永遠は光の速さで















 それは夏に付き物の、幼い怪談話であった。

 ――知ってる?今はお屋敷の菜園になっているけど、丘の上には小さなお墓があるんだ。赤ちゃんのお墓だよ。でも中身は空っぽなんだ。お骨が残っていないのは、夜な夜な抜け出して母上を探しているせい。だから夜に墓地の道を通る時には、泣き声が聞こえるんだって。

 ――違う違う、ずっと空っぽだって思われていたんだけど、二年前の区画整備の時に掘り返したらしいよ。でも赤ん坊の墓なのに、出てきたのは黄金の靴が一足。皆驚いたって、叔父さんが。

 ――変ね、どうして靴なのかしら?

 山陰に太陽が沈み、村の子供たちが噂話をしている。少年が二人、少女が一人。カンテラの灯りを手に家路へと急ぐその頭上を、鴉の群れが悠々と追い越していく。
 村は森の中にあった。整備が行き届いているとは言いがたく、きちんと伐採されているのは中央の集落に限られている。家々の半分以上は木立の合間にしがみつくように建てられており、砂利道を進んでいくと、藁葺き屋根の農家と石壁小屋が交互に姿を現した。
 新しく作り直した村。一度は流行病で死に絶えた場所に、再び人間の住処を作ったのは何の巡り合わせなのだろう。曰くつきの土地に住み着いた影響か、そこには様々な伝説に満ちている。子供達はまるで綺麗な小石のコレクションを並べるように、牧羊から帰る傍ら、神妙な顔で手持ちの話を披露し合っていた。
 北の森には魔女の井戸があって、夜になると怪しい煙が出る。娘が生まれたら成人するまで満月を見せてはいけない、鳥のように身を投げてしまうから。古い教会の鐘には悪魔の文字が書かれてあって、夏至の夜に勝手に鳴り響く。そして薔薇屋敷で女の幽霊を見ると、幸せな結婚ができなくなる呪いが――。
 脅かし合いながら子供達は道を急ぎ、それぞれの家に帰っていった。最後まで残った少女は平気な体を装っていたが、さすがに一人になると心細くなる。やがて道の左手に小高い丘が姿を覗かせ、潅木の隙間から薔薇屋敷の尖塔が夕空に突き刺している光景が見えるようになると、彼女は足を早め、ほとんど走るようにして道を突っ切った。
 薔薇屋敷とは村人が使う通称だ。本来ながら村を統治する領主が住むはずなのだが、長らく使われていない。領主にはこの辺鄙な村以外にもいくつかの城や土地があって、各地を転々としていると言う。留守の間に痛まないようにと村人が屋敷の手入れを行っているが、夜は引き払って無人になる。
 女の幽霊が出ると言われているのは、西に面した二階のバルコニーだった。幽霊自体は人も襲わず、害がないと言われているが、幸せな結婚ができない呪いがかかるなんて聞き捨てならない。少女は恐る恐る視線を上げ、誰もいない事を確認する。
 しかしほっと胸を撫で下ろしかけた時、屋敷の窓に仄かな明かりが灯り、優美な曲線を描くバルコニーの手摺へ、室内から白い手が伸ばされるのが見えた。
(幽霊!) 
 少女は仰天し、慌ててその場から逃げ出そうとする。荷物を落としかけながら必死で足を動かすと、屋敷の門前に続く道で人にぶつかり、更に動転してしまった。
「どうしたの、そんなに慌てると転んじゃうわ」
 しかし体をふんわりと抱き止めてくれた腕は優しく、掛けられた声は柔らかく、視界一杯に広がった白いドレスの色は清らかだった。尚もじたばたと暴れたがる少女の体を支え、膝を折って視線を合わせてくれる。
 綺麗な女の人だった。淡い髪をひとつにまとめ、夏だと言うのに薄いショールを羽織っている。また幽霊かと思ったが、優しく頭を撫でる掌の温かみに肩の力を抜いた。安心した途端に少女の目には涙の膜ができ、あっという間に決壊する。
「あのね、今そこに、幽霊がいて……!」
「幽霊?」
「呪いがかかって、あたし、幸せな結婚、できなくなるって……!」
「まあ、どうして?」
 優しく背中をさすり、女の人は穏やかに話を促した。喉を震わせて村に伝わる様々な怪談を訴えると、少女の頬にハンカチを添えながら静かに相槌を打ってくれる。やがて彼女は小さく微笑むと、秘密を打ち明けるような声音で囁いた。
「安心して、大丈夫よ。私ね、呪いを跳ね返す素敵な魔法を知っているの。それはね――」






 薔薇で覆われた石壁を辿り、庭へ続くアーチを潜る。棘に引っかからないようスカートの裾を摘み上げ、エリーザベトはバルコニーの元へと歩み寄った。点々と明かりが増えていく屋敷の窓を見上げると、愛しい姿がそこにある。
「メル。貴方、女の人に間違えられたみたいよ!」
 声を掛けると、手摺に置かれていた白い手が引っ込んだ。代わりに現れたのは不思議そうに話の続きを待つ夫の顔で、唐突な話題に困惑しているのが見て取れる。エリーザベトはくすくすと笑いかけた。
「ここでは私達、随分大仰な話になっているみたい。それに面白いのよ、みんな混ぜこぜで!」
「……よく分からないな。それより、早く上がっておいで。夏とは言え、風に当たりすぎるのは体に障るよ」
 手招きされ、エリーザベトは大人しく屋敷の中へと戻った。荷解きに励む使用人達へ声をかけながら部屋に入ると、夫はちょうどバルコニーの窓を閉めたらしい。新鮮な夏の匂いが室内に封じ込められている。長年積もり積もっていた埃っぽさが和らぎ、新しく取り替えられたリネンの白さが部屋の中を明るくしているようだった。
 彼の横に並ぶ。それだけでエリーザベトの顔は綻ぶ。胸の中で無数の花が咲くような心地で先程聞いた噂話を教えると、彼は口元を歪めるようにして笑った。口伝えで広まるうちに物語の筋が変わるのは仕方ないけれど、せめてハッピーエンドにして欲しいね、と。
「けれど、それが童話と言うものなんだろうな。過去にここで何が起こったのか、覚えている人もいないのだろうし」
「……メル」
 窓の外を眺めながら小さく彼が呟いた。かつて彼が死んだ村。そこに付随する様々な思いに絡め取られたように、その声はやや沈んでいる。エリーザベトがそっと腕に触れると、彼は思いがけず出てきた言葉の痛々しさに自分で驚いたように苦笑した。
「大丈夫……妬んでいる訳ではないんだよ。この村も少し変わったみたいだ。西の畑が完全に森になっているから、あの教会も井戸も以前のようなものではないのだろうし」
 話の論点を明るい方へと逸らし、彼は窓の外を指差す。屋敷から続く坂道に先程の女児の姿を見つけたのか、向ける眼差しが和らいだ。
「ああ、あれが君の言っていた子かな。昔はほとんど子供がいなかったけれど、今は随分賑やかになったみたいだね。この村には何度も滞在したけれど、それで少し寂しい思いをした記憶がある」
「……でも、だからこそ私が初めての友達になれたのでしょう?」
 カードの裏表を引っ繰り返すように、幸も不幸も見方によって変わると知っている。エリーザベトの言い分に不意を突かれたのか、夫は驚いたように目を見開いた後、確かにそれだけはこの村に感謝しないといけないね、と微笑んだ。エリーザベトはその顔を見上げ、気持ちの向くまま、ぎゅっと彼の胴に腕を回す。愛しさが込みあげて歯止めが利かない。誰もが想いを殺した時代は終わったのだ。剥き出しになった彼の痛みも悲しみも、今はただ愛しい。
「ねえ、メル。ここは素敵な場所よ」
 抱きとめる腕に髪を撫でられながら、エリーザベトは言った。
「きっとこの子にも良い友達が一杯できるわ」
 僅かに膨らんだ下腹。ここに新しい二人の永遠がある。魂を切り裂くような長い夜はもう来ない。ようやく戻る事のできた思い出の地へ明るい種を撒く為、彼らはやって来たのだった。





END.
合同お題より幸せMachen


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