19世紀パリ秋












 部屋の窓を開け放つと、壁の縁に留まっていた鳩が一斉に飛び立った。ばさばさと羽根がぶつかり、押し合いへしあいながら薄汚れたパリの古アパートの窓を揺るがして飛び去っていく。
 ローランサンは飛び散る羽毛や埃を片手で振り払い、むっと顔をしかめた。
「……どこが平和の使者だよ」
 何度文句を言っても隣に住む男が懲りずに餌付けをするので、その被害が彼の所までやってくるのである。おかげで窓付近の白壁は、白い漆喰なのか鳩の糞なのか見分けがつかない程すっかり汚れてしまっていた。
 巣でも作られたらお終いだ。いつ奴らにガラスを割られるか分かったもんじゃない。
 ともあれ、無事に鳩を追い払った所で彼の朝は始まる。半ば寝ぼけたまま身支度を終えた後、使い終わった食器が山と積まれている流し場から、必要な皿とカップを取り出して洗った。迷わず一人分を。
 外はまだ暗い。パン屋はもう開いているはずだが、そろそろ痛んだ野菜を始末しなければならなかった。戸棚を漁ると、にょっきりと芽が生えてきている玉葱とトマト、ピーマンにハム、それから古びた卵とチーズを見つける。
 まあ、このくらいなら腹も壊さずに済むだろう。適当に悪くなった部分を切り落として材料を揃えると、ローランサンは時間を気にしながらフライパンを温め始めた。
 油代わりにバターを溶かし始めた所で、寝室から重い足音が聞こえてくる。
「幽霊かと思ったぜ、イヴェール」
「……似たようなものだよ」
 振り返ると、よたよたと歩いてくる同居人が見えた。彼は自慢の髪を惜しげもなく掻きあげて、何とか睡魔を追い払おうとしている。長い銀髪が前衛的なダンスを踊り、それを見てローランサンは先程けたたましく羽ばたいていった鳩の姿を思い出した。
「こんな時間からお前を見るなんて珍しいな」
「今日は朝から講義なんだ……面倒な事に」
「飯、俺のしかないけど」
「ついでに作ってくれよ。後で何か奢るから……」
 ベッドに座ったままクロワッサンを熱いカフェオレに浸し、もさもさと寝ぼけながら軽い朝食を取るのがイヴェールの習慣なのだが、今日は著名な教授が大学にやって来て、何やら立て込んだ特別講義を開くらしい。腹ごしらえをして行かないと頭も働かないよ、と欠伸まじりに愚痴っている。
 彼が洗面所に行って顔を洗っている間に、ローランサンは混沌とした流し台から追加して一組分の食器を救い出した。
 これを手に取るのは久々な気がする。入れ違いの生活で、最近では食卓を共にする機会がめっきり少なくなっていた。
「ローランサンは工房、何時から?」
「今日は六時」
「ふーん……相変わらず早いね」
「気楽な学生とは違うからな」
 洗面所から反響して聞こえる声におざなりな返事をして、溶かした卵を焼き始める。ローランサンはあまり卵が好きではなかったが、バターの上を優雅に滑る黄金色の色彩や、賑やかに油が跳ねる音を聞いていると眠っていた腹も目が覚めてきた。卵が半熟にまで固まった後、刻んだ野菜とチーズの塊を乗せて、フライパンの柄をとんとんと叩く。
「よっ、と」
 勢いで引っくり返した。少し形は崩れたものの、概ね上手く裏返った部類だろう。もうちょっとフライパンを手前に引いとけば良かったか、とローランサンは冷静に分析した。最終的には腹に入るとは言え、見た目がいいに越した事はない。これから仕事に行くとなれば尚更、朝の気分は重要だった。
「何、オムレツ?」
 二つ目を作り始めた所で、顔を洗い終えたイヴェールが肩越しに覗き込んでくる。じゅうじゅうとバターを吸って踊る卵の姿を見た途端、彼の声が渋くなった。
「……パサパサになるじゃないか。時間を掛けすぎだよ」
「俺はチーズが溶けるの重視なんで。あと、卵は硬いくらいでいい」
「僕は半熟派なんだけど。本当、君とは趣味が合わないね」
「合わせる気もねぇけどな」
 悪びれずに皮肉を口にしたものの、イヴェールも軽く苦笑するだけで文句を言う気はないらしい。他人と同居するには寛大な心と諦めが肝心だと、二人とも随分前から心得ている。この程度で喧嘩するのは労力の無駄だと悟ってから、何事も適当に適当に、当たり障りない生活が繰り広げられていた。
 ちょっとした気持ちでローランサンが二つ目のオムレツをわざとじっくり火にかけている間、イヴェールも鍋を取り出して隣へやって来た。二つのコンロに男が並んで立てば、キッチンも随分と狭くなる。
「肩ぶつかるんだけど」
「我慢、我慢」
 イヴェールは歌うように返事をすると、例の芽が出始めてしまった玉葱を使って簡単なスープを作り始めた。手先が器用な男なので、やる気を出せば時間がなくてもさっと作ってしまう。本当は二十分くらい炒めたい所なんだけど、とか何とか言いながら味付けをするイヴェールは、眠気も吹き飛んだのか楽しそうだ。
 料理と言うのは一人一人の流儀があるものだと、隣に並びながらローランサンは改めて実感する。野菜の切り方も味付けの仕方も違う――まあ、こいつとの違いを数え上げればそれこそ無数にあるだろうが。
 ピッチャーに熱いコーヒーを準備して食卓につくと、久々に見栄えのする朝の風景になった。イヴェールはコーヒーにたっぷりミルクを注いで、いつものようにカフェオレにしている。オムレツはスープの完成を待っている間に少し冷めてしまっていた。外側は焼きすぎているものの、中を割ると溶けたチーズがとろりと出てきて、ローランサンの好み通りに仕上がっている。
「美味しいには美味しいけど、やっぱり半熟がいいな、僕は」
 気だるげにスプーンを運びながら、イヴェールがちらりとこちらを見た。わざと素っ気なく言い返す。
「お前のスープだって薄味すぎるんじゃねぇの」
「……本当、君とは趣味が合わない」
「同感」
 二人は同時に肩をすくめる。どうして一緒に暮らしてるんだろう、との疑問はひとまず置いておくとしても、他人と同居するには寛大な心と諦めが肝心なのだった。
 こうして文句だらけの、気の置けない生活を楽しむ為には。





END.
(2009.12.23)

クリスマスと全く関係ない近現代パロ。真反対ながらも上手くいっている二人が好きだ。
ロラサンはオーギュスト関係の工房で働いてます。根性はあるから石工とか彫刻師とか技術職は向いてると思う……と言うか職人ロラサンって、個人的に萌えます。


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