酷い安物で宜しければ差し上げるわ私の同情












 一人の女が、壜の中で王子様を飼う事ができたら素敵なのに、と思いつく。

 女は手始めに蚤の市に出向き、理想の壜と、ミニチュアの小さな家具を買ってくる。店主に頼んで、中には寝台とテーブル、椅子、小物を収納する棚も細工してもらう。女はカフェテラスに腰を下ろしてにっこりする。壜を掲げて目の前に捧げ持つと、道ゆく人々が椅子の上をまたぎ、寝台を超えていく様子を見て楽しむ。雪の降る街の中、壜の中にはもう一つの物語がある。女は世界を手に入れたのだ。
 王子は自ら調達する。長く楽しめる方が良いと、壜の中で飼った一人目の少年は、ほとんど赤ん坊と言っても差し支えのない年齢だった。ふくふくとして抜けるように白い肌、貝殻のような握り拳、結晶のように白い睫毛。道に置かれた乳母車の獲物。
 女は壜ごしに確認する。この世界と、壜の世界が重なるように。実際に寝かされている赤ん坊の姿が、ミニチュアの寝台に乗るような位置に。そしてそれが美しいかどうかを。
 女は彼を『イヴェール』と呼んで可愛がる。女にとっての王子様は昔からその名前を持っている。髪は月のように滑らかで、両目は宝石のように艶やか。物腰は柔らかく、囁きは歌のよう。子供の頃から何度も思い描いていた王子なら、きっと硝子壜の硬質な世界に相応しい。
 しかし赤ん坊は泣き声があまりにもうるさく、沸騰するほど体温が高かったので、数日するとすぐに動かなくなる。女は目の前に掲げていた壜を下ろし、ミニチュアの寝台に重ねていた赤ん坊を壜の外へと送ると、その死体を屋根裏に捨てる。「幼すぎるのも問題ね」と、女は爪の間に挟まった乳臭い皮膚を拭う。
 二人目のイヴェールは五歳ほどの子供。最初こそ彼は女を「お姉さん」と慕い、壜の中でアイスクリームを食べて楽しそうに手をべとべとにしていたが、家に帰してもらえないと分かると途端に不安がり、大声で叫び始める。女は色々と言い繕ったが、声を聞きつけて人が来る前にと、その口を塞ぐ。ぐったりして動かなくなったイヴェールを、やはり壜の世界から追い出して屋根裏に捨てる。掌に食い込んだ傷を舐めると、絵の具のような安っぽい味が広がる。
 三人目と四人目のイヴェールも、大体は同じ展開を辿る。女は溜め息を吐き、散らかった屋根裏を片付ける。使わないチェストを窓の前に移動させ太陽の光を塞ぐと、白々と子供たちの肌が闇の中に浮かび上がる。

 五人目のイヴェールは十三歳の痩せた少年である。陶器のような美しい顔立ちだったが、酒に飲まれて暴力を奮う父親の元から逃げてきたらしく、青い眼の奥に風の吹く荒野を隠している。みぞれの混じる氷雨の日、教会の下で座り込んでいるのを見つけた。
 女が寝床を貸してくれる事に恩を感じたのか、大概の事は頼めば何でもこなす。女はこの時初めて、壜の中の小さな家具に合わせてポーズを取り、理想のテーブルで本を読むイヴェールの姿を見る。銀色の柔らかな髪と、年齢以上に老いた目付き。
「あの……これは一体何の遊びなんですか?」
「王子様を額縁に入れる遊びよ」
 女が答えると、鈍色の硝子越しに少年は困惑の表情を宿す。
「壜が額縁?……そこに貴女の理想の絵を?」
「ええ。一度ジャムを入れてみましょうか。苺がいいわ。きっと真っ赤で綺麗な絵になる」
 薄い苺のジャムを買ってきてもらい、壜の中に移す。べとつく果肉と砂糖でミニチュアの家具が埋まっていき、水を足して薄めると、そこは更に女の理想に近付く。微笑む女を、イヴェールはどこか切羽詰った眼差しで見つめ返す。
 彼はやがて勝手に生活を塗り替え始める。花を買い、花壜に活ける。早朝の朝市でパンを買い、野良猫に与える。皺になった女の服を干し、戸棚へしまう。新しいジャムを作り、壜の色を入れ替える。古い納屋から道具を持ってきて、外れかけた蝶番を直す――。
 ある夜、二人は窓から街の男達が何かの動物を叩きのめしている現場を目撃する。鈍い音が部屋の中まで反響し、薄いミルクの膜のようなカーテンの隙間からちらちらと男達の影が浮かび上がる。二人はテーブルに置いた夕食を見つめながら、その音にじっと耳を澄ませている。
 野犬でも仕留めているのかしら、と女が言えば、イヴェールが首を振り、瞳の奥の荒野を無防備に晒しながら、おそらく逃げ出した者に仕置きをしているんです、と答える。女は確かめようとカーテンをめくろうとするが、闇に隠れて何も見えない。翌朝になって庭を調べてみたが、男達が持ち去ったのか何の動物も倒れていない。
 イヴェールが屋根裏で少年達の死体を見つけたのは、その四日後だった。箒を操って家の掃除を始めた彼は、最後にその扉に手を掛けたのだ。
 青ざめて階段に佇む姿が人形のようで、女はこのまま彼の時を止める事ができたらいいのにと考える。きっと飾れば美しい。うるさく騒ぐよりもずっと。
「あれは貴女がやったんですか?」
 けれども意外にも彼は騒ぎ出さず、大きな石を飲み下すように成長途中の喉仏を一度上下させ、すがるように尋ねる。女が側に近寄ると、僕も殺してくれますか、と聞く。どうしてそんな事を聞くのかと問えば、そう聞く事が必要だと思ったのです、と言う。壜の中で静かに暮らすなら王子を殺す必要はないわと答えれば、イヴェールは難しそうに黙り込む。
 イヴェールが騒ぎもせず、逃げ出すそぶりもしないので、女は引き続き壜詰めの世界を楽しむ事にする。彼のシャツの丈が合わなくなり、骨ばった腕が若木の枝のように伸びると、新しい衣装を買い与え、新しい靴を用意してやる。女が服を着替えさせようとすると、彼は猫が床に背を擦るようにして身をよじった。歯の隙間から零れるくすくすとした笑い声は、もう壜の中には納まらない。
 イヴェールは火を恐れなかった。屋敷から出るゴミを定期的に庭で燃やす。灰色の煙を浴びて、綿のような髪が重たげにくすむ。貴女もいらない物があるなら出してください、と女に言う。捨てる物なんか何もないわと答えると、イヴェールは火掻き棒で灰をなぞりながら、そうですかと口元を引き結ぶ。
 イヴェールが後戻りできないほど弱ったのは、共に暮らしてから一年経った頃だった。子供時代の極端な生活環境が今になって祟ったのか、あるいはどこからか病を貰ってきたのかは分からない。ぜいぜいと肺を持て余した彼はすっかり痩せ衰え、買い与えた美しい装束も似合わなくなる。服を着替えるみたいに体もすぐに変えられたらいいのに、と彼は言う。女は枕元に座り、臥せっているイヴェールをじっと見つめている。
「あの夜、叩き殺されている動物がいたでしょう?」
 頬の削げた口元で、彼が言う。
「まるで僕が見捨てて逃げてきた、きょうだいのように思えて……怖くて怖くて……助けに戻らないとと思っているのに、ずっと、ここに隠れて……」
 女は落胆する。一番懐き、一番理想に近いイヴェールだったのに、どうして最後にこんなつまらない言葉を残して逝こうとするのだろう。どうして遠くにいる、何の役にも立たない家族の事など話し出したのだろう。咎めるように白い腕に爪を立てると、少年は木枯らしのような声で笑う。
「もう、こんな僕は絵にならないね」
 五人目のイヴェールはそれだけ言って、ある日、ぽきりとベランダから飛び降りる。六月の、雨の上がった朝の事だった。女が焼きたてのパンを買って帰ると、紫陽花の根元で花を散らして死んでいる。自分から身を投げたのか、足を滑らせての事だったのかは分からない。女は首の折れた死体を屋根裏まで運び、泥だらけの靴を乱暴に脱ぎ捨てる。折れたヒールが板張りの床に転がり、肌の上に残された赤い痣のように見える。
 その夜、持ち主のいなくなった白いシャツを火にくべながら、不意に、女は良い事を思いつく。これまでのイヴェールを繋ぎ合わせてキャンバスに描いたら、理想の王子ができるのでは?
 女は躊躇しない。駆け込むようにして階段を上がる。一人目のイヴェールはほとんど骨になりかけていて、貝殻のような拳から砂のような爪しか取れないが、二人目と三人目と四人目のイヴェールからは綺麗な骨や皮膚を収穫する。五人目のイヴェールからは荒野のような瞳を貰ったが、白く濁って雪景色のようになっている。それらを絵の具に混ぜ、あるいは直接貼り付けて、一人の人間を描こうとする。
 足りない部分が多い為、女はそれから急いで次のイヴェールを探しに行く。そしてすぐに屋根裏に送る。七人目、八人目、九人目、十人目。時折、五番目のイヴェールの眼がキャンバスから女をじっと見つめている夜がある。そんな時は、庭で動物が叩き殺されているような気がして仕方がない。女はティーカップを両手で包みながら、カーテンの向こう側へ耳を澄ます。

 十三番目のイヴェールは青年と呼べるほどの年齢で、行きつけのカフェで知り合った。土曜日の午後、決まって同じ席に座っており、本を読む横顔がとても絵になる。女がウェイターに導かれて相席に座ると、彼はちらりと間の悪そうな目で女を見上げる。テーブルの真ん中に置いていたサラダを脇に避け、どうぞと席を勧める声が、五番目のイヴェールにどこか似ていた。
 このイヴェールはカフェにいる姿がよく似合ったので、女はしばらく彼を壜に入れない事にする。オレンジ色の照明が照らす滑らかな頬。物言いたげな長い睫毛。土曜の夕方、同じ席で会う。三度目の邂逅でイヴェールに名前を尋ねられる。女が答えると、天使の名前ですねと彼は微笑む。
 ある日、暇つぶしに本を貸してほしいと頼んでみる。イヴェールは革表紙の本を鞄から出し、少し子供っぽい趣味かもしれないけれど、とはにかむ。女は礼を言ってそれを受け取る。古い物語の本だ。頁からは埃と紅茶の香りがする。
「そう言えば、誕生日はいつなんですか?」
 本を渡す際、ふとイヴェールがそう尋ねる。女が答えると、彼は瞼の裏に文字を書き込むように、ゆっくりと一度目を瞑る。では少し早いですけれどプレゼントしますよ。そう本を指差した彼の爪の先に、カフェの照明が暗く映り込んでいる。
「僕はもう読み終わりましたから。貴女がもらってくれるなら、この本も喜ぶでしょう」
 いつしか帰り道を送ってもらうようになる。イヴェールは時折、女の横で鼻歌を歌っている。彼のブーツの先に灰色の雪がこびりつき、街路の道に印を残す。女はそれを見て、彼を壜に入れたいと思う。だが何故か躊躇い、そのまま家の前で別れる。イヴェールは白い息を吐きながら、また今度、と軽く片手を上げる。寒さで赤くなった頬が宵闇に紛れて、しぼんでしまった林檎の実のように見える。

 ある夕暮れ、イヴェールが見当たらなかった土曜日。女はカフェから続く道に、赤い花びらが落ちているのを見つける。辿っていくと、それは女の屋敷に向かっている。
 家に近付くにつれて異臭が漂ってくる。昨夜、また庭で男達が動物を殺していったせいだ。死体は残っていなかったが、血溜まりは土に染み込んでしまっている。玄関の扉が開いているのは、本来ならば女を喜ばせようとした名残。サイドテーブルには見た事もない薔薇が花瓶に活けてある。『誕生日おめでとう』と描かれたメッセージカードが廊下に落ち、その先の階段、屋根裏に続く踊り場で、イヴェールが青ざめて佇んでいる。体が震えているように見える。
「あれは……貴女がやったのか?」
 いつの間にか異臭は耐え難いほどになっている。彼が屋根裏の扉を開けたからだ。女は一度足を止め、やがておもむろに階段を上り始める。
 どこかで女は期待している。彼も五番目のイヴェールのように、この屋根裏を覗いても平気でありますように、と。
 しかし十三番目のイヴェールはそうではなかった。見開いた目の中に、風の吹く美しい荒野はない。あるのは驚愕と、恐怖と、同情と、憐憫と――。
 その奥を確かめる事はしない。女は咄嗟に手を伸ばす。イヴェールが慌てて身をよじる。揉み合った二人の足元が突如支えを失くす。女は転げ落ちながら、不意に伸びたイヴェールの腕に頭を抱かれたのを知る。ごつごつと鈍い音が四方から鳴り、まるで嵐の夜に放り出された脆い小船のようだ。二人の勢いに任せて花瓶が倒れ、びしゃりと水が床にぶちまけられる。
 広がった水の中に赤いものが混じる。薔薇の花びらだけではない。女はイヴェールの腕の中から這い出ると、その正体を知る。えぐれた後頭部。指先に赤いジャムのようなものが不快にこびりつく。あの壜だ。家具を入れている壜。今やイヴェールの髪を汚す壜。ミニチュアの小さな椅子の脚が滑稽な角度で折れ曲がり、割れた硝子がじゃりりと耳障りな音を立てる。しかい赤いのはジャムだけではない。イヴェールの白い瞼が場違いに美しい。
 女はしばらく動かない。一度、イヴェールの体を揺らす。腕が砂袋のように重たく揺れる。眼を開けない。耳元で名前を呼ぶ。眼を開けない。頬を軽く叩く。眼を開けない。眼を開けない。眼を開けない――。
 女はやがて首を後ろにそらし、声を出して笑い始めた。肺の空気を全て使い切るような笑い声。鎖骨の上で首飾りが跳ねる。げらげらと、頬を伝って涙が落ちる。力を込めた指先は白くなっている。明日の肌には、あちこちに赤い痣が咲くだろう。
 女は笑い止まない。


 * * * *


 今、一人の青年が女の前で食事を取っている。色の塗られた爪、フリルの袖から覗く指。編み棒のように動くナイフとフォーク。頬張るのはミモザのサラダ。憂いの混じる優美な顔立ち。租借する口元から白い前歯が覗き、まるで貝殻のよう。
 その指が止まると、女が忠告する。
「もっと食べなさい、イヴェール」
 青年が億劫そうに顔を上げ、再び、のろのろと食事を進める。部屋の時計が真夜中を知らせる。彼は折り畳むように歯でレタスを口内に押し込み、苦しそうに飲み込む。次第に手と口の速度が合わなくなってくる。女はその様子をじっと見ている。
 不意に、窓の外が騒がしくなる。薄いミルクのようなカーテンの向こうで、庭の枝葉を掻き分けて、何かが乱暴に踏み込んでくる音がする。続いて、誰かの怒声。青年がぼんやりと窓の方へ顔を向ける。
「母さん……今、外で物音が」
「ただの犬よ」
 女が硬い声で返す。
「犬を追いかけて、街の男達がやってきたの。それだけよ」

 今の二人に誕生日はない。



END.
(2013.02.14)

ツイッターの『貴方がこんな小説を書いたら意外だと思うお題をフォロワーさんが教えてくれる』という企画で頂いた、『唐突で誰もどこまでも報われない話』というお題でした。ミシェルと14人のイヴェール。


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