一見したところ、それは普通のマンションに見えた。
 いや、それどころか、かなり上等のマンションである。十七階建てで、外観は美しく、一部屋の間取りは3DKらしい。両隣には同じような構造のマンションが並び、品の良い雰囲気を作り出している。備え付けの駐車場にはのんびりと猫が一匹寝そべっていた。ふくふくとした、いかにもレオンが好きそうな猫で、大学に通う際はひとつやふたつ撫でていくのだろうと想像する。
「こういうとこまで、つくづく運があるんだな……」
 エレフは建物を見上げながら呆れ返った。

 数日前から、兄のレオンティウスがここに入居している。季節外れの引越しには理由があり、家賃も格安で、更には謝礼も出るという破格の扱いだった。レオンも前々から一人暮らしには興味を持っていたらしい。通っている大学が近いという事もプラスに働いたのだろう。家族に相談したものの、同意を得られると手際よく荷造りを済ませ、じゃあ少し人助けをしてくるね、寂しかったらいつでも電話してくれ、などと爽やかにのたまって家を出て行ったのだった。
「大丈夫かしら、レオン兄さん」
 引越し当日、ミーシャは心配そうに車を見送った。妹が先にその台詞を言ったので、エレフはかえって真逆の返事をした。
「大丈夫だろ。入学初日で学校の七不思議を全滅させた奴だぞ」
「そうじゃなくて……一人暮らし、ちゃんとできるのかしら」
 そちらの問題はさすがに言葉を濁す。実家での食事は当番制で誰でもそれなりに料理が出来たが、洗濯や掃除となると些か不安が残る上、どうにも間の抜けたところがある兄なのである。うっかり何かやらかしても不思議ではない。
「電気やガスの手続きとか、ちゃんとできたのかしら……」
「それは不動産屋の方でやってくれるんじゃないか? あっちから頼んできたんだし」
「そうよね……頼んできたんだものね」
「そう、頼んできたんだから」
 これは普通の一人暮らしではない。兄は、事故物件に住み込むバイトを引き受けたのである。

 そもそもは、エレフとミーシャが人一倍霊感のある子供として生まれたのが始まりだった。家の中で遊んでいるぶんには問題なかったが、幼稚園に通う頃になると、エレフはあちこちにオバケがいると言って泣き出し、ミーシャは勝手に体が動くのだと言って別人のような振る舞いをする事が多々あったからである。
 靄のような黒い影があそこのお爺さんの命を狙っているのだとエレフが泣いて訴えれば、違います、怖がらないで坊ちゃん、私は旦那を迎えにきたんですよ、十年ぶりのデートなの、と老婆のような声になったミーシャが優しく諭す。一体どうした事かと母親は青くなって心配したが、小学校から帰ったレオンが合流すると、その騒ぎもぴたりと止んだ。
「レオンにいさまといると、黒い影がどこかにいくみたい」
「わたしも、なんだか背中が軽くなるの」
 そこで初めて家族は双子に霊感が備わっている事、そしてレオンがそれらを全て寄せ付けない除霊体質である事を知ったのである。
 長男であるスコルピウスには全くそうした素養はなく、オカルトなどこの世で一番下らないものだと見向きもしない現実的な子供だったが、弟達を見て考えを改めた。実際問題、家族で買い物に行くにも双子の様子が毎回おかしくなるようでは満足に出歩く事もできない。日常生活に支障が出るのであればオカルトであれ何であれ対策を講じなければならなかった。そこでレオンを呼びつけて「あいつらが平和に過ごせるよう、配慮できるのはお前だけだ。怖い思いをさせないよう、頼んだぞ」と些か芝居がかった面持ちで厳粛に言いつけたのである。
 元から兄を尊敬し、双子を可愛がっていたレオンは、これを非常に重く受け止めた。ほとんど喜んでいたと言ってもいい。進んで双子の世話をやるようになり、どこへ行くのも連れ立って、悪いものを寄せ付けないように気を配った。それまでレオン自身は霊に気付く事もなく成長していたが、小さな弟と妹を怖がらせるその存在を受け入れるのは容易かったし、頼りにされるのも嬉しかったのだろう。初めての場所に遊びに行く時は先に下見をしに行くほどの念の入りようだった。
 やがて近所に引っ越してきたオリオンという少年が、これまたレオンと同じく太陽のように明るい除霊体質で、双子と仲良くなり、共に小学校を通うようになると、心霊現象に悩まされる事も格段に減っていった。同時にレオンも以前のように双子とべったり過ごす事が少なくなっていったが、それでも何かと世話を焼きたがり、いつしか思春期のエレフの憂鬱の種になったりしたのだが、それはまた別の話である。

 マンションの件は、レオンの友人からの依頼だった。親が不動産を経営しているらしく、レオンの体質を聞き、曰くつきの部屋にしばらく住んで欲しいと泣きついてきたのだ。
 確かにその部屋には昔、熱中症で倒れたまま亡くなった男がいるのだという。だが警察の調べも入って不審死ではないと証明し、念の為お払いをしてもらったにも関わらず、入居者が長く居ついてくれないのだそうだ。そのうちネットのオカルト掲示板に面白おかしく紹介されるようになった。
 最近ではあえて値段の安い事故物件に入居する者もいるらしいが、不動産側としても曰く付きの部屋をそのまま放っておくより、問題を解決して相応の家賃を払ってもらった方がいいのだろう。レオンも最初こそ気乗りしない様子だったが、様々な好条件を提示され、遂に契約を飲み込んだのだった。



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