案山子と狼の話
とある時代のとある部屋。世間知らずの子供達に、世界の裏側は覗けない。
「エリーザベト。暗い顔をしてどうしたの?」
「あのね……メル」
「うん」
「本当にお外では、兎さんや鳥さんがしゃべったりするのしら?」
「え?」
「絵本の中に書いてあったの。パンやお月様もしゃべっていたわ。だから私、昨日アップルパイに『あなたはとても美味しいのね』って話しかけてみたんだけど、全然返事をしてくれなくて……」
「そうなんだ」
「私が食べちゃうから怒ったのかしら。私が悪い子だから? それとも、話してくれるのはお外の世界だけの事なのかしら?」
「大丈夫。全部違うよ」
「本当? 私が悪い子だからでもない?」
「うん。エリーザベトはいい子だもの。心配しないで。動物は鳴くだけだし、月も空に上るだけさ。しゃべるのは絵本の中だけだよ」
「そうなのね……安心したわ。ちょっと残念な気もするけど」
「あ、でも」
「うん?」
「そう言えば昔、しゃべる案山子と狼に会った事があるかもしれない」
「えっ、そうなのメル?」
「うん。小さい頃だったから、ちょっと記憶があいまいなんだけど……」
「ええと、私も狼は分かるわ。カカシは……確かお人形さんみたいなものなのよね。エリーゼみたいに。それで……わらで作ってあって、足が一本しかない?」
「そう。畑から鳥を追い払うために立てるんだ」
「それがしゃべったの?」
「うん」
「おもしろそう! 話して、メル!」
「いいよ。でも、本当に昔の事だし、もしかしたら寝ぼけて夢を見ただけなのかも」
「ちっともかまわないわ、お願い!」
「そうだなぁ、ええと……僕が小さい頃、目が見えなかったのは前にも話したね。だから実際に案山子や狼の姿を見たわけじゃないんだ。その頃、僕らは今よりも西の森に住んでいて、農家の人から小さな木こり小屋を貸してもらっていた。村で産気づいた人がいて――」
「さんけ?」
「ああ、赤ちゃんが生まれそうになる事。お腹から出てくるのが大変で時間がかかるんだ。母上がその家に手伝いに行く事になってね。男の人はお産部屋に入れてもらえないから、僕は暇で、周りを散歩してみる事にした」
「目が見えないのに危なくはないの?」
「ちょっとはね。でも、陽の当たり具合や風の流れで大体の感覚はつかめたから、少し出歩くくらいなら平気だったんだ。前にも母上と歩いた事がある道だったし、それにその頃、とても賢い大きな犬を飼っていて……」
「犬! いいなぁ、女の子? 男の子?」
「モーリッツって名前の男の子。いつもぜえぜえ息をしているから、近くにいると安心できたんだ。側にいるのがすぐに分かるもの」
「どうしてぜえぜえしているの?」
「犬はどれもそうだよ。ずっと口を開けて、いっぱい呼吸しているんだ。動物は小さければ小さいほど心臓の音が早くなるけれど、モーリッツは近づくと呼吸の音で分かる。息をするのに一生懸命なんだ」
「ふうん」
「それで僕はモーリッツと一緒に家を出て、外をぶらぶらする事にした。寒くて空気が澄んでいたから普段より鼻は利かなかったけれど、水の匂いがしていたから、そちらに歩く事にして」
「なぜ?」
「川が近いのかと思ったから。モーリッツに水を飲ませてあげようと思ったんだ。母様はお産に付きっ切りだし、僕がモーリッツの世話をしてあげなきゃならなかったから」
「匂いで川の場所が分かるのね?」
「うん。それに鼻なら人間より犬の方が利くからね。モーリッツの背中に手を置けば、僕の言いたい事を察して、自然と川に案内してくれたる。とても賢かったんだ」
「素敵! 私も欲しいわ」
「そうしたら川に向かう途中で、誰かに声を掛けられた。『そこの少年。僕は手が離せないから、地面に落ちている棒を代わりに拾ってくれないだろうか』って。僕より少し年上くらいの、若い綺麗な声だった。男の人なのか女の人なのか、ちょっとよく分からない不思議な声だったな。喋り方がぴしっとしていたから、何となく男の人かと思ったけど」
「それでそれで?」
「うん。僕は不思議に思って、どうしてそこを動けないのか尋ねた。そうしたら彼は――あっ、彼って事にしておくね――そこで初めて僕が目が見えない事に気付いたみたいで、もし大変なら無理に引き受けなくていい、転んだら危ないから、って言ったんだ」
「気遣いのできる人なのね」
「たぶん。でもそのくらい大丈夫ですからって地面に屈んで、僕は手探りで棒を拾ってあげた。それで声の方に歩いていくと、途中で彼が棒を受け取ってくれたんだろう。ぱっと手から重みが消えて『ありがとう。これでカラスを追っ払える』って声がした」
「カラス……?」
「うん。そう言えばあの時、確かに上の方で柔らかい羽根が擦れる音や鳥の鳴き声がしていた気がする。どうしてカラスを追い払うのか尋ねたら、声はちょっと笑って『いやしい空の泥棒から地面の宝物を守らなきゃいけないんだ。僕はしがない案山子だから』って答えたんだ」
「まあ!」
「うん、驚くよね。でも僕も子供だったから、宝物を守る為なら案山子もしゃべる事もあるんだなって感動しちゃって。頑張って下さいって応援した気がする。案山子も『君の声援に励まされたよ』って喜んでくれたし」
「でも、案山子さんの宝物って何だったのかしら。畑の野菜?」
「ううん。違う。なんでも地面に倒れて動かなくなった彼の恋人らしくて」
「ええっ」
「重くて彼一人では抱き上げられないから、離れずに見守っていたみたいだよ。運命の相手なんだって」
「はぁ……凄いのね。王子様みたい」
「僕も何か他に手助けしましょうか、って聞いたんだけど『そのうち彼女を運んでくれる人がくる予定だから大丈夫。それまでカラスを追い払うだけだから心配しないでくれ』って気を遣われちゃった」
「ああ、そうね。メルもカラスにつつかれたら危ないものね」
「うん」
「案山子さんの恋人も、しゃべれる案山子だったのかしら?」
「どうだろう。そこまで聞かなかったな。カラスの声がたくさん集まり始めていて怖くなっていたし、モーリッツも早く先に進みたいようだったから……何だか地面から嫌な匂いもしていたし。だから僕は案山子にお別れを言って、また歩き出したんだけど」
「……あら、まだ続くの?」
「うん。少しして、今度はしゃべる狼に会った」
「まあ!」
「狼の声は随分と低い場所から聞こえた。ちょうどモーリッツの頭の位置と同じくらい。『疲れて休んでいるうちに連れとはぐれてしまったのだが、君は村に出る道を知っているかい?』って尋ねられた」
「メルはなんでそれが狼だって分かったの?」
「びっくりして聞いてみたんだよ。だって声がさっきの案山子と一緒だったんだもの。そっくりで」
「え?」
「不思議だろう? 最初、案山子が僕の先回りしてきたのかと思ったけど……でも彼は歩けるはずがないし、まだカラスと戦っているはずだったしね」
「そうよね。案山子は歩けないものね」
「だから『さっき会った案山子とそっくりの声だけど、あなたは誰?』って聞いたんだ。そうしたら彼は笑って、あれが案山子なら自分は狼だ、って名乗った」
「……なんだかよく分からなくなってきたわ。メルは村への道を教えてあげたの?」
「うん。困ってるようだったし。そうしたら彼が動く気配がして、顔の近くで『ありがとう。助かったよ』って言われたと思ったら、かぷって軽く耳を噛まれた」
「ええっ」
「味見だって」
「ひどいわ! メルは親切にしてあげたのに!」
「大丈夫、心配しないでエリーザベト。ちょっとした冗談だったみたい。子犬だって小さい頃は、じゃれてお互いの首を噛んだりするんだ。モーリッツも物凄い勢いで僕の顔を舐める時もあるし、彼らの間じゃ挨拶みたいなものだよ」
「なら、良かったけど……」
「狼が本気を出せば、僕なんて頭からぺろりと食べられるもの。本当に軽く噛んだくらいだったんだ」
「でも、びっくりしたでしょう。痛くなかった?」
「うん。ちっとも」
「いい狼さんだったのかしら。その後は何か話した?」
「ええと……いや、すぐに別れちゃったな。でも『村への道が分かったから、もう少しここで休んでから出発する』って言ってた。それで僕はモーリッツと川に行って少し遊んで、ゆっくり村に帰ったんだ。それでおしまい」
「ふうん」
「今思うと、あれは何だったのかなぁ」
「あっ、ねえ。狼さんも確か犬の仲間よね。やっぱり息はぜえぜえしていたの?」
「それは――…あれ?」
「ん?」
「おかしいな。そう言えば聞こえなかった気がする。同じ犬科だし、狼の方が気が荒いから聞こえるはずなんだけど」
「大人しい狼さんだったからかしら?」
「うーん……?」
「…………」
「…………」
「不思議ね、メル」
「ああ不思議だね、エリーザベト」
とある時代のとある部屋。純粋無垢の子供達に、童話の裏側は覗けない。
END.
(2011.02.06)
Q.さて『案山子』と『狼』の正体は?
A.『案山子』は美しい死体を見つけ、従者が来るまで守っていた青王子。『狼』は疲れて地面に座っていた赤王子。
……でした!
『青王子がネクロフィリア、赤王子がカニバリズム』と言う解釈を見かけて「そりゃ凄い!どこまで猟奇的!」となったのがきっかけです。この話で双子の王子達は少年時代のつもりですが、はたして時間軸がどうなっているのか、気にしてはいけません。小さい頃にメルツ君やエリーゼベトと会っていたら面白いなーとは思いますが。
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