曖昧な関係の温い心地良さ









 テレーゼ・フォン・ルードヴィングは多彩な女だった。
 政治を語る教養、如才ない立ち振る舞い。薬草を煎じる知恵、鮮やかな炊事の手際。剣を取る勇気、輝く才知。
 一人で生きていける女だった。もしくは一人で生きていけるよう訓練してきた女だった。安穏と淑女の椅子に座っている事も出来ただろうに、どうした訳か穏やかな花畑よりも荒涼とした断崖を選び、剣と共に歩むような女。
 実際にそんな光景を見た事はない。しかし一枚の絵として、青髭の中には剣を携えて、風の吹く断崖に佇むテレーゼの後姿が住み着いている。こちらを振り返る事はない。そもそも振り返って欲しい訳ではない。教会の十字架のように、ただそこにあるだけで信仰の対象となった。
 そんな印象だからこそ、彼女が赤ん坊を抱いて自分を頼ってきた時、青髭は困惑と共に密かな感動を覚えたのである。報われぬ思慕だと分かっていた。自分は彼女にとって都合のいい逗留場所に過ぎない。だが罪から生まれた子供を厭うでもなく、優しくあやす様子に、もう彼女が一人で歩む事はなくなったのかと――。
 しかしそう簡単に自分の生き方を曲げるような女ではないと、青髭はすぐに認識を改める事になる。
「やはり乳母か、侍女を付けた方がいいのではないか?」
「必要ないわ。これ以上迷惑をかけるつもりもないし、できるだけ自分でこなしたいの」
 取り付く島もない。こちらの忠告を受け流し、テレーゼは汚れた子供服を洗っている。それくらい城の者にやらせると言いかけた声は、つんざくような揺り籠からの泣き声に掻き消された。テレーゼは素早く濡れた手を拭うと、軽々と赤ん坊を抱き上げる。
「それに乳母に任せたら、この子と遊べなくなるじゃない?」
 小さな背をぽんぽんと叩きながら、鼻歌交じりに開きっぱなしの本を覗き込む彼女は憎らしいほど器用だった。あれやこれやと動き回りながら、よく合間に読書をする気になるなと思うが、おそらくあれも医学の資料なのだろう。元からひ弱な事もあり、赤ん坊もすぐに泣き疲れて大人しくなった。息の合う母子である。
 隠れ住んだ青髭の城でテレーゼは子育ての傍ら、せっせと薬作りに取り組んでいた。食事だけは出されたものを食べるし、城の蔵書をひっくり返して本を強奪していく事はあるが、その他の援助となると頑なに受け取ろうとしない。家を出奔する際に小金も持ち出したようで、自分達の生活費も払おうとする。できるだけ借りを作りたくないようだった。
 いくらテレーゼが独立独歩の女とは言え、そこまで他人行儀にする必要はない。大人しい部類とは言え、赤子は赤子。泣くわ喚くわで手がかかる。昼間くらい子守り女にでも任せればいいと思うのだが、盲目の息子が心配なのか、テレーゼは常に目の届く場所に置きたいようだった。
 短くもない付き合いだ。彼女の性格は把握している。器用だからこそ人に甘える事を知らず、またそれを苦にしない女なのだ。全て自分でこなすのが当たり前だと思っている。そうして赤ん坊をあやしながら本を読み、寝かしつけ、薬草を刻み、夜になれば子供服を縫う。
「最初から飛ばすな。いずれ無理が祟っても知らんぞ」
「馬鹿言わないで。楽しくやってるわ」
「ならば、これは何だ?」
 青髭は組んでいた腕を解き、テレーゼの顎を掴んで上を向かせた。本から視線を引き剥がされた彼女は目を細め、たちまち不機嫌な顔になる。
「前髪を下ろして誤魔化しているつもりだろうが、目の下に隈ができているぞ」
「……髪をまとめるのが面倒だっただけよ」
 わざと自尊心を揺るがすような物言いをすると、容赦なく手を叩かれた。と、母親の機嫌を察したかのように赤ん坊が泣き始める。再び子供を抱き上げたテレーゼは、背中を擦ってやりながら青髭の方を向き、部屋を出て行くようにと命じた。
「テレーゼ、まだ話は終わっていな――」
「この子にお乳をやりたいのよ。まさか見たいの、伯爵様?」
「…………」
 先程の反撃のつもりか。テレーゼは揶揄するように己の襟元に指を一本差し入れ、するりと首周りを緩めて見せた。矜持の高い彼女の事、やり返すのが当然と言わんばかりの不遜な態度だ。青髭は言葉を詰まらせたが、下らない冗談に振り回されるのは御免だと思い直し、静かに息を吐き出る。
「見たいと言ったらどうするんだ、君は」
 言った瞬間、テレーゼばかりか当の青髭でさえ居たたまれない気持ちになった。
「おい……本気に取るなよ」
「……取らないわよ。気持ち悪い」
 お互いを追い詰めるのは頂けない。乳母をつけるつけないの問題は脇に置かれ、つかの間の休戦となった。二人の溜め息は砂に吸い込まれるように消えていき、大人しく部屋を出た青髭は踵を叩きつけるように廊下を歩きながら、赤ん坊の泣き声が止むのを聞くともなしに聞いたのだった。







END
合同お題より。


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