新婚夫婦の為に用意されたテューリンゲンの城に、正式な呼称は付けられていない。城下の人々は好き勝手に『宵闇の城』だとか『暁光の城』だとか、それらしい名で呼んでいる。
 暗いんだか明るいんだか、夜なのか朝なのか分からないネーミングだが、そもそも城の主たる夫婦が反対属性カップルなのだから仕方がない。下手をすれば「ならばどちらの力が」「上回っているか」「流る時のみぞ知る」対決が期待できる組み合わせなのだ。そんなライバル扱いでは新婚夫婦に酷だろうと城下の人々が頭を捻り、悩んだ末の二者択一の結果がこれである。ご勘弁願いたい。
 とは言え、墓場から離れてメルヒェンも普通の人間らしくなっており、蝋のように白かった顔にも血色が戻って、目の下の隈も徐々に消えていた。最近では早寝早起きの生活に慣れ、むしろ過去の自分はどうしてああも宵っ張りだったのだろうかと疑問に思うほどである。「ふかふかの枕ラブ。干したての布団万歳。むってぃ、光、マジあったかいね!」とは彼の心の声だが、いずれ銀髪に戻って光属性に転向するつもりなのかもしれない。
 さて、それはともかく結婚一ヶ月が過ぎ、城に滞在していた祝い客も減った。ようやく安穏とした生活を送れるようになり、彼らも腰を落ち着けて愛を育んでいる最中である。特筆すべきは城に雇った料理人が性別不詳の女将と田舎娘だと知った瞬間、メルヒェンが口に含んでいた夕飯を盛大に噴き出し、決して肝臓料理だけは食べてはいけないと妻に切々と語ったエピソードくらいで、他はごく一般的な新婚夫婦の例に漏れず、初々しくも甘い日々を送っていた。
 しかし落ち着いた今だからこそ、気付く事もある訳で。
「ねえ、メル」
「なんだい」
「あのね……最近エリーゼの姿を城で見ないんだけど」
 どこにいるか知ってる?とエリーザベトに尋ねられ、メルヒェンは読んでいた本から顔を上げた。続いて、反射的に話題の主である少女人形の定位置、つまり自分の腕の中を見下ろしたが、勿論そこは空っぽである。抱いていたらエリーザベトがわざわざ尋ねたりしない。
 結婚直後のバタバタで気にかける暇がなかったが、言われてみれば最近エリーゼの姿を見かけていなかった。道理で腕の筋肉が落ちたと……いや、それはさすがにご婦人に対して失礼だ。決して筋トレになっていたとかそう言うのじゃないぞと、メルヒェンはしばし反省しながら考えを巡らせる。
「ほら、また井戸に行っているんじゃないかな。彼女も僕の代わりの旦那様が……いや、あの、つまり友人が欲しいみたいだから……よく僕に似せた人形に命を込めようと井戸に放り込みに通っていたみたい、だしね……」
 何だろう、この元カノを捨てちゃった男のポジション。自分が元凶なので言い出しにくい。語尾がもにゃっとする。
 そんな夫の心情を知ってか知らずか、エリーザベトは真剣な顔で首を横に振った。
「それが違うの。私もそう思って井戸を訪ねてみたんだけど、最近は来ていないみたい。近くにいた継子ちゃんに教えてもらったわ」
「そうか……それは困ったな」
「あ、でも『気のCeuiなの分からないわ!』って最後に念を押されてしまったけど」
「………」
 未だに継子が井戸にスタンバイしている事も地味に驚いたが、随分と曖昧な証言をしている事にも驚いた。無理やり決め台詞をぶち込んで来なくてもいいだよ、と諭してやりたい。もう、いいんだよ……継子。
 ともあれ、心配なのはエリーゼの行方である。お茶の席や政務の合間にちょこちょこ顔を見せてくれるのは確かなので、二人に愛想が尽きて城から出奔したと言う事ではないだろうが、普段どこで何をしているのか見当が付かない。エリーゼとて自立した人形であるし、子供のように何から何まで面倒を見なければならないような子ではなかったが、指折り確認したところ三日は姿を見ていないと言う結論に至り、ひっそりと二人で青くなった。
「いや、いくらなんでも三日も無断外泊と言うのは……!」
「どうしましょうメル!もし事故に遭っていたりしたら!」
「っ、それはいけない!」
 まだ子供のいない二人にとって、エリーゼが友人兼子供のようなものである。新婚夫婦は即座にタッグを組み、捜索に乗り出す事にした。可愛いあの子のためならば、西も東も北も南も雨にも負けず風にも(略)する覚悟である。
 だが『宵闇・暁光の城』を探し回っても一向に手掛かりが見つからない。二人は『既にエリーゼがテューリンゲンにいないのではないか』と言う結論に至った。そして捜索範囲を広めたところ、意外な場所で彼女を見つける事となる。
 赤王子と野薔薇姫の城。その庭園、水浴び施設も完備した伝説の泉。そこで『神頼みなう』の状態だったのだ。
「エリーゼったら考えたのね……」
「成る程。井戸が駄目なら、こちらの泉で人形に命を吹き込もうと……」
 近くの茂みに隠れ、メルヒェンとエリーザベトはこっそりと泉を観察した。別に隠れる必要はないのだが、秘密を暴くようで何となく気後れしたのである。当のエリーゼはメルヒェン人形をどぼーんと放り込むと(本家メルヒェンはトラウマを思い出してビクッとした)泉の淵に座り、組んだ両手を口元に当てて文字通りお祈りしているようだった。見つからないよう二人が小声で話し合っていると、付き添っている赤王子と野薔薇姫が背後から親切に解説してくれる。
「ここが、母様が懐妊を予言された泉ですわ。今では蛙の像を建て、聖なる遣いとして祀っておりますの。少し大袈裟じゃないかと言う声もあったのですけれど……」
「何を隠そう、僕も後押ししたのさ。単なるお告げとは言え、野薔薇をこの世に遣わしてくれた功績は計り知れないからね。もしも彼女が生まれる事がなかったら、僕は愛を知らぬまま一生を終えなければならなかっただろう。それを思えば蛙の像の一つや二つ、惜しいなんて思わないさ。僕の天使の到来をお告げしたのだがら、そう、神と呼んでも差し支えないよ!」
「まあ王子様ったら、お客様の前ですのに……!」
「事実を言ったまでさ。それより可愛い顔を隠さないでおくれ。照れているのかい、野薔薇?」
「あっ」
「……案内してもらったところで悪いが、君達、少し控えてもらえないか?」
 歯の浮くような台詞が聞こえる。振り返れば、肩なり腰なりを抱いて密着している二人がいるのではないか。無駄に夫婦のハードルを上げないで欲しい。エリーザベトが新婚夫婦に変な先入観を抱いたらどうする。夫が誰でもあんな風に甘く口説けると思うなよ。
「おっと、失敬。とにかくそう言う経緯で泉は神聖視されていてね。今では遠方から巡礼者が訪れるほどだ。エリーゼ姫もその恩恵に預かろうと考えての訪問だろう。本来のご利益は子宝なのだが、まあ、人形に命を吹き込むと言うのもある意味――」
「子宝ですか!私もメルとの赤ちゃんが早く欲しいのですが如何ほどにすればご利益を!!!!」
「エ、エリーザベト落ち着いて!そういう事は焦らずゆっくりと……!」
 メルヒェンは急にテンションが上がり勢いよく挙手した妻を慌ててたしなめた。そしてうっかり後ろを振り返ってしまい、いちゃいちゃしている赤王子と野薔薇姫のツーショットを見てしまった。やはり腰を抱いており、ついでに顎にも片手を添えている。いただきますのキスは二人きりの時にお願いしまーす!
 そんなこんなをしているうちに泉では変化が起こっていた。ちょうどエリーゼが願いを込めて投げ入れたメルヒェン人形の周囲から、こぽこぽと不自然な泡が湧き上がり、やがて水飛沫を立てて水面が盛り上がったのである。
 現れたのは伝説の蛙――ではなく、何故か少年姿の冥王だった。
『聖ナル泉へヨゥコソ!ォ主ガ落トシタノハ銀ノ人形カ……ソレトモ金ノ人形カ?君ニ今、敢ェテ問ォウ!』
 まさかの泉の精の役回りである。童話らしいと言えば童話らしいが神話キャラな上、無理やり他の地平線の名台詞を盛り込んできている。久々の人間界にはしゃいでいる様子だ。突っ込み待ちなのか両手に持っているのは金と銀のメルヒェン人形ではなく、陛下がRomanツアーの為にポケットマネーで購入したと噂の、朝と夜の双子SDである。冥府から急いで駆けつけたのか、普段はきっちりと髪は乱れて落ち武者のようになっているし、泉から登場したとあってびしょ濡れで、冥王の威厳もクソもなかったが。
「タナトス……こんな姿になってまで、約束を守ってくれたのね……。笑いと言うお約束を……」
「……エリーザベト。君も無理に空気を読んで、昔の台詞を使わなくていいんだよ?」
 二人は茂みでこそこそと様子を窺いながらコメントをした。妻には突っ込みしにくいメルヒェンである。
『フン。金モ銀モ、朝モ夜モ見当違イダワ!私ガ欲シイノハ、旦那様ニナッテクレル人形ノメルヨ!』
 さて、イレギュラーの出現にも当のエリーゼは怯む事がない。突っ込み待ちの冥王を鼻で笑い、己の要求を堂々と突きつけた。ボケを流された冥王はショックのあまりビクッとしたが、やがて気を取り直して問いかける。
『成ル程、ソレデ君ハ泉ニ来テシマッタ訳ダネ。初対面ノハズダガ、コノ奇妙ナ親近感ハ一体ドコカラ――』
『メルの台詞まで真似しないでちょうだい、気持ち悪いわ!親近感も何も、お互いに台詞が片仮名だからでしょ。じゃあ私は平仮名で喋るから、後は一人でご自由に』
『ェッ、嘘、喋レルノ??』
『キャラ立てしたかっただけで、やろうと思えばそのくらい出来るわよ。エリーザベトとの差別化も図りたかったし。はーあ、いい加減に喋りにくいのよねぇ。あんたもギャルじゃないんだから母音を小文字で発音するの止めたら?』
『ヒドィ!』
 驚愕の事実。エリーゼはやる気になれば平仮名でも喋れるのです!半泣きになった冥王にさる事ながら、メルヒェンも非常に驚いた。知らなかった……乙女の秘密、侮りがたし。
 ともあれ話を元に戻し、しょんぼりしながら冥王が説明したところによると、素直に金と銀の人形を希望しなかったのは偉いが、ただで魂を入れる事は出来ないと言う。それなりの報酬なり代償なりが必要らしい。エリーゼは眉間に皺を寄せながら話を聞いていたが、じゃあ具体的にどうすればいいのかと聞くと、更に渋い顔になってしまった。
『……それでなんで方法が物真似な訳?』
『ィヤ、ホラ、最近SHKデモ無茶ブリガ流行ッテルミタィダカラ、我モ見テミタィナッテ……』
『どこかのグラサンの二番煎じはいいの、関係ないの!私は!あんたに!どうしてそれが人形に魂を込める代償になるのか聞いてるの!分かってる!?ねえ分かってんの!?』
 怖い。エリーゼの剣幕が怖い。冥王もびくびくしている。遠巻きに見ているメルヒェンもびくびくする。
 しかし冥王も何だかんだで粘った。どうしても笑い的な出し物が見たかったようだ。壮絶な値切り合いは続き、物真似から一転して早口言葉、いやそれじゃ面白くない踊りを、いやいや歌を、と議論した結果『物凄く気合の入ったお祈り』に落ち着いた。白熱した割には随分ざっくりとしたお題である。
『聖ナル泉ニ願ィヲ!コレナラ文句ハァルマィ!』
『まあ、最初よりは意味が分かるぶんマシね。とは言え、具体的にどうすればいいの?』
『ナニ、世界ニハ様々ナ宗教ガァル。我ガ指示ヲ出スカラ、ソレニ従ッテ動ィテクレレバ合格ダ』
 つまり「赤上げて白上げて」の遊びのように、世界のお祈りポーズを間違えずにしてみろと、そう言う事らしい。メルヒェンとエリーザベトは我が子のお遊戯会を見守るような気持ちで事情を飲み込んだ。エリーゼが失敗しないかと心配で、自然と口数も少なくなる。ちなみに赤王子と野薔薇姫は背後で相変わらずいちゃついていた。もう城に帰っていいよ君達。
『デハ逝クゾ、ェリーゼヨ!!』
『不穏な漢字変換しないでちょうだい!それから自分の名前を小文字にされると予想外に苛つくって気付いたけど、まあいいわ、ひとまず望むところよ!』
『ヨシ、デハ始メヨゥ!キリスト教!』
『十字を切って……アーメン!』
『OK!合格!』
 冥王のお題に従い、エリーゼが素早く片手を動かす。
『デハ次、仏教!』
『南無!』
『大胆ナ省略ヲ……!次、ヒンズー教!』
『あそこの礼拝は個人の自由なのよ!』
『クッ……次、イスラム教!』
『甘いわね、私が怯むと思ったの!あの拝んだり唱和したりの複雑な礼拝の仕方だって、既にマスター済みよ!』
『ムムム、神ニ背ィタ身デァリナガラ小癪ナ……デハ此レハドウダ、ォ百度参リ!』
『無駄に時間がかかるじゃないの!』
 そう文句を言いつつ、反復横とびで神社に見立てた蛙の像から百往復して石の塔を積み上げるエリーゼは、もはや黒い弾丸と呼んでも差し支えないほどの速さであった。謎のテンションで次々と課題をクリアしていくエリーゼを見つめ、メルヒェンは我に還る。
 何だこれ。
「……少しシュールすぎやしないかな」
「でもエリーゼがあそこまでしなきゃいけない気持ち、分かるわ……メルが死んだって聞いて、どんな神にも縋ろうと……私だってあんなお祈り、したもの……」
「君までも!?」
 エリーザベトが隣で目を潤ませている。罪悪感が半端ない。怒涛のごとく明かされていく乙女の秘密、と言うか芸達者ぶりに胸の痛みが止まらない。自分の為にあんな事やこんな事までさせてしまったのか、我ながら何て罪作りな真似を!
 そうして外野が動揺している間に、神秘主義のお題にくるくると回っていたエリーゼが遂に目を回して座り込んでしまった。へこたれてなるものかと脚に力を入れようとするが、お百度参りで酷使した足腰が(球体間接なので)がくがく震えている。エリーゼは唇を噛み、もはやここまでか……と諦めかけた。
 しかし。
『ォ主ノ心意気、シカト見届ケタ』
 ぽん、と肩に冥王の手が置かれる。エリーゼは弾かれたように顔を上げ、願いが聞き入れられるのかと瞳を見開いた。だが恥じ入ったように顔を伏せ、強がりを言う。
『……ふん、同情ならご免だわ。私は私の力で理想のメルを手に入れるのよ。まだ続けられるわ』
『ィヤ、モゥ祈リハ十分ハ届ィタ。数多ク存在スル天ノ神々モ納得サレタダロウ。後ハ我ガ便宜ヲ図ッテォク。見上ゲタ根性デァッタ』
「……本当?」
『勿論だとも、小さき娘よ。我もお主に見習い、今後は人に優しく平仮名で喋る事としよう』
『タナトス……!』
 無闇に良い顔の冥王が笑顔をきらめかせ、エリーゼも両手を口元に当てて大きく息を飲み込んでいる。どうやら川原で殴りあった後に生まれるベタな友情ドラマ……に似て非なる展開が繰り広げているらしい。二人の背後に真っ赤な夕日が見えるようだ。エリーザベトも素直に感動し、良かったわねと目尻を拭っている。メルヒェンは突っ込みきれずに沈黙し、今夜の夕飯は何かなと思考を明後日に飛ばしていた。
 こうして念願叶い、夜な夜な井戸に落とされていたメルヒェン人形に命が与えられた訳だが。
『なななな、なんであんたが出てくるのよ!』
「エリーゼ、少しは考えたまえよ。物言わぬ器、しかもメルヒェンの形を模した物に井戸で魂を込めようと試行錯誤した後なら、泉だろうが何だろうが、ひとまず私が引き寄せられるとは考えなかったのかい。これだから低能は困る」
 無理やり呼び出された金髪碧眼の男が、呆れたように窓辺で紅茶をすすっている。元となった人形は小さい物だったが、現在はスマートな男性の背格好をしているあたり、やはりモテを意識したビジュアル重視。抜かりないと言うべきか。
「まあ、私は別に構わないのだがね。しかし今度のパートナーが断崖絶壁の幼女だとは、いやはや、やる気が削がれるな」
『私だって、あんたみたいな歩く性欲と組みたくなんてないわよ!気持ち悪い、さっさと井戸に帰ってちょうだい!』
「無理を言わないでくれたまえ幼女。呼び出したのは君だろう。おっと、奥方。紅茶をもう一つ頂けるかな」
「あ……はい」
「エリーザベト、奴に近づいちゃ駄目だ!どんな想いで僕が《衝動》を追い払ったと!」
「ふむ、相変わらず君は考えが硬いようだな。あの時とは状況が違うだろうに。もっと柔軟にならないと汚れた世の中を渡っていけないぞ。それにしても奥方は良いポテンシャ……ごほん、お美しい。そう言えば私の亡き妻に似ているような気も」
「まあ、奥様と?」
「私の名はイドルフリード・エーレンベルク。イドと呼ん――」
「手を取るな人妻を口説こうとするな!!」
 面倒な居候が一人増えました。





END.
(2011.10.22)

テンションだけで書いているシリーズです



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