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 集会場で買出しを済ませた後、二人は南里へ向かう猫の隊商に乗せてもらう事になった。
 十人程度の小さな隊商である。盗賊たちの馬車とは違って荷台には幌がなく、とにかく多くの積荷を乗せる為の馬車で、他にも何人か旅人が乗り込んでいた。
 集まって同じ街道を進んでも、夜になれば別々の天幕を張り、別々の食事を取る。鳥だと知られないように外套に包まっていたエリーザベトにとって彼らの個人行動は有り難かったが、こうして思い返してみると、車座になって同じ食卓を囲んだ盗賊たちはやはり変わり者だったのだなと感じた。
 ローランサンが鳥だった事を、エリーザベトは誰にも話さなかった。それが彼に対する礼儀だと思ったのだ。しかし鳥と猫と共に暮らせる事実を、時折メルツに尋ねてみたくなる。特に、こうして他の行商猫たちが離れた場所で肉を焼いている物音で、本能的に足がすくんでしまった時になど。
「エリーザベト、大丈夫?」
 メルツが心配げに顔を覗き込んでくる時、狩猟の文化に慣れてしまって魔物まで倒すようになった鳥もいるのよ、と打ち明けてしまいたくなった。例え短い旅の間だったとしても、そういうふうに私もメルの前で毅然としていられるかしらと、背中を押してもらいたくなる。
 けれどその言葉を飲み込んで、エリーザベトはゆっくりと笑うように心がけていた。
「……まだ少し怖いけれど、大丈夫。もう取り乱したりしないわ。メルも私に遠慮しないで、お肉、食べてもいいのよ。元気が出なくなってしまったら大変だもの」
 板状の干し肉ならば生々しさがないせいもあり、あまり残酷さを感じない。単なる木の皮を剥いだもののように見える。躊躇いがちにメルツが干し肉を齧っているのを眺めていると、見て見ぬふりをしろと言ったローランサンの言葉が、何故か胸に突き刺さった。
「……どうして、神様は私達をこんな形に作ったのかしら。鳥と猫も、昔は獣だったのに」
「そうだね。どうせなら二つとも混ぜちゃえば良かったのに。耳も、尻尾も、羽根もあって、一緒に暮らせるようにさ」
 冗談めかしてメルツが言った。つられてエリーザベトも笑う。
「何だか随分ごてごてね。私、上手く毛繕いできる気がしないわ。羽根だけでも大変なのに」
「そうかな、簡単だよ。ただ舐めればいいんだもの」
「でも鳥は普通、羽根は隠すものなのよ。耳や尻尾はどうすればいいのかしら?」
 二人はそれから仮定の種族の暮らしを想像したが、狩猟と農耕、移動と定住と、改めて生活様式が違う事に突き当たり、次第に黙りがちになった。例え二つを混ぜた種族が生まれたとしても、それぞれ自分の好きな暮らしを求めて道を分かち、結局は今と変わらない関係になるのかもしれない。少なくともエリーザベトは自分の親族が猫と同じように野山を駆け、集会場の雑踏で売り買いをする姿を思い描く事はできなかった。それどころか率先して彼らの風習を改善しようと奮闘するような気がする。
「……難しいのね」
「うん」
「私……どう考えたら分からないうちは、分からないままにしておくわ」
 エリーザベトは溜め息を吐く。少なくともそれならば、頭ごなしに猫の事を嫌いにはならずに済む気がした。
「大きくなったら、どうすればいいか分かるようになるのかしら」
「そうだといいなぁ」
 示し合わせたように二人は焚き火から視線を外し、空を仰ぐ。雲のかかった月が白々と浮かび、遠く、冬の到来を告げていた。
 その後も肌寒さは隊商との旅を続けるうちに強くなり、左手に見えていた山脈の影が大きくなっていくにつれ、手持ちの外套だけで寝付くのに苦労するようになった。昼間の間は気にならないが、地面に寝転がると、どうしても冷気が直接骨にまで届いてくる。
 困った末、盗賊たちがしたように即席の懐炉を作っていると、ある時、今まで簡単な挨拶しかした事のなかった猫がやってきて、余った毛布と、体の温まる生姜湯を持ってきてくれた。
 どうやら彼らの種族には『縁のあった子猫には親切にすべし』と言う風習もあるらしく、一度関わると何かと世話を焼いてくれる。最初は身構えていたエリーザベトも、肉を食べる場面さえ見なければ彼らと普通に接する事ができるようになり、旅は次第に居心地のいいものへと変わっていった。話してみると商売猫たちは口が悪いものの気のいい性格で、エリーザベトの事を娘のように扱ってくれる。
「どうして皆、こんなに親切なのかしら?」
 肉の件があってから、自衛も兼ねてエリーザベトは以前にも増して積極的に質問するようになっていた。また何か大きな勘違いで、体調を崩したり失礼な事をしたりしないよう、予め聞いておいた方がいい。夜になってから借りた毛布に潜り込んでこっそり尋ねると、メルツが珍しく頬を赤らめた。
「ええと……猫は基本的に群れを作らないって、前にも話したよね。小さい頃は親と暮らしていても、一人立ちをする時は自分の縄張りを持つ為に家を出る事が多いから、どんどん住む地域が離れて、誰が親族が分からなくなるんだ。もしかしたら旅先で偶然出会う子猫が、自分の甥や姪かもしれない……だから縁があって子猫と知り合ったら、身内だと思って優しくしておけ、って……」
 今の説明のどこに彼が恥ずかしがる点があったのか分からなかったが、成る程、彼らのように縄張りがあるとそうした意識も出てくるのだろう。
「メルも大きくなったら、お母様とは別に暮らすようになるの?」
「うーん……どうかなぁ」
 毛布を口元まで引き上げながら、メルツが言葉を濁す。
「僕も薬師になりたいんだ。だから、しばらくは母上のところで色々と教わりたいと思ってる。でも……独り立ちしたからって、つがいのいない母上を一人にしていくのは……気が進まないな」
「つがい?」
「夫婦の事。僕、父上が誰か分からないから」
「えっ……」
 もしや彼が生まれる前に離縁してしまったのだろうか。エリーザベトが戸惑ったのを見て、慌ててメルツが首を振った。
「あっ、でも、猫の間では珍しくないんだよ。半分くらいはそうじゃないかな。その……生涯のつがいを持たずに、発情期だけで夫婦になって、別れた後に母猫だけで子供を育てて……ええと、僕もまだ子猫だからよく分からないけど、でも母上は何か事情もありそうで、実はあまり聞いた事はなくて……」
「……はつじょうき?」
「え、えっと……」
 分からずに尋ねると、メルツは可愛そうなくらい真っ赤になった。しどろもどろになっている。
「……鳥には、発情期ってないの?」
「さあ、私は聞いた事がないわ。それとも求愛期の事かしら」
「求愛期……?」
「ええ。鳥の伝統でね、春になると一族の年頃のお兄様やお姉様たちが大勢で集まって、お見合いをして結婚相手を決めるの。たまに遠くの里にお嫁に行く人もいるわ。その時は大冬の時みたいに船に乗って渡りをして、とても賑やかなんですって」
 メルツは興味深そうな顔をしたが、どうも彼の言う発情期とは違うものらしい。詳しく教えてとねだっても「僕はまだ発情が来ていないから」と首を振るばかり。エリーザベトはがっかりしたが、自分も鳥の求愛期については詳しくなかったので、やはり当事者にならない限りは表沙汰にされない文化もあるのだろうと素直に疑問を引っ込めた。


 そうして集会場を出てから数日。
 街道に建てられた道しるべの旗が、紅蓮から群青に変わった。道幅も広がり、魔物避けの香も新しいものに調合される。こんもりとした森を抜けると、今までに見たことがない湿地帯が広がっていた。街道は石で補強され、穂をつけた野生の水麦が一面に生えている。
「やっぱり!伯爵領に来たんだ!」
 メルツが荷台から身を乗り出し、晴れ晴れと叫んだ。エリーザベトは頭巾を押さえ、道端に建てられた群青の旗を観察する。
「知ってる場所なの?」
「うん、知り合いの土地でね。とても広い縄張りで、野生の水麦が採れるし、集会場だって六つも持っているんだ。母上の昔からの友たちで、僕にも良くしてくれる人だよ。きっと力になってくれるはずさ」
 メルツは勢い込んで頷き、きらきらとした目で麦野に視線を戻した。彼がそんなふうに手放しで喜んでいるのは珍しく、それだけ親しい間柄なのだろうとエリーザベトも嬉しくなる。隊商との旅は順調だが、本格的に大冬がやってくる前に一度骨休めがしたかったし、砂船がどうなっているか新しい情報が入るかもしれない――。
「良かったわ。一体どんな方なの?」
「僕はおじ様って呼んでるけれど、このあたりの猫は皆、彼の事を『青髭公』って呼ぶよ」
 メルツが目を細めて眺める先、湿地帯の奥に、黒く、岸壁のような城が見え始めていた。





第四話END



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