■ Trojan Horse.8

 こちらを真っ直ぐに見下ろしてくる二人の破面。そのうち、女性破面のティファニーの放つ霊圧に、殺気に似たものが滲んだことに、死神達は気が付いた。皆の顔に緊張が走るのと、ティファニーが鎌を振り上げたのは同時だった。
「キミ達は、早く死んでね」
 咄嗟に、一角が恋次を、弓親がルキアを抱え上げて飛び退った。
 死神達のいたところに、鋭い光が奔る。各々が離れた宙で見えない足場を作り、その場に着地する。離れたにも関わらず、ティファニーの底知れぬ霊圧に肌がびりびりと震えた。
「乱菊、さん……」
 かすれた声が耳に届き、乱菊がちらりと視線を下げる。
「邪魔、だから…迷惑…だし…あたし……平気だから……おろし、」
「言うと思ったわ。充分もう迷惑かけられたんだから今更だし、絶対に離さないから。副隊長命令よ」
 かつて、七番隊の下級隊士であった頃、よく乱菊に言われた決まり文句だ。きっぱりと言い放つ彼女は、此方を全く見て等いなかった。これ以上の問答は不要だと言わんばかりである。
 本当は、離されたところで立つことができるかすら分からない。迷惑をかけたくない、足手纏いになりたくない。それ一心に普段から思っているがゆえに、今も自然に口から言葉が零れた。だが、それを乱菊は先取りし否定した。
「………今は……あたしの方、が、位、上だっつの……」
 ――――ほんと、物好き。
 苦笑いを浮かべようとしたところで、背中のじくじくとした痛みが思い出したように増す。体中の火傷の方が、まだマシのように思えた。呻き声を微かに漏らし、息をするのも億劫になる。
 乱菊は、破面を見据えたまま、もう一度言った。
「死ぬんじゃないわよ。夜光」
「……りょ、かい」
 切れた息に混ぜて言えば、十番隊副隊長は満足げに頷く。
 たとえ位を追い抜いて五番隊隊長の座についたところで、結局乱菊に敵いそうにない。だが、だからだといって全てを乱菊に委ねる気もなかった。足手纏いになるのは分かっていても、夜光には夜光なりの、「死神」としての意地がある。細目を開けながら、彼女も破面の様子を窺った。
「はぁー、これは隊長が見たら喜びそうな霊圧だね」
 弓親は破面を見上げながら感嘆の声と共に、そんな感想を漏らした。ここまでの殺気と強い霊圧は、そうそうお目にかかれるものではない。ここに十一番隊隊長・更木剣八がいれば、彼は大喜びで刀を振るったことだろう。ただし、現世の町にまで気を遣うとは思えないので、ここにいないのは正解である。いつぞやは現世で戦ったかもしれないが、今は夜光の即席の結界でしか覆っていないのだ。下手をすれば町に被害が出かねない。
 弓親の肩を借りながら、ルキアも眉根を寄せた。弓親の手を煩わせてしまったのは申し訳ない一方で、ティファニーの動きを注視できた。彼女は今、ただ鎌を振っただけだ。特別力を込めたであるとか、何か深い考えがあって小細工をしたとか、そういうことは一切ない。にも関わらず、この威力。この霊圧。
「……強い」
 ぽそりと呟けば、そうだな、と恋次が答えた。
「ほんと、あんな馬鹿みてぇな霊圧、十刃で最後にしてほしかったぜ。だが」
 彼の瞳が横にそれる。その先にいるのは、ひたすら激しい剣戟を繰り広げている一護の相手・バートンだ。
「あっちは、もっとやべぇ」
「余計な心配しなくていいよ」
 凛と空に響く声。ティファニーは表情に何も出すことなく言った。
「あっちと戦うことなく、君達は死ぬから」
「へっ。ほんっと口もまあ達者なこって!」
 そこで、恋次は不思議と居心地の悪さを感じて首を回した。呆れた半眼を向けてきているのは、一角と弓親の十一番隊勢だ。
「………オメー、自分の状態見てそういうこと言え」
 そう言われた恋次の現状は、一角の肩を借りることで漸く立つことができ、かつボロボロで体の至る所から血が出ているようなものだ。敵に減らず口を聞かせられるほどの余裕は本来ない。今言っても「やせ我慢だ」と一蹴されてしまえば、反論の余地もなくそうだと頷くしかない。
「……………いや、俺まだ戦えます」
「考えすぎだろっ! 説得力すげーねえぞ! それでも元十一番隊かっ!」
「考えてねーっすよ! ただ肩貸してくれてありがてーなぁって思っただけですから!」
「ありがてーなぁって思ったんならもっと誠意を持って言え馬鹿野郎!」
 久しぶりに見る怒鳴り合いにやれやれと弓親は肩を竦めた。恋次が前に十一番隊にいたときも、時折こうして二人は喧嘩になっていたものだ。見ている限りでは、基本的に一角がつっかっていっているのだが。
「おいそこの熱血共。お前らそういうのは後にしろ……」
 溜息交じりに告げ、日番谷は斬魄刀を構える。眉間の皺は深い。先ほどからじわじわと上げられて行っているティファニーの霊圧が、彼のその皺を刻んでいるのだ。
 さすがは日番谷先遣隊の先頭に立つ死神とでも言えばいいのか。彼の声を受けて、死神全員が気を引き締めたように破面を睨みつける。さあ、戦闘開始だとティファニーも鎌を構えて、それから気が付いたように隣りのガレットを見やった。
「…ねえガレット。さっきから静かすぎる気がするよー? どしたの」
「………なんでもねえ」
「なんでもないって、ずっと変じゃ」
「なんでもねえって。死神片付けるんだろ」
 顔を顰め、ガレットも何か迷いを振り払うように、鎖を大きく鳴らした。そして、ゆっくりと手を差し伸べ、人差し指をルキアに向ける。ぴくりと彼女の肩が震えた。
「ティファニー。他の連中一旦任せていいか。俺、あいつに話ある」
「え? 惚れちゃった感じ?」
「何でだ! そんなんじゃねえよ」
 からかい口調で声をかけてみると、案外いつも通りの返事が返って来た。ああ、なんだ気のせいか、とティファニーは一人納得した。どうにも、ナリアのことで頭に血が上ってしまい、二人していつものペースが乱れているのは自覚していた。何せ、いつも隣にいたはずのもう一人の破面が、今はバートンと刃を交えているのだ。笑い話にもなりはしない。
 ティファニーは一度、ルキア以外の死神に目を向けた。手負いの数も数えて、ふむ、と軽く頷く。
「おっけー。全然平気だよ。じゃあ、あのちっちゃい死神、よろしくね。惚れちゃだめだよ」
「ねえ俺の話聞いてる?」
 言って、とりあえずガレットは長い鎖を振るいながら響転で弓親とルキアの目の前にまで移動する。その速さは、普通の響転よりもずっと上だ。
「っ!!!」
「そういうわけでそこの子、貸せ」
 鎖を振り下ろした。
 ルキアは弓親の肩から自ら離れ、瞬歩でその場を離れた。当然の様に、ガレットは彼女の後を追いかける。弓親はハナから視界に入っていないようだ。
 遠くに離れて何とかひねっていない足だけで体勢を整えて着地したルキアを見届け、弓親は嘆息する。
「さて、こちらも始めようか」
 弓親が藤孔雀を構えて、ティファニーを見上げた。

 真っ白の斬魄刀の切っ先がガレットに向く。両足に何とか力を込めた。鈍痛が走るが、最早そんなことは言っていられない。先ほどまでの戦いで、この破面の強さは嫌と言うほど理解している。あのときは「死神の一群の一人」としてしかとらえられていなかったように思うのだが、どうして唐突に戦いの相手として自分に白羽の矢が立ったのか、ルキアは疑問に思った。軽んじて見られるのは無論不本意だが、それでも、さっき戦って「弱い」と判断する者は少なくないはずだ。ましてや手負いの状態、それも卍解もしていないような自分と、戦う意味。
 剣八のように戦いを楽しむというわけでもない。かといって弱いからすぐに殺す、とも言わない。それなりの間合いをもって、ガレットは此方に視線を投げ続けていた。余程相手ではないと思っているのか。だから必要な尸魂界の情報を引き出そうということか。
「ナリアはあんたのこと、朽木って呼んでたな」
「それがどうした」
 ――――ナリアと呼ぶな。あいつは一護だ。
 心の中でそう言ったが、言えばまた激昂し滅茶苦茶に力を使い始めかねない。こちらも、ガレットが何を考えているのか、逆に聞きだす良い機会だ。
「………何でだ」
「……?」
「……何でナリアはお前らと一緒にいる」
 またそれか、とルキアは溜息を吐く。
 そんなことを破面風情に言われる筋合いはない。元々一護は私達の仲間なのだ。それを奪ったのは、貴様らではないか。貴様らが、一護の記憶を消し、一護の大事なものを、全て、変えてしまったのではないか。
 脳裏に、頭を抑えて悶える、記憶を失っていた破面を思い出す。彼は今も、残念ながらほとんどの記憶がよみがえっていない。自分達のことすら分からない。それを嫌と言うほど理解しているのも他でもない彼自身であり、あるはずの記憶と、ないはずの記憶の二つに翻弄されている。
 一護をあんなに苦しめたのは、貴様らではないか。
 言いたいことが多すぎて、唇を噛み締める。だが、つづけられた言葉に、ルキアは呆けることとなった。
「………どうしてナリアはお前らといて、あんなにいい顔してんだよ」
「………え……」
 ガレットが、顔を歪めている。
「……わっかんねぇよ……何でだよ……」
 額に手をやる。後ろから、刀と鎌が擦れあう音がする。もう、ティファニーの方では戦いが始まっている。こちらに意識が向けられることはなかなかないだろう。話をすると言い、それによろしくと返された。彼女は幸いにも、自分のことを信頼してくれている。それにガレットの強さも知ってくれている。だから、邪魔はされないはずである。
 ……だから。
「………教えてくれ。ナリアはあんたらの何なんだ!」
 ……こいつは何を言っている?
「どうして……貴様、私達を先ほどまで、あんなに憎んでいたではないか。どうしてそんな、急に……」
「バートンにナリアの奴、言ってただろう。記憶を全部返せって。それにバートンは、こう返した」

 ―――― 断る ――――

 出し抜けに、バートンが鎖を振るった。
 驚いて、ルキアが袖白雪を振るい、受け流す。受け流してから気が付いた。恋次と二人がかりでも躱し切れなかった攻撃を一人でどうにかできるはずはないのだ。今、ガレットは酷く、手加減している。
「ふっざけんなよ……なんで“断る”なんて言葉が出てくんだよ………」
 断る。
 その言葉は、暗に肯定していた。バートン自身が、あのナリア・ユペ・モントーラという破面の記憶に、何か手を加えたという事実を。それに気付いたナリアの鬼の形相。そしてガレット自身も愕然としたのだ。破面側には何の非もないと信じていたから。全てが死神のせいだと思っていたが、あのたった一言で全てが覆された気分だった。
「教えてくれ。ナリアはあんたらの、何なんだ」
 振るい、投じた鎖を引き戻しながら、改めて問うた。
 ルキアも斬魄刀の構えは解かないまま、率直に述べる。
「……私達の。死神の、仲間だ」
「違うっ!!!」
 がしゃん、と鎖が重々しく、泣く。
 ゆっくりと頭を振り、歯を食いしばった。ガレットが顔を上げる。
「………ナリアは、……破面の仲間なんだ。……あいつは俺達の仲間なんだ」
 ガレットの瞳が揺れるのを、ルキアは見た。
「そうだって……俺は……ナリアは……なのに…………違うのかよぉっ………!」
 あの戦いとは、別人だ。
 鎖でとらえ、首をつかみ、声を発せば「死神が喋るな」と舌打ちをしたガレットではない。こちらが、素なのだろうかと、ルキアは漠然と思った。今はまるで、縋る様に言葉を重ねる。現実を見たくない。しかし、見ずにはいられない。そんな葛藤と戦っている。その様はどちらかというと、子供の方が近かった。
「………貴様……」
 刀を構えながらも、ルキアの心の内がざわめいた。
 この男は、きっと、一護のことを大事にしてくれていた。本当に、破面として、仲間だと信じていたのかもしれない。
 ルキアは刀を振りかざし、瞬歩で移動すると、素早くバートンの足元に円を描いた。
「初の舞・“月白”」
 攻撃を受ける本人にしか分からない程度に、ゆっくり技を繰り出す。氷柱が突き立つ前に、ガレットはその場を離れた。顔を顰めて、今にも泣きそうになっている破面が、どうにも哀れに思える。もしかしたら、この男は。
「私からも訊く」
 ガレットは、無言で続きを促した。
 蛇尾丸、と叫ぶ声が聞えて来る。恋次だ。氷輪丸、と叫ぶ声が聞えて来る。日番谷だ。それからも、いくつもの声が聞えて来る。いずれも聞き慣れたものだ。誰もが、一護を取り戻すために躍起になっている。彼らは、仲間を取り戻すために、自分達の住む世界に、大きな組織に、大変な喧嘩を売って来たのだ。
「………貴様は、一護を。………仲間だと思っていたか」
「ふざけんじゃねえ! これだから死神は嫌いなんだ!!」
 怒鳴ると、思わず霊圧が跳ね上がりそうになる。かなり感情に左右されるタイプらしい。
 息を荒げて、何とか気を鎮めようと努め、ガレットはルキアを見返す。
「………今も思ってる。当たり前だろ。それが仲間ってもんだろ!」
「…………」
 厄介な者を相手にしたと思った。

『何がなんでも、ナリアは返してもらう!』

 彼らが現世に現れて、二言三言言葉を交わした時に、思わず心が揺れた。それは、この破面が、本当に一護のことを大事にしてくれていたからなのだと、今更のように気付く。否、仲間として大事にしているのを感じたのは、これが初めてではなかった。終始そうだったのだ。でも、その認識はあまりに甘かった。
 ルキアは悟る。この破面は、一護の記憶が消されたことはおろか、破面化した原因を何も知らないのだ、と。彼はただ純粋に、仲間として引き入れられた一護のことを、慕っていたのだと。―――――そしておそらく。あの、女性破面の方も同様に、だ。
「……なあ。バートンはあいつに何したんだ」
 思いつめた様子で、尋ねて来る。そんなものこちらが知りたいくらいだ、とルキアは苦笑を漏らした。
「……ガレットと言ったか。貴様なら分かってもらえるやもしれぬ。……頼む。一護を私達に渡してくれ」
「でた、“いちご”。それがナリアの本当の名前だって? 笑わせる」
「それが一護のためなのだ。一護には家族がいる。かけがえのない妹がいる!」
 ふと、ユウの存在を思い出す。ナリアにだって弟がいるようなものだ、と声には出さず反論した。だが、ルキアの目から顔を背けられなかった。この死神は嘘を言っていないと、何となく思う。何より、この死神を庇ったナリアを見てしまえば、信じざるを得ない。
 それならばもう、心は決まっている。何かをバートンがしたというのであれば……。
「私は、あの子達の悲しい顔などもう見たくないのだ! それにっ」
 がしゃりと刀を構え、前傾姿勢になる。ガレットが眉を吊り上げた。こちらも鎖を掴んだ。
「私はもう、一護の苦しむ姿は見たくない!!!」
 空を蹴り、ガレットの懐へ飛び込んでいく。
「奇遇だな! 俺もナリアの苦しむ姿なんざもう見たくねえ!!!」
 空を蹴り、ルキアの懐へ飛び込んでいく。
 鎖と刃とが、かち合い、火花を散らす。パキパキと、袖白雪の冷気が鎖を冒し、氷漬けにしていく。だが、それに対して袖白雪の刃にも、鎖の強度に耐え切れず、ヒビが入っていた。
「そんだけ聞ければ充分だ……真実は俺が確かめる。ナリアは俺が助ける」
「たわけ。一護を助けるのは我々だ。元々貴様ら破面のためにこんなことになったのだからな」
「どうもそうらしいな。ならその尻拭いすんのも破面ってのが一番理に適ってると思わねえか」
 仲間ならば力になりたい。そう思うのは当然のことだ。
 拮抗した力を互いに弾き返し、距離を開ける。先ほどまでの言葉を交わす空気感は、いつの間にか何処へと去っていた。
 死神と破面。相容れない関係。この戦いは、やむを得ないのかもしれない。とは言ったものの、
(………元々戦うの嫌いなんだよ。馬鹿野郎)
 ガレットは歯噛みした。
 一護を助けたいのは違いない。しかし、死にたくもない。ここで反乱を起こしても、バートンに勝てないのは目に見えている。はっきり言ってしまえば、今ここで戦っている死神達が束でかかっても無理だろうと思う。だから一度虚圏に帰り、願わくば一護も連れて帰ってしまって、真実を突き止めるのが一番だと思ったのだ。だが、この死神達は、自分達が勝てるわけがない現実を見ようとはしない。ほんのわずかな確率にかけている。だからこうして、死神と破面で、刃を交えることになってしまうのだ。互いの気持ちが同じだと、分かったところで。
 ちらりと、彼は一護を見上げた。相変わらず、目にも止まらぬ戦いをバートンと繰り広げている。そこで、あまりに当たり前だと思っていて気付かなかったが、一護がマントを身に纏っていることに気付いた。自分が渡したマントを律儀にも身に纏っている――勿論霊圧を他の世界から遮断するという利点を以てのことではあると思うが、それでも、何となく嬉しくて、少しばかり目を細めた。


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