ベルベットを愛す










 城に仕立て屋を呼んだ時はここぞとばかりに布を持ってこさせ、一気に採寸し、数を仕上げてもらうのが習わしになっている。青髭は妻の仮縫いに立ち会うつもりはなかったが、外套の手直しを頼もうと立ち寄った際、玩具箱をひっくり返したようになっている室内に鉢合わせ、それを遠巻きに眺める事となった。
「奥様、レースのお色はいかが致しましょう?」
「……では、緑で」
 仕立て屋に付き従い、二人の若いお針子が中腰で作業を進めている。半ば形の出来上がった布地を体にあてがわれ、数々のピンや糸で仮縫いが施される中、じっと両手を広げている妻の表情はひどく真剣なものだった。布の良し悪しや色合いの好みについて尋ねられるたび、怖いくらいの顔で黙り込み、考え込んだ後、やっとこさ返事をする。
「二番目に並べてある……その、オリーブの緑を」
 仕立て屋は頷くと、示されたレースを取り出し、ピンで襟元に留めた。妻はまるで磔刑にでも処されているように思い詰めた顔で、鏡に映る自分を姿を見つめている。糸やピンに飾られ、十字架の格好で佇む彼女の様子は青髭に少しばかり苦い想いを喚起させた。新しい華飾衣は黄に近い山吹色で、背中から覗く肌着の色をより濃くしたような色合いである。
 率直に言って、あまり似合っていない。彼は女の格好に詳しくなかったが、それでも新しく作られている華飾衣があまりぱっとしないとは一目瞭然だった。布地は着心地の良い贅沢なものを使っている。しかし、ぼんやりとけぶるような山吹色はそれ単体で見ると美しかったが、象牙色の妻の肌と同化して曖昧な印象を与え、顔色をくすませて見せていた。先程選んだオリーブ色のレースも年頃の娘が身につけるには地味であり、十は老け込んで見える。青髭は妻がどういうつもりでこの色を選んだのか理解に苦しんだ。
「まあ貴方、いらっしゃったの?」
 鏡に映った夫の姿を認めた途端、妻は声を上げて身じろぐ。その拍子にピンで留められた布地の隙間が広がり、お針子たちが嘆きの溜め息を吐いた。しかし妻はそれに気付かず、自分が中途半端な格好をしている羞恥からか目元を赤らめている。仮縫いの邪魔にならないよう髪をまとめて露わになっている首筋も、同時にぱっと淡い桃色に染まった。
「嫌だわ、なにもこんな格好をしている時に……」
「お前は時折、恐ろしく趣味が悪いな」
 青髭は顔をしかめて妻の後ろ姿を眺めた。思った通り、近付いてみればみるほど似合っていない。位の高い家柄の出自ではないから感覚が庶民的になるのは仕方がないが、仮にも年頃の娘ならば、もう少し自分に似合うものを心得てしかるべきだろう。青髭の呆れた物言いに、妻は子供のように頬を膨らませた。
「まあ、ひどいわ。趣味が悪いだなんて、随分と意地悪な言い方をなさるのね」
「布地を変えろ。この冴えない色は何だ。お前の肌とまるで合わん。縫い糸も銀に……いや、金の方がいい。布の見本はあるか?」
 振り返った青髭が矢継ぎ早に指示を出すので、仕立て屋は泡を食って何枚も布を床に広げ始めた。お針子たちも今までのピンを外した方がいいのかとおろおろしている。妻はふてくされて唇を尖らせたままだが、夫に構われて嬉しいらしく口元が微かに緩んでいた。しかし数ある見本の中から青髭がひとつを選び出すと、血相を変えて反対し始める。
「いいえ、それでは駄目です、やっぱりさっきの布でなければ!」
「何故?」
 普段は慎ましいだけに、その反応は意外だった。素直に了承するとばかり思っていたのだ。怪訝に青髭が問うと、些か懸命すぎる仕草で彼女は胸の前で両手を組み合わせる。
「貴方の新しくお作りになった黒い外套と色味が合いませんもの。二人で並んだら、ちぐはぐになってしまいますわ!」
「……成る程」
 そう言う事かと、青髭は己の顎を撫でた。この女は夫婦が出揃った姿を完成図として胸のうちに持っているのだ。ならば鏡の前で思い詰めたような表情をしていたのも、夫が作った外套の色を脳裏に思い浮かべ、己の横に並べる為だったのだろうか。青髭は物珍しい動物でも眺めるような目で、言い募る妻に視線を向ける。この女の瞳にくすぶる怖いくらいに切実な火を、人は恋や愛と呼ぶのかもしれない。
「しかしあの色では、一人の時にみっともないだろう。お前には似合わない」
「そう大した事じゃありませんわ。確かに私一人では色がぼやけてしまいますけれど、貴方の黒と合わせたら、引き締まって綺麗に見えるはずです」
 妻は真剣な顔で言う。まるで世界の一大事だと言わんばかりに。青髭にはそれが腑に落ちなかった。自分たちが二人でどこかの宴に出る事はそうそうない。彼は元より華やかな席が好きではなかった。妻にも一人で外出する事を許していない。精々どこかの祝いに呼ばれて儀礼的に訪問する程度だ。その数少ない機会の為に彼女が新しい華飾衣を衣装箱に眠らせておくのか、あるいはせっかくの晴れ着を普段の生活に当てるのか定かではなかったが、どちらにしても心躍る想像でないのは確かである。
 もっと使い勝手のいい、自分に似合う服を作るべきなのだ。青髭が隣にいなくとも見栄えのする、美しい色のものを。
 しかし胸の中に抱いた完成図にどれだけ夢を抱いているのか知らないが、妻は珍しく是と言わない。根負けしたのは青髭の方だった。好きにしろと言い捨てると、夫婦の間で板挟みになっている仕立て屋の鞄から鮮やかな群青のレースを掴み出し、それを妻の襟ぐりに押し当てる。
「ただし、レースの色はこちらにしろ。少しは顔色が明るく見える」
「……ありがとうございます」
 眩しげに妻は微笑んだ。自分の言い分を聞き入れてもらえた嬉しさと、夫の見立てたレースの感触にくすぐったがるような表情だった。お針子に言ってレースをピンで留めさせると、栗色の髪と色味が合って見栄えが良くなったように感じ、青髭もそれで溜飲を下げる。
「私の外套と合わせるとなると、城の中では着られない事になるぞ。それでいいのか?」
 気紛れに指の背でうなじを撫でると、妻は驚いたように身を竦ませ、こくりと頷いた。情の強い女だ。しかしその情の強さの為に、新たに黒の室内着を作るのも悪くない気がしてくる。妻に合わせた、普段からも城で着られるような上着を。
 仮縫いされた華飾衣には、広く開けた肩から腰にかけて、やけに複雑にリボンと釦が付けられていた。元から貴族の服は使用人が手伝う事を前提にしている為、自分では手が回らないような場所に編み紐や隠し釦が付いているものだが、それにしても執拗である。まるで脱がす者の根気を試すような構造だ。
 うなじを撫でられて大人しくなった妻は、白くまろやかな肌を微かに赤く染めている。脱がせにくそうな服だと視線でなぞりながら、青髭はその合わせ目に手をかけて、彼女の肌に似合わない布地を次々に剥いでいく己の手を無意識に想像した。これもまた秘密を守る為の鍵なのだと、釦のひとつひとつに視線を落としながら。






END.
(2012.04.28)

捧げものでした!『敗北祝歌』と対の華飾衣の話です。


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