腰を浮かせ、詰め寄る。
 恋字は眉間に皺を寄せながら返した。
「知らねぇよ! 俺達は捜す為にこっちに来たんだ!」
「君達の仕事は、現世の魂魄を尸魂界に送ることだろう!? それでどうしてそんな!」
「うるせぇな! 仕方ねぇだろ、何処にもいねぇもんはいねぇんだから!」
「仕方ないだって!? そんなの、死神の管理が甘かっ」
「やめろ二人とも!!!!!」
 ルキアの怒声が響き、二人はハッとする。雀達が、一気に飛び立っていった。
 彼女は鋭く二人を睨みつけ、低く声を発した。
「………騒いでも、一護は見つからぬ。焦るのは皆一緒だ、石田」
 暫く瞳を彷徨わせ、小さく、「…すまない」と恋次に謝罪する。
「貴様もだ、恋次。我々は喧嘩をするために現世に来たのではない」
「……そう、だったな…」
 恋次も視線を落として、曖昧に頷く。
 二人はそろって、やりきれなさそうに歯噛みした。
 ルキアとて同じだ。彼女も充分不安だし、焦っている。最悪の事態を考えていないわけでもない。でも、それで一護が見つかるわけではない。ならば冷静になって、少しでも早く見つけることが一番だ。
「…石田。何でもいい。一護が事故に遭った周辺で、何か不自然なことはなかったか?」
 ベンチに座りなおし、石田は腕組みをして考え込む。
 強めの風が吹き、ブランコが揺れて、キィ、キィと、錆びついた音を立てる。
 ふと、石田が顔を上げた。
「そういえば…三日間くらい、虚が少し多めで、僕や井上さん、茶渡くんに襲い掛かってきたことはあったな」
「虚が?」
「ああ。でも、黒崎に近づいた虚はいなかった。あいつはあの戦い以来、霊力をめっきり失っているから、虚の標的にもされなかったんだと思う。それに、多めといって、一日ニ、三匹ペースが四匹程度になっただけだし、そんなに関係があるとは思えない」
 手を顎にあてる。
「…いや、何もねぇよりはずっといい。一見関係がなさそうでも、あるかもしれねぇし」
 恋次の言葉に、ルキアが頷く。
 彼を見つけるには、きっとどんな些細な事も見逃してはならない。
「ありがとう、石田。何か思い出したらまた教えてくれ。我々はもう暫く現世にいるつもりだ」
「わかった。……これからまた、聞き込みかい?」
 恋次はガシガシと頭の後ろを掻きながら頷いた。
「まぁな。手がかりもねぇし」
「…じゃあ、井上さんには……」
 ルキアは静かに微笑んで見せた。
「案ずるな。私達も、まだ井上のところにまで行く気はない。少なくとも、落ち着くまでは―――」
「いや…逆だよ」
 石田の言葉に、彼女は怪訝そうな顔つきになる。
 彼は、二人を見上げた。強い顔を、していた。
「今日中に、井上さんに、黒崎のことを教えてあげて欲しい」
 隣りに置いていたコンビニ袋を手に、立ち上がる。
 クイ、と中指で眼鏡を押し上げた。
「勿論、茶渡君のところにも。…こういうことは、下手に気遣われるよりも、早めに教えてもらったほうが、整理しやすいんだ。死神の君達がどうなのかは、知らないけどね」
 少し戸惑ったが、二人は顔を見合わせ、その後、頷いた。

   *   *   *

 前のように、常時帯刀許可は出ていない。彼女の斬魄刀は部屋の隅に置かれた木箱にしまわれていた。
隊首室に戻ってくると、夜光は木箱の蓋を開けて、自らの斬魄刀を取り出し、腰の帯に携えた。死覇装の襟を正して、隊首羽織の端を一寸つまむと、ピンと引っ張って皺を伸ばす。二本の髪紐を外して、もう一度二つに結い直した。
「…桃?」
 襖の向こうから感じた霊圧に、声をかける。
 ビクリと驚いたように身体を震わせたが、恐る恐るといった様子でその襖を開いた。
「す、すみません…十二番隊からまわってきた書類を渡そうと思って、来たんですけど…隊長、なんだか忙しそうでしたから…」
 五番隊副隊長・雛森桃の隣りには、書類の束があった。
 夜光は、ゲッと顔を顰める。
「…いーよ、それ。飛梅で燃やしといて」
「ええ!? な、何を言ってるんですか!?」
「だって、十二番隊でしょ? あそこから回ってくる書類、まともなの来たことないじゃん」
「そ、それはっ! ……まぁ…」
 本当はフォローをしようと思って声を張り上げただろうに、結局賛同の方へと転換した彼女に、微笑む。
 鼻から空気を吸うと、畳の匂いが混じって肺に満ちた。
 雛森は、夜光が斬魄刀を携えているのを目にして、眉を顰める。
「……どこか、行かれるんですか?」
「うん、ちょっと現世にね。…不本意だけど」
 柄頭を拳で軽く叩き、“あの糞じじい…”ととんでもない悪態をつく。
 そんな彼女に雛森は苦笑するが、その顔を俯かせて小さく、
「そう……ですか………」
 呟いた。
 夜光はニッコリと笑い、言う。
「何? あたしがいなくならないか、心配?」
 雛森がかつて、藍染からとんでもない裏切りを受けたことは、他の隊長達から聞かされていた。だから大事にしてやって欲しいと幾度も言われた。とくに、日番谷には。
「だーいじょうぶ! あたしの帰るところ、淋しいことにここしかないから」
 その言葉に、雛森は半泣きで頷いた。
「じゃあ、行ってくるね」
 夜光は隊首室から外へと、瞬歩を使って去った。




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