美しい国の美しい王子











 昔々、深い森の奥にひとつの王国がありました。あまりに森が深いので、なかなか外からの旅人も訪れない辺鄙な国です。しかし森には多くの果実が生り、鹿や兎が跳ね回って、食べる物には困りませんでした。国の中央には川が流れ、豊かな水と土に恵まれています。
 しかし、この国には奇妙な風習がありました。「美しい金の髪を最良とする」と言う風習です。
 逆にそれ以外の色――黒や赤、茶色や銀色――は劣るものとして蔑まれました。その色で生まれると、どんなに賢く美しい者でも鞭打たれ、蟻のように働かされる事になるのです。貴族の中では金髪以外の子供が生まれると、両親はそれを隠し、染め粉を使って誤魔化すか、あるいは子供の存在ごと闇に葬る事になりました。髪の色が違うばかりに結婚できず、恋人と引き離されてしまった王子や姫達もいます。
 黒髪の者達は職人の仕事に就いて工房に閉じこもり、人々の目から隠れて生きる事にしました。赤髪の者は国を捨て、別の場所へと移って行きました。茶色の髪の者達は反乱を企てて、この悪習を撤回させようとしましたが、あえなく捕らえられて皆殺しにされました。銀色の髪の者達は信仰の道に入り、髪を剃って天に祈りを捧げました。
 そして王家では何代も何代も、美しい金髪の王様が玉座に就き、何代も何代も美しい金髪の花嫁を迎える事になりました。こうしていつしか、この国では金髪以外の人を見る事はなくなったのです。
 しかし斬り捨てられた者達の怒りは、一体どこへ行ったのでしょうか?
 少しばかり見た目が違うばかりに虐げられた人々の、その恨みは?
 それは思いも寄らぬ形で、王国に降りかかる事になります。
 ある年、お妃様が一人の男の子を生みました。王家の人々は選び抜かれた血のおかげで代々美しい金髪をしていましたが、生まれた王子は特に混じりけのない、輝くばかりの金の髪をしておりました。王は喜び、待望の跡継ぎの為に盛大な宴を開く事にします。
 そこで祝福の言祝ぎをしたのは、髪を剃って信仰の道に入った、徳のある一人の仙女でした。しかし彼女の胸には差別された恨みが釜戸の火のように燃えたぎっており、彼女は生まれたばかりの王子の前へ跪くと、こっそり呪いをかけたのです。
「この子は誰よりも美しく、真実の愛を追求する自由な心を持った、素晴らしい男性になる事でしょう」
 この言葉に王様もお妃様も喜びました。これは一見、とても有り難い贈り物のように思えますからね。仙女は誰にも怪しまれる事もなく、生まれたばかりの王子に先祖代々の代価を払うよう仕向けたのです。それは一体どんな罰だったのでしょうか?
 王子はすくすくと成長し、やがて驚くほど美しい若者になりました。とろけるような明るい黄金の髪は勿論の事、濡れて輝く空色の瞳も、人々の視線を引き寄せずにはいられません。咲き初めの薔薇のような唇はいつも人好きのする微笑を湛え、凛とした声と、颯爽とした身のこなしは輝かんばかりの若さが溢れていました。
 彼が森へ狩りへ出かけると、まるで獲物の方から走り寄ってくるようです。小鳥は彼の肩に留まり、綺麗な声でさえずって王子の気を引きました。兎は足元で跳ね、鹿は頭を下げて恭順の意を示します。おかげで王子が狩りから帰ると、城の厨房は調理しきれないほどの獲物の山ができるのでした。
 また彼は、金髪を尊重する風習からも自由でした。王子の幸福な碧い眼には、どの色も世界を彩る素晴らしいものとして映っていたのです。彼は工房で一生懸命働いている黒髪の男達を見て、彼らなら立派に役目を果たしてくれるだろうと思い、三人の男を従者につけました。黒髪の男達は自分を見出してくれた王子の心に感謝し、喜んで身の回りの世話をしてくれます。
 しかし世界に愛された王子にも、一つだけ問題がありました。呪いにより、決して愛に満足できない性質を負う事になってしまっていたのです。
 彼に吊り合える美しい娘など国には数えるほどしかいませんでしたが、どの娘達と交流を深めても、王子の心は満たされませんでした。
 ――確かに娘達と一緒にいるのは楽しい。けれど、これは本当に僕の求める愛なのだろうか?
 彼は悩みます。真実の愛を追究する宿命を負った王子は、若々しい恋愛遊戯に妥協できなかったのです。どこか他に理想の女性がいるのではないだろうかと、常に考えてしまうのです。
 しかし果たして、真実の愛とは何なのでしょう?
 年頃になると、彼は父王から花嫁を連れてくるよう言いつけられました。王には子供が一人しかいなかったので、世継ぎである王子の結婚は王家を存続させる為にも大変重要な事です。
「しかし父上」
 王子は言いました。
「僕はこの国の女性達全員と、舞踏会で踊ったように思います。ですが誰一人として理想とは違うように思うのです」
「では息子よ。お前はどうしたいのだ?」
「偽りの愛情で花嫁を迎える事はできません。どうか僕が本物の愛と巡りあえるよう、他国へ旅に出る事をお許し下さい。これぞと思う女性が見つければ、すぐに戻って参りましょう」
 こうして彼は気に入りの三人の従者と共に、馬に乗って各地を放浪する事になったのです。
 母国を出た王子の目に、世界はどこまでも瑞々しく広がっていました。きっとどこかに未来の花嫁を隠しているのだろうと希望を感じさせてくれる風景です。四人は森を抜け、川を渡り、見知らぬ土地へと出て行きました。
 しかし不幸な事に、どんな国へ行き、どんなに素晴らしい女性と知り合っても、王子は首を捻らずにはいられません。相手を好ましく思う事はできるのです。楽しく夜を過ごす事もできるのです。しかし、愛と呼ぶには何かが足りないのです!
 彼らは移動に移動を重ねました。一つの場所に長く留まる事はせず、急きたてられるように旅をしていきます。国では両親や国民が待っているのですから、急ぐに越した事はありません。
 そしてある日、王子は不思議な夢を見ました。
 美しい草原に彼は立っており、近くには古びた井戸があって、その淵に見知らぬ男が綺麗な人形を抱いて座っています。顔色の悪い、暗雲のような不吉な雰囲気の男です。しかし王子は彼の佇まいを見て、不思議に胸のときめくものを感じました。
「もしかして君は、お伽噺に出てくるホレおば――お兄さんかい?」
「違う」
 男は迷惑そうに否定します。
「しかしまあ、似たようなものか。僕はメルヒェン・フォン・フリートホーフ。こちらはエリーゼ。親切な悪魔とでも思ってくれ」
「悪魔?」
「少しばかりお節介をしに来たんだよ。どうやら君は自分の求めるものが何なのか、よく分かっていないようだからね」
『理想ばかりで現実を見ない男の典型よね、きゃはは!』
 甲高い声で人形が笑います。男は人形の頭を撫でてたしなめると、王子に向かい、ある忠告をしてくれました。
「ここより西に行くと、尖った岩に囲まれた森がある。その森に入って鉱山へ続く道を辿ると、やがて小さな家が見えてくるはずだ。そこに行ってみるといい」
「何があると言うんだい?」
「真実の愛の欠片、と言う奴さ」
 男は薄く笑い、そう答えました。
 目が覚めた王子は先程の夢を思い返し、どうしようか迷いました。果たして親切な悪魔の言葉など信じても良いのでしょうか。しかし王子は夢の中の男に好印象を覚えていましたし、これも何かの御告げかと考え、西の森へ向かう事に決めました。すると話の通り鉱山の道に行き当たり、しばらくして可愛らしい小さな家が見えてきます。彼の胸は期待で高鳴りました。
 さて、王子はそこで遂に雪白姫に出会います。小人達が守る硝子の棺はきらきらと輝き、まるで掘り出されたばかりの宝石のようでした。横たわる雪白姫は彼の国が尊ぶ金髪ではありませんでしたが、黒耀のような滑らかな長い髪も、なかなか悪くありません。
 そして何より、夢見たまま死んでいる、その清らかな表情と言ったらどうでしょう!
 王子はかつてない胸の高鳴りを覚えました。彼女が死んでいるのは分かっていましたが、どうしても手に入れたくて仕方ありません。そう言えば父王も花嫁の生死までは(当然ながら)問いませんでした。棺を従者に運ばせ、国に持ち帰る事にします。
 しかし残念ながら、幸福は長くは続きませんでした。雪白姫が生き返り、婚礼の席で継母に焼けた靴を履かせて大笑いをしている姿を見ると、王子の胸に咲いていた恋の花はしおしおと萎んでしまったのです。死んでいた時はあんなに愛らしかったのにと、後悔ばかりが浮かびました。
 元から雪白姫が黒髪で、王や妃からの印象も芳しくなかった事もあり、二人は婚礼が終わった直後に離縁する事になります。姫は王子と別れる事を残念がりましたが、意地悪な継母がいなくなり母国に帰るのも悪くないと思ったのでしょう。意外にあっさりと承諾し、元気に彼の元から去っていきました。
「ああ、確かに彼女は《真実の愛》の欠片だった!誰よりも理想に近い場所にいた!それなのに、どうして上手く行かなかったんだろう?」
「おや。君はまだ気付いていないのかな」
 王子が嘆くと、夢の中で不吉な男が首を傾げます。そうです。またあの不思議な夢を見ているのです。お城にある金と銀の刺繍が施された寝台に潜り込むと、いつの間にか彼は美しい草原に立っていたのでした。男と人形は井戸の淵に座り、何故かパンにジャムを塗っています。
「欠片はあくまで欠片に過ぎない。しかし、真実への手掛かりにはなったはずだ。彼女のどこが君の心を惹いたんだい?」
「……どこが?」
 王子は考え込みました。
『あら、自覚していないみたいね。と〜っても良い趣味をしてらっしゃるのに!』
「まあいい。気付いていようがいまいが、花嫁探しの旅は続きそうだからね」
 男と人形が好き勝手にしゃべっています。
「耳寄りな話を教えてあげよう。今度は東の森へ行くといい。年寄りの戯言までしっかりと耳を傾けるんだ。きっと為になる話を聞けるだろう」
 王子は目を覚ますと、忠告の通り東の森へと向かいました。離縁した痛手を一人でゆっくり癒したかったので、今回は従者も連れて行きません。彼は一人で馬を駆り、盗賊が出れば剣で薙ぎ払い、野山に泊まれば煮炊きをして、一段と勇ましく進んでいきます。
 やがて彼は一人のみすぼらしい年寄りに会い、百年の間、魔法の薔薇で閉ざされた城と美しい姫君の言い伝えを聞く事になりました。
 話に寄れば、野薔薇姫も生誕祝いに賢女達からたくさんの贈り物をもらったと言います。王子は自分も仙女から類稀なる贈り物をもらったのと両親から聞いていたので、彼女には強い親近感を覚えました。実際のところ呪いを受けた事までお揃いだったのですが、それは彼の知り及ぶ事ではありません。ただただ運命を感じ、剣で茨を切り払い、時の止まった城へと果敢に乗り込んでいきました。
 さあ、天を突くような古い塔の中。彼はこの世の物とは思えない美しい姫君に出会います。髪も文句のない淡い金色です。これが野薔薇姫でした。
 キスをして目覚めた彼女を見ても、王子の恋の花は萎れる事なく咲き続けます。悪い魔女を追放すると、彼はめでたく姫を妻にめとり、しばし幸せな結婚生活を送りました。
 しかし、なんて事でしょう!
 悪い魔女の置き土産――二人の間に生まれた可愛い赤子が、恐ろしい呪いにより失われてしまったのです。元から可憐で華奢だった野薔薇姫はショックで寝込んでしまい、二度と子供が産めないほど弱ってしまいました。今度も泣く泣く離縁しなければなりません。
「ああ、可哀想な僕の子供!可哀想な僕の野薔薇姫!跡継ぎを望めない花嫁など、このまま城にいても辛いだけだ。彼女だって、僕といるのも子供の事を思い出して泣いてばかりいる。せめて両親の元に帰してやり、ゆっくり養生させてあげよう」
 彼はたくさんの財宝を持たせ、姫を国へ送ってやりました。胸の奥がぽっかりと穴が開いたような気持ちになりましたが、いつまでも沈んではいられません。また花嫁を探さなくてはならないのです。
 さて、その夜。金と銀の刺繍が施された寝台に入ると、半ば期待していた通り、王子はまた不思議な夢を見ました。男と人形は林檎の木の下に座り、積み上げた実で塔を作る遊びをしています。
「やあ、やっぱり出てきてくれたね、メルヒェン君!そしてエリーゼ姫!」
「待ち構えられるのも微妙な気持ちだが」
『やだ、この王子、頼り切っちゃってない?』
「そう言わずに聞いてくれよ。野薔薇とも上手くいかなかったんだ。今度こそ巡り会えたと思ったのに……!」
 二人に文句を言われましたが、傷心の王子はそれどころではありません。彼が離縁の悲しみを盛大に嘆き始めたので、しばらく二人は愚痴を聞き、慰めてやらねばなりませんでした。
「しかし、そろそろ君も自分の理想が何なのか、分かってきたんじゃないのかい?」
 男が尋ねます。
「雪白姫と野薔薇姫。二人の共通点が一体何だったのか、よく思い出してごらん」
「そうは言っても……二人とも随分タイプが違うと思うぞ。共通点と言うと一目惚れだった事くらいで」
 王子は顎に指を当てて考え込み、はっと目を見開きました。
「もしかしたら僕は寝顔フェチ――なのか?」
「違う違う」
『寝顔ってレベルじゃないわよ』
 男と人形は呆れたように首を振ります。案外、こうした恋愛ごとは本人よりも、傍から見ている他人の方が素早く感付いたりするのです。
『って言うか面倒臭いわね!もうそこらへんの女でいいじゃないの!』
「そうはいかないよ、きっとどこかに僕の為の花嫁がいるはずなんだ!」
「うーん……こうして見ると、妥協できないと言うのも悲惨なものだね」
 三人はしばらくごちゃごちゃ話し合いましたが、結論が出るはずもありません。痺れを切らした王子は、遂に気になっていた事を尋ねました。彼らが夢に出てきたと言う事は、また何か耳寄りな話を教えてもらえると思ったのです。
「ところで、僕は次にどこへ行けばいいだろう?」
『あらら。図々しい事。やっぱり私達に頼る気なのね』
「しかし残念ながら、こちらも花嫁候補が品切れなんだ」
「そんな!」
 王子は驚きました。
「では君達、何故夢に出てきたりしたんだ!期待してしまったじゃないか!」
『なによ、そんなのそっちの勝手でしょ。八つ当たりしないでよね』
「エリーゼの言う通りだ。君には感謝さえこそすれ、怒鳴られる謂われはないね」
 男も人形も取り合ってくれません。王子は途方に暮れました。彼だって自分の足で各地を回り、それこそ生きとし生ける全ての女性と愛の萌芽を探り合った結果、それでも楽園に至る事ができないのです。手掛かりがあるのなら、例えそれが燃える火の糸であろうが掴み取り、小指に結び付け、火傷を負いながら花嫁を迎えに行く事も辞さない覚悟でした。王子にとってこの不思議な夢は、まさに火の糸であり、最後の希望だったのです。
「ああ、僕は一体どうすればいいだろう!周辺の女性は探し尽くしたと言うのに!」
『……まさか全員と寝た訳じゃないでしょうね』
「エリーゼ、それは聞かない方が」
 こそこそと男と人形が陰口を叩きます。
「ともかく、君は今までよく動いてくれた。労をねぎらって何か手助けしてやってもいいが、生憎な事に、こちらも手札がない」
『そうそう、顔も体も綺麗な子って少ないのよねー。ぐちゃぐちゃだったり、どろどろだったり。人間ってこれだから嫌だわ。すぐ汚くなるもの!』
「そんな訳で君に花嫁の紹介はできないが、一つだけ秘密を教えてあげる事にしよう」
 男は声を潜め、こう囁きました。
「何とは言えないがね――君には呪いが掛かっているんだよ。幸せな家庭を築けない呪いが。それが嫌だと思うなら、抗ってごらん」
 その言葉を最後に、夢は終わりを告げました。
 目が覚めた王子は愕然とします。まさか自分に呪いが掛かっているなんて!彼は金と銀の刺繍された寝台から飛び起きて、慌てて古い文献を調べたり、森の呪術師を訪ねたり、それが何なのか知ろうと努力しました。
 けれども彼の呪いは誕生の贈り物に見せかけてあったので、そう簡単に暴かれる事はありません。まさか王子も自分の類稀なる美しさや、愛を追求する情熱が呪いの一部だとは思いも寄らない事でした。
 美しさとは黄金です。最も硬く、至高の位置にある物です。それは自分ただ一人でも存在できる、支えのいらない孤独の美しさでした。
 愛の情熱とは渇望です。それは永遠の空腹に似て、食べても食べても満たされず、隣の林檎へ手を伸ばす事を止められません。
 そして彼が求める愛とは、冷たい肌と物言わぬ唇。夜の揺り籠に揺られ、この世の全てを許す《死》の優しさをまとった慎ましい女性でした。それは決して生ける世界で結ばれる事のない、死出の花嫁の姿なのです。
 そう――仙女が掛けた呪い。
 それは王家の断絶。美しすぎる王子が理想を追い求めるあまり、跡継ぎを残さないまま生を終える事。それは偏見に満ちたこの国の息の根を、一思いに止める為。
 本人の罪ではなく、血統の上で罰を受けると言うのは理不尽な事かもしれません。けれど、それだけの事が王子の連なる血の中に流れているのでした。彼の滑らかな美しい髪は迫害された人々の屍の上で洗練されたものであり、彼の青空のような瞳も、代々の王達が受け継いできた冷酷な瞳と同じ色のものなのです。
 さて、話を戻しましょう。
 呪いの正体が分からないまま日々は過ぎていきます。さすがの王子も消沈し、次第に元気を失くしていきました。輝かんばかりの笑顔も薄れ、人好きのする口元はへの字に曲がり、城はすっかり火が消えたように沈んでしまいます。お付きの従者達もあわてふためき、あれこれ主人を喜ばせようと走り回りましたが、どんなに贅を凝らした宴を開き、どんなに楽師達を競わせてみても、王子の顔が晴れる事はありません。
 どうした事か――。
 そんな折り、城にひとつの噂が伝わってきました。社交界に突然、得体の知れない令嬢が上がったと言う噂です。その国に妙齢の娘がいると今まで誰も聞いた者がありませんでしたから、きっと訳ありの子供なのだろうと下卑た憶測が飛び交っていました。ですが美しい娘だと評判でしたので、従者達は喜んで王子に報告し、彼女の国に行ってみましょうと提案しました。王子は呪いが解けないうちはどんな女性に会っても無意味じゃないかと思いましたが、やがて考え直し、久しぶりに森を抜けて外の世界へ出る決心をします。
「私はどなたとも結婚するつもりはございません」
 けれども、それはあっさりと拒絶されました。
 その娘は見出された姫君、あるいは白鳥姫と呼ばれていました。真白のドレスに身を包み、淡い金色の髪が縁取った輪郭は、光にぼやけて溶けていきそうです。物憂げな顔で踊る彼女は次々と求婚者達を跳ね除けていきました。儚げな風情でありながら、その様子はむしろ周囲に対して腹を立てているような強情さも秘めています。
 ちっとも釣れない姫君です。ですが王子は久々に胸のときめくものを感じました。彼女の曖昧な瞳は、まるで生きながら別の世界を見ているような趣がありました。
「どうして貴女はそんな冷たい事をおっしゃるのです?こんなに男達が熱い視線を注いでいると言うのに、あんまりじゃありませんか」
「心に決めた人がいるのです。けれどその方は既に冥府の底に行ってしまわれました」
 白鳥姫は答えました。
「ですから私は、もう半分は死んだようなもの。彼と共に息絶えた愛を、どうやって他の方に捧げる事ができましょう?」
 王子は戸惑いました。そして気の毒に思いました。死んだ男の為に一生を棒に振るなど愚かな事に思えたのです。報われない想いを貫くつもりなのかと同情混じりに尋ねると、白鳥姫は寂しそうに微笑み、
「お可哀想な方。結ばれる事だけが全てだと思っているのね」
 と、王子の求婚も跳ね除けたのです。
 そんな訳で従者達のせっかくの気遣いも失敗に終わってしまったのですが、彼女との出会いは王子に少しばかりの心境の変化を促しました。失恋したものの、妙にさっぱりとした気分で自分の国に戻ります。「結ばれるだけが全てではない」と言う台詞は、停滞した思考を吹き飛ばす清涼な響きがありました。
 そして彼はようやく、自分が恋をした三人の姫君の共通点――自分の理想が何なのか気付く事になったのです。
 悪路に四苦八苦しながら国に戻った彼は、その夜、やはり金と銀の刺繍がある寝台で眠りました。お馴染みとなった草原を歩くと、古びた井戸が見えてきます。
「メルヒェン君、正解が分かったよ。僕は死んだ――あるいは死に近い場所にいる女性しか、愛せないんだね?」
 王子が静かに告げると、薔薇を摘んでいた男が顔を上げました。今日はどうした訳か人形の姿が見えません。男はいつも以上に青ざめ、具合が悪そうに見えました。
「それで、君はどうするんだい。報われないと分かっても、冷たい死体を愛し続けるのかな。それともいっそ、こちらに来るかい?」
 薔薇を手に、男は井戸の底を指差します。
「ここに飛び込めば理想の花嫁と出会えるだろう。愛に殉じるなど……愚かな事かもしれないが」
 暗い声に釣られ、王子は井戸を覗き込んでみました。周囲は明るい草原だというのに、穴の中はまるで夜を切り取ったような漆黒の闇です。それでも目を凝らせば闇の色にも種類があり、藍や紫、朱や黄色が混じっている部分がある事に気付きました。
「確かに居心地は悪くなさそうだが――」
 王子は井戸から離れ、男の方を向きます。彼が手にしている薔薇の花が、かつての伴侶だった姫の事を思い起こさせました。
「それでも僕はこの世界で、何度も幸せな気持ちになったんだよ。例え長続きしなかったとしても、雪白の無邪気さは愛らしかったし、野薔薇との夜は僕にとっての宝石だった。だからまた、懲りずに期待してしまうんだ」
「愛に?」
「そう、愛に」
 王子は頷きます。
「確かに僕は死体しか愛せないかもしれない。一生、満足できないかもしれない。しかし、そんな僕を愛してくれる人もいるだろう。その人が僕を目一杯に愛してくれたら、この厄介な性癖も抜けるかもしれない。呪いを解く物語の鍵は、いつの時代も愛なんだからね」
「……随分と吹っ切れたみたいだな」
「単に死ぬのが惜しいだけだよ。もしかしたら明日生まれる女の子が僕の花嫁になる人かもしれない。希望は捨てないさ」
 王子が笑うと、男もぎこちなく笑みを返しました。彼は摘んだ花を手持ち無沙汰に握り直し、思案の末に宙に放ります。
 ひらひら、ひらひら――。
 薔薇が舞いました。再び王子は昔の妻の姿を思い出します。花に埋もれて眠っていた幼い雪白姫は、今は素敵な女性になっているのでしょうか。野薔薇姫は今も高い塔の中で、子供を思って泣いてはいないでしょうか。
「愛、か」
 男が小さく呟きます。
「誰も彼も、その正体が何なのか知っているように語り出す。愛しているから耐えられる。愛しているから殺したい。愛しているから死んでもいい。愛しているから全てを憎む。愛しているから生きられる――だが、それは一体何だ?」
 彼は返事を求めていませんでした。ただの独り言です。話を区切るように首を振り、彼は王子に向かって言いました。
「まあ、程々に頑張りたまえ。それが例え錯覚だったとしても、君が満足だと言うのなら価値のあるものに変わるだろう。もしも生に飽いたなら、その時は井戸の底へやってくるといい。待っているよ――」
 夢は、そこで覚めました。
 窓の外は清々しい朝です。飛び交う小鳥の歌声が聞こえてきます。王子は体を起こすと、励まされたんだか何だか分からないな、と小さく文句を言いました。
 寝台には赤い花弁が一枚だけ落ちています。王子はそれを摘み上げ、満足げに微笑みました。親切な悪魔からお墨付きをもらったようで嬉しかったのです。おそらくこれが最後の夢だったのだろうと、予感めいた寂しさもありました。
「まあ、程々に頑張るさ」
 彼は着替えると従者を呼んで、再び旅に出ようと告げます。まずは雪白姫に会い、本当に生きている彼女を愛らしく思えるかどうか、確かめてみないといけません。そして野薔薇姫の塔へ行き、泣いている彼女の涙を優しく拭うつもりです。そして白鳥姫にも手紙を出し、果たして愛に殉ずるとはどう言う事か、意見を聞いてみたいと思っていました。

 さて、果たして彼が呪いを解き、真実の愛を見つけるに至ったのか――。
 童話の法則に沿って語るならば、それはまた、別の物語です。








END.
(2011.02.20)

王子の特殊な性癖は、彼の血筋を断つ為に掛けられた呪いだったら面白いな、と言う話。生きている女性と健全な恋ができない事に因縁めいたものを感じたので。
二次創作の上では王子双子説を採用し、雪白ちゃんとも野薔薇ちゃんとも各自ラブラブさせたいと考えているのですが、考察的には赤王子も青王子も同一人物だと思っています。ついでに、ライン・プファルツが王子の本名のような気もしています。
金髪を最良とする風習うんぬん〜はこじ付けですが、第二次世界大戦中のヒトラーの金髪碧眼びいきなんかもありますので、ちょっとドイツらしいかと思い、盛り込んでみました。
王子の設定は書きたい話ごとに変わりそう。



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