狼と歌い手U









 取り立てて饒舌な印象はないが、イヴェールは口が達者な男だ。
 ほとんど聞き取れない寝ぼけた朝の挨拶や、下らない雑学、からかいを含んだ軽口の応酬まで、彼の言葉は語る喜びで満ちている。
 目立つ容姿のせいで厄介事を呼び寄せる上、作り物めいた彼の美しさはどこか不吉な匂いがしてローランサンは倦厭していたが、歌うように話すイヴェールからは普通の人間らしい温度を感じる事が出来た。
 だからこそ、不機嫌になって黙り込んだ彼は驚くほど剣呑に見える。寝床で眺める満月は親しげで美しいが、ふとした瞬間に冴えた光が禍々しく感じられるように、無言になったイヴェールは見ている者を何となくぞっとさせた。多かれ少なかれ彼の美しさにはそうした暗い側面が含まれているのかもしれない。
 その日も同じく、何か下らない理由でイヴェールがへそを曲げたのかと思った。ローランサンが散策がてらに宿を出て、しばらく街をぶらぶらしてから部屋に戻ると、ようやく目を覚ましたイヴェールが物思いにふけって寝台に座り込んでいるのを発見したのである。
 深刻な顔で俯いている彼は、なんだか呪われたアンティーク人形のように見えた。綺麗だし売り払えば値が張るが、段々と髪の毛が伸びてきて持ち主を怖がらせるとか、そんな。
「どうしたんだ、しけたツラして」
「…………」
 話しかけても返事が返ってこない。昨夜イヴェールは詩人に扮し、酒場で一席設けたばかりだった。存分に歌って賞賛を受け、好きなだけ飲み、収穫祭を満喫したはずだ。機嫌が良いならともかく悪くなるのは道理に合わない。
 ローランサンが不審に思っていると、イヴェールは瞳を曇らせたまま手招きをした。
「……何?」 
 訳が分からないまま近寄れば、イヴェールは更に顔を近づけてパクパクと口を動かす。魚のモノマネかよと条件反射で皮肉れば、彼は今度こそ苛立った顔になり、
『声が出ない』
 そう掠れた吐息で訴えた。
 どうやら昨夜、飲みすぎたか歌いすぎたかで喉を酷使した影響らしい。あるいは秋になって空気が乾燥し始めたのが悪かったのか、無理に声を出そうとすると裏返って痛むらしく、始終イヴェールは情けない顔をしていた。しゃがれて老人のような声になっている。
 彼は最初こそ身振り手振りを交えて説明を試みたが、ローランサンが簡単な読み書きならば出来る事を思い出すと荷物から紙とペンを取り出し、もどかしげに筆談で体調不良を訴えてきた。なけなしの知識を総動員してメモ帳の文字を解読しながら、ローランサンは面倒な事になったと顔を曇らせる。
「……で、本当に喉を痛めただけなんだな?」
 そう念を押す程度には、動揺していた。何かしらの病で声を失くす人間など、町の施療院ならば一人や二人いるだろう。もしこのままイヴェールが衰弱して喋れなくなったらと、じわじわと足元から不安が忍び込んでくる。パリの慈善病院で見かけた肉を腐らせた浮浪者の姿が脳裏に浮かび、まさか、と思いつつも簡単に笑い飛ばせない。
 イヴェールは少し考える素振りを見せ、喉の調子を確かめるように咳き込んだ。その後、額に手を当てて熱や脈を確かめている。一通りの自己診断を終えた後、彼はおもむろに『心配ない』と書き出した。
『数日したら治ると思う。だが、あと二日歌う予定だったのに芸を披露しないと宿代が浮かない。何とか歌えないだろうか?』
 暢気にそんな事を書き付けている。たどたどしく文字を読み終えたローランサンは、そこが問題かよ、と呆れた。本人がこんな事を考えているようでは、心配してやったのが阿呆らしくなる。
「馬鹿か。お前が無理して喉を完全に潰したいって言うなら話は別だけどよ、そんなガラガラ声で歌ってみろ。タダになるどころか酒壜でも投げつけられるのがオチだぜ」
「…………」
 最もだと思ったのか、イヴェールはペンを持ったまま反論しない。だが楽しみにしていた行事を取り上げられて段々と腹が立ってきたのか、けたたましく咳き込んだり水を飲んだりと、声を直す為に無駄な努力をし始める。不機嫌な彼の気配に、これは堪らないとローランサンは見かねて口を挟んだ。
「別に、無理して歌わなくてもいいだろ。お前ならリュートだけで結構聞かせれるんじゃねぇの?」
 慰めた上に演奏の腕を誉めたのだからローランサンとしては優しさの大盤振る舞いのつもりだったのだが、残念ながら相手には伝わらなかったらしい。イヴェールは睨みつけるように一度こちらを見ると、メモ帳に素早くペンを走らせ、こちらの鼻先に紙面をぐいっと突き出す。テーブル越しとは言え、その勢いに思わず身を引いた。
「……なんだよ、読みにくい」
『場所は酒場だ。演奏だけでは目立たないし、歌があるとないとでは盛り上がり方が違ってくる』
「ふうん?」
 喋れなくなったらなったでうるさい男だ。未練がましい上、書き文字だと普段の口調より偉ぶって聞こえて尚更うざったい。ローランサンの邪険な態度にも構わず、イヴェールは組んだ手の上へ優雅に顎を乗せて考え込んでいたが、おもむろに『提案がある』と書き始めた。
『ローランサンが昨日教えてくれた曲があっただろう?君があれを歌え』
「……はぁ?」
『僕が演奏するから歌え』
 とんでもない。
「馬鹿言うな!大体、なんで提案なのに命令形なんだよ?」
『気分を害したら申し訳ない。いちいち文法に則って丁寧に書くのは手が疲れる上に面倒なので省略している』
 そこだけ嫌味なくらいきっちり書き込むと、イヴェールは様子を窺うように首を傾げた。そう言えば、話す時に出るこの癖も今日は朝から見ていない。僅かに顔を斜めに傾けたイヴェールの同意を求める目線が鬱陶しく、ローランサンは鼻の上に皺を寄せると、ぱたぱたと片手を振って執拗な視線を追い払った。
 人前で歌うなんて冗談じゃない。イヴェールのように才能があるならともかく自分はそんなもの趣味ではないし、覚えているのも簡単な歌ばかりだ。盗賊が目立つだけでも仕事に差し障りがあると言うのに、何故わざわざ?
「歌えなくなったのは自分で蒔いた種だろ。諦めろ。俺を巻き込むな」
『客寄せの為の一曲だけでいい。こういう時の相棒だろう?』
「詩人の相棒にまでなった覚えはねぇよ」
『では、その詩人の働きで自分の分の宿代まで払おうとしたのは一体どこの――』
「や、か、ま、し、い」
 ばしりと、尚も書き連ねようとする手を上から押さえる。ペンの動きを止められたイヴェールは眉をひそめ、じわりとインクが広がる紙面に視線を向けた。
 だが諦める気は毛頭ないらしく、今度は口の動きだけで『歌え』としつこく訴えてくる。君も息抜きをする良い機会じゃないか、とか何とか言っているようだ。
 しばらく視線を反らして見ないふりをしていたが、いい加減にイヴェールも上手くいかない諸々の事態に腹が立ってきていたのだろう。自由な方の手でローランサンの手首を握ると、ぎりりと強く捻り上げてきた。
「〜〜痛ぇって!」
 声を上げて睨みつける。イヴェールは涼しい顔で「一曲だけだよ」と囁き、げほごほと咳き込んだ。手首を変な方向に捻られたままローランサンは舌打ちをする。体調を崩したなら大人しく寝ておけばいいものを、どんだけ歌にこだわるつもりだ。
「ったく……まさか断れば折る気じゃないだろうな?」
 問えば、イヴェールはにこりと微笑む。基本的に害はないし気配りもできる男のはずなのだが、無言の笑顔はなかなか邪悪に見えた。冗談だと分かっていても迫力がある。
「……分かったよ。歌えばいいんだろ、歌えば」
 言い争うのが面倒になったローランサンが白旗を振ると、イヴェールはぱっと手首を放して申し訳なさそうに笑った。今更そんな表情をしても白々しいだけなのだが、イヴェールは嬉々として『きっと成功するよ』と盛り上げてくる。
 好意的に解釈すれば、その中にはローランサンにも祭りの醍醐味を味わって欲しいと言う親切心も含まれているのかもしれない。でなければ、いくら何でも強引すぎる。
 ――まあ、たまにはこういう遊びもいいか。
 最初こそ反感を覚えたが、確かに昨日の催しは楽しそうだったし、適当に歌ってイヴェールを満足させれば後は文句も言われず稼いでもらえる。捻られていた手首をごしごしと擦り、ローランサンはそう自分を納得させた。
 こうして押し切られる形で、彼もまた即席の詩人に仕立て上げられたのである。






 テーブルを端に寄せて作った空間は、今夜もまた詩人の為の舞台となった。汚れが染み付いた床はランプの光に照らされて飴色に光り、まるで磨き上げられた船の甲板のようだ。
 リュートを持ったイヴェールがそこへ赴くと、まばらな拍手が徐々に大きくなる。昨夜より客が多いのは彼の腕前を聞きつけた為か。祭りの二日目となっても酒場は相変わらず繁盛していた。
 ――どんどん場違いな気がしてきたな。
 イヴェールに続いて客席を掻き分けながら、ローランサンは踏み出す足に躊躇いを感じていた。室内がもやのように霞んで見えるのは、厨房からの煙が漏れてくるせいか、それとも人々の熱気のせいなのだろうか。一歩ごとに視線を走らせて警吏が紛れ込んでいないかと様子を探ったが、今日の自分は何も後ろ暗い事はしないのだと思い出し、ローランサンは落ち着かない視線を無理やり前に戻す。
 結局、午後は練習で費やされてしまった。安請け合いしてしまったが、音楽にこだわりがあるイヴェールに付き合わされるのは想像していた以上に厄介な上、相手は声が出せないときている。いちいちジャスチャーか筆談で意思疎通を図るのは手間がかかる作業だった。
 いくら幼少時に熱心なシスターから基本的な語句を教えてもらったと言っても、ローランサンの貧弱な記憶には限度がある。そもそも音楽用語など教わっていなかったので、手帳はあっという間に暗号文書にしか見えなくなった。
 無事に打ち合わせを終えられたのはひとえに友情の勝利だと、イヴェールは調子よく評価していたが――。
 ローランサンは足場を確かめるように舞台へ踏み込み、ぐるりと周囲を見渡した。口上は前もって決めてある。教えられたまま言えばいい。
「……どうかお静まりを、皆様。残念ながら今宵は長く皆様にお供できません。それとも言うのも、背後におりますこの歌い手が喉を痛めて――」
 柄にもなく緊張している、かもしれない。これだけの台詞で口の中が乾いた。
 思い返せば盗むか殺すかの選択を迫られる生活で、まっとうに人々の注目を受ける機会などまずありえない。あるとすれば、せいぜい捕まって見せしめにいたぶられる程度だ。
 慣れない事は止めておけば良かったと、正直な自分が心の奥でぼやいている。気取った口上も舌を噛みそうになるばかりで、期待のこもった人々の眼差しを向けられると何故だか居たたまれなくなった。
「――僭越ながら歌は一曲のみ、わたくしが代わって。後は純粋に演奏を楽しんで頂ければと思います……」
 もやもやと後悔が入り混じったまま口上を言い終えたローランサンは、そこで背後を振り返る。椅子に座っているイヴェールが小さく頷き、弦に指をかけた。
 最初の一音が奏でられると、いよいよローランサンも後戻りできなくなる。緊張しているのを見抜いてイヴェールが偲び笑う気配がするが、無視だ、無視。歌うしかない。
 ローランサンは打ち合わせ通り、繰り返し爪弾いていたリュートの旋律が三回目を数えたところで息を吸う。そして半ばやけくそで、歌い始めた。
 曲はこの地方一帯に広まっている、ごくごく素朴な田園詩だ。
 牧童から見た麦畑の様子を情緒的に歌ったもので、地味だが収穫祭の夜には相応しい曲目と言える。テンポも速く陽気な曲調だから、興が乗れば客も歌に参加できるものだ。ローランサンとしても自分一人で歌うより、さっさと大合唱になってくれた方が有り難い。
 最初の句を半音外したのが自分でも分かってひやりとしたが、次で持ち直した。音程を気にするよりも声量を出せ、とイヴェールの忠告を思い出す。こうした酒場ではとにかく声を出し、周囲を飲み込む事が重要らしい。
 音楽を楽しめ、と。
 大声で歌ったせいか、それともやはりイヴェールの腕が良かったのか。やがて手拍子と共に歌い出す客が増えてきた。歌は牧童が夏の麦畑の美しさを讃える箇所にまでさしかかっている。しかし安堵する間もなく、ふと剣呑な声が客席から上がった。
「兄ちゃんの訛り……もしかしてアルザスのもんじゃねぇか?」
 ぎくりと肩が跳ねる。図星だった。
 反射的に声の主を探ると、ちょうど右手奥のテーブルの中年男と視線が合う。痩せた職人風の男で、酔っ払っているのかどろりと目が暗い。
 ローランサンが育ったアルザスはフランス最東部、ライン川を挟んでキルデベルト冠する神聖帝国と隣接した土地である。
 文化的にも帝国の影響を色濃く受けており、住人達もドイツ語に近い独特の言葉を持っていた。国境沿いの不安定な土地柄のせいか、フランス領になったり帝国領になったりと忙しない場所だ。
 ローランサンが預けられた教会付属の孤児院でも流暢にフランス語を話すシスターが多く、彼も元からアルザス訛りは強くなかったし、各地を放浪しているうちに癖も和らいでいたのだが――歌う事でアクセントの特徴が出てしまったのだろうか。
 別に出身を隠していた訳ではなかったが、戦で焼け焦げた故郷の思い出は、彼にとって遠ざけておきたい事柄である。その上「フランスであってフランスではない」と呼ばれるほど複雑な背景を持つ土地の事、出来るだけ伏せておきたかったのだが、酔っ払った男の口はだらしなく開いたまま閉じる様子がない。
「あそこは帝国との戦で負けた、臆病もんの土地だぁ。おかげでブリタニアの奴らも付け込んで、フランスにまでやってきたしよ……まったく、ろくなもんじゃねぇ!」
 男は赤く目を充血させ、大声でくだを巻いた。辺りを憚らない怒声に連れの人々が慌ててたしなめようと肩を叩いたが、構わずに怒鳴り続けている。
 ローランサンの胸に、鈍く、古傷を踏みつけられたような熱が走った。大きな衝撃ではないし耐える事も出来るが、硬くなりきらない皮膚の下でじくじくと痛みが広がるような、見過ごせない熱だ。
 もう戻るまいと捨ててきた土地だったが、他人に――それもこんな宴の席でなじられるのは良い気はしない。
 苦い思い出が残る故郷は、せめて炎で燃え上がるあの時の光景のまま眠らせておきたいのに、今になって更に泥を投げつけられた気分だった。
「………」
 とは言え、あくまで酔っ払いの戯言である。ローランサンは男に黙るよう睨みを利かせた後、無理やり視線を引き剥がした。せっかく場が盛り上がってきたのに何もわざわざ水を差す事はない。
「引っ込め!耳が腐らぁ!」
 しかし、その態度に舐められたと思ったのだろう。男は酔って見境がなくなっているのか、なだめる周りの友人達を押しのけるようにして舞台に突進してきた。様子を窺っていた周囲のテーブルから、わあっと叫び語があがる。
「てめぇ……!」
 襟首を掴まれ、今度こそローランサンは露骨に顔をしかめた。まともに取り合うのも馬鹿らしいと分かっていても、ここまで真っ向から喧嘩を売られて平常心を保っていられるほど温厚ではない。酔い覚ましに一発お見舞いしようかと拳を握り、軽く両足をたわめて機会を窺ったが――乱闘寸前の空気は、びゃうぅーん、と言う奇妙な音で唐突に断ち切られた。
 ……びゃうぅーん?
「歌に思想批判を持ち込むのは、ルール違反じゃありませんか」
 何かと思えば、二人の注意を引く為だろう。椅子から立ち上がったイヴェールがリュートを床に思いっきり叩きつけていた。
 でたらめな音を奏でた弦は何本か切れ、びゅんびゅんと勝手気ままに揺れている。無理に声を出したせいか、それとも神聖な音楽の時間を中断させられたせいか、こちらを見つめる彼の表情は青白く翳っていた。
 突然の不協和音と、先程まで上品に演奏していたイヴェールの豹変ぶりに、互いに掴みかかっていたローランサンと男は一瞬ぽかんとする。そこに慌てて入ってきたのは酔っ払いの友人達で、今のうちにと素早く男を羽交い絞めにした。
「こんの馬鹿野郎ぉ!お前の田舎訛りもひでぇもんだってのによー!」
「悪ぃ、こいつ、兄ちゃんに八つ当たりしてやがるんだ。あん時の戦いに参加してたみたいで、おおかたアルザスの歌ぁ聞いて嫌な事でも思い出しちまったんだろ……ほら、あやまんな!」
 友人と言うより保護者のような物言いで、しきりに弁解してくる。酔っ払いの方も気勢が削がれたのか、不満げながらもぼそぼそとした声で謝罪してきた。
 拍子抜けしたのはローランサンも同じで、中途半端に沸き立った感情を消化しきれぬまま、無理やり男と握手させられる。
 酒場に乱闘騒ぎは付き物なのか、最初こそざわめいた客席も今では普段通りの様子に戻っていた。歌は中断してしまうし、詩人は急に柄が悪くなるし、魔法が解けてしまった気分かもしれない。気を取り直して改めて食事に挑んでいる客もいれば、騒ぎなどどこ吹く風と赤ら顔のまま陽気に飲み続けている客もいる。取り残された気分でローランサンが背後を振り返ると、イヴェールも今になって自分の行動を顧みたのか、決まり悪そうに乱れた前髪の位置を直していた。
 ――もしかして俺に気を遣ったつもりなんだろうか。
 ぱっとそんな考えが浮かぶ。ローランサンが故郷に対して一筋縄ではいかない想いを抱いている事は、とうに見破られているだろう。酔っ払いの暴言を遮るように叩きつけられたリュートの残骸は、ランプの明かりに照らされて奇妙に生々しく見えた。
 罪悪感とも違う、落ち着かない気持ちが湧き上がる。素直に感謝する事も、笑い飛ばす事も出来ない種類の感情に、ローランサンは僅かに戸惑った。
「……せっかく直したのに、わざわざ自分から壊す奴があるか」
 眉を寄せて苦し紛れに言い捨てると、イヴェールは壊れたリュートを拾い上げながら、そっと首を傾げた。透き通った彼の青い眼はこちらの声に耳を済ませているだけのようにも見えたし、あるいは逆にローランサンの戸惑いを見抜いた上で平静を装っているようにも見える。
 ――こういう時は顔色も変えないんだな、こいつ。
 作り物のような整った面立ちに、解釈をつけるのは難しい。だからこそ普段のイヴェールは誤解されぬよう、常に微笑むよう努めているのかもしれないが、ふとした瞬間に見せる彼の静かな表情はどこか冴え冴えとしている。
「僕も盗賊の端くれだ。歌より、拳で語った方が早い時もあるよ」
 イヴェールは掠れた声でそう言って、未練なく壊れたリュートを手放した。
 こんな中途半端な余興じゃ困ると宿屋の亭主は文句を言ってきたが、楽器も壊れてしまったし、演奏がなくても酒場は盛り上げっているじゃないかと屁理屈をこねて、彼はあっさりと詩人の立場を投げ出してしまう。あれほど執着していたはずなのに、随分と簡単に。
 ローランサンは無言でその成り行きを見つめていた。イヴェールに庇われたようで癪だったが、理由を問い詰めて墓穴を掘るような真似もできない。自分の騒ぎのせいで宴が中断されてしまった後悔もさる事ながら、故郷の歌が守られた事に少なからず動揺していた。これ以上うだうだと考えを巡らせて胸を痛ませるのが億劫で、逃げるように彼は舞台から降りる。
「……やっぱ俺ら、詩人は向いてねぇな」
「そうかもしれないね」
 早々と酒を頼んでいる相方の後を追ってテーブルに戻ると、どこか後味の悪い口調でイヴェールは微笑んだ。彼は彼で無理にローランサンを宴会に誘った事を後悔しているのかもしれない。
 二人はちょっとの間お互いの機嫌を推し量り、今回の失敗について自分が謝るべきか各々で考えていたが、運ばれてきた酒を飲んでいるうちに結局うやむやになってしまった。
 昨夜とは違って、歌のない祭。あまり喋りたがらないイヴェール。沈黙を埋めてくれるリュートの音もなく、それは随分と素っ気ない夕食の光景だった。
 けれど侮辱から救われた故郷の歌は、これからも口ずさむ事ができる――。
 ローランサンはこの感傷を吹き飛ばす為にも、早くイヴェールの喉が直ってくれないかと、密かに願った。








END.
(2010.05.17)

何か書いてて恥ずかしかったです。そのせいか締めがぐだぐだしてしまった。
この話の主題は

@オーギュストの息子なだけあり、潜在能力は高いローランサン。苦手だけど歌えるし字も読める。ちゃんとした教育を受ければ結構な秀才になってたと思う。
A黙った時のイヴェールの美人っぷりは異常。
B故郷の詳しい設定でも出しとくか。

……の3本でした。以下、アルザス地方について真面目な注釈と解説。

アルザスは現在フランス領ですが、文化的にはドイツの影響が強い地方です。むしろ人種的にはほぼドイツ系。
うちのロラサンは性格的にもお堅いドイツっぽいし、葡萄畑の広がる綺麗な土地のイメージも緋色の風車と合うかなーと思って前々から出身地に考えていたんですが……アルザスって17世紀まで神聖ローマ帝国(ドイツ)領だったんですね……。
これではつじつまが合わない!ロラサンは一応フランス人じゃないと!
別の土地の出身にする事も考えたんですが、旅行ガイドを見れば見るほどアルザスが魅力的だったので、ここは思い切って歴史を捻じ曲げてみました。これぞフィクションの醍醐味。
そんな訳で話の都合上、アルザスは『二国の戦争の結果次第でフランス領になったり帝国領になったりする不安定な土地。ローランサンが孤児院に預けられた当時はフランス領だったが、キルデベルトの侵略で帝国領にされかけた。しかし戦争に介入してきたブリタニア(イギリス)に助けられ、現在も一応はフランス領のまま保たれている』と言う設定に改竄しています。
歴史的に仲が悪いフランスにイギリスが手助けしてくれたのは、ちょうどイギリスがローザ様の治世になり、対キルデベルトに備えてフランスと仲を取り持っておこうと考えるパーシファルの外交的な思惑もあっての事でしょう。帝国領をこれ以上広げられてはブリタニアとしても不都合だったとか、そんな理由も含め。
ここらへんはRomanとクロセカをリンクさせて考えています。コミック版Romanでもブリタニアの人々が出てきますし。
そんな改竄されたバックボーンがあり「アルザスは帝国との戦で負けた臆病もんの土地。おかげでブリタニアの奴らも付け込んで、フランスに上陸してきた」と農夫がローランサンにいちゃもんをつけるに至ったのです。

以上。もういいじゃない幻想世界史って事で……とは思うものの、間違ってテストに書いてしまうと大変なので付け加えてみた注釈と解説でした。

ごめんね嘘っぱち設定で。大事な事だからもう一回言うけど、本当は中世アルザスはドイツ領だよ!


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