太陽を騙る者












 死の先を考えるのが怖くて、それを紛らす為に生きている。それは誰だって同じだ。
 子供すら、大人が思うほど子供ではない。まして純粋無垢の天使では、絶対にない。疑うのなら彼らがこぼす独り言を聞いてみるといい。子供達は礼拝堂でお祈りするふりをしながら、神様の愛が必ずしも平等ではないと恨み始めている。
 どうして誰もボクを助けてくれないの、どうしてアタシを幸せにしてくれないの、と。
 けれど彼らは自分達が思うほど賢くもなく、悪魔になりきれるほど世界に対する絶望は深くないのだ。届かない願いだとしても、万一の希望を込めて祈るくらいには幼い。
 ローランサンが育った教会付属の孤児院では、こうして天使でも悪魔でもない子供達が自分の手札を使って、ささやかなゲームをしているような所だった。
 シスター達は優しく全ての人は神の子だと諭したが、まだ自分の魂を磨く術も知らず、狭い建物に押し込められた孤児にとって、価値に繋がるのは生まれ持った幾つかのカードだけ。
 彼らは容姿や運動能力などの些細な部分から意味を見出して、何とか自分に生きる意味があるのだと強がる。不確かな足場を少しでも確かなものにする為に。
 その中でも、孤児になった理由が一番切実なカードだったかもしれない。この石造りの、常に祈りと赤ん坊の泣き声が交ざる場所で、彼らは何故自分達が神の家に集まらざるを得なかったのか知りたがっていた。まっとうなシスターは哀れな彼らの家庭の事情を喋りたがらなかったし、養い親が付きにくくなるので過去の事は忘れるよう言い聞かせたが、それでも子供は自虐的なゲームを止めない。どの時代でも傷を抉るのは、一種の懺悔に近いからのだから。
『戦いに行った父親が死んだ』は一番強いカード。戦場に近い国境付近のせいか、兵士の子供は孤児院でも英雄視されていた。
『戦争に巻き込まれて』では少々弱い。だが親の死に際を大袈裟な美談にする事で、多少のポイントは稼げる。
『酒に溺れた父が暴れて』『商売仇との喧嘩で殴り殺されて』などの物騒な話になると、また違った意味で尊敬された。斜に構えた乱暴な子供達は身振り手振りで暴力シーンを演じ、まるで世の中の汚い事を全て知っているとでも言いたげに堂々と振る舞う。
 何気ない日常の合間でも、彼らはひっそりとお互いの手札を確認し合った。講堂で簡単な読み書きを教わりながら。洗濯桶に汚れたシャツを放り込みながら。寝る前に指を組んでお祈りしながら――彼らは隣の子供と自分とを比べたがる。
 そして本当なら自分はここにいるはずではないのだと、不幸な出来事さえなければ親元で不自由なく暮らしているはずだと、そう主張し合うのだ。
 そんな中、ローランサンの手札は一番弱い。なんの切札にもならないばかりか、軽蔑の対象にすらなる。
『親に捨てられた』
 それ以上でもそれ以下でもない、無味乾燥のカード。
 単に必要なかったと言うだけ。望まれてここに来ただけ。最初から不利な勝負をしている。
 誰かと喧嘩すれば必ず、捨て子のくせにと罵られた。おかげで何度、喧嘩の罰で夕食を抜かれるはめになった事か。
 実際、親の記憶はなかった。それくらい幼い日に預けられたのだ。手持ちのカードに脚色を施そうとしても、顔さえ知らない両親に対してまともな作り話すら思い付かない。古株のシスターに尋ねてみても何やら込み入った事情でもあるのかはぐらかされるばかりで、ローランサンは自分の素性を知る手掛かりを何一つ持っていなかった。
 唯一、受け継がれた髪や瞳の色が両親の痕跡だと言える。だが鏡は子供の手の届かない場所にしか置いておらず、礼拝堂の安っぽい銀メッキや水桶の中くらいしか、自分の顔をまじまじと眺める場所はない。
「そんなに自分の顔が好きなの?気持ち悪いわねぇ」
 幼馴染みの少女はそう言って、いつもローランサンをからかった。けらけらと笑う彼女に腹が立ったけれど、ある日プレゼントだと小さな手鏡を渡されて困惑した記憶がある。
「私は里親に引き取って貰えたもの。鏡はまた買ってもらえるわ。だから、これあげる」
 村に一つある風車守の家に引き取られた彼女は、度々そうして孤児院に遊びにやってきていた。新しい家に馴染めなかったのかもしれないし、あるいは単に同年代の子供が恋しかったのかもしれない。
「いらないよ。男が鏡なんて」
「いいじゃない。きっと売れば高いわよ。ローランサンみたいに愛想が悪い子は引き取り手なんか見つかないんだから、孤児院から追い出された時のためにもらっておけば?」
 酷い言い草である。だがプレゼントを受け取りやすくなるよう、わざと彼女が憎まれ口を叩いているのは分かっていた。
 彼女のまた、両親の記憶もないまま捨てられた子供だったのである。二人は長年、同じ屋根の下で雨をやりすごすような間柄だった。風当たりの強い日に濡れるのを避け、じっと座り込んでいる間、ぽつぽつと会話を続けるような。
 強引に押し付けられた手鏡は、孤児院に残り続けたローランサンを労っての事だったのだろう。次の春には年長組の奴らに取り上げられてしまったけれど、それまでには自分の顔の特徴を覚える事ができた。
 目の色、鼻の形。眉毛の位置。そのどこかに見知らぬ両親がいる。
「主の御心みたいにね」
 少女はそんな風に表現した。
「きっと神様みたいに宿っているの。ローランサンや私の中に、お父さんやお母さんが」
 あの時。きらきらと輝く彼女に反論できなかった子供時代が未だ体の奥に残っていて、ふとした瞬間に甦る。例えば、あの風車だってそうだ。
 彼女は孤児院の隣丘に住んでいた。引き取った里親は気難しい老人で、跡取りが欲しかったのか、風車守りにさせようと色々と教え込んでいたようだ。普通なら男に継がせるものだろうが、亡くなった実娘に似ていたのが彼女を選んだ理由らしい。
 朝になると、四つの翼に帆を張って、風車は一気に動き出す。それを手伝う彼女は誇らしげで、ローランサンにはいつも眩しかった。
 ぎぃぎぃと柔らかく軋み、回転する翼。太陽を遮り、風と戦う形。見上げるとそのまま飛び立っていきそうで、遥か未来に空を飛ぶ乗り物ができたなら、きっとこういう姿だろうと――。
 幼い頃から世界はローランサンに対し、そう優しくはなかった。けれど逃げ込める隙間も与えてくれていて、あの風車の、まばゆい午後の日に、少女の後を追って階段を上がっていく自分は確かに幸福だったのだ。罪悪感に塗りつぶされて、あの気持ちを恋とは呼べなくなってしまった今でも、尚。


 やがて盗賊なんて因果な商売に関わるようになったものの、これもカミサマが与えてくれた隙間なのか、未だ朽ちる事なく生き延びている。死に損なった人間に何のサービスのつもりなのか、隣に並ぶ相手も懲りずに用意してくれた。
「……なんで睨んでんの、お前」
「睨んでない」
「いや、睨んでるだろ」
「睨んでない」
「俺の顔に穴が開いたらお前のせいだ」
「違うって言ってるだろ。君、自意識過剰じゃないか?」
「……あっそ」
 とは言え、ローランサンは神様なんてとうに信じていなかったし、相方だって顔こそ美しいが天の贈り物なんて柄ではない。
 大人になって驚いた事の一つは、どこまでも自分の足で歩いて行ける事だ。世界そのものだった孤児院の丘は遥か彼方に遠ざかり、霧で服をぐしゃぐしゃにしながら、自分達は今、とある田舎道にいる。
「だから出発は明日にしようって言ったんだ。この霧、そのうちもっと濃くなるよ」
 イヴェールがぶつぶつ文句を言って、濡れた前髪を指先で絞った。道はまっすぐ南に続いているが霧で遠くまでは見通せない。幽霊のように立ち並んだ林だけが、うっすらと丘の向こうに霞んで見えている。
「さっき羊がいるのが見えたから、どこかに農家はあるはずだろ。屋根でも借りるか」
「暖炉まで貸してくれる親切な人だといいけどね」
 霧のせいで服は湿るわ髪は跳ねるわ、イヴェールは仏頂面だ。当て付けのつもりか不機嫌な態度を崩さない。旅慣れたローランサンにとっては大したハプニングでもなかった。
 だが、やがて足元の違和感が気になり、これはおかしいと眉をひそめるに至る。がばがばと妙な音がするし、やけに湿るのだ。
 嫌な予感がして立ち止まり、片足を上げて確認すると、案の定、右足の靴底が剥がれかかっていた。つま先から土踏まずの部分にかけて、縫い合わせた皮がべろりと垂れている。そこからぬかるんだ土が少しずつ中へ食い込んできているのだ。
 前々から寿命かと思ってきたが、何もこんな日に。
「……うわ、ひどいね」
 ローランサンが立ち止まったので不思議に思ったのだろう。不機嫌なポーズはどこへやら。イヴェールが心配そうに足元を覗き込んできた。
「そのままじゃ底が抜けるよ。直してもらえば良かったのに。ほら、この前の町で」
「あんなボッタクリ、靴屋だからって足元見すぎだろ。このままでも歩ける」
「馬鹿だなぁ。ちょっと見せて」
 転ばないでくれよと言い添えると、彼はひょいとローランサンの靴に手を掛けた。片足立ちだったので危うくバランスを崩しそうになったが、靴底を見て満足したのか、その手もすぐに離れる。
「応急措置だけど」
 イヴェールは自分の靴紐を一本ぐっと引っ張り出すと、これを使え、と言った。反対にローランサンは顔を曇らせる。
「これで底を縛っておけば、少しは楽になるよ」
「……別にいいって」
「良くないよ、みっともない。それに良い靴を履くと幸せになるって言うし」
「そりゃ女どものまじないだ」
「どちらにしろ、そんなボロ靴じゃ歩きにくいじゃないか」
 靴紐を取ったら自分だって歩きにくくなるくせに。ごく自然と他人に分け与える事のできるイヴェールの育ちの良さが時々恨めしくなる。彼は施しを受ける惨めな気持ちを知らない。貰える物は貰っておこうと意地汚く他人から奪って生きてきたローランサンにとって、イヴェールは唯一の良心であると同時に、どこかしら心を抉る存在でもあった。
「ボロ靴で悪かったな」
 気恥ずかしさも手伝って口が悪くなる。けれども耳に入っていないのか、イヴェールは「あ」と空を指差した。
 いつしか風が出ていたのだろう。背後で陽射しが強くなり、急速に霧が晴れ始めていた。
 紗幕が徐々に開かれるように、するすると白い霧が丘から身を引いていく。ぼんやりと薄明るくなる中、太陽と反対側の空に虹が掛かっていた。
 七色ではなく真っ白のそれは、ちょうど指輪のように丸い円を描いて浮かんでいる。
「すごいな、虹の輪だ。昔、月に掛かる虹を見た事があるよ。夜にもできるものなんだなって感心したけど、こんな事もあるんだな」
 イヴェールが声を弾ませ、素早く立ち上がった。押し問答になっていた靴紐をローランサンに押し付けると、片足を微かに引きずるようにしながらさっさと歩き出して、虹がよく見える場所を探そうとしている。彼の銀色の髪が幻想的な光と重なってきらきらと輝いた。鮮やかすぎるその光景はローランサンの神経を少しばかり逆なでする。
 ――どうして誰も彼も、俺に綺麗なものばかり見せようとするのだろう。
 虹。シエル。孤児院で覚えた数少ない知識。幼馴染の名前と由来となったのは確か創世記の一節からだ。神様との約束の証だと、何度も得意げに彼女が自慢するものだから覚えている。
 名前。ローランサンにも昔、違う名前があった。シスターの机にひっそりと保管されていた書類に、おそらくは自分の本名だったのだろうと思われる名が書き込んであって、出自を隠す為に捨てられたものが。
 ――ソレイユ。
 太陽だなんて、今にして思えば大仰だと笑ってしまう。失ったものしか愛せないままで太陽などなれるものか。
 けれど小さな手鏡も丘の上の風車も、霧の中の虹や靴紐の一本さえ、憎しみで真っ黒に染まる事を許してくれない。癒してくれる風景など必要ないのに、教え込むように美しい世界が立ち現れる瞬間、どうしようもない絶望に駆られる。剣を取った事が間違いだと訴えられているようで。
 とは言え、前方では未だ虹に感動しているイヴェールがいた。その下らなさに少しばかり息がつける心地がする。押し付けられた紐で靴底を縛って固定すると、ローランサンは気だるく立ち上がった。
「それくらいで騒ぐな。腹の足しにもなんねぇぞ」
「まあ、虹を食べられるなんて御伽噺くらいだものな」
 イヴェールが口元を吊り上げて笑った。彼のところまで追いつくと、また揃って歩き出す。
 びっこを引く二足の靴が泥にまみれる頃には虹も消え去り、代わって、新しい町が丘の向こうに見え始めていた。







END.
(2010.8.13)

『良い靴をはくと幸せになる』ってのはフランスで古くから言い伝えられているおまじない。前半と後半は別物として書いていたので、ちょっとまとまりがないかもしれない。


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