這いずる地に草はなく.1











 果てしない神代、祖に雷神ブロンディスを持つと伝えられる一族の土地。
 神が絶対視されるアルカディアにおいて、その王家の子は必ず守護神に祝福されて生まれなければならない。王冠を戴く者には神託が下され、最も強い雷神の力を受け継いできたとされる。現王のデミトリウスも幼少の頃から強大な雷を自在に操ったと名高い。
 とは言え、王座を巡る争いが全く起こらない訳ではなかった。力の大小はあれ、ブロンディスの力は洗礼としてアルカディア一族にほぼ平等に降り注ぐ。デミトリウスが王になるまでも血で血を洗う親族間の抗争があった。結果、他に四人いた兄弟や叔父も亡くなり、直系の血は彼以外に残らなかった。
 少年時代から精力的に戦場に立ち、辣腕と剛勇で名を馳せて人々に敬愛されたデミトリウスであったが、余程この泥沼めいた親族闘争には辟易したらしい。即位した際、こう宣言した。
「次の後継者争いを避ける為、王位継承権がある息子は一人しか残さない」
 当時では異例の事である。戦いや病で王子を失くした際、残された直系の男子がいないとなるとアルカディア王家の滅亡を意味した。臣下達は思い直すよう幾度も注進したが、こうと言い出したら意地でも撤回しない王の事、曲げなかった。
 また多くの妻をめとる事を潔癖なまでに嫌った。打ち負かした土地の戦利品として高貴な女性を差し出される事は勿論あったが、それもほとんど儀式的なものになり、彼の夜伽に幾度も寄り添う女性は出なかった。
 このようにデミトリウスは男らしく一本気の反面、気性が激しく融通の利かない気質の持ち主である。しかし有無を言わさず人を結果へと導く行動力と、気を許した相手に見せる情の厚さが部下からの信頼を得、多少の我侭なら周りも許してしまうほど憎めない男だったのだ。凛々しく力強い背中に、誰もがアルカディアの未来を託した。
 そんなデミトリウスが唯一これと見初めたのが、イサドラである。
 ギリシャの国家内で争った時に得た敵将の若き愛妾であり、物腰の柔らかい金髪の艶やかな女性だった。デミトリウスは自分と正反対の穏やかな彼女へ母性に似た安らぎを見出したらしい。ほとんど一目惚れであった。
 寡婦となったイサドラは、以前の主人を殺したデミトリウスに対して最初は酷い抵抗を示して自殺を図った程である。だが辛抱強く愛情を示し、王は二年の月日をかけて彼女を掻き口説いた。
 やがて彼の真心に胸を打たれたのか、イサドラは遂にデミトリウスの人柄を認めて心を開き、晴れて正妻となる。この仲睦まじい夫婦の物語は後に詩人が歌うほどロマンチックな逸話として、宮廷の語り草となった。
 さて、こうなると臣下たちが待ち望むのは待望の王子誕生である。
 これまでは頑固な王の事、息子は一人だけと決めて庶子も作らなかった程だが、惚れぬいた妻も出来れば世継ぎは生まれるであろう。他国の寡婦を正妻にした事が気に入らない一派もいたが、こういう事情もありイサドラには王子懐妊の期待が高まった。
 しかし何年待てども彼女の胎内に命が宿る気配がない。冷たいままの腹を見て、さてはイサドラに赤子を孕む能力がないのでは、と臣下たちは苦言した。
 デミトリウスも愛情の狭間で苦悩する。さすがに世継ぎが一人も生まれないのは不味い。結局、妻をもう一人めとる事を余儀なくされた。
 新しい妃は正統の家系をと、アルカディアの名門貴族から選ばれる事となる。名はシャウラ。切れ長の目と燃える赤髪が高潔さを表す、美しい花嫁であった。育ちの良さからくる高慢さが災いして生涯デミトリウスとは不仲だったが、それでも一年後に男子を出産する。
 それが第一子、スコルピオスである。
 彼は不遇の王子だった。無事に生まれたは良いものの、雷神の力をほとんど受け継ぐ事はなかったのである。父は息子に関心を払わず、彼は母親の偏愛を頼りに育った。
 ――どうして父上は俺に微笑んで下さらない。
 両親は同属嫌悪に似た反発を持つが故に愛はなく、冷め切っている。母が息子を甘やかしすぎる事も嫌悪の対象なのか、いつも父は情けないとばかりに息子を見た。
 幼い頃は何故こうも父に蔑ろにされるのか分からず、スコルピオスは不安に駆られた。母親と上手くいっていないからだとか、雷神からの祝福が薄かったからだと言われても、彼にはどうする事もできない。
 それでも自分が王子に相応しい人間になれば認めて貰えるのではないかと、健気に努力した時代もあった。しかし勉学に励み優秀な生徒だと師に感嘆されようが、鍛錬を重ねて剣の腕を上げようが、もてはやすのは周りの臣下ばかり。
 ――父上にとって俺は単なる血筋を残す為の物であり、愛情の対象ではないのではないか。
 しかし要らぬ両親の気質を受け継いだのか、少年ながらに気位の高いスコルピオスが誰かにそれを尋ねる事も、ましてや相談する事もない。悶々と思い悩んだまま鬱屈した少年時代を送る事となる。
 そうしてスコルピオスが十歳になるという年、遂に正妃イサドラが子供を生んだ。
 名はレオンティウス、待望の嫡男である。酔ったように浮かれ騒ぐ王の喜びようと言ったらなかった。後にも先にも、スコルピオスはあれほど歓喜する父の姿を見た事がない。
 ――俺はどうなるのだろう。
 生まれてきた幼い異母弟を見下ろしながら、じりじりと視界が狭くなる。人々の慈しみの中で産声をあげる弟が羨ましく、妬ましかった。
 また同時にその日、神託と共にブロンディスの力が赤子に受け継がれた。スコルピオスも儀式に参列したので洗礼を見ていたが、判決を待つ囚人のように手の震えが止まらなかった。
 神殿の最奥には天井がなく、夜空が見渡せた。中央に置かれた椅子には神の代弁者である特殊な能力を持つ巫女が座り、彼女の口を通してブロンディスが語るとされている。まずは王子の誕生を神に感謝する犠牲の牛が捧げられ、儀式は幕を開けた。
 赤子を聖水盤の産湯につけながら、デミトリウスは巫女に問う。この子に神の加護と未来はあるか、と。
 巫女は目を閉じ、眠っているように見えた。しかし朦朧と頭を揺らめかせると、そっと赤子を指差し、人間のものとは思えない声で告げる。
『雷を制す者、世界を統べる王と――』
 それはアルカディア建国時の伝説、初代の王が受けたとされる神託と同じ内容だった。
 しかし最後まで言葉を聞き取る間もなく、天から黄金の光が神殿を貫く。真昼のように一閃した雷は誰一人傷つけることなく、すうっと新しい王子の額に降り注ぎ、神が口付けた印だとでも言うように髪の一房を黄金に染めあげていた。
 レオンティウスを正式な世継ぎだと天が認めた瞬間である。神々しい場面にスコルピオスは衝撃を受けながら、ふらつくような眩暈を感じて悟った。
 ――ああ、これで俺は王子ではなくなった。
 遂に自分の存在理由は、消えてしまったのだと。


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