1







 盗賊たちが塚山の奥から戻ってきたのは夜明け間際の事である。眠っていたエリーザベトの肩を叩き、瞼を擦りながらメルツが知らせてくれたのだ。二人とも夢に片足を突っ込んでいる状態だったので、眠る前のぎこちない沈黙を引きずらずに済んだが、くっついた瞼を引き剥がすのに苦労した。
「待たせたね。それとも、もう少し時間がかかった方が良かったかな」
 二人の様子を見て、銀猫が目を細める。魔物を縛り付けてきたのか随分と大規模な作業だったようで、担いでいった鉤付き網はなくなっていた。黒衣の猫は二人の相手をすっかり銀猫に任せたようで、道具袋から油布を取り出すと、塚山から持ち帰った数枚の薄い皿のようなものを黙々と包み始めている。話しかけにくい雰囲気だったが、好奇心に耐えかねたのかメルツが丁寧に尋ねた。
「それは何ですか?」
 黒衣の猫はちらりと目線を上げ、面倒そうに「鱗」とだけ答える。補うように銀猫が言い添えた。
「証拠がないと組合に報告できないからね。魔物は馬鹿でかくて、とても僕らだけじゃ運べないから、鱗だけ剥いできたんだ」
 寝ぼけた頭では猫の世界の仕組みは大まかにしか分からなかったが、どうやら二人は狩りに専念する仕事らしいとだけエリーザベトは理解する。鱗を提出し、組合から賞金を受け取った後は、組合が抱えている業者猫たちが魔物を回収しに来るのだそうだ。その査定次第では追加報酬が入ると言う。
「少し離れたところに馬を放してある。そこまで歩けば、集会場まで送っていくよ」
 盗賊たちが手早く荷物をまとめて歩き出したので、エリーザベトとメルツも眠気を振り払いながら、よたよたと後に続いた。盗賊たちは時折こちらを振り返り、二人の姿を確認してくれたが、子供だからと言って足を緩めるつもりはないらしく、気を抜くと置いていかれそうになる
 朝日が昇ると、塚山から伸びる石畳の道は濡れたような黄金色に輝き始めた。弾けるような痛みさえ伴って眠りたいと訴える瞳に、その照り返しは針のように眩しい。
(……まだ、二日目の朝なんだわ)
 エリーザベトは信じられない気持ちで瞼を擦った。この二日間水浴びをしていないせいで、髪が埃っぽくて気持ち悪い。眠気が完全にひかないまま幽霊のように歩いていると、船から落ちた事も、昨夜の魔物騒ぎも、まるで遠い昔の出来事に思えた。さすがのメルツも疲れが溜まっているのか、今日は特に口数が少ない。
 しばらく行くと盗賊たちは石畳の道を外れ、手付かずの荒れた草地に足を踏み入れる。地面には細い獣道が出来ており、彼らが魔物を仕留める為に何度も周辺を探索していた事が窺えた。やがて群生する藪がどんどん大きくなり、背の高い針葉樹が立ち並ぶ区域に出ると、今度は踏みしめられた大きな道に出る。舗装されていないが使い込まれているようで、道の表面は猫たちの往来を物語るように艶々とした飴色をしていた。
 どうやら茂みを突っ切って街道に出たらしい。盗賊たちは岩陰に隠していた小型の幌馬車を引っ張り出し、近くで草を食んでいた二頭の馬を独特の口笛で呼び戻した。馬たちも彼らの帰りを待ちわびていたようで、再会を喜ぶように、あるいは餌をねだるように主人へ鼻面を押し付けている。
「わあ!」
 エリーザベトの眠気が吹き飛んだ。船上から猫たちが騎乗している様子を見てはいたが、馬をこんなに近くで見るのは初めてだ。想像以上に大きい。馬は葦毛と栗毛で、どちらも雌のようだった。
「触ってみる?」
 馬の轡を牽引用の金具で繋ぎながら、銀猫が提案する。頷くと、エリーザベトの手を取って触る場所を示してくれた。骨ばってはいるが、盗賊には不釣合いな滑らかで美しい手だ。剣を下げてはいるが、普段は調香ばかり請け負っているのかもしれない。
 馬は大人しく、エリーゼベトに触れられても慈悲深い眼差しでこちらを見ただけだった。逞しい筋肉の流れが掌に感じられる。それに、とても熱い。
「呼んだだけで、あんなにすぐ来るものなんですか?」
「家族だからね」
 ここを掻いてやると喜ぶよ、と銀猫はエリーザベトの手を馬の鼻面へと導く。促されるまま爪先立ちになって指を立てた。気持ちいいのか悪いのか、馬がぶるんと頭を振る。
「エリーザベトのところに馬はいないの?」
 自分も馬を触ろうか迷うように手を伸ばしかけ、メルツが口を挟んだ。落ち着かない様子で耳をあちこちに向けている。
「ええ。里では土地が足りないし、そもそも移動もゴンドラだから、馬を飼っている人はいないわ」
「ふうん、そう……」
「その点、猫は土地ばかりはあるからね。馬がいないと辛いな」
 二人を交互に眺めながら、何か含むところがあるように銀猫がひっそりと笑う。
「おい、そのへんでいいだろ。早く後ろに乗れ」
 道具袋を荷台に積み込んだ黒衣の猫が、御車台に乗り込みながら声を張り上げた。銀猫は「分かったよ」と返事をすると、エリーザベトから離れて牽引用の金具を固定し、二人に荷台に向かうよう顎で示す。名残惜しかったが、エリーザベトは馬から手を引いた。
「馬、好きなの?」
 その様子を見落とさず、メルツが短く尋ねる。エリーザベトが頷くと、彼は「じゃあ船に戻ったら僕の馬も見せてあげるよ」と真面目な面持ちで提案した。そんなに自分は物欲しそうに馬を見ていたのかしら、とエリーザベトは頬を赤らめる。
 幌馬車の荷台には生活用品の他、木箱や樽が積み込まれていた。天幕を張らずに寝泊りしていたのか、右手には丸められた木綿の寝具が置かれている。まずメルツが中に入り込み、足元に積まれていた本の山を脇によけると、エリーザベトが乗り込むのに手を貸してくれた。雄猫の二人旅だ、何となく汗臭いところを想像していたが、香草が種類分けして天井の梁にぶら下げられているおかげで植物園のような良い匂いがする。ローズマリー、ジャコウソウ、メリッサ、サルビア、ヘンルーダ、マンダリン、シダーウッド……ほんの少し生臭いのは水の魔物から剥いできた鱗が奥に収められているせいだろう。木箱の隙間には何枚も巻かれた地図が押し込められている。
「散らかっていて悪いね。集会場までは二日くらいかかると思うから、まあ、ゆっくりしてくれ」
 馬を繋ぎ終えた銀猫が荷台に顔を出し、二人の脇に乗り込んできた。彼はメルツが遠慮して手を出さなかった床の生活用品――鍋や衣服など――をまとめて木箱の上に放り投げると、空いた床に手早く寝具を広げ始める。塚山では夜を徹しての作業だったから、交互に休息を取るのだろう。二人に構わず毛布の中に潜り込み、くつろいだ様子で髪を解いた。
「君たちもそこで寝ていいよ。大丈夫、売り飛ばしはしないから」
 冗談めかして言う。そう言われて初めて、エリーザベトはそんな可能性もあるのだと思い至った。猫の社会がどうなっているのか知らないが、振り返ってみれば、昨日会ったばかりの他人に身を預けすぎなのかもしれない。どうしよう、信じてもいいのかしらとメルツの方を見ると、彼も彼で水を浴びせられたように目を丸くしている。銀猫は硬直した二人の様子を見て頬を緩めたが、それ以上は何も言わず毛繕いを済ませると――子猫だけじゃなく、やっぱり成猫もするのかとエリーザベトは驚いて顔を背けた――さっさと毛布に潜り込んでしまった。
 がたんと床が振動し、幌馬車が進み出す。手綱は黒衣の猫が握っているようで、御者代から何事か馬に話しかける短い声が聞こえた。エリーザベトは慌てて木箱にしがみつき、乗り慣れない振動に足をよろめかせる。銀猫は「相変わらず乱暴な手綱だな」と文句を零したが、余程疲れていたのか、あるいはどんなところでも眠れるのか、二人に対して警戒する素振りさえ見せず、すぐに背を向けて寝入ってしまう。しばらく銀猫の後ろ頭を眺め、本当に眠ったのだと確信が取れてから、エリーザベトは小声でメルツに尋ねた。
「……大丈夫、よね?」
「悪い人じゃなさそうだし……信じるしかないよ」
 二人は恐る恐る腰を下ろすと、木箱を背に座り込む。絶え間なく車輪が回る振動が伝わってきたが、衝撃を緩和させる技が施されているのか思ったほどの不快感はなかった。エリーザベトは膝を抱え込み、窮屈に翼を折りたたむ。
「猫って……その、仲間を売り飛ばしたり、するの?」
「……僕もよく分からない。集会場には母上の仕事で付いていくけど、表通りだけだし……でも『言葉が通じ相手は狩らない』っていう掟を破る事になるから、表立ってある事じゃと思うけど、でも――」
 更に言葉の続く気配があったが、メルツはそれをふつりと断ち切った。どうしたのかと問いかけようとしたところで、エリーザベトも彼の考えに気付く。今回は雛鳥である自分がいるのだ。好事家の猫ならば、滅多に里の外に出てこない鳥を欲しがる輩がいるかもしれない。育ちの良いエリーザベトでも物語の中に書かれているような悪事くらいは知っていた。主人公は悪党に捕まって見知らぬ土地に売り払われ、たくさんの苦労をした後、素敵な人に見初められて助け出される。しかし、これは物語の世界ではない。
「……念の為、僕たちも交互に休憩しようか」
「ええ……」
 不安げに目配せする二人をよそに、銀猫は気持ち良さそうに寝入っていた。


前 |




TopMainMarchen




人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -