糸と手札.2










「さて、せっかくだから親交でも深めたいところだが、そうのんびりする気分でもあるまい。先に説明しておこうかね?」
 イドルフリードが言う。夜風を避け、五人は墓地から教会の中に戻ってきていた。十字架の飾られた祭壇、ずらりと並ぶ信徒席、色硝子をはめ込んだ窓。森の幻想が終わってしまうと、教会はありきたりな古い廃墟に成り下がっていた。五人は思い思いの場所に腰掛け、互いの様子に耳を澄ませている。イドルフリードは教会内を歩き、蝋燭のひとつひとつに火を灯し始めた。
「このゲームに確固としたルールはない。全て私が手探りで見つけたものばかりだ。井戸に人を呼び、力を溜め、条件の揃った屍揮者に取り憑――いや、失敬。メルと言う有能な屍揮者を雇ったのだが」
 メルツの冷ややかな視線に、イドルフリードはこほんと咳払いした。トムとハンスは意味が分からないなりに静かにしなければと思っているらしく、灯されていく蝋燭の火を無駄に熱心に見つめている。
「おかげで宵闇の楽団が作られた。彼らはこの墓地に訪れた死者の執着を聞き取り、唄にして再現する事ができる。その数は七――単位は七人でも七話でもいい。そう大した問題じゃない。私を含めて屍揮者となった者は普段この森に縛られているが、死者の人生を童話として当て嵌め、結末を書き換える時のみ、彼らの物語を足がかりにしてここを離れる事ができる。一人の童話を完成させれば、ひとまず足場は確保した事になる。更に先に進むには、同じように死者の唄を聞かなければならない――その繰り返しだ」
「……よく、分からないわ」
 エリーザベトが首を傾げた。二人だけの女性陣と言う事でいつの間にか仲良くなり、先程からグレーテルを膝に乗せて髪を撫でている。彼女が子供だった頃、エリーゼだった人形をそうして愛でていたのを思い出し、メルツは些か複雑な気分に陥っていた。イドルフリードは素直に上がった疑問に答えるべく、ふむ、と顎に手をかける。
「まあ、言うなれば雪山を登るようなものだと思ってくれたまえ。屍揮者はチームの頭だが、様々な規則で縛られており、自分ひとりで進む事が許されない。そこで地元の人間を雇い、雪山の様子を見てこさせる。これが屍人姫だ。彼女達は自分に馴染みのある場所にまで誘導してくれる。一人一人では大した距離は稼げないが、それでもいくらか足場を作ってもらえるだろう。そうして雪原に切り開いた道を辿り、屍揮者はようやく前に進む許可が下りる。それを七人繰り返し、辿り着いた先が山頂、即ちゴールだ」
「だって。分かった、お姉さん?」
「……うん」
 グレーテルが尋ねると、エリーザベトがひとまずと言うように頷いた。続いてメルツが質問する。
「イド、そもそも童話に書き換える必要があるのか?」
「そうでなければ私達が介入できないからだよ。生前の苦労話を『はいはい大変でしたね』と聞いただけでは、そこらの坊主と変わらない。私達はあくまで摂理に背いた人間だ。言うなれば、死者の執念に寄生する事でしか自由に動けない。そして彼らと関わる為には魔法がいる。それが童話さ。彼らの人生を少しずつ自分たちに近いものに書き換えていく為のね」
「それは……復讐劇、以外でもいいのかな」
 わざとなのか、イドルフリードは言葉を選ばなかった。寄生と言う不愉快な単語にメルツは顔をしかめる。その反応をどう思ったのか、イドルフリードは目元だけで微笑んだ。
「まあ、そこは私も妥協しよう。一番効果的なのは間違いないのだがな。結局、人は悲劇の方がより共感できるものだ。しかし今回は君に譲ろう」
 火を灯し終えると燭台のひとつを片手に掲げ、イドルフリードはぐるりと四人を見渡した。
「策者である私ができるのは、屍人姫を選んで舞台をお膳立てする事。教訓と共に『ende』で締めくくる事。実際に演奏するのは屍揮者の役目だ。上手く童話に繋がるように彼女達を導くのもね。しかし一旦演奏が始まれば、登場人物がどう動くのか誰にも分からない。私も苦労したよ。賽を転がしても、なかなか思い通りの目が出てくれないのだからな」
「――そして貴方の目的は、最終的に海に至る事」
 メルが付け加える。イドルフリードは無言で肩を竦め、今更確認するまでもないと言うように目を伏せた。常に芝居がかったような男だが、その仕草だけは自分の目からも剥き出しになる本心を痛みのないように覆い包んだように見えた。
「私、海って知ってるわ」
 不意にエリーザベトが声を出す。
「空の鏡の事よ。空が荒れれば、海も荒れるの。空が晴れれば、海も晴れるの。そうやって同じ色に染まるんだわ」
 詩を暗誦するような浮世離れした言い方が、他の四人をしばし沈黙させた。子供たちですら、だ。今となっては記憶のない彼女をどう扱っていいのか誰もが決めかねている。ステンドグラスの光が差し込む室内にいると、その台詞は空から落ちてきたように透明だった。トムとハンスは「お姉さんって詩人ー!」とおだて、グレーテルは「素敵ね」と相槌を打った。イドルフリードも「まあ、そう間違ってはいないな」と調子を合わせる。
 メルツは黙ったまま彼女を見つめ、自分が時を巻き戻した世界にいるのだったらいいのに、と考えた。出会った頃の幼い少女がここにいて、何事もなく日々が続いていたのなら、と。しかし実際は反対で、ここにいる全員が紛い物の童話の住人なのだった。
「海かぁ……俺も生まれてこの方見た事がないな。そんなに難しい事なの?」
 トムが話題を元に戻し、イドルフリードを見る。彼は祭壇に燭台を置いた。
「少なくとも私は失敗し続けているな。この深い森の国で、海を題材にした童話はそう多くない。そして不幸な事に、私の手札にもない」
「手札?トランプの事?」
 グレーテルが可愛らしく聞き返すと、イドルフリードはどこからか古びた紙束を取り出した。縁が丸くなって黄ばんでいる。綴じずに麻紐で括っているだけのようで、何度も丸めたのか端がめくれ上がっていた。イドルフリードはそれを丁寧に掌で伸ばして表紙を見せる。
「エーレンベルク稿。紛失された童話の原典だ。ここから七話を選び、屍人姫の唄に掛け合わせる。エーレンベルクは教会の名でね、私もそこの出身のはずなのだが」
「はずって……お世話になったんじゃないの?」
 他人事ながらハンスが不思議そうな顔をする。イドルフリードは鼻で笑った。
「はっきりと覚えている訳じゃない。なにせ遠い昔の話だからね。そんな気がする、あくまでその程度さ。おそらく偶然見つけて自分のものにしたんだろうが、まさか死んだ後に役立つとは当時の私も思っていなかっただろう。この草稿も本当は四十八話あったはずだが、鼠に食われてしまって今は半分ほどだ。ここに海にまつわる童話が入っていたら、驚くほど話は簡単だったんだが……」
 溜息交じりの舌打ちが零れる。イドルフリードは草稿を丸めると、手近にいるメルツの胸元にぱしりと押し付けた。
「目を通しておいてくれ。君たちが私に協力すると言うのなら、まず第一に必要なのは童話選びだ。それをどの屍人姫と組み合わせるか、構成が重要になってくる」
「分かった。今晩のうちに読んでおく」
「よし、頼んだよ息子」
「……違う」
 メルツをからかうのが面白いのか、イドルフリードは軽く笑いながら横を行き過ぎる。そしてエリーザベトと子供たちの元まで行くと、今夜はもう休んだ方がいいと忠告した。
「あらかたの説明も終わった。ここが朝の来ない宵闇の森とは言え、いつまでも子供に夜更かしさせる訳にはいくまい。右手に司祭室がある。そこの寝台を女性陣で使ってくれ」
「やりぃ――って、あれ、俺達は?」
「男はその辺の床にでも寝たまえ」
「ひでぇ!」
「冗談だ。君たちはもう一つ奥の部屋で寝るといい。助祭室だ。そのくらいの場所はある」
 イドルフリードは見かけによらず、もしくはこれまでの態度からは想像できないほど段取りよく、親切だった。生前は人を従えさせる立場だったのかもしれない。トムとハンスは彼の冗談に「笑えねぇ」とぶつぶつ文句を言いながらも、眠そうに目を擦り始めているグレーテルとエリーザベトの手を引いて司祭室に向かった。彼らも彼らで長男である。人の世話をする事に抵抗はないらしく、子供還りをしているエリーザベトに対しても気味悪がる素振りはなかった。
「さて、私からも質問だが」
 四人がいなくなった後、イドルフリードが出し抜けに尋ねる。不意を付かれ、慌ててメルツは扉から視線を引き剥がした。
「え?」
「何故、エリーザベト嬢の記憶を取り戻す方法がないのかと聞いてこないのかね?」
 蝋燭の火が揺れると、どこからは入り込んだ隙間風が二人の髪を揺らした。メルツは息を呑む。イドルフリードはこちらを値踏みしているのか、あるいは興味半分なのか、それ以上の言葉は発しなかった。あくまでメルツが答えるのを待っている。彼は瞳を翳らせて、ぼそりと言った。
「指揮棒は取り上げたのに変化がないし……何となく、今は方法がないのだろうと」
「まあ、その通りなのだが、一度は文句を言われると思っていたよ。実際、どうあっても屍揮者になったからには記憶が消される。自然と元に戻るのを待つしかない。そして彼女は鎖によって土地に縛られている。それらは私にもどうしようもない事だ。そして今、彼女が屍揮者である事を止めたとしても、その役割は誰かが引き継いでもらわなければならない」
「……そして、まだ僕は忘れる訳にはいかない。やる事があるから」
「それは私も同じ事だ。だから結局はエリーザベト嬢にやってもらうしかない――後でぐずぐず言われては堪らないからな。これでいいかね?」
 メルツはそっと唇の内側を噛み締める。その確認を受け入れるのは並大抵の事ではなかった。いい訳がない、思い出して欲しい。そう考えるのは当然の事だ。しかし認めなければ事態は進まない。
 彼は頷いた。そしてふと、他の想いが自分の中にあった事に気付かされた。
「それに……僕を思い出したら、また彼女が無理をしてしまう気がする。それは嫌だ」
 あるいはこちらの方が素直な本音だったのかもしれない。彼女が磔刑になったのも屍揮者になったのも、全ては自分の為だった。これから行おうとしている童話の再演の中でどのような危険が降りかかるか分からない。その時、エリーザベトが迷いなく腕の中を擦り抜けて、自分の為に再び羽ばたくような真似はして欲しくなかった。
「成る程、一理ある。一途すぎる愛は怖い。私もそこを利用させてもらったようなものだが、譲れないものがあると人はどんな馬鹿でもしでかすものだからな。いや、君も苦労しそうだね」
 イドルフリードは納得したのか、苦笑交じりの溜息と共に顔をしかめた。
「ともかく思いがけない展開になってきたものだ。メル、君の部屋を用意してこよう。祭具室ならば寝床の代わりになるはずだ。少し待っていなさい」
 明るく声を切り替えると、イドルフリードは祭壇の左手奥の扉を開ける。祭具室はその名の通り儀式の器具や神父の式服などを納めておく部屋だが、長い年月ですっかり中の物は持ち出されていた。壁にはへこみがあり、本や小物を置けるようになっている。奥には地下倉庫に通じる扉もあった。
 イドルフリードはその扉を開け、何枚か毛布を持ってくると、二つ並べて床に敷く。彼もここで寝るつもりらしい。信徒席のベンチに寝転がって過ごすと思っていたメルツは、イドルフリードの意外な細やかさに改めて奇妙な心地がした。
「イド、もっと前に貴方も打ち明けてくれれば良かったのに」
 そんな言葉が自然と零れる。恨みがましく言ったつもりだったのに、それは思った以上に寂しげに響いた。
「きっとエリーゼだって協力してくれた。僕だって――」
「ふむ、なかなか可愛い事を言うね」
 イドルフリードはちらりと顔を上げ、唇を歪めてみせる。
「しかし無茶な事を言わないでくれたまえ。君だって最初はエリーザベト嬢以上に抜けていたんだぞ。それこそ物になったのは、エリーゼが君の耳元でせっせと話しかけていたからだ。彼女を失ったのは確かに惜しいが……しかし、一体どこの世界に赤ん坊へ力仕事を頼む大人がいる?」
 今は亡きエリーゼの事を言われると、砂で作られた胸がずきりと痛んだ。
「でも、少しくらいは」
「分かった分かった」
 イドルフリードは素っ気なく片手を振り、それ以上の台詞を遮った。
「確かに私は君を侮っていたのかもしれない。所詮は取り引きもできない駒なのだとね。それは私の落ち度だった。だから今回は素直に頼むとしよう。それでは駄目かい?」
 残念ながら、それはあまり誠意の感じられる声ではなかった。イドルフリードは相変わらず寝床を作り続け、もうこちらを見ようとしない。真剣に言っているのにと腹が立ったが、そもそも彼は基本的に薄情なのだと思い出し、メルツは眉を寄せた。はぐらかされてばかりいる。
 一体どれが本当の彼なのだろう。やはり自分の利になるものにしか興味がないのだろうか。
 ともあれ、足がかりを掴んだのは確かだった。メルツは渡された草稿をそっと見下ろす。黄ばんだ紙は頼りない感触しかしなかったが、これが自分たちの命綱なのだと肝に銘じ、ゆっくりと握り締めた。






END.
(2012.05.14)

イドメルの擬似親子も好きです。エーレンベルク稿については考察の領域になってしまうので、あまり深く突っ込んでいきませんが、とりあえずこの話ではこういう設定でいきます。


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