狼と歌い手T











 始まりは、イヴェールが知り合いの古物商から壊れたリュートギターを無償で貰い受けた事だった。
 洋梨を半分に割ったような胴体に、六本弦が張られた古楽器は唯でさえ調律するのが難しいとされている。彼はモミの木材をどこからか調達すると、ひび割れていた糸巻きを器用に作り直し、夢中になって修復に勤しみ始めた。
「お前、演奏なんてできるのか?」
「できるから直してるんだ」
 ローランサンが声を掛けても素っ気なく返すばかりで、決して作業の手を止めない。羊の腸膜をねじって作ったガット弦を張って調音する段になると、朝から晩まで爪弾いては、ああでもないこうでもないと首を傾げていた。
 お陰でローランサンは音の狂ったメロディーばかり聞かされる羽目になり、いっそ一発殴って止めさせようかと本気で検討し出した頃。
「よし、これで完成かな」
 と上機嫌で仕立てあげてしまったので、文句を言う隙がなくなってしまったのだ。
 すると今度は殺風景な部屋に沢山の音が溢れ出し、身だしなみを気にする彼にしては珍しく、爪が割れるのも構わず弦を弾き続ける。旋律を口吟む声は小さく漏れ出る程度だったが、やはり幸福そうに弾んでいる。
「へえ、素人にしちゃ聞ける方じゃねーの?」
「それはどうも」
 わざと揶揄する口調で誉めてみても、目を伏せて笑むばかりで敵わない。ローランサンは眉を顰めてベットに寝転がり、相方がひたすら趣味に打ち込んでいるのを傍観していた。
 正直あまり面白くなかったが、月が差し込む張り出し窓に腰掛け、彼が古いバラードを弾いている晩などは何故か不思議と夢見が良い。不本意ながら音楽の恩恵を受ける事となった。
「ちょいと、お客さんに話があるんだが!」
 そんな生活が数日続いた宵、どんどんとドアを叩く音が鳴り響く。
 不審に思って問い返すと、なんと宿屋の主人だった。いつものようにリュートを弄っていたイヴェールはぎくりと手を止め、ローランサンは意地悪く肩をすくめる。
「うるさいって苦情だぜ。ここ数日、どんだけ掻き鳴らしてたと思ってんだ」
「弱ったな……追い出されるのは勘弁して欲しいんだが」
 けれども主人がイヴェールに頼んできたのは他でもない、仕事の依頼だった。彼らが泊まっているのは宿屋の二階だが、一階が食堂と酒場を兼ねている。そして明日から三日間に渡って開かれる秋の葡萄収穫祭は、夜毎に詩人を招く趣向があると言うのだ。
「例年なら知り合いの芸人がやってくるんだがね、今年は嵐で橋が流されちまってよ。代わりの者を探していたんだが、しかし誰も彼も空いてない。聞いたところ腕も悪くないみたいだし、どうだい。宿代はタダにするからさ、あんた、やってみないか?」
 勿論、金に目がないのが盗賊というもの。一も二もなく了承した。





 その晩、客の入りは上々だった。
 料理が乱雑に並ぶテーブルの隙間を縫うように、店員は忙しく酒を運び回って、ざわめく人の流れは止まる事がない。空気に馴染む香辛料の香ばしい匂いと、さらけ出される肉や果実の切り口が人々の胃と鼻孔を刺激する――。
 込み合った店内を照らすランプは古ぼけていたが、かえって落ち着いた雰囲気を醸し出していた。常連客らしい職人気質の男たちの他、ちらほら女性や子供の姿も見える。
 いつになく酒場が開放的なのは、やはり祭りの晩だからだろう。昼は収穫祭に合わせてワインが振舞われたと言う。普段は頑なな街の城門も開けっぴろげで、各地からやってきた露天商たちが通りの軒先で自慢の品を広げていた。人々は花や葉で飾られた旗を押し立て大通りを練り歩き、最後は広場で踊り狂い──その興奮冷めやらぬまま、灯りに群がる蛾のように夜になっても娯楽を求めて集まってくるのだ。
「どうだ、ちゃんと詩人に見えたかい?」
 一仕事を終えたイヴェールが額の汗を拭い、店の隅で酒を飲んでいたローランサンの下へやってきた。
 大勢の前へ出るのに色違いの瞳は悪立ちすぎるので、一般的でない赤眼を前髪で隠している。髪も緩く編んで右肩に掛け、露店で買ってきたという異国風の刺繍の入った白布を巻いていた。一見すると誰だか分からない。
 本人曰く、祭仕様らしかった。形から入るのかとローランサンは馬鹿にしたが、リュートを構えればなかなか絵になっている。
「詩人は卑賤の者だとされているけれど、彼らが売るのは夢だからね。それなりに雰囲気がないと」
 そういう理屈のようだ。何故そこまで張り切るのか分からないが、確かに先程まで店の中央で演奏していたイヴェールは、詩人以上に詩人らしく振舞っていた。
 意味深な語り口上で人々の気を引き、爪先で楽器を操って、次々と物語を歌い奏でていく――。
 まともに歌うイヴェールを初めて見たが、深く喉を震わせて歌う様子は彼自身が一つの楽器のようだった。特に大声でもないのに声はよく響き、喜んでコインを投げてくれる客もいれば、見た目に騙されて花を渡す娘もいる。
 離れて見物していたローランサンは密かに感心した。人間、誰でも一つは特技があるものだ。
「結構ハードだな。ぶっ続けだろ」
「これくらいなら平気だ」
 既に夜も更け客も疎らになっている。もう詩人を気取る必要もないのだろう。グラスを渡すと一気に中身を飲み干し、ああ疲れた、とイヴェールは向かいの椅子にどっかり腰掛けた。
「俺の仕事も順調だぜ。ほら」
 ローランサンが客の懐から失敬してきた品々を見せると、肩が凝ったのか、イヴェールは苦笑しながら髪を解く。テーブルに置いた品は時計や指輪などの細々とした装飾品がほとんどで、売ればそこそこの金になるものだった。
「抜け目ないね。ちゃんと見ていてくれたのか?」
「ああ、見た見た。これからはこういう稼ぎ方も有りだな。お前に気を取られて、誰もスリになんざ気づかないぜ」
「なんだ。僕は単なる囮か」
 しかし自分の技能が評価されれば何であれ嬉しいのだろう。文句を言いながらもイヴェールの機嫌はすこぶる良い。腹が減ったと料理に飛び付き、まだ焼き音を立てている肉料理にナイフを入れる。報酬を兼ねて宿の主人が奮発してくれたのか、肉汁のたっぷり零れる雉肉は上物だった。舌鼓を打って相方が食事を取るのを前に、既に夕食を終えていたローランサンは酒を傾けながら店内を見渡す。
「……?」
 すると、いつの間にか足元に走り寄っていた小さな影があった。榛色の眼をした幼い宿屋の娘で、肩までの髪が一歩踏み出すたびにふわふわ揺れている。
 彼女は片手に下げた籐のバスケットから葡萄の小さな一房を取ると、躊躇いがちに二人の顔を見上げた。ローランサンは彼女の目を避け、素早く盗品を懐に戻す。
「これ、お父さんからお礼にって」
 少女もローランサンより詩人の方に興味があるのだろう。イヴェールを見上げる視線はきらきらとしていた。
「ありがとう、お嬢さん。美味しそうだ」
 礼を言って彼が葡萄を受け取ると、彼女は何か重要な使命を果たした新人兵士のような顔になる。はにかんで笑い、父親のところへ戻ろうと回れ右をした。
 が、その時、糸に引かれるようにバスケットがテーブルにぶつかり、乗っていたグラスが大きく揺れた。
 あっと小さく声を漏らしてバランスを崩した少女の体も、後を次いで傾く。懸命に何かを掴もうとたたらを踏み、手の先がテーブルの淵に届いたが――転ぶ事は免れそうにない。
 反射的にローランサンは片手でテーブルを押さえ、もう片手で少女を転倒から救いあげていた。ぶつかった事で派手に波打った葡萄酒は、飛沫を僅かに零したが、イヴェールが上手い具合に取り上げたお陰で惨事を免れている。
 やれやれ。せっかくのご馳走が台無しになるのは詰まらない。
「ったく、危ねぇな。気をつけろよ」
 ローランサンが床に付いて汚れた服の裾を乱暴に払ってやると、少女は自分の失態に赤面してこくこくと頷き、余程恥ずかしかったのか礼を言うのも忘れて駆けていってしまった。
 礼儀を知らないガキだなと憮然としていると、いつの間にか向かいの席でイヴェールがにやにやしている。
「……なんだ、気味悪ぃ。頭でも打ったのかよ」
「お蔭様で僕もワインも無事だ。君は見た目によらず面倒見が良いな」
 成る程、そう見えた訳か。イヴェールではあるまいし、自分はそこまで女子供に優しい訳ではない。単に葡萄やワインが零れるのが惜しいだけだったのだが、むきになるのも馬鹿らしく思えた。
「普段から手の掛かる相棒がいると、必然的にそうなるんだよ」
「へえ、役に立てて良かったよ。これで君もやっと女性に好かれるようになるな」
 皮肉で返しても効果がない。ローランサンは口を曲げると、面倒になって話題を変えた。
「そうだ。さっき歌ってた三曲目のやつ、音が違ってたぜ」
「え?」
「ほら、途中のサビ」
 演奏を聴く間、自分の知っている節回しとは違うと気にはなっていたのだと指摘して、短く口吟んでやる。イヴェールは興味を引かれたのか、ローランサンの狙い通りに表情を改めた。
「地域差かな。僕が知っているのはあれだったんだが……いや、今の方が良いかもしれない。もう一度歌ってくれ」
「ああ?」
「よく聞こえなかったんだ」
 強請られて渋々同じメロディーを繰り返すと、イヴェールはさっそく熱心に弦を爪弾き始めた。流石に飲み込みが早く、すぐに旋律は滑らかな流れに変わり、ローランサンにとっては聞きなれたものに代わっていく。
 懐かしい――不意に湧いたそれは、随分と苦い感傷だった。
 ローランサンの故郷は旧フランドルの国境にあった小さな村だ。その土地柄、数年に渡る戦乱で大方が焼けてしまったが、現在は独立軍の保護下に入り、残った住民で復興を始めていると風の噂で耳にした事がある。
 どうなっているのか知りたい気もしたが、村が再建したところで失われた物の残像ばかりを追ってしまう事が恐ろしく、あまり帰りたいとは思わない。住人たちの顔ぶれも変わっているだろう。連合国の保護下に入ったと言う事は、もしかしたら言葉も違う、海の向こうからの移民かもしれない。
 それを果たして自分は受け入れるかどうか。ともすれば萎えそうになる途方もない復讐の道を歩む為には、帰郷する事すら憎むべき事のように思える。
 しかし故郷の訛りの残った節回しで奏でられるイヴェールの音は、麦の借り入れ作業のとき記憶の中で人々が歌っていたもの。否応なく彼の想いは過去へと飛んでいった。
 するりと、頑なに絡まっていた糸が解けるように、向かいに座る相手の向こうを透かして風に揺れる黄金の穂が蘇る。
 山村の豊穣は、街よりも強い喜びに満ちていた。脱穀が始まると、子供たちの遊び場だった風車小屋は粉つき場に変わり、万年雪のように真っ白な小麦粉が石臼の間から摺りあがっていく。潜り込むと体のあちこちが粉っぽくむず痒かったが、あの独特の雰囲気は幼心に嫌いではなかった。そして幼馴染の少女が頬を膨らませ、そんなローランサンを叱りにくる――。
「君が地方の出身だって事、たまに忘れそうになるな。どんな所だったんだ?」
 こちらの考えを読み取ったようにイヴェールが口を挟んだ。鈍いように見えて、時折この男は妙に勘が良い。
 ローランサンは視線を一度だけ手元に向けると、詰まらなさそうに頬杖を付いた。
「……この宿ほど、飯は美味くなかった」
「何だいそれ?」
 はぐらかしても妙な返答だと笑うだけで、それ以上問う気はないようだ。からかわれるのではないかと危惧していた為に拍子抜けしたが、よく考えれば必要以上に互いの事情には踏み込まない暗黙の了解がある。イヴェールの方はある程度こちらの過去を知っているはずだが、深く聞き出そうとする事は決してなかった。
 ――結局、この男は何なんだろう。
 居心地の悪い気分になって、彼は手持ち無沙汰に葡萄を口に放り込む。リュートを聴きながら秋の味を噛み締めていると、再び罪悪感なく故郷の事が思い出されてきて、我知らず自嘲した。
 これまで、憎悪にすがるしか生きる術もなかったと言うのに、いつの間に自分は腑抜けたのだろうか。
 静謐な秋の宿、祭りの陽気、幼い少女を助け、こうして感傷に浸って音楽を聴いている事――自分らしくもない休息。
 解いたイヴェールの銀髪が、ランプの照り返しで鈍く光っていた。彼は飽きずに指を弦に絡ませ、歌と戯れている。
「……お前、それだけで食ってけるんじゃねーの」
「さあ、どうかな」
 無愛想に呟かれたローランサンの一言にも、彼は視線も上げずに軽く微笑するだけだ。
 まるで言葉は無粋だとでも言いたげに、静かに。





END.
初(2008.03.03)
再(2009.05.15)

個人誌『Durandal』より再録。出会いたての盗賊たちセカンド。


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