No matter how hard I try, I can't be saved.1



 交通事故。
 たったのその四文字の出来事が、一護の命を奪っていった。
 普通なら、彼だったら容易に避けられたろう。たかが居眠り運転だ。長く虚や破面といった敵と戦ってきていた彼が、力を失ったとはいえ、避けられないはずがなかった。
 だが、クロサキ医院に行ってみれば、その理由は明白だった。
 妹の夏梨と遊子は、涙ながらに井上織姫や石田雨竜、茶渡泰虎ことチャドに訴えたのだという。“自分達のせいで兄は死んだ”と。

 つまり、一護は妹達を庇って死んだのだ。彼女らがいたから、一人で避けることなどできなかった。だから。
 彼の友人や家族が、この事実を受け入れるには、あまりに突然すぎてあったことは否めない。現に、受け入れられている者は皆無である。


「ルキアっ!!!」
 バン、と襖を開けた。部屋の中の文机に向かって、固まっているルキアが目に入る。恋次の手が、僅かに震えた。
「――――聞いたんだな……」
 微動だにしない彼女に、顔を歪める。“心ここにあらず”とは、まさにこのことだ。自分とて、緊急隊首会でこの話をされたとき、眩暈を覚えた。衝撃的であったのは皆同じだ。一護が死んだというだけで充分ショックを受けるに値する。しかし、彼女がこうにまでなってしまうのは、更に付け足された内容の方に原因があるのだろう。
 ふいに肩をつかまれ、恋次は驚きつつ振り向く。
「…!」
 襖を閉めて、向き直った。
「檜佐木先輩…」
 彼もまた、複雑そうな顔をしていた。
「阿散井、今日のところは帰ってくれ」
「で…でも!」
「まだ吉良に話してないんだろ? 朽木が気がかりなのは分かるが、お前は三番隊の隊長だ。そっちを優先しろ」
 最もなことを言われ、黙り込む。
 ルキアの部屋の襖を、横目で見た。
「朽木には、落ち着いたら三番隊に行くように俺から言っておく」
 恋次は、何も言わない。無言で頭を下げると、隊首羽織を翻して去っていった。


 喉が渇いた。しかしどうしても、湯呑みに手を伸ばすことはできない。その余裕がなかった。
「…びっくりですよね…。あの、一護が……」
 十番隊副隊長・松本乱菊が、呆然と呟く。それに十番隊隊長・日番谷冬獅郎も首肯した。彼も同じ気持ちだ。たしかに、何てあっけない死に方だろうとは思った。だが―――、
「松本…俺の話の本題は、黒崎一護が死亡したことじゃねぇんだ」
「え…!?」
 顔を上げる。大変驚いた様子である彼女に、内心嘆息した。自分も隊首会の場で、一番隊隊長兼総隊長・山本元柳斎重國から同じ具合に話を切り出され、このような反応を見せたからである。
「黒崎は四年前に力を失って、今はもうただの人間の魂魄に成り下がってんだ。だから、死んだら俺達のよく知る輪廻に入るはずだ」
 魂魄の輪廻――――。
 それは、真央霊術院で最初に習う基礎学だ。
 普通の死した者の魂魄は、“整(プラス)”と呼ばれ、未練がなければ即尸魂界に送られる―――いわゆる「成仏」というものだ。未練があっても、そんな魂魄を「魂葬」することが死神の役目である。
 生前悪事をはたらいた者は、尸魂界に来ることは許されず、地獄に送られる。そこで永久に、その悪事を責められ続ける。彼等のことは、“咎人(とがびと)”と呼ばれている。
 地獄に送られた魂はともかく、尸魂界に送られた魂の方は、後に現世へと転生する。
 また、虚(ホロウ)と化してしまった整においてもそれは同様だ。死神が斬魄刀で彼等を斬ることで、死後の罪を洗い流して尸魂界へと送られる。生前にも罪を犯した虚の行き先は、言わずもがな。
「“はず”って…当たり前じゃないですか」
「当たり前の……“はず”なんだ」
 机の端に積み重ねていた書類の中から、一枚をひょいとつまむ。
執務室の外が少し騒がしくなってきているので、この話は広まってきているのだろう。
「現世担当の車谷善之助は知ってるな?」
「朽木の後任ですよね?」
 ああ、と頷く。
「さすがに四年も経つと、慣れてきたらしくてな。今じゃなかなか手際よく、虚の殲滅も魂葬もこなしている。その情報をまとめたものなんだが…」
 机の上を滑らせるようにして、その書類を置いた。乱菊はすぐに手にとり、文字に目を走らせる。初めは憮然とした顔つきであったが、彼女の表情は見る間に変化していった。尸魂界に送られた魂魄の名の羅列を、舐めるように見る。気のせいだと思い、幾度も幾度も往復した。
 やがて、乱菊は恐る恐るといった具合で書類から顔を上げ、日番谷を見た。彼の顔を見ても、戸惑っている状態であることは一目瞭然だ。
「どういう………ことですか…?」
「分からねぇ」
 日番谷は静かに首を横に振った。
 書類の中に、「黒崎一護」という名は、記されていなかった。


 その夜中。
 ルキアは瀞霊廷の中を適当に歩き回っていた。特別どこかへ行こうというわけではないが、眠りにつくことなどできなかったのである。
 この時間になると、あまり死神の姿はない。せいぜい各隊舎の入口に、警備の者が一人二人立っている程度だ。
 所々で灯されている火の、パチパチという音が、辺りが静かな分異常にはっきり聞こえた。

 三番隊隊舎の入口から少し離れたところまで来て、そういえば近いうちに恋次のところへ行くよう、檜佐木隊長から言われていたな、と思い出す。
 今は時間が時間なので入りはしないが、いつ来るか悩んだ。恐らく恋次の用件は、一護のことだろう。しかし自分は、もう少し一人でそのことについて頭の整理をしたかった。
 ずっとその場で足を止めていると、三番隊隊舎を警備する死神の一人がルキアに気付き、半ば慌てた様子で頭を下げた。まぁ、このような時間に副隊長が外をうろうろしていることはあまりないので、慌て驚くのも当然だ。
「お疲れ様です、朽木副隊長」
「ああ…」
 声を出すだけで、何だか元気が吸い取られていくような錯覚に陥る。
 そのとき、隊舎から一人に死神が出てきた。
「阿散井隊長!? お、お疲れ様です!!!」
 思いもよらぬ隊長の登場に、下っ端死神は土下座でもしそうな勢いで挨拶をした。対し、恋次は軽く手を挙げる。
「おう、お疲れ。警備もそこそこにさっさと休めよ」
「はい! ありがとうございます!!」
 そこで恋次が前に視線を戻すと、暗がりの中でぽかんと口を開いたまま立っているルキアをとらえた。
 こちらも負けじと驚いた様子で暫し口を開き、息を吸い込んだ。
「…よう。ルキアじゃねーか」
「…どうしたのだ、こんな夜中に」
 肩を竦めて答える。
「俺は、なんとなく寝れねぇから、瀞霊廷の見回りでもって思っただけだ。オメーこそどうしたんだよ? まさか、こんな時間に三番隊に来たとかじゃねぇだろ?」
「当たり前だ。…私も貴様と似たようなものだ。意味は無い」
 顔を背けるルキアを見つめ、頭を掻く。目を合わせて喋らない辺り、まだ気持ちが落ち着いていないらしい。無理もない。ややあって、口を開いた。
「……お互いに用事がねぇなら…少し、話さねぇか?」
 ピク、と彼女の肩が動く。
 この言葉を待ち望んでいたのか、それとも恐れていたのか。それは恋次には分からなかった。
 沈黙が流れ、やがてルキアは歩き出した。
「おい、ルキ」
「場所を変える」
 聞いて恋次は、ルキアが話をすることを承諾したとみて、後を追う。
「何処行くんだ?」
「丘だ」
 目を細めた。彼女の言う“丘”とは、まだ流魂街で過ごしていた頃、共に生きていた仲間達の―――否、“家族”の墓を作った場所に他ならなかった。

『えぇ!? じゃあ、彼の魂魄は現世にも尸魂界にもいないということですか!?』
 吉良の言葉に、重々しく恋次が頷く。
『ああ…総隊長の話じゃ、一護は尸魂界の恩人ってことで、車谷が全力を尽くしてあいつの魂魄捜索にあたったらしいが、確認できなかったんだ』
 思わず、溜息が漏れた。
 隊長になって三年以上になるが、まさかこのような事態が発生するとは思っていなかった。正直、藍染との戦いが終わって、油断していた。
 隊長というのは、こういうことを直に伝えられ、それを自分の中で言い聞かせるより先に隊士に伝えねばならない。そしていち早く策を練って、隊を動かさねばならない。個人の情が入ってしまうと、それは成せるはずがない仕事でもあった。だから、割と初めのうちは、隊長格は恐ろしいほど冷徹な雰囲気を醸し出す。
 副隊長と隊長の間に、ここまでの高さの違いがあるとは信じ難かった。いつも淡々とこなしていた白哉のことを考えると、やはり彼は自分の目指す人だと感じる。
『…阿散井隊長……』
 吉良は迷ったように瞳を泳がせる。
『それって…彼の魂魄が虚に喰われた、と考えるのが、普通じゃないでしょうか…?』
 恋次が目を見開く。
『だって…彼の魂魄は消失したということでしょう? だとしたら、考えられるのは』
『吉良っ!!!』
 名を叫ばれ、吉良は口を閉じる。灯台だけで照らされた部屋は、夕方となると既に薄暗かった。
『……仕事、まだ残ってるので。これで』
 会釈すると、吉良は隊首室から出て行った。
 遠ざかっていく足音を聞きつつ、恋次は歯を食いしばって、自分の身体が震えるのを必死に抑えた。

 盛った土に木の棒を刺し立てるだけ、という簡素な墓を眺めて、恋次は深く、深く、溜息を吐いた。
「…夕方は、そうやって吉良には怒鳴っちまったけどな…。考えたことなかったんだ。あいつが虚に喰われて消えた、なんて」
 ルキアは墓前で手を合わせ、目を閉じたまま尋ねる。
「一護が事故に遭った周辺で、虚の出現はなかったのか?」
「夜一さんには聞いてねぇんだろ? 隊首会でも、オメーが聞いたことと全く同じことを聞かされただけだ」
「つまり、分からぬということか…」
「そうだな」
 合掌をやめると、立ち上がって恋次に向き直った。彼の羽織っている隊首羽織の白さは、この夜空の下でも充分に明るく見えた。
「恋次」
「ん?」
 もう、決めた。恋次と話していて、決意が固まった。後悔はしたくないのだ。
「私は、死神をやめるかもしれぬ」
 突拍子もないことを言ったので、彼は一瞬遅れてから「はぁ!?」と叫んだ。
「今の私は九番隊の副隊長だ。軽率な行いをして良い身ではない。しかし、今回ばかりは私は、自分で調べねば気が済まぬ。それに、この事件、何かあるような気がする」
 丘の上は高いので、下にいるより風が強い。
 ルキアの長い黒髪が、風になびく。
 彼女にはどうしても、信じられなかった。あの一護がただで死ぬとは思えない。何か裏がある、そう思った。そう、信じていたい。確証がない今は。
「勝手に行動を起こせば、罷免を唱えられる可能性は高いだろう。だから…」
「じゃあ、俺も行くぜ」
 ルキアが恋次を凝視する。
 彼は腕組みをした。
「俺だって、いくら誰に言われても信じられねぇんだ。一護の野郎はこのくらいじゃ死なねぇ。何かあったんだ・って、それしか考えられねぇ。だから、俺もお前と一緒に現世に行く」
「な…何を言っておるのだ!!!」
 怒鳴る彼女に、恋次は自嘲気味に笑った。
「…隊長の俺がこんなことしたら、俺はどうなるんだろうな?」
「っ」
 責めようとした言葉を、取られた。隊長の貴様がそんなことをすれば、と言おうとしたのだが。
 瀞霊廷の方を振り返った。ここからでも、双極の丘の先端くらいは見える。ただ、この時間だと、暗いのでいつもに増して見えにくい。
「処刑とか、な」
 ビクリ、と身体が震えた。
 たしかに、副隊長ならともかく、隊長のそういった勝手な行動は、最悪の場合処刑となる。隊長は各隊での絶対の存在。だからこそ、勝手なことをしたときの刑は重い。
「……〜〜っ…」
 ルキアはもう一度、恋次は尸魂界で待っているよう言おうかと思ったが、彼の性分を知っていたので諦めた。彼は、一度言い出したら聞かないのだ。自分と少し似ている。自分だって、納得のいかないことは自分でなんとかしていきたいのだ。でないと、永久に後悔し続けることになる。
 止めよう、止めようと思っていた自分が、何だかとても愚かに思えてきた。
「……案ずるな、恋次」
「あぁ?」
「仮に処刑になろうと、今度は私がお前を必ず助けに行く」
 ニッと笑って、恋次を見上げ、胸を張った。
「一護と共に、必ず」
 呆けた恋次だったが、やがて彼も不敵に笑い、「おう!」と答える。
 闇に染まっていた世界に、朝日が差し込み始めた。




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