■ We never call him but he answers us.7
薄暗い道場の中、たつきは一人、空手道着を着たまま座り込んでいた。今日は稽古の日ではなく、生徒は誰も来ていない。ただ、彼女が気分転換にと訪れ、気分転換にと突きの練習をサンドバック相手にして、気分転換にと型を練習した。やがては疲れて、座り込むに至った。否、疲れたというより、気分が晴れなくて体を動かすことに嫌気がさした、とでも言えば語弊は少ないだろうか。
汗を拭う為のタオルを頭に被り、密かに息を吐く。
「有沢?」
聞き覚えのある声に、たつきはゆるゆると顔を上げた。
道場の中を覗き込むようにしていたのは、啓吾だった。
「浅野…? 何してんだよ、こんなトコで」
まさか啓吾が、今になって空手を教えてくれと言いに来たとは思えない。
「いや…姉ちゃんにまた使い、頼まれちゃってさ。すぐそこのコンビニ行ってきたんだけど」
彼ももう大学二年生という年だが、未だに姉のみづ穂には頭が上がらないようだ。“恐妻家”ならぬ“恐姉家”である。
「前通ったら、何か誰かいるような気がして、覗いてみた」
言ってから、啓吾はボソリと「霊圧ってヤツかも」と独り言ちた。その科白が、自分は普通の人間ではない、と言っているようにも感じられて、無条件に気分が沈む。
顔だけを覗かせていた彼が、道場にいるのはたつきだけであることに安堵したのか、躊躇うことなく中に入ってきた。別に、それに対し彼女は拒みもしない。
道場の中を眺めてから、啓吾が目を細めた。
「…一護が、前にここに来てんのは見たけど…」
彼は幾度か一護が、大学生になってからここに来ているのを目撃していた。
たつきがまた、俯く。
「まぁ、ね。一護のやつ、あたしに空手習いに来てたんだ」
少し、驚く。
アルバイトの話題があがったとき、たつきが「道場の師範代をやっている」と明かしたら、一護は「絶対に習いたくない。お前を先生などと呼びたくない」と零していたのだ。その後、彼がたつきに殴られたのは、言うまでも無い。
「あいつと組手するの、滅茶苦茶久しぶりでさ。正直、びっくりしたよ。動きが俊敏すぎるっていうか、人間離れした動きっていうか」
啓吾が、脳裏に四年前の出来事を思い出させる。
訳の分からない事態だった。町中の人が寝ていた。皆、起きなかった。やっと会えたたつきから、町ごとどこかに転送されているようだ、ということを聞いたとき、何だこれは、現実か、と何度疑ったか知れない。
藍染に初めて会った時、体中が重くなった。今思えば、一護が全て終わった後に解説してくれたものにある、「霊圧」と称されるものが原因だったのだろう。
あれほど怖いことはなかった。自分は何もしていない。なのに確実に殺される。相手は自分が死を恐れ、友達と一緒になって逃げ惑うのを面白おかしく眺めている。
こんなに怖いことがあってたまるか、と怒鳴りたくなった。勝てるわけが無い、と喚きたかった。どうしてこんなことになった、と誰かに問いをぶつけたかった。皆が皆、そういう状況であったから、そんなことはできなかったけれど。
そして、いよいよ死ぬんだ、というとき、黒崎一護は少し成長した姿で現れた。
後から、一護から全てを聞かなくても、あの光景を目撃しただけで、不思議なほど自分は理解していた。
勝てるわけが無い。どうして自分が死の危険に晒されないといけない。恐くてたまらない。どうしたらいいか分からない。怖い。恐い。こわい。
その中、彼は立っていた。刀を握り締めて、決意のある瞳で。
『…みんな、そこにいてくれ』
穏やかで、しかし、強かった。そう、思った。彼はクラスメイトだけど、自分なんかより遥かに強いと、そう思った。
『そのまま、じっとしててくれ』
自分たちがあれほど恐れていた藍染から、一護は逃げ惑うなどと無様なことはしなかった。ただ静かに、会話を交わしていた。
『場所を移そうぜ。俺は空座町(ここ)では戦いたくねぇ』
彼がそう言ったのを聞いたとき、嗚呼、と声を出しそうになった。
護りたいんだ、あいつは。
俺達を。
この町を。
大勢の人を。
あの人間離れした者達と、一護は幾度も戦ってきた。死神といっても、彼は人間であることに相違ないはずなのに、だ。
当然、その辺にいるような人間にできない動きができるはずだ。
彼は、全てを護る為に、それを習得してきていたのだから。
「インハイ行くあたし程度じゃ、話になんないはずだよな」
たつきは疲れたように笑う。が、失敗した。結局変な風に顔を歪めてしまい、泣くかのような表情になってしまう。
「でも、いきなり、動きが鈍くなったことがあったんだ。勿論あたしは必死だから、瞬間的には気付けないわけ。で、一回、派手にあいつの首、回し蹴りしちゃってさ。倒れて動かなくなるもんだから、さすがに焦ったね」
話を聞きつつ、啓吾は道場の端に置かれている透明のボックスケースに歩み寄った。中に複数のトロフィーや賞状が入っている。たつきのものは、なかった。多分、高校の部室の方に置かれているのだろう。
「心配になって、覗き込んでみたら、一護はなんか…不思議な目で、あたしを見てた」
『………いってぇ…』
「泣きそうに、してた気がした。あたし、“どうした?”って訊いたんだ。そしたら…」
『…辛れぇ、な…』
「辛い?」
啓吾が眉を顰める。たつきは肩を竦めた。
「意味わかんないだろ? だからあたしも、こう返した。“何が?”って。もう戦う事もなくなって、命が危ぶまれるようなこともないのにさ。でも…」
『もう…俺にユウレイは見えねぇ…どんなに体を鍛えても…どんなに体が強くなっても…俺は皆を護れねぇ…』
「………あたし、多分本当は、分かってた。あいつは、死神だったときの戦いを、苦に思ったことなんてきっとない…」
啓吾は、たつきの言葉を背に聞きながら、窓越しに空を見上げた。
空はすっかり暗雲に覆われて、今にも雨が降ってきそうなほど重くなっている。
「……っ…」
奥歯を食いしばって、黙り込むたつき。
「有沢…」
啓吾が、彼女の前に百円玉を二枚置いた。
「これで、一応ビニール傘、そこのコンビニで買っとけ。俺、金欠なんだから、今度返せよな」
そして、彼は足早に道場を去った。
たつきは、目を固く閉じる。曇りであるゆえ、とても光の弱い西日の差し込む道場で、あのとき一護は、倒れたまま、ただ呟いていた。自分はそれを、聞いてやることしか出来なかった。
「一護………」
幼なじみなのに。
「一護っ………!」
ずっと彼に助けてもらっていたのに。
「…一護っ………!!!」
自分は……!
「ああああああぁぁぁあああぁあぁぁあっっ!!!!!!!」
慟哭する。
これまで堪えていた分を、吐き出すように。
『俺は…………無力だ………』
無力? バカじゃないの。無力ってのは、あたしみたいなヤツのことを言うんだ。
道場に誰もいないことをいいことに、幼児のように泣きじゃくった。どこかで、自分はこうして、吐き出す場所が欲しかったのかもしれない。一護が、死んだときから。一護が、無力だと呟いたときから。
でも、吐き出す場所が、一護と初めて出会った道場であることは、何かを意味を感じるような気もすれば、皮肉な気もした。
ただでさえ薄暗かった道場が、さらに暗さを増した。
空から雨が、一滴ずつ落ち始めた。
* * *
一番隊隊長兼総隊長・山本元柳斎重國総隊長を初め、二番隊隊長・砕蜂、四番隊隊長・卯ノ花烈、五番隊隊長・瑠璃谷夜光、六番隊隊長・朽木白哉、七番隊隊長・狛村左陣、八番隊隊長・京楽春水、九番隊隊長・檜佐木修兵、十番隊隊長・日番谷冬獅郎、十一番隊隊長・更木剣八、十二番隊隊長・涅マユリ、十三番隊隊長・浦原喜助が整列し、一番後ろ、列と列の真ん中に三番隊隊長代理の副隊長・吉良イヅルが跪いていた。
「これより、隊首会を行う!」
元柳斎の荘厳な声が響く。
「まず初めに、卯ノ花烈」
「はい」
卯ノ花が列を外れ、前に歩み出る。
「破面化した死神代行・黒崎一護の奇襲を受け、傷を負っていた者達の容体?」
「隠密機動の方々は回復に向かっていますが、未だ意識を取り戻す兆しも無い方もおり、暫くの間は機能しないかと思われます」
チッ、と舌打ちが聞こえた。
もしかしなくとも、砕蜂であろう。
「また、治療を行いました、日番谷十番隊隊長、狛村七番隊隊長、瑠璃谷五番隊隊長は、ご覧のとおり、本日夕方において、全員無事復帰いたしました」
その科白に、日番谷が無言で夜光を見つめた。
彼女は、妙に彼からの視線を痛く感じて、思わず目を背ける。
そういえば、自分の背中の傷や、余命のことを詮索したのは、日番谷だったっけ。
変な広まり方をしたので、少々気が滅入る。
「よろしい。では、本題に入ろうかの」
卯ノ花は一歩下がり、列に戻る。
「昨日、中央四十六室より決定が下った。破面化した死神代行・黒崎一護の残留霊圧を測定。また二番隊並びに十二番隊の報告書から、大罪人藍染惣右介を忍ぶやもしれぬ数値が弾き出された」
「藍染を忍ぶ…か…」
日番谷が眉間に皺を寄せる。
「たしかに、彼は破面化したことで強くなっていることは感じていましたが、それほどとは…」
狛村は、卍解を用いて一護の放った虚閃を真っ向から向かい打ったが、その威力は大虚や巨大虚と比べたら、歴然の差だった。
「よって、現世、尸魂界を危険に侵す者として、場合によっては全面戦争となろう」
ギク、と浦原の顔が強張った。
予想をしていなかったわけではない。だが。
――――…まさか…。
「黒崎一護を、敵と見なす。拘束の必要もない。発見次第即刻に、処刑せよ!」
会場の空気が、揺れる。
皆が一様に動揺した証拠だ。何度も尸魂界を救い、そして手を貸してくれた一護の処刑命令は、あまりに突然だった。
「でも山じい? 僕たちは、一護くんに大きな借りがあるんじゃない? いくら何でも、まだ事情もはっきりしてないのにさぁ」
京楽は、腑に落ちない様子でそう言った。それは、他の隊長格の胸中を代弁しているようでもある。
「だが、我らに刃を向けたのは、紛れもない事実。更に、莫大な力までもを秘めておる。事が起きてからでは間に合わぬ」
拳を握り締め、歯を食いしばる。次いで、夜光が無意識のうちに、眉間に皺を寄せた。
「そして、未だ現世に滞在している阿散井恋次には継続し、強制帰還を要請。尚も抗うようであるならば、三番隊隊長を排斥、瀞霊廷からの追放処分とし、副隊長・吉良イヅルを隊長に任ずる」
瞬時に、跪いていたイヅルが立ち上がり、叫ぶように言った。
「お待ちください! 僕はそんな!!!」
ゴァン、と音がした。
元柳斎が杖で床を叩いたのだ。
「異論は聞かぬ!!!」
怒鳴り声が、響く。
音の無い空間となって、数秒。
「うざ」
ポツン、と、夜光が呟き、それに気付いた全員が、彼女を見る。
「………何?」
元柳斎が聞き返すが、彼女はそれ以上言葉を紡がなかった。
「これにて、隊首会を閉会する」
同時に、全員が瞬歩を使って消えていく。
と、そのとき。
「浦原喜助」
彼に呼び止められ、瞬歩を使おうとしていた浦原が、きょとんとした顔つきでこちらを向く。
「おぬしには話がある」
ああ、と思い出したように、浦原は元柳斎に歩み寄る。そこで、シュンッと彼の目の前に、一人の死神が現れた。
「あなたは…!」
浦原が、目を見開いた。
(ムカつくムカつくムカつくムカつく…!!!)
完全に腹が煮えていた。
もう、許すことなどできなかった。元柳斎に対して、でもあり、自分に対して、でもあった。もっと言ってしまえば、何もかもに対して許せない思いが渦巻いている。
瀞霊廷の中をズンズンと大股で歩いていると、花太郎にばったりと出くわした。
「花!」
「瑠璃谷隊長っ…!? お、お疲れ様です!」
会釈する彼に、“うん”と頷いてみせる。
「あっ、隊首会、終わったんですね。今回は…また、一護さんのことですか?」
「ああ〜…まあ、そうっちゃそうなんだけど…」
たしか、花太郎は一護の治療を幾度もしたことがあり、逆に救われたこともあると聞いている。当然、心優しいこの四番隊四席は、口では言わなくとも話を聞きたいと思っているはずだ。
どう説明しよう、と思案したところで、夜光の頭に妙案が浮かんだ。
「花」
「はい?」
ニッと笑う。頭の待雪草の髪飾りが、チャラッと揺れて、白く光った。
――――やるべきことを、おやりなさい。
「ちょっと、頼まれてくれる?」
狛村は無言で、墓の前に佇んでいた。
二つの墓。片方はよく知る者で、もう片方はよく知らないが、大切にすべきである者。
サクッ、と草を踏む音がしたと思えば、彼の傍らにやってきて、檜佐木は狛村の真似をするかのように言葉もなく墓を見下ろした。
(…東仙…)
この墓に永眠るのは、東仙要。かつての九番隊隊長であり、市丸ギンと同じで尸魂界の裏切り者だ。死に物狂いで戦い、心から理解しあうことができたとき、彼は一瞬にして、藍染に息の根を止められてしまった。たとえ裏切り者でも、狛村と檜佐木にしてみれば、東仙はかけがえのない死神だった。愚かな事も、大事な事も、全て教えてくれた死神だった。
「狛村隊長は…」
檜佐木が徐に切り出す。
「黒崎一護の処刑命令を、どう、受け取ってますか」
「………」
脳裏に蘇るのは、人間なのに死神となって、命を懸けて世界を救ってくれた姿と、あの、真っ直ぐな瞳。
「…元柳斎殿の苦渋の決断ではなかったのかと、思う。だが…儂も、些か戸惑った」
墓から視線を外さず、
「さっき、隊首会が終わってすぐ、俺は朽木に伝えに行ったんです…」
未だにルキアは、隊舎牢に入れられている。
毎日のように、霊圧を制御されては放つことのできない鬼道を放とうとしながら。
「…凄かったですよ。隊長の俺が、っていうか、もう全面的に、ボロクソ言われました」
言って、苦笑した。
ルキアの怒り方は、相当なものだった。
『我々死神の思考は、一体どうなっているのですか!!』
目を血走らせて、鉄格子にしがみつき、
『あれだけ一護に頼っておきながら、都合が悪くなれば処刑する!? これが護廷十三隊ですかっ!!!』
仕方ないだろう、と返した檜佐木に、牢自体が吹っ飛ぶのではないかという大音声で。
『それが死神の誇りですかっ!!! それでもあなたは隊長ですか!!!』
檜佐木は、その言葉を思い出して頬を掻いた。
「いやぁ…なかなかあれは、こたえました」
「檜佐木……」
「正直、分からないんです。阿散井の強制帰還や処分を聞いて、俺も心のどこかで何か納得がいってなくて。阿散井は隊首羽織を脱いで現世に行きました。でも、もしかして、隊長の在り方って、命令に忠実の他に、もっと沢山あるんじゃないかって…最近は思うんです…」
狛村は目を閉じた。
「……東仙は、愛する者が好きだった世界を護り続けた。だが、東仙自身は愛する者を奪った世界を憎んでいた…否、東仙は自身の弱さを憎んでいたのだろう…だからこそ、自ら虚の力に手を出した」
一度、彼の墓の隣りにある東仙の愛した女の墓を見やってから、檜佐木の方を向いた。
「正義を一言で語ることは、できないのではないか?」
二人の死神を前に、日は彼方へと沈んでいった。
夜中の月は、呆れるほど美しかった。
小窓からそれを見上げていたルキアは、溜息を吐く。
隊舎牢に入れられて、もう五日ほど経つ。現世で恋次はどうしているだろう。一護に関する情報は手に入れただろうか。夏梨や遊子のことも気がかりだ。そもそも一護は今頃、虚圏でどうしているだろうか。
『黒崎一護に護廷大命が下った』
実質、処刑命令。
どうするべきだろうか。このままでは尸魂界は、一護を敵として処理する。そんなものは見たくない。
チラリ、と見張りを見たが、律儀にも居眠りせずに番をしている。手錠も外せそうに無い。かといってじっとしていることも難しい。
(どうしたら…)
毎晩、気持ちばかり急いて、こうして遅くまで考えているが、結論は出ない。自分は白打もあまり得意とは言えないし、大体、そんなものでこの厚い壁や鉄格子を破れるとも思えない。第一、手錠の鎖を引きちぎるなんて、非現実的だ。“出せ”と訴えたところで無駄であるのは、最初の二日間でよく分かった。
――――コツッ。
「!? 誰だっ!?」
見張りが物音に気付き、警備用の武器に手をかける。
(…上…?)
ルキアは天井を見上げた。見張りも同様だ。今の音はたしかに、上からした。しかしそこには何も見られない。
気のせいか、と見張りが肩から力を抜き、座り直した、瞬間。
ポトッ、と、水滴が二滴ほど、その見張りの額に落ちた。
「…へ…?」
一瞬にして、見張りがその場に崩れ落ちる。
「何だ…!?」
思わぬ事態に、ルキアも思わず、牢の中で身構える。
タン、とした音は、まるで天井から飛び下りたような音だ。しかし、やはりそこには誰もいない…かと思われたが、ゆるゆると足元から、その姿が露わになった。
ルキアが思わず、目を見開く。
「や…夜光殿…!?」
「ちっす、ルキア」
軽い調子で手を挙げてみせる。
「ごめんねー驚かせて。見えなくて焦ったっしょ?」
「ど…どうやって…」
そこでルキアは、夜光から少し離れた後方で、手を構えている雛森の存在に気付いた。
彼女が小さく笑う。
「縛道の二十六番、“曲光(きょっこう)”です」
“曲光”。対象物を覆い、視認できなくする鬼道である。どうやら、今回その“対象物”が、雛森と夜光だったらしく、それで見えなかったようだ。
「本当、桃って鬼道の達人だよね。マジすごい」
夜光の褒め言葉に、雛森が会釈する。
ルキアが、倒れた見張りを見つめていることに気付いた。
「あ、それ、“穿点(がてん)”だから大丈夫。花に頼んで、四番隊から持って来てもらっちゃった」
ちなみに、“穿点”は麻酔系薬物の一つである。
今一つ現状がわからないルキアは、戸惑うばかりだ。そうこうしているうちに、夜光が見張りの懐を探って取り出した鍵を用い、牢を開け、斬魄刀を抜くと彼女の手錠を壊して外した。手錠の鍵は見張りは持っていなかったのだ。
信じられない思いで、ルキアは自分の手首を見下ろす。
「これ」
さすがに天井にはりつきながらの荷物は厳しい、と呟きながら夜光が差し出してきたのは、ルキアの斬魄刀・袖白雪だった。
「これは…」
受け取って、瞳を瞬かせる。尸魂界に連れ戻された時、気を失っている間に没収されてしまった自らの斬魄刀が、ここでこうもあっさり、手元に戻ってくるとは思っていなかった。いつも携帯しているものであるはずなのに、まるで斬魄刀を手に入れて間もない死神のように、まじまじとそれを見つめてしまう。
「あ〜、あと、これと、これね」
続いて夜光が懐から取り出したのは、九番隊の副官章と、風呂敷で包まれた少し大きめの物体。受け取って、これもまたジッと見つめた。
「それ、三番隊の隊首羽織。現世で恋次に渡して。勿論、ちゃんと着とけ・って言っといて」
「夜光殿…何故、あなたが…このような、命令違反を…?」
ルキアは、自分が連れ戻されたのは夜光が命令に従ったからということを分かっていた。そして、彼女がいかに命令に忠実なのかも知っていた。だからこそ、余計に信じられないのだ。ここで恋次が来れば、「遅かったではないか」と怒鳴り散らしていた…つまり、絶対に来るだろうと予想していただろうが。夜光というのは、全くもって予想しえない人物だった。
抜いていた斬魄刀を鞘におさめて、笑って答える。
「まぁ、色々あった。ずっとルキアを連れ戻してからモヤモヤしてたし」
ここまで来て、夜光は漸く気付いていた。ずっと、隊士に八つ当たりしたりして、イライラした気持ちを抑えていた。原因は何なのだろう、と思っていたが、これだったのだ。
「自分でもよく分かんないけど、いいんじゃん? これで」
ふと、ルキアが、夜光の頭に見慣れない髪飾りがあることに気付いた。しかも、その花は、自分がかつて所属していた十三番隊の隊花。
「…待雪草…ですか…?」
「うん。桃がくれた。何でも、花言葉的にこれが良いらしくてねぇ」
待雪草の花言葉―――…
ルキアが、ふわりと微笑む。
「“希望”…ですね」
「正解。さすが元十三番隊隊士」
そのとき、倒れ伏していた見張りが、小さく呻いたことに気付く。まだ効力の時間的に目は覚めないはずだが、念のために夜光は彼の頭を豪快に足で踏み潰した。
「ルキア、早く行って!」
夜光に言われて、少し、呆けた。まだ、現状が飲み込めていないのかもしれなかった。
「ああもう! ルキア! 行けっつーの!」
苛立った口調で言われて、我に返る。
そうだ。夜光殿は、私を逃がしてくれようとしているのだ。
ルキアは気を引き締める。腰帯に斬魄刀を携え、副官章を左袖に通すと、風呂敷に包まれた隊首羽織を抱えて走り出した。
「霊圧も消すの、忘れないでくださいね!」
雛森は早口で言うと、走るルキアに向けて手を突き出した。
「縛道の二十六、“曲光”!」
“曲光”がルキアを覆うと、たちまち彼女の姿を視認することはできなくなった。
ルキアは穿界門に全速力で向かっていた。ずっとじっとしていたからか体が重いが、構ってなどいられない。九番隊においてきた夜光と雛森は大丈夫だろうかと、少し不安になる。しかし、それで足を止めたら、それこそ二人に顔向けできない。
走っていて、ずり落ちてくる副官章を手で上に引き上げる。
途中で一度、転んだ。そのとき、ふいに改めて、一護を助けたい、と思った。
すぐに立ち上がり、走る。風呂敷を持つ手に、力を込める。恋次に何事も無いことを祈る反面、何事かはあってほしいと感じた。良い方面での進歩はあってほしい。
やっと、穿界門が見えてきた。
真夜中で人は少なく、また姿も“曲光”で覆うことで消えている。おかげで、何事もなくここまで辿り着けた。
義兄・朽木白哉の顔が、頭に浮かぶ。しかし、何も変わらなかった。自分の決意はそれほどに強いのか、と自分でも驚く。義兄を敵に回してもいいと思っている自分が、衝撃的だ。
瀞霊廷を振り返る。そして、持っている三番隊の隊首羽織が入った風呂敷を、見下ろした。
(…有難う御座います…雛森副隊長…そして…夜光殿…!)
ルキアは、穿界門に飛び込んだ。
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