触れる手の話










 最近、エリーザベトが奇妙な遊びを始めた。
 音もなくメルヒェンの隣に近寄り、そうっと片肘を触るのだ。ぼんやり外を眺めている時や、あるいは書架で本を選んでいる時など――まるで隙を見て子猫が飼い主にじゃれてくるようにメルヒェンの曲げた肘に飛びつき、たわめた掌を押し付けてくるのである。
 何だろうと思って振り向くと、ふふっ、と笑う。最初は腕を組みたいのかと思ったが、特に用事がある訳ではないらしい。そっと近づいて、そっと触り、悪戯っぽく笑う。その繰り返し。
「そんなに魅力的かな、僕の腕は」
 不思議に思って尋ねてみる。ちょうど紙束をめくって書き物の内容を読み返していたところで、お茶を持ってきたエリーザベトが例によって左肘をさわってきたのだった。冗談交じりに聞く予定だったメルヒェンの声は、溜まっていた疑問のせいで普段通りの生真面目なものとなる。
 勿論、それはいやらしい触れ方ではない。犬猫を撫でる時のように彼女の手は優しげに歪曲し、こちらの肘の形に合わせて添わせた指先は常のように慎ましかった。状況が状況なので、まるで妻を椅子の肘掛にしているような気分になる。エリーザベトはようやく聞いてくれたと言わんばかりに瞳を輝かせ、椅子の横にしゃがみ込んだ。
「あのね、こうして掌を添えた時にメルの肘がぴったり手の窪みに収まると、何だか楽しくなるのよ」
 彼女はよどみなく言った。
「触り心地がいいと言うより、幸せで、くすぐったい気分がするの」
「……そう?」
「思いっきり掴みたい訳じゃないわ。例えば犬の顎を撫でてやったり、小鳥を両手で包んだりするみたいに、そうっと触るのが肝心なの。そうっと触れて、ぴったり掌に収めると、ああ、幸せだなって思えて」
 エリーザベトはくすくすと肩を震わせた。そのたびに結い髪が小さく揺れる。元から一人遊びの得意な女性で、あれこれと身近な物を友達に見立てて孤独な幼少時代を過ごしたのだから、こうした突飛な発言も珍しい事ではないが――。
「メルはそういう気持ちにならない?」
「……肘を触って?」
「ええ」
 にこやかにエリーザベトが右腕を上げ、どうぞ、と促すように小首を傾げる。曲げた肘を前に突き出し、握った掌を顔の横に寄せ、まるで横髪を耳に掛ける時のような格好になった。驚いたが断る理由もない。メルヒェンは逡巡の末に手を伸ばし、そっと触れてみた。
「……うーん」
「楽しくならないかしら?」
「どうだろう……」
 白い袖越しに暖かな体温がじんわりと伝わる。確かに悪い気はしない。だがどうしてそれがよりによって肘なのか、と言う点で理解しかねる。もしくは赤王子と野薔薇姫が「王子様」「何だい?」「ふふっ、呼んでみたかっただけ」と戯れる事と同じで、行為そのものが愛情表現なのだろうか?
 いまひとつ納得できないメルヒェンの様子に気づいたのか、エリーザベトは眉を下げた。遊びの誘いを断られた子供のように腑に落ちない顔になる。
「でもメルだって似たような事、あるでしょう?」
「え?」
「私の頭、用もないのに撫でる時があるじゃない」
 嬉しいけれど髪が乱れて大変なのよ、とエリーザベトは声を潜めて訴えた。メルヒェンは足をすくわれたような気持ちになり、慌てて自分の行いを振り返る。
 確かに、思わず彼女の頭に手を乗せてしまっていた事が何度かあった、気がする。身長差のせいか、いかにも撫でやすい位置に相手の頭があるからだ。
「いや、それは……何だろう、あれも似たような事になるのかな?」
「そうだと思うわ」
「ちょっと違うような気がするけど」
「そう?」
 エリーザベトは目を細め、椅子の手摺に置いていた右手を伸ばした。膝立ちのままメルヒェンの頭にぽんと手を置き、探るように髪の中に指を差し込む。耳の真横で自分の髪の毛が擦れ合う音がしてメルヒェンはぎょっとしたが、こちらの戸惑いを知ってか知らずか、彼女は何気なく顔を覗き込んでくる。
「ねえ、メルは背が高いからいいけれど、私は普段メルの頭に手が届かないわ。だから触るのが肘になるの。ほら、似たようなものじゃない?」
「……そうかな」
「きっとそうだと思うわ」
 エリーザベトは二度目の台詞を強調したが、次の瞬間、芝居がかった自分の言葉がおかしくなったのか小さく吹き出した。メルヒェンはそんな彼女を眺め、何はともあれ自分が彼女からの奇妙な遊びを拒む事はないのだろうと考える。友達から夫婦になったとは言え、この混じり気のない善良な笑顔に応えたいと思うのは子供の頃から変わらない。
「成る程、君がそう言うなら」
「ええ、絶対にそうよ」
 メルヒェンは妻の手を上から押さえると、降参の印に頭を預けた。そして髪を撫でられるままに顎を反らし、近づく頬に軽く口付ける。エリーザベトはくすぐったそうに肩を竦めながら、でも私はやっぱり肘がいいわ、と飽きずに囁くのだった。





END.
(2012.01.19)

肘。何を隠そう私の性癖です。私がやると変態でしかないんですが、エリーザベトがやれば可愛いんじゃないかと。掌に収まった時のフィット感がたまらないのですが、これは何フェチって言うんでしょうか。


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