嘘みたいな本当のはなし

















 エリーザベト、我が妹。外を知らずに育てられたとは聞いていた。一度は闇に葬られた身、二度と羽根を傷つける事がないようにと屋敷に隠され、真綿で包まれたような生活をしていたと。だからこそ引き取る事に決めた際、どんな世間知らずだろうかと覚悟していたのだが。
「貴方がお父様なら、どうしてお髭がないの?」
「……は?」
 兄ではなく父と呼べと、そう命じた際の反応がこれである。がくりと崩れそうになる頬杖を立て直し、選帝侯は目の前の少女を訝しげに凝視した。幼い彼女は突然ザクセン候の元に引き取られて困惑していると同時に、事の成り行きに腹を立てているようである。心細さを堪えるようにドレスの裾を握り締めているが、その目は決して飼い慣らされた小鳥のそれではない。
「お父様なら立派なお髭があって、もっとお年を召しているはずだわ!だから貴方は偽者よ、私を家に帰して!この――ええと、そう、髭なし!」
「…………」
 選帝侯は沈黙した。確かに偽者には違いないが、最初に指摘されるのが髭だとは予想外だった。さすが年端もいかない箱入り娘。斜め上から攻めてくる。取ってつけたような最後の罵倒も精一杯の強がりだと見え透いて、かえって脱力を促した。
「……待て待て、髭の有無が問題なのではない。いいか、お前の一連の醜聞を隠すには、父娘として振る舞う事が――」
「私もメルもお父様がいなかったから、一体どんなものだろうって二人で想像したのよ。きっと優しくて、度量の広い方だろうって。一家の長ですもの。大きなお肉が夕食に出た時は家族の取り分をきちんと切り分けてくれるし、暖炉の薪なんて斧を振るえばあっという間に作ってしまうの。素敵な書斎を持っていて、日曜の夜には音読してくれるし、奥さんにも子供にも優しくて、ふわふわのお髭で頬擦りしてくれる。それはそれは立派な人だろうって思っていたわ」
 少女は軽やかに言葉を転がせた。こちらの顔を改めて見直し、眉を下げて「お髭がないなんて……!」と嘆く様子を見ると、彼女の中では『父親=髭』と言う揺るぎない図式が成り立っているらしい。選帝侯は思わず自分の顎を擦り、剃ったばかりの感触を確かめた。
「何だその父親像は。お前のそれは想像じゃない。妄想か願望か、もしくは決めつけと言うんだ」
「……それならそれで結構です。お父様と再会した暁にはお膝に乗せてもらって、お髭に触らせて頂きながら絵本を読んでもらうのが夢だったのに……こんなふうに理不尽に家から引き離されて、頭ごなしに命令されるなんて」
 少女は下唇を噛む。しかし悔しげな表情の隅で「やっぱりお髭が……!」と再び呟いているのを聞いてしまった。どれだけ髭に期待していたんだ、もふもふしたかったのか、私は犬猫ではないぞ、と説教してやりたい。選帝侯は椅子から身を乗り出し、まずは理を諭してやろうと口を開いた。
「おい、よく聞くんだ。いいか、確かに私は位を継いだばかりの上、妻も貰ったばかりで実子もいない。しかしお前に関しては妾腹の子として正式に縁組をだな」
「まあ、やっぱりお父様じゃないんですね!一体何者なんですか!」
「最後まで聞け、気の短い娘だな!いいからひとまずお父様と――まあ、正確には兄なのだが」
「意味が分かりません!」
 面倒になってぽろっと真実を口に出すと、少女は目を白黒させた。警戒しながら後ずさり、毛を逆立てた猫のようになる。そして胸の前に腕を引き寄せ、いつでも背後の扉に駆け寄れるよう気を配り始めた。
「堂々と嘘を吐く人は危ないってお母様が言っていたわ!私、帰らせていただきます!あの家にいないとメルが迎えに来てくれた時に困るかもしれないし!」
「おい待て、勝手をするな!」
「何なんですか、止めないでください、お父様だかお兄様だか分からない人!」
「お父様だ!大体さっきからちょこちょこ出てくるが、何だ、そのメルとか言う奴は!まさかその年で既に男がいるのか!」
「貴方には関係ありません!お髭もないのに!」
 二人とも語り出すと饒舌になるのは家柄なのか。お互いに突っ込み合い、揚げ足を取り、少女が己の置かれた状況を理解するまでに長い遠回りをする事になる。終いには「説明が分かりにくい上に強引で理不尽だなんて!絶対お父様なんて呼びません!」と半泣きで部屋を飛び出してしまった。選帝侯は我が肉親ながら強情な娘だと憤慨し、その後、意地でも髭を蓄える事がなく、繰り広げられる父兄論争も決着がつかないままだったと言う。
 しかし晩年のザクセン選帝侯の肖像画には、豊かな髭が描かれているものが数点ある。それは聖女を信仰する画家が後年に付け加えた悪戯だと唱える説もあれば、いや、やはり娘を十字架にかけた後悔がそうさせたのではないか、と言う説もある。どちらにせよ真相は歴史の闇の中、あるいは虚実の入り混じる童話の中、である。






END.
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