街道にて











 その荷馬車が馬賊に襲われたのは、あと少しで次の街に着く間際の事だった。
 ひゅん、と乾いた音を立てて矢が飛来すると、幌を貫通し、荷台の床へ突き刺さる。
「……物騒だな」
 詰め込まれている樽へ背を預けていた男は、眉間に皺を寄せて呟いた。未だ少年の名残はあるものの、精悍な顔と均整の取れた体躯は鋭く引き締まっている。次の矢が危うく飲みかけの酒瓶を割るところだったので、彼の顔は更に険しくなった。
「ったく」
 舌打ちした男――ローランサンは抱えていた剣の鞘を取り、肩に担いで立ち上がった。がたがたと車輪の軋む床が、ブーツを通して脳を覚醒させる。
「おい、イヴェール」
 まず幌の中を見たが、相方は暢気に昼寝中のようだ。兎が巣穴でくつろいでいるような色合いで、枯れ草の合間からふわふわした銀髪が覗いている。
 まあ、樽の影になっているから死にはしないだろうが、平和な男だ。この悪路で安眠できる時点からして平和だと思ってはいたが。
 彼らが乗っているのは簡単な枠に幌をかぶせた平馬車で、乗り心地はあまり良くない。御者を入れなければ乗員は自分たち二名のみ。中にはぎっしり品物の樽や袋、それを保護する干草が詰め込まれていた。簡単な荷運びなどを手伝う代わりに、無料で次の街まで便乗させてもらっていたのだが――…。
「どうした、オッサン?」
「追いはぎだ!十人以上はいる!剣を使えるんだろう、お前さんたちの出番だぜ!」
 問えば、手綱を握る行商人は背後を顎で示しながら怒鳴った。
 旅人が街道を歩けば夜盗に襲われ、宿に泊まれば寝込み襲われるのも日常茶飯事。悪い時には金に困った領主が賊と結託し、道行く人々から金品を奪う場合もある。商人たちは自衛の為に武装し、護衛を雇って、安全に荷を運ぼうと苦心している時代だったのだ。
「まあ、追いはぎ自体は珍しい事じゃないが……」
 呟きながら、ローランサンは鞘から剣を引き抜く。黒い刀身が鈍く光るのを眺め、僅かに片眉を上げた。
「襲われる側にも盗賊がいるっていうのは、珍しいかもな」
「……今は護衛役みたいだけどね」
 ふっと、背後から声がかかる。いつの間に目を覚ましたのか、先程までぴくりともせずに昼寝していた相方が立ち上がっていた。「起してくれないなんて酷いな。射殺されたらどうしてくれるんだ?」
 不満げな言葉とは裏腹に微笑を浮かべ、突然の騒動だと言うのに動揺している素振りはない。肝が据わっていると言うべきか、緊張感がないと言うべきか図りかね、ローランサンは無愛想に沈黙した。
 出会ってから数日経ったが、イヴェールと言う新しい仕事仲間を未だ掴めていない。利害関係で組んだとは言え、わざわざ取引なんぞ持ちかける相手だ。何か他に企んでいるのかと警戒もしていたが――…しかし普段のイヴェールは全く人畜無害に見える。左右色違いの瞳の奥に何を抱えているか、見切る事は難しかった。
「お前、戦えるか?」
「少しはね」
 彼は腰に下げていた刀剣の柄頭を軽く叩く。レイピアと呼ばれるそれは軽量で、細く真っ直ぐに伸びた鋭い刀身を持っていた。刺突に特化していたため鎧の隙間を突くのに重宝されたが、その形状ゆえ叩き折られる事もある。
 本当に当てになるんだか、とローランサンは口の端を上げた。
「まあ、お手並み拝見だな。俺は先に行くぜ」
 そのまま御者席へ向かう。商人の横で身を乗り上げるように辺りを見回すと、吹き付ける追い風の中、いかにも柄の悪い男たちが徒党を組んで背後から迫ってくるのが見えていた。平和な牧草地には似つかわしくない光景だ。
「頼むぜ、兄ちゃん!礼は弾むからよ!」
「ああ、このまま速度は緩めるなよ!」
 飛来してくる矢を剣でなぎ払うと、ばらばらと折れた矢が足元に散らばる。ローランサンは距離を測ると、足場を確保し、二人並ぶには些か狭い座席で体勢を整えた。彼の剣はイヴェールとは逆に大振りで、振り回すにも場所が要る。
 平原は美しい夕焼けに染まっていた。なだらかに続く葡萄林の影になっているのか、まだ街の城壁は見えてこない。横から差す斜陽が片頬を照らして、さっと瞼の裏を撫でていく。それが何を自分に連想させるのか、彼自身が嫌と言うほど分かっていた。
 焼け落ちる風車だ。
 悔恨か、あるいは名さえ持たない切なさか。彼は何かを噛み締めるように目を細め、緋色に染まる空を見据える。
 握る剣の漆黒が、じわりと掌から体中に滲んでくるような感覚が走った。ざわめく感情は、やがて彼の中で覚悟に変わる。
 殺されるかもしれないと言う恐れは、ない。
 臆病な過去の罪と共に、恐怖心は故郷に捨ててきたはずだった。何より復讐を果たす前に死んでは、何の為に生き残ったのか分からない。
 ローランサンは夕日を振り切るように髪を揺らすと、すっと瞳を尖らせて敵を待ち構えた。元から品物を積んだ荷馬車と、身軽な単騎とでは勝負が付いている。瞬く間に馬蹄が近づき、賊の一人が横付けとなった。
「死にたくなけりゃ大人しく荷を寄越しな!」
「はっ、ありきたりな脅し文句、ありがとよ!」
 言葉と同時に突き出された相手の剣へ、抜き放った黒剣を打ち合わせる。競り合うほど安定した場所ではない。互いを押しやるようにすれば、すぐに馬が遠のいて間合いから遠ざかってしまうだろう。
 だが、その前に決着は付いた。相手の武器を絡めるようにローランサンが交差された剣を繰り、それを弾き飛ばしたからだ。澄んだ鋼が落陽を反射し、剣は閃いて宙を舞う。
「口だけじゃねーか」
 わざと吐き捨てるように嘲笑すれば、武器を取り落としては勝ち目がないと踏んだのか、賊は悔しげに戦線から離脱していった。しかしその間にも一騎が接近し、彼に一太刀浴びせようとしている。ローランサンは冷静に上体を反らしてかわし、剣が薙いた瞬間を見計らって相手の脇を突くと、そのまま横に切り払った。ぎゃあと悲鳴が上がり、また一騎が片付く。
「へえ、あんた思ったよりやるねぇ!」
 商人が横で歓声を上げた。彼にとっては街道で出会い、無料で乗せてやった乗員が腕利きの護衛役を果たしてくれると知って、良い拾い物をしたとほくほくしていたのだろう。
 誉められた当の本人は、当然のように口の端を上げてみせる。
「礼を弾むって言った事、忘れるなよオッサン」




 そうやって何人かを相手にしながら、暫く経っただろうか。横から差していた夕日が梢に遮られ、一行は密集した林の中に入った。
 道も狭まり、馬車の横に付くほどの広さもない。彼らは一列になって砂埃を上げると、更なる追走劇を続けていた。ローランサンの技量に怯んだせいもあり、賊は速度を緩め距離を開け始めている。一時的に様子見、と言う事だろうか。
「切りがないな……」
 舌打ちをすると、御者台から一度引っ込む。
 そうして背後を見ると、イヴェールが荷台の垂れ幕を開けていた。先程まで音沙汰がなかったが、ようやく何かする気なのだろうか。
 彼は入り込む風に銀髪を靡かせ、荷下ろしでもするように樽の一つをずるずると動かしていた。不審に思い、ローランサンは訝しげに剣を鞘に戻しながら尋ねる。
「……何してんだ?」
「何って、追いはぎ退治に決まってるだろ」
 そう言ってイヴェールは間近に迫っている男たちに向かい、樽を思いっきり蹴り飛ばした。それは大きく弾んで転がると、中に入っていた品物――どうやら林檎のようだ――を撒き散らしながら転がっていく。
「うわああっ!」
 先頭の馬が足を取られると、後ろに並んでいた馬賊たちの数人がそれに巻き込まれ、ばたばたと転倒していった。人と馬の悲鳴が鳴り響き、踏み潰された林檎の実が場違いに暢気な色で道を彩った。
「よし、三人は減ったかな」
 ぱんぱんと、彼は優雅に掌を打ち合わせる。ローランサンは半眼で相方の整った横顔を眺めた。
「……お前、性格悪いな」
「効率的にやるのが一番だからね。道が狭いのが幸いだったな」
 そう言いながら、もう一つ樽を蹴り倒している。こう売り物をぽいぽい投げられては商人の方も可哀想だ、とローランサンが尚も呆れ顔を作っていると、今度は手近にあった酒瓶を拾い上げていたところだった。
「おい、それは俺の――」
 酒だ、と言う暇もなく、イヴェールは腕を振りかぶる。吸い込まれるように小瓶は宙を舞うと、一番右の賊へ命中した。脳天を強打され、あげくアルコールに目を焼かれ、男は悲鳴を上げて落馬していく。
「よし、また一人」
「…………」
 文句を言う気もなくなった。なんでコイツ、楽しそうなんだ。
「あの樽を転がしたのがバレたら、お前が弁償しろよ」
「この騒ぎで勝手に落ちた事にするさ」
 そう言い合っていると、丁度前方から「兄ちゃんたち平気かー?」と心配する声が聞こえ、二人は別々の意味で肩をすくめた。
「……ったく、下手な追いはぎより性質が悪いじゃねぇか。腰の剣は飾りか?」
「この距離で僕が剣を使っても効果は薄いだろ。立ち回りはそっちに任せるよ」
「へえ。そりゃ有り難いね」
 ローランサンが皮肉ると、イヴェールは話す時の癖なのか微かに首を傾ける。さらりと肩口で髪が揺れた。
「第一、街に着くまでの時間を稼げればいいんだ。まともにやり合う必要はない。城門をくぐればこちらには手を出せないはずだろう。そうでなければ何の為に城壁があるんだい?」
「そう楽に行けばいいけどな。あいつら、しつこいぞ」
「根性なら僕らだって負けないだろ」
「はっ、どうだか」
 とにかく、イヴェールの方は心配するだけ無駄のようだ。後ろは任せようと再びローランサンが前方に向かえば、ひゅん、とまた不自然に風を切る音が耳元で鳴る。それは彼の髪を揺らし、横にいる商人へと向かっていった。
「うわぁっ、痛ぇ!」
 その悲鳴と共に、がくん、と荷馬車が揺れる。
「大丈夫かオッサン!」
 どうやら腕に矢を射られたようだ。幸い傷は浅そうだが、手綱を放してしまっている。身を屈めるようにして痛みに耐えている商人の姿を確認し、ローランサンは駆け寄ろうとした。
 しかしそれは出来なかった。追い風に乗って更に飛来する矢が相次ぎ、薙ぎ払うことに専念しなければならなかったからだ。唯でさえ奇襲にあって落ち着きをなくしている二頭の馬は、操る力がなくなった事で暴走し始めている。前方には急なカーブがあり、この勢いでは曲がり切れず馬車ごと転倒するかもしれない。
「場所を代われ!僕がやる!」
 背後から身を乗り出し、イヴェールが怒鳴った。彼は負傷した御者を背後へ追いたて、半ば走り込むようにして手綱を握る。
「くっ……!」
 身体をぐっと仰け反らせるようにして、イヴェールは馬を制し進路を元に合わせた。手綱を力一杯引けば良い、と言う物ではない。突然の引きに驚いた馬が棹立ちにならないよう、ある程度の加減が必要だった。
「へえ、意外だな」
「自慢じゃないが、馬の扱いは得意な方だ」
 矢を払いながらローランサンが目を丸くすると、イヴェールは顔を綻ばせた。未だ状況は緊迫しているというのに随分と愉快げで、まるで子供でも相手にするように馬を宥めている。
 やがて林が途切れると、念願の街が見えてきた。既に夕日は赤味を失い、急速に夜へ沈み行こうとしている。あそこまで辿り着ければ安心だ、と彼らは安堵した。
 しかし物事は上手くいかないものだ。閉門の刻限だったのだろう。街を守る城門は既に半ばまで閉じられている最中で、漏れ出る灯りは絞られて細くなっている。並の速度では無理だと悟り、イヴェールは隣の相方に向けて怒鳴った。
「このまま振り切って、門に突っ込むぞ!」
「はあ、嘘だろ!間に合わないぜ!」
 しかし言い合っている暇はない。有無を言わさず彼が手綱を振えば、馬蹄が石畳を叩き、車輪が大きく軋んで疾走を始めた。ローランサンは咄嗟に座席へしがみつく。
 ぐんぐんと石造りの壁が間近に迫ってきた。門番たちが何事かと目を丸くしている表情まではっきり見えてくる。彼らは突然現れた不審な馬車と、いかにも粗野な賊らしい一団を見て、慌てて門を閉める速度を上げ始めた。
「酷いな、善良な市民を見捨てる気か?」
「俺だって門番だったら、こんな全力疾走の怪しい馬車は入れたくねぇけどな」
「君はどっちの味方なんだい。間に合わずに馬賊と野宿するなんて、僕はごめんだね」
 イヴェールは非難するように言うと、視線を下げて辺りを見回した。射られた際、御者が取り落としたのかもしれない。手元に鞭が無い事に気付いた彼は、代わりに自分の腰から剣の鞘を引き抜くと、勢いよく馬を叩いた。
「舌を噛むなよローランサン!」
「お前、絶対剣の使い方を間違ってるだろ!」
 御者台で二人が怒鳴りあっている間にも、二頭の馬たちは飛ぶように地を蹴った。門番が止まれと叫ぶが、護衛役の二人は言い合っているので聞き耳を持たなかったし、商人は傷を抑えたまま荷台で泡を食い、そして勿論馬たちは人間の言葉などお構いなしだった。手綱を握るイヴェールの指示に合わせ、一直線に進んでいく。
「――…っ!」
 ガリガリガリ、と凄まじい音が響いた。
 両側を扉に挟まれ、派手に木片を飛ばしながら、馬車は強引に門を通過した。まさに間一髪、ぎりぎりの幅だ。乗員三名は上下左右に揺さぶられながら広場の中に躍り出たが、衝撃で後輪が外れ、がたんと転げるように停止する。荷台の方で盛大に樽が転る音がし、また林檎が潰れる甘酸っぱい香りが日暮れの街に漂った。
「……はっ……」
 思わず引き攣った笑いが漏れる。ローランサンが変に捻った首を片手で押さえながら隣を振り仰ぐと、イヴェールの方も何か憑き物が落ちたような表情で肩を押さえていた。やはり痛めたらしい。
「お疲れ様だな、イヴェール。だが馬の扱いより、人間の扱いを覚えた方がいいかもしれないぜ」
「……考えておこう」
 そう話している間にも、槍を持った門番たちが駆けつけてくる。事情が事情だし、馬車の方は旅券を持っているはずだから問題ないだろうが、多少面倒なことになりそうだ。通行税を踏み倒そうとした嫌疑でもかけられては堪らない。
「助けてもらったとこ悪いがね……こりゃ、ちょいと礼は無しだよ、兄ちゃん」
 もそもそと背後から呆けた顔で商人が身を乗り出し、そう告げた。






END.
初(2008.03.03)
再(2009.05.15)

個人誌『Durandal』より再録。出会い始めの盗賊たち。


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