捏造ロマン.1









 窓のない屋根裏部屋に飾り気はなく、ただ何枚ものキャンバスが置かれている。
 部屋の主たる女は病的に細い手足を真紅のドレスから突き出し、部屋の中央にゆったりと座っていた。だらりと垂れた右手には絵筆が握られており、瑞々しい絵の具が付着している。
 痩せ細った女の肢体は暗い影を落とし、輪郭を闇に溶け込ませていた。だが豊満な胸と、恍惚とした表情だけが壮絶な色香を放っている。
 そしてもう一つ、彼女を少女から女へと見せるもの──それは異様なまでに膨らんだ子宮の大きさである。
 まるで蛇が獲物を丸呑みにしたような、とでも言えばいいだろうか。普通の赤ん坊を孕んでいる思えないほど、彼女の腹は巨大だった。痩せた身体のどこにそれを養う力があったのか、血肉の全てをそこに集めたようにさえ見える。
 そんな女を守るかのように、傍らには少年たちの死体が折り重なっていた。真新しいものから、既に腐敗が始まったものまで、その種類は様々である。彼らは一様に虚ろな眼窩を宙へ向けていた。
 そして床に流れた鮮血は、女の手によって複雑な模様を描いている。彼女は何度も愛しげに腹を撫で、うっすらと笑うのだ。

「さあ、生まれておいでなさい──」

 乾いた絵の具の匂い、それは少年たちの血色。
 女の高笑い、それは美しき《宝石》の微笑。
 廻る《風車》、それは幾度となく繰り返される輪廻の姿。
 壊れた人形と行き着いた屋根裏で、青年は再び《生》を拒絶する。

 ──だからもう一度、始まりの歌を。







* * * * * * *






 銀髪の青年が慎重に針金を操ると、壊れた部品は新しいものへと付け替えられ、再び命を宿していく。手にあるのは水色のドレスを着た人形だった。淡い金髪の小さな少女人形は、華奢な骨格を休めて静かに眠っているように見える。
 しかしそれは今、大きな衝撃を受けたように罅割れ、白い粘土の身体を無残に破損されていた。左頬に施された太陽のシンボルも真っ二つに砕かれていたが、既に修復されて以前の美しい形を取り戻している。
 青年がぐっと糸を引くと、作り直した腕は関節球の中にちょうど良く収まった。人形の身体を支える長い糸を通していく作業は、薄明るい部屋の中ではひどく神聖にも見える。
 その部屋には天井から床までの高さのフランス窓が二つ、東と西に大きく開かれていた。周りを蔓草模様で縁取られた窓の下には、町や森が広がっているはずだが、随分な高さなのか霞んでしまって見ることができない。代わりに壁には何枚かの風景画が飾られている。
 そして残りの壁にはかなりの面積に渡って巨大な書架が置かれていた。本棚に並べられた背表紙はまだ新鮮さを保っていたが、奥にぎっしりと詰まった書物は色褪せ、長い年月を経ているのが見受けられる。中央には華奢な硝子の円卓と椅子が置かれ、青年はそこに腰掛けて作業していた。
「……大丈夫かしら、ムシュー?」
 傍らに控える、もう一体の少女人形が不安げに尋ねた。修理されている人形と全く同じ顔立ちをしている。だが濃い紫のドレスを着て、右頬に月を象った模様が描かれている部分だけが違っていた。
 死を司る《菫の姫君》の彼女であっても、片割れの無残の姿は見るに耐えないようで、形のいい眉をひそめている。青年は勇気付けるように頷くと、着実に修復を続けていった。
 最後に首の穴から薄い色合いの眼球を入れると、水色の人形はカタカタと手足を震えさせ、あどけない瞳をゆっくりと開いた。深い眠りから覚めるような仕草で彼女が起き上がると、見守っていた二人から安堵の息が漏れる。紫の人形は笑みを浮かべ、双児の姉妹へと抱きついた。
「もうオルタンスったら、心配したのよ!」
 何が起こったのか未だ理解していない水色の人形は、小首を傾げて周りを見渡した。
 とても長い夢を見ていたような気がする。ぼんやりと自分を膝に乗せた青年の顔を見上げると、襟元にある宝石のブローチの向こう、赤と青のオッドアイが彼女を見下ろしていた。
 彼が自分の主だと気付いたが、それでも何故自分がこんな事になっているのか思い出せない。
「おはよう、《紫陽花の姫君》。僕もヴィオレットも待ちくたびれていたよ」
「……おはようございます、ムシュー・イヴェール」
 しかし青年が穏やかに彼女の髪を撫でたので、反射的にオルタンスは返事をした。懐かしいような気持ちが込み上げて自然と笑みが浮かぶ。
 イヴェールと呼ばれた青年は頷くと、仕切りなおすように短く息を吐いた。そしてオルタンスの背に手を当て、そっと立つように促す。
「さあ、これで元通りだ。やっと揃ったね、僕の姫君たち」
 流れるように彼女は床へ降り立った。イヴェールは椅子に座ったまま双児の人形を見つめ、ヴィオレットもそれを受けて凛と背筋を伸ばしている。オルタンスも慌てて姉妹に倣い忠実に主の顔を見上げた。
 彼は、私たちの愛しい天秤なのだ。『殺戮の女王』に呪われたイヴェールは、再び無事に転生すべき場所を探し、生と死の《物語》を探させ続ける。オルタンスの胸の底から、不意に誇らしい気持ちが湧きあがった。
 ……ああ、私は前もこうして其の言葉を聞いた。
「僕の代わりに廻っておくれ。この世界には僕が生まれてくるに至る《物語》があるのだろうか──」
 詩を読み上げるように囁いた主に、ウィ、と可憐な花の姫君たちは返事をした。そしてオルタンスは光に溢れる東の窓、ヴィオレットは暗闇を抱く西の窓から同時に身を翻し、ふわりと外へ飛び出す。一瞬の後、《物語》を探して旅立った人形たちの姿は消えていた。
 残ったのは一人の青年と、美しい二つの空だけである。




* * * * * * *





 左右の窓を眺めようと立ち上がったイヴェールは、ふと背後からの気配に気付いて足を止めた。
 この場所へ立ち入る事の出来る人間は限られている。彼のように実体を持たない、世界の理から飛び出した存在でなければ辿り着けないのだ。生と死の狭間に位置する、この黄昏の場所には。
「……やはり貴方か、サヴァン」
 予想通り、振り向いた先には一人の紳士が立っていた。黒いスーツに身を包んだ男は手にしていた懐中時計をパチンと閉じると、芝居がかった動作で帽子を取る。
「やあ、ご機嫌よう。どうやら姫君たちは再び地上に降りたようだね。私も安心したよ」
「……よく言うね」
 ぬけぬけとした男の言い方に、イヴェールは思わず苦笑した。彼にとっても、賢者と名乗り世界を自在に渡り歩くサヴァンは不可解な存在である。敵でもなければ味方でもない男の態度には、どう対応していいのか判断に迷うところがあった。
「まあ、済んだ事は言わないよ。今日は何をしにここへ?」
「おや、イヴェール君も今日は珍しく寛大なようだ。君も退屈しているんじゃないかと思ってね。此れを持ってきたよ」
 そう言って葡萄酒の壜を取り出す。張られたラベルと真紅の液体を目に留めて、イヴェールが微かに目を開いた。
「それは──ロレーヌの?」
「彼女も《宝石》に踊らされた女性だ。君と女王の久々の再会を祝うには、丁度良い品だろう?」
「……サヴァン、貴方は本当に悪趣味だ。けれど確かに飲み頃のようだね」
 頂こう、とイヴェールは返答すると、背中で結んだ長髪を靡かせてグラスを用意した。なんにせよ娯楽があることは嬉しい。二人は椅子に腰掛けると、恭しく其れを掲げる。
「廻る朝と夜の《物語》に」
「我らが黄昏の《地平線》に」
 乾杯、とグラスが音を立てた。口に含めば、芳醇な香りが鼻腔を擽る。
 所有者たちを不幸へ導く、呪われし赤い宝石『殺戮の女王』。その犠牲者となった女性が苦難の末に作り出した葡萄酒は、それ故に深い味わいを宿していた。女王の呪いを克服した葡萄酒なのだと思うと、サヴァンの言い分ではないが、乾杯するには縁起の良い品かもしれないとイヴェールは考える。
 30カラットの赤色金剛石『殺戮の女王』ミシェル。嫁ぐ妹の持参金の為、それを彼が最初に掘り当てたのが全ての始まりである。『祝い』が『呪い』へと変わった瞬間イヴェールも命を落としたが、その呪いのせいか、こうして今もあの世ともこの世ともつかない黄昏の空間に存在し続けていた。
 イヴェールの旧姓はマールブランシェという。一度は妹のノエルの子供──死んだ兄の名前と、嫁ぎ先のローラン家の姓を貰っての『イヴェール・ローラン』──として生まれ変わるはずだったが死産になり、その名を持ったまま埋葬された。
 妹が供えてくれた双児の人形たちが命を持ち、彼の為に生まれ変わる場所を探してきてくれるが、未だにその呪いを振り切れないでいる。宝石は意思を持ち、様々なものに取り憑いては人間たちの首を刈っていた。
「……オルタンスに嘘を教えたのは貴方だろう、サヴァン?」
 不意にイヴェールがグラス越しに尋ねる。声には冷ややかなものが混じっていた。
 今回、彼が転生に失敗したのはオルタンスが持ってきた《もう1つの伝言》──折り合わせ死になさいな──という言葉の威力。
 本来ならばどこかの母親の中に宿るはずだったイヴェールは、それによってミシェルの呪いに引き寄せられ、望まない場所に呼び出されたのである。死んだ少年たちを生贄にミシェルの儀式は成功したが、イヴェールは直前にそれを拒んで自ら骸になることで、何とか逃げ切ることが出来たのだ。人形たちも壊れてしまい、特に《嘘の伝言》を持ってきてしまったオルタンスの損傷が激しかった。
「あの伝言を教えたのは貴方だ。僕も、この宝石を通して見ていたから知っている。またミシェルのところに引き寄せられてしまったよ」
 彼は非難するように言った。
「現在ミシェルは女性の身体を持っていたが、僕が儀式を途中で終わらせた反動で身体を失い、また別の器を求めて彷徨っている。お陰で僕も、また最初から《物語》を探し直すはめになったよ」
「……何の事かね?私はただ、ある女性に助言していたに過ぎないのだがな」
 イヴェールの皮肉にもサヴァンは涼しげなもので、片眉を少し上げただけで快活に答えた。さすが賢者と名乗るだけあって、詭弁は得意なようである。
「確かに私は、現在のミシェルに繋がる《伝言》を口にした。だがそれ自体では力がない。残念ながら、あの水色のお嬢さんが勝手にそこから意味を見出し、屋根裏に導かれていってしまっただけだよ」
「オルタンシアは──彼女は《紫陽花》だ。土壌の性質によって色を変える花でもある。同じように彼女も周りの影響を受け、普段《生》の青をしていても《死》の紫に染まりやすい。ヴィオレットも元から月の恩寵を受けた花だから、月の満ち欠けのように表情を変えていく。彼女たちの本質は僕の味方だが、同時にとても容易く闇に染まってしまう」
 それは人形たちの性質上、仕方のない事だった。イヴェールも裏切りだと責めるようなことはしない。ただ少し残念に思うだけだった。
「現に彼女たちはミシェルの影響を受け、僕に《嘘の伝言》を伝えた。左手のオルタンシアが《紫》に染まり、そして右手のヴィオレットの《紫》に挟まれれば、天秤である僕も自ずと《紫》──《死》に傾いてしまう。貴方もそれを知っているはずでは?」
「それではイヴェール君。もしや君は、私がオルタンシアをたぶらかしたと言いたいのかね?」
 さも不本意だと大袈裟に眉を寄せたサヴァンに、イヴェールは少し返答を躊躇った。だが、やがて頷く。
「……ああ。貴方が《自称天才犯罪心理学者》ならば、やりかねないと思っている。僕とミシェルを使って実験したかっただけではないのか、と」
 真意を探るように切り出した。はぐらかされるだろうというイヴェールの予想に反し、ふむと男は口ひげを指で整えただけで、あっさりと肯定した。
「なかなか君も正直な男だな。まあ、よろしい。確かに興味がないと言えば嘘になるだろう。君たちのような輪廻は非常に珍しいのだよ。実に──特殊な症例だ」
 芝居がかった声でそう言うと、サヴァンはゆっくりと足を組み替えた。
「ミシェルは未だ自らの檻の中から抜け出したがっている。それを成功させるには、最初に彼女を『呪われし存在』に運命づけた、君が必要だと考えているのだろう。彼女は君を同じ檻の中に捕えようとする。そして君は逃れるため何度も地平線を彷徨い続ける──」
「……それではつまり、彼女も不幸だけを呼ぶ呪いを終わらせたい、と?」
「さあ、それはどうかな」
 今度こそサヴァンは答えをはぐらかすと、また葡萄酒を煽った。
 ミシェルにとっての《檻》が一体何なのか、イヴェールには確信が持てない。本体が宝石であるとは言え、ミシェルという名前を持って様々な形で世界に姿を現す彼女はいずれも悲劇を運んでいる。彼女の目的が分からない以上、こちらも慎重にならざるを得なかった。
「それでは後学の為、私からもイヴェール君に質問することにしよう。君は何故、そこまで転生することに拘るのかね?それも、またミシェルに関係する《物語》を人形たちに探させることが多いようだが?」
 イヴェールが自らの思案に暮れていると、いつの間にかサヴァンがこちらを見ていた。話の矛先を変えるための台詞かと思ったが、どうやら純粋な興味のようだ。ふとイヴェールは苦笑する。
「僕もまた、この呪いを終わらせたい。最初にミシェルをこの世界に解き放ったのは僕なんだから、言わば事実上の娘のようなもの。皮肉なことに彼女もマールブランシェの姓を持っている。けれど……今の僕はイヴェール・ローランだ」
 胸元につけている宝石のブローチを押さえる。その奥を覗くと、占い師の水晶玉のように、地上の風景がぼんやりと映し出されているのが見えた。赤い石はミシェルの本体であるからと言っても、今では単なる抜け殻に過ぎなかったが、それでも彼女が関係する《物語》を覗く事が出来る。
 人形たちは今頃、何かを見つけているだろうか──。そう思うと心が和らぎ、自然と彼は微笑を浮かべた。
「再び生まれ変わって彼女を見つけ出し、もう誰も道を迷わないように処分する。そうやって悲劇の輪廻を断ち切る。それが僕の《物語》だ」
 結論付けたイヴェールは、少し人が悪いような笑みを浮かべてブローチを卓の上に乗せた。サヴァンは一度それに視線を向けたが、何やらひどく満足そうに深く頷く。
「成る程。君たちは太陽と月のように、互いに追いかけ合っていたのだな」
 やっと合点がいったと言うように彼は顎をさすると、丁度良い頃合だと思ったのか懐中時計を取り出して時間を確認した。
「さて、議論も終わり、葡萄酒も空になった。私も退散することにしよう」
 帰り際に時間を窺ったところを見ると、何か予定でもあったのかもしれない。サヴァンはそう言って席を立ち、身支度を整えた。イヴェールもそれを引き止めることはせず、ただ立ち上がって見送るだけである。
 儀式的な別れの挨拶の終わりに、扉に手を掛けたままサヴァンは帽子を上げ、家主に敬意を払うように恭しく一礼した。
「いつか何にも惑わされず、君が《真実の伝言》を見つけたならば──きっと望まれた場所へ辿り着く事ができるだろう」
 賢者は意味ありげに微笑すると、部屋を後にした。蝶番が軋み、バタンと飴色に光る木製の扉が閉まる。サヴァンの言葉を反芻しながら、イヴェールは短く息を吐いて髪を掻きあげた。
 惑わされるなと助言されても、揺れる天秤にそれは難しい。だからこそ深い憧憬を抱きながら、何度も地平線を廻り続けているのだ。
《真実の伝言》を知るためには、繰り返す喜びと悲しみの、どちらの価値を見つめるべきなのだろう。色違いの瞳に映る様々な《物語》は、いつの日か繋がることもあるのだろうか──。

『しあわせにおなりなさい』

 まだ、その声は聞こえないのに。






END.
(2007.02.13)

知りえた伝言によってエンディングが『truemessage』と『yaneuraroman』に分岐する解釈です







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