思い出になるまで足掻きつづけてる














 風車小屋の幽霊退治、と言うのが今回の依頼だった。もはや盗賊のする仕事ではないと思ったが、風邪で寝込んだイヴェールへ寝床を提供してくれた、親切な農夫の頼みとあっては無下に断れない。
「古くなって、もう使われていない風車小屋なんだがね。封鎖されているってぇのに、夜になると窓に明かりが灯る晩がある。うちの女房は幽霊だ何だと騒ぐが、大方は悪ぶった若造が家を抜け出して、一丁前に酒盛りでもしてるんだろうよ。勝手に入るなと怒鳴って、少しとっちめて貰えりゃあいい」
 農夫は気楽にそう言ったが、寝台から具合悪そうにこちらを窺っているイヴェールの目は訝しげだった。一人でも大丈夫か、と暗に尋ねている。大丈夫も何も、熱が下がったとは言え、こんな中途半端な病人を連れていく気はなかったので、ローランサンはいつものように剣を腰に差し、暇つぶし用の酒瓶を持って、一人で風車小屋に出かけていった。

 夜である。左右に広がるのは青い麦の畑だった。風に煽られて穂が遠くから順繰りに波打つさまは、丘の上に建つ風車小屋が自ら近づいてくるような錯覚を起こさせる。彼は一度だけ足を止めたが、帆も破けて骨組みだけになっている翼を見ると、後は止まる事もなく順調に歩き続けた。
 風車のある景色は、そう珍しい事ではない。地下の水を汲み上げて麦を脱穀する為、やはり風の通る丘に建てられているのをよく見かける。そんな光景にいちいち感情を動かす事はなくなっていた。
 立て付けの悪くなった木戸を開けると、鼠が部屋の隅を走り去っていく物音がした。農夫から借りたランプに火を灯すと、埃を被った室内の様子が明らかになる。脱穀に使われていた石臼は残っていたが、隣り合った風車守の小屋からは生活用品もとうに持ち出されており、家具らしい家具もない。剥き出しの床には鼠などの小さな足跡が転々と残っていたが、意外な事に人間の靴跡は見当たらず、ローランサンは拍子抜けした。しばらく足を踏み入れた痕跡がないとは。
(……幽霊、ね)
 喉に込みあげた苦い気持ちは、もしかしたら軽い吐き気だったのかもしれない。それを咳で紛らわす。風車と幽霊とは、自分にとって少し出来すぎた組み合わせのように思えた。まどろむような生温い夜の空気が肌を湿らせる。死んだ幼馴染の名前が脳裏に浮かんだ。
 しかし、そんな馬鹿らしい――あるいは優しい存在を信じるほどローランサンは信心深い人間ではない。ひとまず寝ずの晩でもすれば農夫も満足してくれるだろうと判断し、剣を抱いて腰を下ろした。ランプの光を絞り、酒の瓶を開ける。
 長丁場になりそうだった。



 幽霊も不法侵入者も現れないまま時間が過ぎ、瓶の中の酒も半分ほどに減った。油が切れかけたランプに蛾が飛び込み、じりじりと嫌な匂いを出している。
 ――今ここで眠ったら、久しぶりにあの夢を見るのだろうか。
 ローランサンはうつらうつらしながら、そんな事を思った。燃え崩れた故郷の記憶は何度も――それこそ狂うほど繰り返し彼を襲ってきた悪夢だが、年を経るごとに少なくなっている。
(本当は、もうとっくに忘れているのかもしれない)
 そんな考えが降ってくる。罪悪感にしがみついているだけで、もう自分は過去を克服しようとしているのかもしれない。復讐だけは何としてもやり遂げる決意があった。しかし記憶だけは――掌から零れ落ちて霧のように薄れていく幼馴染の記憶だけは、守りきれるのか分からない。自分の馬鹿さ加減だけは痛いくらい知っていた。
(……夢、見ねぇかな)
 夢の中、振り向いて欲しい。叫んで欲しい。それが自分を責めるものであっても。
 そうでなければ上手く思い出せない。あの風車がどんなふうだったか。幼馴染の声がどんなものだったのか。夢を見た後ならば生々しく手繰り寄せられるのに、腑抜けた生活の中で、都合の悪い記憶を過去へ過去へと追い込んでいく自分の薄情さに反吐が出た。
 逃げた自分を恨んでいるだろうか。
 そんな事を考えていると、突如小屋の出入り口がぎしりと軋む。風ではない。ローランサンは剣を握って腰を浮かせ、周囲に耳を澄ませる。
 しかし聞き慣れた足音のリズムから半ば予想できていたが、柱を軋ませて入ってきたのはイヴェールだった。片手にランプを、片手に籠を持っている。不審者に間違えられて斬り付けられる事がないよう、彼は声を上げて小屋の扉を開けた。
「差し入れ」
 床に置かれた籠にはチーズとゆで卵が無造作に入っている。食べ物の匂いは埃っぽい小屋の空気にそぐわないように感じられた。現実に引き戻されたローランサンは眉間に皺を寄せる。
「……大人しく寝てろよ」
「言われなくても戻ったら寝るさ。つまみのない酒なんて他人事とは言え許せなかっただけで。それで、幽霊は?」
 イヴェールは周囲をきょろきょろと見渡したが、打ち捨てられた部屋の様子を見てローランサンと同じ道筋を辿ったのか、ひとつ頷いた。
「まあ、そう出ないよね」
 特に長い会話を交わした訳ではない。イヴェールは冷やかしついでに差し入れを渡しに来ただけのようで、すぐに帰っていった。取ってつけたような相方の登場に毒気が抜かれたが、それもまた中途半端な気休めにしかならず、籠から取り出したチーズを齧りながらローランサンは再び剣を抱いて天井を仰ぐ。
 ――きっと本当はどちらにも転べるのだ。復讐をするもしないも、夢を見るも見ないも。
 ただあの過去を単なる思い出として片付けられる自分が、そう簡単に思い描けない。それだけだ。


 結局、朝になっても何も起こらなかった。重くなる瞼を持ち上げて農夫に報告すると「日が悪かったんだろう。悪ガキ共も大人しく寝やがったのか」と納得した様子で流される。その程度の事だったのだろう。
 風車小屋には本当に幽霊がいたのか――。ローランサンは釈然としないものを覚えたが、それは古い家具の上に埃が薄く降り積もるように、胸を少しばかり覆っただけだった。分からないものばかりを抱えていくのは慣れている。確固とした答えは、そう簡単に与えられないのだ。
「お疲れ様。あの後、病気にならなかった?」
「病気?」
 ローランサンの肩を叩き、寝台から起き出したイヴェールは口の端を吊り上げる。
「そう、君の病気」
 意味深に言いのけたイヴェールは籠からあまったチーズを摘み上げ、それ以上何を言うでもなく顔を洗いにテーブルから離れていった。ローランサンは相手の意図をおぼろげに感じ取ったが、それを形にする前に振り払う。
 窓の外では青麦に囲まれ、朽ち果てた風車が穏やかな朝もやに包まれていた。

 




END.
合同お題より。ローランサンの病気は、過度な自虐趣味。


TopMainRoman




人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -