■ 隠れて離れて近づいて

   ***

 大量の洗濯物を抱えて、不動は廊下を歩いていた。積み上がりすぎた洗濯物は視界を遮ってしまい、よく見えない。本当は一緒に当番をしている岩融と運ぶはずだったのだが、突然歴史修正主義者が現れたとかで急遽出陣になったのだ。薙刀である彼は、多数の敵を一気に薙払うことができるので、緊急時に呼ばれることは決して珍しいことではなかったのである。
(とはいえ、これを一気に運ぶのは、無理があったな)
 洗濯物の陰で、こっそり溜息を吐いた。
(そんなこと、考えればすぐ分かることなのに。所詮ダメ刀か……)
 そんなことを思っていると、正面に軽い衝撃が走った。誰かにぶつかったということに気づき、慌てて足を引こうとしたが、咄嗟のことでバランスが崩れる。
「っと、とと…うわっ」
 倒れると思い、思わず目を瞑ったが、横から出てきた手が自分の体を支えた。代わりに洗濯物がぼろぼろと落ちてしまうが、自分自身が倒れるより被害は少ないことに安堵した。
「わ、悪りぃ、助かっ……た……」
 首を回して、自分を支えてくれた相手を見て……固まる。
「おう。大丈夫か?」
「…やげ、ん…」
 はっと我に返り、何とか体勢を直すと、急いで屈んで落ちた洗濯物を籠に積み重ねる。
「おいおい、その量はちと無理があるんじゃないか?」
「だ、大丈夫。大丈夫だから、俺のことはほっといてくれ」
「ん。分かった」
 不動の傍らに屈み、薬研は笑う。
「でも手伝うくらいは良いだろ」
「……大丈夫だから」
「岩融の旦那が行っちまったんだからその量は一人じゃ無理だ。違うか?」
「うっ……」
「あとはこれ広間で畳むだけだろ。終わったらすぐどっか逃げて良いからさ」
「………」
 そこまで言われては断る理由もなくなってしまったのだろう。どことなく逃げ腰ではあったし、ろくに顔も合わせはしなかったが、やっと不動は渋々ながらも頷いた。

 手伝うだけだと宣言した通り、薬研はそれ以上会話をしようとはせず、不動と共にひたすら黙々と完了した洗濯物を畳む作業に没頭した。ただ、人の身を得たのが薬研の方が圧倒的に早かったせいか、それとも不動自身がただ不器用なだけか、洗濯物を畳むペースは薬研が早かった。だから、何となく目分量で分担してやっていた作業も、定期的に不動の分が持って行かれてしまうので、最終的には薬研の方が多く片づけ終えていた。不動としては薬研にこれ以上手を煩わせてはいけないと思うが、物理的な早さで適わないのではどうしようもない。
 最後にワイシャツを畳んで、作業は終わった。綺麗に積み重ねられた洗濯物を見て、これで当番は終わりだとホッと息を吐く。……が、薬研の視線をずっと感じていて、不動は動くに動けなくなっていた。いつもならさっさと逃げているところで、それに逃げても良いと言われているので多分立ち上がってこの場を後にしても、何も言われない。しかし、今日は何となく動けなかった。
「……行かなくて良いのか?」
「………」
 問いかけには答えないが、沈黙は肯定と同じだ。
「……あー……じゃあ、ちょいと話しても、大丈夫か?」
「………ん」
 辛うじて声を出して、こくりと頷く。言葉を交わすのはあまりに久しぶりで、妙に体が緊張してしまっていた。自然に姿勢を正してしまい正座になると、くつくつと喉で笑う声が聞こえた。昔からの薬研の笑うときの癖だ。
「そんなかしこまるなって」
 気遣ってくれているのは分かるが、それにも無言でふるりと首を振るのが精一杯だ。
 極端な話、言葉を交わすのが怖いのである。
「……行光。夢でもなく俺はちゃんとここにいるし、お前が何したからって別に消えたりしねえよ」
 あり得ないのは分かっている。分かっているが、言葉を交わした瞬間目の前の薬研が炎に包まれて消えてしまうのではないかとか、奇妙で突飛な想像が頭の中を駆けめぐる。
 これは仕方がないのだ。理屈ではない。ただ、感覚的な、漠然とした恐怖が不動の行動を縛ってしまう。
「お前が俺にやってること。金平糖届けてくれたのも、香を置いてくれたのも行光だろう? それから今日のタオルと水桶も。知ってるか? お前今、本丸中で妖精さん≠チつって有名だぞ」
 くすりと笑って、薬研は立ち上がった。正座している不動を見下ろし、歩み寄る。体をぎゅっと小さくしようとしているのは緊張が強まったからか。薬研はそれを解してやるように、乱雑に頭を撫でた。
「いつもありがとな。助かってる。でも言葉交わしてくれた方が俺は嬉しい。今すぐにとは言わねえから、良けりゃ考えてくれや」
 ――――つかまえてしまえばよいのではないですか?
 小天狗から言わせれば「捕まえた」ことにはならないだろうが、ひとまずはここまでやれば上々だろう。あとは不動が決めることだった。無理に距離を詰めるつもりはないし、欲を言えば喋りたいものの、今の距離感でも良いと思っている。
 喋り出すことができたら、発生するであろう欲のいくつかはすでに想定できる部分はあるのだけれど、不動の気持ちを無視して進むつもりは毛頭ないのだ。
 ぐしゃぐしゃと頭を撫で続け、満足すると洗濯物の中から自分のワイシャツと下着だけは回収して、薬研はその場を後にした。

   ***

 次の日の朝。
 昨日は早めに寝たこともあって清々しい目覚めだった。今日は確か内番ではなく出陣だ。戦装束に身を包み、鏡の前で一度、ぱんと両頬を叩いて気合いを入れる。さあ、いざ朝餉へと勇んで部屋を出て、いつも通りの廊下を歩く。
 ふと、顔を上げた。視線の先。廊下の突き当たりを右に曲がる角に、ちらりと足の先と長い髪が見えた。これもまた、変わらぬ朝の日課になりそうだと思いながら、声をかける。
「行光。おはよう」
 すると、不動はぴくんと軽く体を震わせて、一度奥へ引っ込んでしまう。かと思えば、角から、ひょこりと顔だけが半分出てきた。いつも声をかけたらさっさといなくなってしまっていたので、薬研は意外そうに眉を上げる。残念ながら、彼の表情は角でほとんど隠れてしまっていた。
「…………はよ…」
 囁くような声ではあったが挨拶が返ってくる。呆けて、反応が遅れた。初めてだ。初めて、不動が挨拶を返してくれた。嬉しそうに薬研が微笑むと、隠れていた彼は小走りでその場から離れていった。
 あまりに嬉しくて、衝動的に追いかけたくなるものの、そんな愚は踏まない。逃げたということは、これが不動の精一杯なのだから、さらに上のものを要求するのは些か性急だ。ゆっくり歩くことに努めながら足を動かし、角を曲がる。そこに未開封の甘酒の瓶が一本、置いてあった。拾い上げる。
「だから、朝からは飲まねえんだけどなぁ、俺」
 ころころと左右の手の中で転がして、瓶を弄ぶ。
 すると、赤い「甘」の文字の反対側に、小さな和紙が張り付けてあることに気付いた。二つ折りになっていたので、破れないように注意しながら剥がし、開けてみる。細く震えた文字で、「話したいから頑張る」とだけ、書かれていた。
 こんな文字を書くだけでも手が震えたのだ。きっと、ちゃんと顔を突き合わせて昔のように話すのは、もっと先になる。
 けれど今は、このささやかな幸せで心は充分に満たされるのだから、悪くないと思えた。







[ prev / next ]

back
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -