鏡と童話の向こう側












 お伽噺は常にハッピーエンドで終わる。
 中でも、お姫様と王子様が登場する物語は特別製だ。持ち前の愛らしさと機転、それから神様の多大な贔屓で数々の困難をやり過ごしたお姫様が、冒険の締めくくりに素敵な男性から求愛され、めでたく愛と家庭を手に入れる。ご都合主義も大歓迎。それでこそ世の少女達は絵本を閉じ、うっとりと溜息を吐いて読書の時間を終わらせられる。
「やばいわ。私、振られるかも」
 しかし、まさかハッピーエンドのその後で、離婚の危機が訪れるとは夢にも思わないだろう。
「結婚式の後から夫婦らしい事なんて何一つしてないし、王子様は明らかに私の事、避けてるみたいだし」
 うーん、と雪白姫は唸った。場所は中庭の花園。優雅なテーブルセットとお茶菓子の周囲で、植え込まれた幾種類もの花が咲いている。濡れたような白い花びらが風に乗ってはらはらと舞い散った。それによって漆黒の髪はいっそう艶やかさを増し、発展途上にある少女の愛らしさを際立たせていくようだ。
 だが、本人にとってはそれも至極どうでもいい事。鼻の上に皺を寄せ、難しい顔でテーブルに頬杖を付いている。傍らでは立派な燕尾服に着替えた白髭の老人が立ち、機敏とは言いがたい動きで紅茶を淹れていた。
「はて……。わしには分かりかねますが、そんなに旦那様とは上手くいっておりませんので?」
 老人はそう尋ね、中身が一杯になったティーカップを差し出す。かちゃかちゃと小刻みに震えるそれを慌てて受け取り、雪白は首を横に振った。
「上手くいってない……と言うには大袈裟すぎるかもしれないけど、でもね爺や。普通、新婚って言えばもう少しこう、いちゃいちゃできるものじゃないかしら?」
「そうですなぁ。いちゃいちゃは良いものですぞ。新婚と言えばわしも昔――」
「でも王子様ったら全然ここに居ついてくれないの。やれ領地の見回りだ、弟の婚約者がどうのって、出かけてばかりなんですもの。これはちょっとやばいと思うのよね」
「そうですなぁ。困ったものです。婚約者と言えばわしも昔――」
「王子様って無駄に美意識は高そうだから、いきなり第二王妃を連れて来るなんて事はないと思うの。でもね、だからと言ってあまり放っておかれるのも私の立場がないと言うか、びくびくしちゃうと言うか、落ち着かないのよね」
 自分の事にしか目がいかない少女と、すぐに昔語りをしたがる老人。相手の言葉を聞いていないような会話を繰り広げ、二人は花園で時間を潰す。王子が不在のせいもあって、嫁いだ城の中はお世辞にも居心地はいいとは言えない。天真爛漫を絵に描いた雪白もそこは気付いているらしく、ほどなく直にテーブルへ顔を伏せ、宙に浮かせた足をぶらぶらと振り始めた。
「王子様に振られたとして……お父様のところに戻るのは嫌だなぁ。あの人、私が城からいなくなっても全然気付かなかったし、何があっても悪びれずにケロリとしてるのよ。のほほんと婚礼に出席しているのを見た時は、私の方がびっくりしちゃった。死んだと持っていた娘が生きていたんだから、もう少し驚いてもいいじゃない。基本的に娘の事に興味がないのよね。それを思うとお義母様の方が熱心だったわ。悪い方向だけど、色々と構ってくれたし」
 ほうっと溜息を吐く。一難さってまた一難。隣で老人がもごもごと慰めの言葉を口にしたが、悲しいかな、風に掻き消されて届かない。
「……自分でも分かってるの。婚礼の席で、ちょっとテンションが上がりすぎたのが良くなかったのかな、って」
 姫はぽつりと呟いた。
「でもでも、私、お義母様に何度も殺されそうになったばかりか、パイにされて食べられるところだったのよ……?」
「そうでしたなぁ」
「爺やが誤魔化してくれなきゃ、とっくにお義母様の胃の中だわ。報復されて当然じゃないの。目には目を歯に歯を、って遠い国の法律にもあるって言うし、悪事をそのままにしておいては示しがつかないじゃない……!」
 喋っているうちに興奮してきたのか、どんっとテーブルに両手をついた。
「そうよ、やっぱりこんなの納得いかないわ!お義母様が死んでまで私の未来にケチをつけるつもりなら、それはそれで結構よ!でも、だからってこんな飼い殺しにされる謂われはないわ!王子様も王子様よ、私が嫌いなら嫌いって、はっきり言えばいいんだわ!」
 どう思ってるのか確かめなきゃ!と息巻いて、彼女は勢いよく席を立ち上がった。話が飛躍しすぎな気もするが、もちろん当人は大真面目である。展開が飲み込めない爺やを庭に残し、さっそく城内に戻って荷物をまとめ始めた。外出中の王子を追いかける気満々である。
 着替えだ何だとトランクに詰め込んでいると、部屋の隅から声を掛けられた。
『おや、お出かけですかな?』
 花嫁道具として持ち込んだ魔法の鏡である。普段は布を掛けて魔力を封じているのだが、荷造りでばたばた動いた拍子に布がずり落ちてしまったらしい。男の顔が彫刻された金のフレームが、窓からの陽に当たってぴかぴかと輝いた。
「そうよ。王子様が本当に私を愛しているのか聞きに行くの。場合によっては城を出る事になるかもしれないから、貴方も覚悟しておいてね」
『ほう。それはそれは……』
 鏡は考え深げに語尾を濁す。彼が自分から話しかけてくるなんて珍しいと気付いた雪白は、そこでぱっと閃いた。
「あ、そうだわ。もしかして貴方に聞いても、王子様の本音が分かるのかしら?」
 なにせこれは魔法の鏡。千里の距離も飛び越えて、国一番の美人を見つけ出す代物だ。義母が所有者になってからは専ら美しさを証明するだけの役目になってしまったが、他にも使い道はあるのかもしれない。
「鏡よ鏡、鏡さん。知っているなら教えてちょうだい。王子様は誰を一番愛しているのかしら?」
 雪白は顎を引き、はにかむような、物をねだるような、そんな上目遣いで尋ねた。鏡に色目を使っても答えが変わるとは思わないが、意中の人の本心を確かめる気恥ずかしさで、少しばかり仕草が乙女チックになる。
『それは勿論、雪白姫』
「きゃあっ、やった――!」
『しかし彼がこの世で一番愛していましたのは、死んでいた貴女様でございます』
 喜びに飛び跳ねようとした足が、ぴたりと止まった。
「えっと……ごめんなさい、もう一度言ってもらえる?」
『死んでいた貴女様でございます』
「…………え、ええぇ?」
 複雑な声が出る。姫は前のめりになり、甘いものと酸っぱいものを一緒に食べたような顔になった。
「何それ?過去形どころか、死んでいた時、限定なの?」
『そうでございます』
「ちょ、ちょっと待って、整理させて!それって……私が生き返ったら予想外にお転婆だったから幻滅した、って事?それとも元から、死んでいたって事が王子様の中で高ポイントだった、って事?」
『恐らくどちらも含むでしょうが……強いて言えば後者かと。つまり彼は死体趣味だったのでございます』
「えぇ〜〜????」
 凄い結論を出されてしまった。義母に命を狙われ、人生の酸いも甘いも知った気でいたが、まさかこんな落とし穴が待ち受けていようとは。
 となると、何故か最初に宛がわれた寝台が硝子ケースだったのはそうした嗜好のせいだろうか。気味が悪かったので丁重にお断りしたら、王子様ったらしょんぼりしてたっけ。
 それにしても死体愛好とは、聞いた事のない趣味だった。すっかり理解の範囲外にある。一体どんなものなのかしらと雪白がひとりごちると、自分に話しかけられたと思ったのか鏡が勝手に解説してくれた。
 曰く、血の通わない肌の魅力が云々。曰く、決して応える事のない慎ましやかな美への憧憬が云々。
「……思ったより気持ち悪いんだけど……これって軽蔑していいのかしら……」
 これは親切どころか余計なお節介だったのかもしれない。雪白は持ち前の好奇心にかられて大人しく話を聞いていたが、徐々に眉を寄せ、最後には渋い顔になってしまった。
「じゃあ参考に、あくまで参考までに聞くんだけど」
 彼女は恐る恐る尋ねる。
「この世で一番美しい死体って、誰?」
 すると間髪入れず『それは土の下に埋められた貴方のお義母様です』なんて得意げに鏡が答えたものだから。
「嘘……」
 ただでさえ白い姫の顔から、さあっと血の気が引いたのだった。



 * * * * * * *



 王家の棺は教会内に埋葬される。横臥像となって中央に置かれているのは数代前の王と妻だが、その下にも子供達が埋められているらしい。
 爺やを連れて聖堂から続く階段を下りる雪白は、一段一段と歩を進めるごとに後ろ暗い想いに囚われた。継母は罪人として処されたが、死後、神の許しを得られるようにと教会の地下墓地に安置されている。墓参りと銘打って聖堂を開けてもらったが、死者を悼む気持ちよりも先に、こそこそと調べ回っている自分の惨めさが際立ってきた。
(私、まるで盗人みたいだわ)
 ふと嫌なイメージが湧き上がる。辿り着いた棺には既に継母の遺体はなくなっているのだ。それと言うのも死体に一目惚れした王子様が、部下に命じて棺を自室に運ばせたから。何故ならそれは彼好みの、世界一美しい死体なのだから。
 まさか、とは思う。まさかそんな。そんな事があるだろうかと。
 けれども自分達が夫婦として上手くいっていない以上、それは振り払っても振り払っても野生の鷹のように鋭く舞い戻ってくる想像だった。だからこそ確かめなくてはならない。
 教会の地下墓地は神の御前で葬られたいと望んだ、敬虔な信者達の空間である。とは言え、骨ばかりとなった頭蓋骨が壁際にずらりと並べられているのは不気味だった。空気も澱み、薄っすらと腐敗臭も漂っている。
 継母の棺は一番手前に置かれていた。指を組んで簡単なお祈りを捧げながら、雪白は少しばかり考え込んだが、中を確認したいという誘惑には抗えない。
 爺やに言って、棺を開けてもらう。平和ボケして狩人時代の機敏さが失われたとばかり思っていたが、老人はてきぱきと石棺の蓋をこじ開け、中を見せてくれた。
 棺には死体が――入っている。
「なぁんだ……」
 安堵して溜息を吐いた途端、自分はなんて事をしているんだろう、と激しい自己嫌悪に襲われた。焼けた靴を履かせた事は後悔していない。それだけの事はされてきたのだ。しかし彼女が死んだ後になってまで、こんな態度を取る自分は何なのだろう。
 鏡の言った通り、継母の死体は美しかった。焼けた靴で踊っているうちに足を滑らせ後頭部を打つと言う、何だか微妙な死に方をしてしまった彼女だが、外傷はドレスに埋もれて見えなくなっている。どうした訳か肉が腐る事もなく、本当にただ眠っているように見えた。
「……なんて皮肉かしら」
 思わず、恨みがましい声が出る。
「お義母様は酷いわ。何度も私を殺そうとしたのに、亡くなった途端、今度は貴女が私を嫉妬させる番になったんだもの。世界一の美しさが何よ。そんなの結局、好きになってもらいたい人に好かれなきゃ、何の価値もないじゃない……」
 口を突いて出た言葉には確かな苛立ちが含まれていたのに、どうしてだか目頭がじわじわと熱くなってきた。後悔しないとは思っていたが、あんまりにも現在の自分の心根が小さくて惨めだったので、知らず知らず過去を振り返ってしまう。
 どうすれば良かったんだろう、何が悪かったんだろう。彼女だって世界一美しくなくても、愛してくれる王がいたではないか。お父様を私から奪ったではないか。それなのにどうして娘の自分に嫉妬なんかして張り合って、恨みつらみの母子関係で終わらせてしまったのだろう。
 自分にだって非があるのは分かる。彼女に好かれる努力をしなかったせいだ。馴染めなかったせいだ。けれども今となってはそれを認める事すら難しく、生前の温かいとは言えない継母の態度も思い起こされて、ひどく荒んだ気持ちになる。
 気が付いたら涙がぼろぼろと零れていた。悔しいのか、悲しいのか、自分でもよく分からない。
 因果応報だ。美しさを妬んだ者は美しさに殺され、殺した者は殺された者に愛を奪われる。
「……雪白?そこにいるのかい?」
「きゃあああ!!!」
 そうやってしんみり反省していた時に背後から声を掛けられ、それが何を隠そう噂の王子様であったから、雪白姫は飛び上がって仰天した。
 王子は燭台の火を掲げ、恐る恐るこちらを眺めている。こんな時にでも彼の髪は金貨のように輝いていて、訝しげに眉を下げているものの生来の美貌は損なわれていなかった。もし女だったのなら鏡の歌う『世界一の美しさ』は彼の称号になるのではないかと思ったが、けれども王子様はあくまで王子様であり、しかも自分の旦那様で、更には死体愛好者で、突然現れた闖入者なのである。
「ややや、やっぱり貴方、お義母様が目当てなのね!ひどい!人でなし!最初に棺を開けちゃった私もちょっとどうかと思うけど、まさか本当に貴方がここに来るなんて!」
「……う、うん?」
 パニックになって支離滅裂な事を言ってしまう。取り乱した彼女の姿に、王子は困惑した様子で首を傾けた。
「ひとまず落ち着きたまえ。帰ってきたら君がいないから、どこかと探し歩いたんだよ。君こそ何でまたこんな所に?」
「……へ?」
 王子が至極平静にそう尋ねたので、雪白は当てが外れてぽかんとした。てっきり彼が継母を観賞しにやってきたのだと思ったのだが。
「私を探してたの?お義母様に会いに来たんじゃなくて?」
「僕が何故そんな事を――いや、それよりどうしたんだい。君、泣いているじゃないか」
 片膝をついた彼に顔を覗き込まれて、そっとハンカチを渡される。こう言うところは憎らしいくらい紳士だった。赤くなった顔を覆ってハンカチに顎を埋めると、ふんわりと優しい香水の匂いがする。雪白は鼻をぐずつかせながら心が慰められるのを感じたが、一つの可能性に思い至り、びくりと背筋が強張らせた。
 彼がわざわざ自分を探していたとなれば、何か大事な話があるはずだ。最近の流れから考えてみれば、それは離縁しようとか、そんな類の話なのかもしれない。
(ああっ、もう、しょうがないじゃない!嫌われてるなら嫌われているで!)
 どちらにせよ最初の目的は王子の気持ちを確かめる事だったのだから、ここで怖がって耳を塞いでも仕方がない。雪白は覚悟を決めて相手の腕を掴み、自ら口火を切った。
「ねえ、敗因も分からずに振られるなんて嫌だわ」
「うん?」
「だから教えてちょうだい。生きている私と死んでいるお義母様、どちらが好き?」
「……雪白?」
「どちらが愛せそうなの?」
 ぐいぐいと腕を引っ張り、棺へと招く。今ひとつ状況を把握し切れていない王子は促されるまま中を覗き込む事になり、一瞬はっと息を飲んだが、眉を寄せて溜息を吐くと、雪白の頭に片手を置いた。
「……成る程。君は僕の嗜好を知った訳だね」
「そうよ。だから教えて」
「確かに……彼女は美しいよ。しかし、かつて硝子の棺に横たわっていた君ほどではない」
「それじゃ答えにならないわ。今の私と、今のお義母様の話をしているのよ」
 胸の痛みを押さえて畳み掛けると、王子の片手がするすると頭から下りてくる。両頬を包まれて、否応なしに目線が合った。
「難しい事を聞く人だ、僕はまだ今の君をよく知らないのに。実はね、最近、君の父上の所にお邪魔していたんだよ」
「……お父様に?」
 急に話題が変わったので、雪白は眼を白黒させた。誤魔化されやしないかと心配になる。
「お互いに姿だけを見て結婚したようなものだからね。君の事をまるで知らないなと気付いて、ならば生まれ育った土地で話を聞いてみようと思ったんだ」
「だったら、直接私のところに来てくれれば良かったのに」
「その……ちょっとばかり、君に苦手意識があったものだから。城を攻めるにはまずは外堀からと言うか……」
 王子は言葉を濁した。雪白も自分のした事を振り返り、まあ、分からないでもない。
「それでお父上と会ったのだが……君たち、一体どんな親子関係だったんだい。彼ときたらまるで君の事を知らないときているじゃないか」
「仕方ないわ。お父様は本当は男の子が欲しかったんですもの。そうでなくとも普段からのほほんとしているし、悪気はないんだけど天然なの」
「これでは話にならないと思って、今度は僕の弟の所に行ったんだ。彼も新婚でね。双子だから重なる部分も多くある。彼が奥方と幸せそうにしている様子を見れば、為になる直感なり何なりを得られると思ったのだが」
 王子はそこで苦笑した。 
「ちょっとばかり妬けたね。あんまり二人が仲睦まじいものだから」
「……あの、結論が見えないんだけど、それで私はどうなるの?その弟さん夫婦みたいに貴方と仲良くなれるのかしら?」
 彼の近況は分かったが辿り着く先が分からない。話の先を急かすと、目の前の綺麗な顔は悲しそうに瞳を翳らせる。
「正直言うと、君を本当に愛せるのかどうか確信は持てない。愛しすぎると、今度は君を殺してしまいそうだし」
「…………」
 頭が痛くなってきた。何だそれ。
「ちょっと……いくら何でも正直すぎやしないかしら。そんなに死んでいた時の私って魅力的だったの?」
「そりゃあね。あんなに何かを欲しいと思ったのは、後にも先にもあの時くらいだよ。まさに君は理想そのものだった」
 王子は悪びれずにうっとりと目を細めた。
「そうだな、一番好きなのは死んでいた君。二番目に好きなのは眠る君。三番目が、こうして生きている君になるだろうね」
「……上位三つを独り占めなんて、私もなかなか好成績みたいだけど、そんな言い方で女の子が喜ぶと思っているなら王子なんてとっとと廃業した方がいいと思うわ。ちっとも嬉しくないもの!」
 雪白は思わず大声を上げた。溜め込んでいた事が爆発する。
「もう、貴方の趣味ってぜんっっっっぜん分っかんない!むしろ気持ち悪い!本っ当に気持ち悪い!」
「まあ、自分でも少しどうかなと思う」
「私だって何も知らずに貴方の求婚をほいほい飲んだんだから軽率だったなと思ってるのよ、責任は感じてるのよ!」
 声を上げすぎて頭が痛い。鼻がつんとする。それでも言わなければならない。
「でもね、それでも私、貴方と結婚しちゃったんだもの!仲良くしたいわ!」
「……そうだね。僕も、君と仲良くしたいよ」
「だって、夫婦だもの!あんまり一人きりにさせないでよ!」
「うん……ごめん」
 気が付いたらハンカチも役に立たないほどわんわんと泣いていて、王子様に何度も頭を撫でられていた。いつの間にか彼の顔はすっかり優しいものになっていて、傷ついた小鳥や萎れてしまった花を眺めているような、柔らかくて、他人事みたいな表情に変わっている。
 雪白はふと頭を撫でる男にろくな奴はいないと言っていた乳母の言葉を思い出した。ずっと意味が分からなかったが、今になって理解する。髪を愛でる訳でもなく、ただ頭を撫でるのは、子供に見られているからなのだ。目下に見られているからなのだ。何もされないよりは構ってもらえて嬉しかったけれど、やっぱりこの調子では夫婦らしくなれそうにもない。
 ――でも、いいや。
 少なくとも仲良くする気はあるみたいだし、城を追い出される事はないみたいだし。
 僅かながら歩み寄れた気がして、雪白の胸がすっと軽くなる。それに、死んだ後も自分の事を愛してくれる人がいると言うのは考えようによっては頼もしい事かもしれない。こんなにあっけらかんと死んだ時の自分が一番好きと言われて、何だか毒気を抜かされてしまった気がする。憎めない人だった。
 王子は新しいハンカチを出してくれて(一体いくつ持っているんだろう?)せっせと雪白の頬を拭いながら穏やかに言い聞かせてくる。
「君をここまで追い詰めてすまなかったね。でも、黙って王家の墓を暴くのは感心しないな。僕だって君の棺を引き取る時は小人たちに許可を取ったんだからね。分かるかい?」
「うん……」
「ほら姫。母上にごめんなさいは?」
「……ごめんなさい」
 王子に促され、ぺこりと棺に頭を下げた。シュールな光景である。だが本人達はいたって大真面目なのだった。すっかり空気と化していた爺やも急に存在感を主張し始め、わしにお任せ下さい!と張り切って蓋を元に戻す。やがて雪白は王子と手を繋ぎ、鼻をすんすん鳴らしながら地下墓地の階段を上がっていった。

 さて、こうして一連の騒動は収まった。
 美しい死体は墓と共に永遠の眠りにつき、王子もそれからは城に腰を据えて花嫁と向き合ってくれるようになる。二人があまり夫婦らしくないのは相変わらずだったが、雪白が幼い事もあり、ゆっくり愛を育めばいいだけの話である。
「ところで全ての元凶について考えてみたんだが、突き詰めていけば、あの鏡のせいじゃないだろうか?」
 ある日、雪白の部屋で紅茶を飲みながら王子が言った。
「鏡?」
「そうとも。そもそも顔の美醜なんて人の好き好きだろう。一番を決めるなんてナンセンスだ。そんなものに頼り切っているから君の母上も嫉妬に駆られてしまったんだし、君だって、僕にあらぬ疑いを持った訳だしね」
 なかなか鋭い指摘である。雪白は隅に置いてある件の鏡を振り返り、ぎょっとした。掘り込まれたレリーフの顔が小さく身を震わせ始めたからである。
『ふっ……はははは!よくぞ気付いたな王子よ!そうとも……我こそが君達の敵だぁっ!!』
 これぞ急展開のバーゲンセール。鏡は人が変わったように吠え出した。
「ええっ、まさか黒幕ってこういうオチなの!?」
「さすが高笑いの似合う声だな。どこかで聞いたような台詞だが」
『ふふ……人間どもを操るなど他愛無い事よのぅ。簡単に見栄と嫉妬で自滅する。雪白姫、そして王子よ……お前達の恥ずかしい秘密も我はあまさず知っておるぞぉ……!』
「きゃああ!何よこいつ、気持ち悪い!」
「よし、割ろう」
 王子がすかさず紅茶のカップを投げつけた。
『はははっ、何のこれしき……!甘んじて人間どもに与した屈辱の年月に比べれば……!』
「はい王子様、新しいカップ!」
「ていっ」
『ぐふうっ!?』
「次はポットよ!お義母様の仇、討ってちょうだい!」
「よしきた、任せたまえ!」
『ちょっ、やめ、少しは喋らせてぇ!?』
 こうして新婚夫婦の連携プレーによって紅茶セットが全て投げつけられると、鏡はすっかりひび割れて、何故こんな悪事を働いていたのか告白する暇もないまま毎週月曜の廃品回収に出されてしまったのである。国から魔法の品は失われ、今では誰が一番美しいのか確かめる術はない。だが、それでこそ人は自分が選んだ伴侶を世界一だと信じ、愛を注ぐ。
「ねえ王子様。婚礼の時って、病める時も健やかなる時も死せる時も、って誓うじゃない?」
「ああ」
「死した後も愛すつもり満々って、ちょっと欲張りすぎじゃないの?」
「そうかな。妻の人生丸ごと愛でられるなんて素敵じゃないか?」
「死んだ後も含むなら丸ごと以上!とっくに延長戦よ!残念ながら私は長生きするつもりだから、そのつもりでね」
「構わないよ。楽しみが遥か先にあるだなんて充実した一生になりそうだ。僕もせいぜい長生きする事にしよう」
「うーん……めげないわねぇ」
 鏡の中には強がりしかない。残された夫婦も自分達なりの愛を見つけて、きっと仲良くやっていく事だろう。お伽噺は常にハッピーエンドで終わるものなのだから、きっと、多分、おそらく、明るい結末が待っているはずなのだ。






END.
(2011.8.23)

王子と雪白のイメージが固まらなくて難産でしたが、書きたい事は書けた気がします。コミカルにしたかったのでお妃様を生き返らせようか悩んだんですが、悩んだ末にそのままお亡くなりに。


TopMainMarchen




「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -