つまりはただの美食の話












 路上に遠慮なくぶちまけられた生ごみや汚物を餌に、街で豚が放し飼いにされていたのは、つい最近までの事だ。
 彼らの手足は長く、体つきはがっしりして牙を持ち、褐色の剛毛で覆われている。気質も荒く、単純に豚と言うよりも猪に近かった。無鉄砲に突進してくるものだから狼でさえ恐れをなしたと言う。
 しかし当時の豚は町の清掃までこなす上、家庭の食卓にも並んでくれる、それはそれは貴重な家畜。住人の半世帯は豚を飼い、通りに放し飼いしているのが普通の光景だったのだ。
 とは言え、いきなり飛び出してきた雌豚に馬の足を取られ、王位継承者だったフィリップ王子が落馬して亡くなってからというもの、街で豚を飼う事はご法度になる。迷い込んでくるからという理由で、城壁の外で飼う事も禁じられた。
 おかげで養豚業者と肉屋は繁盛する事になる。けれど遠い郊外で育ち、一時間以上も空腹のまま歩かされて市場に出る豚が美味しい訳がない。肉は固く、味はぐんと落ちる。腐ったものが売られるのも最近では当たり前になってきた。


「――とまあ、前置きが長くなったけど、そういう事だ。ローランサン」
「どういう事だ」
「つまりこれは貴重な機会と言う事さ」
「こうして豚を追いかけるのが、か?」
 二組のブーツが地面を蹴る音が、硬質なものから鈍く変わる。石畳の広場から細い小道に入ると、舗装が途切れたのか柔らかな土の感触が伝わってきた。
 螺旋に巡る坂道は小高い街の尾根を登り、民家の少ない雑草の生い茂った区域へと向かっている。もしかしたら教会脇にでも出るのかもしれない。
 ローランサンは不満げに覆いかぶさる枝葉を払いのけながら、前を行くイヴェールの後を追っていた。そのイヴェールは更に前方、今回の元凶である豚を追っている。
 嫌な列だ。
「おい、いい加減に諦めろよ。何もここまでする事ないだろ。俺は早く宿を探して寝たいんだ」
「だけど放し飼いの豚だぞ。美味そうじゃないか。スパイスで味を誤魔化さなくても済むなんて最高だ!」
「……狼でさえも恐れをなした、っていう逸話付きだけどな」
 妙に生き生きと語る相方に付いていけないものを感じながら、ローランサンは呆れ果てて鼻白んだ。
 豊かとまでは言えないが、路銀だって充分に足りている。何が悲しくて街中で豚を狩らなければならないんだ?
 味に拘らないローランサンとしては携帯している塩付け肉だけで満足するし、少し奮発したいのなら適当な食堂に入って酒でも飲むか、総菜屋で焼いたガチョウでも頼めばいい。張り切って野豚を追うイヴェールの情熱など、これっぽっちも分からなかった。
 勝手にやらせておけばいいのだが、少なくとも宿を決めるまでは一緒にいないと合流できなくなる。仕方なく相方の道楽に付き合っていたが、全くやる気が起きなかった。広場で暇そうにうろついていた豚をイヴェールが見つけてしまった時点で、自分の運は悪かったのだろう。結果的にこうして野豚を追い、登りたくもない坂道を駆けている。
 道はやがて途切れた。何かの材木置き場になっているのか、様々な資材が行く手を塞いでいる。ようやく追いかけっこも終わりだ。
 逃げ道を失った豚は観念したのか、突如こちらを振り向いて威嚇の唸り声を上げる。大柄で、いかにも凶悪そうだった。ごわごわした汚らしい剛毛が逆立っている。
「……あまり美味そうには見えねぇけど」
「見た目はね。中身に期待だ」
 牙を向く獣にもひるむような彼らではない。イヴェールの方は既にナイフを利き手に持っていた。普段人と争うのは嫌がるのに、こんな時にだけ抜き身が早い。気乗りしないローランサンも一応は剣を構えたが、未だ納得が出来ずに眉を寄せている。
「第一、放し飼いなんだろ。飼い主に見つかったらどうすんだ。豚ごときで揉めるのは馬鹿らしいぜ」
「盗賊の癖に何を言ってるんだい?」
 ふふん、とイヴェールは鼻で笑った。
 ――俺は豚を頂く為に盗賊になった訳じゃないんだが。
 言い返しかけたローランサンだったが、突進してくる豚の鼻づらを見て口を閉じる。何をしているんだ俺は、と自問自答しつつ、奇妙な狩りが始まった。




* * * * * * *




 その日の夕暮れ、川べりに立つ市場の総菜屋に、豚を一匹引っさげた男二人組が現れた。料理人に材料を渡し、調理して貰う約束を取り付ける。
「へえ、こりゃ良い豚だねぇ。照り焼きの他にポタージュも作れるよ。出来上がるまで向こうの卓で待っててくれ」
 鶏肉をぶつ切りにしていた料理人は額の汗を拭い、不思議そうに目の前の二人を見比べた。
「しかしアンタら、その格好はどうしたんだい?」
「……知るか!」
 ぞんざいに男の一人は答えると、叩きつけるように死んだ豚を放り出す。夕飯時で賑わう通りにはその剣幕も紛れてしまうが、連れの男は少し頬を引きつらせていた。
「まあ、色々あったんで」
 と話を濁す。そして調理法についてあれこれ注文すると、慌てて相手の後を追った。
「怒るなよローランサン。結局うまくいったじゃないか」
「へえ。徒労の方が大きかった気がするがな」
 俊敏な豚が散々二人を翻弄したので、すっかりぼろぼろになってしまっていた。生ごみを食べて育っただけに、捕まえた際の汚れや匂いも酷い。ようやく仕留めたと思ったら、危惧していた通り飼い主が現れてぎゃあぎゃあ文句をつけられたところを、元から豚を街で飼うのは違法だの何だのと言い負かして持ち帰ってきたのである。
 最初から乗る気ではなかったローランサンは、一連の騒動でかなり機嫌を損ねていた。眉間の皺がいつもより深い。
「これで不味かったら本気で殴るからな」
「……また物騒な事を……」
 背もたれのない簡素な椅子に座り、豚に噛み付かれそうになった手の甲を擦りながら、イヴェールは苦笑した。
「大丈夫、味は保障するよ。それにこれだけ苦労したんなら、何でも美味く感じるさ」

 ――とは言え、厨房で血抜きされている豚が皿に乗って出てくるまで、腹をすかせて待たなければならないけれど。







END.
(2008.08.28)

中世の食生活について調べていたら豚のエピソードが面白かったので、つい阿呆な事をさせてしまった。イヴェがマイペースすぎて既にサンが付いていけなくなっている件。


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