Argot










 迷路のような路地を歩き、狭い石畳の階段を下りると目的の店は現れる。
 わざと看板の外された扉を開ければ、じりじりと低い天井で燃えるランプの光が猥雑な店内を照らしていた。棚に雑然と詰め込まれているのは、干からびた薬種や妖しい壷、生き物が入れられた瓶や籠など様々である。他の入り口が地下街と繋がっているのか案外広く、客の数もそれなりに多い。
 ベルを鳴らして姿を現した二人連れのうち、先頭を切ったのはくたびれた旅装を身にまとった青年だった。だが鍛えられた四肢や帯刀する物腰は鋭く、この下町の界隈にも慣れているのか、隙の無い身のこなしで辺りを見回している。
 続いて扉をくぐったのは、反対に場違いなほど身なりの良い青年だった。こちらは丸腰のようで貴族然とした銀髪を一つに括っている。ベルの音で店内の視線は、関連性の分からない二人の上に集まった。
「おい、薬屋。邪魔するぞ」
 威嚇代わりに腰の剣をちらつかせながら、先頭の男──ローランサンは奥に声を掛けた。
 いかにも柄の悪そうな客たちが棚を物色し、カウンターには店主の他に用心棒らしい強面の男が立っている。ローランサンの後ろに控えるイヴェールは、会話に入らない程度の距離を保ちながら、汚らしい店の様子を眺めて眉を寄せていた。
 二人は今回、共同で仕事をする仲間である。依頼を持ち込んだのはイヴェールなのだが、本人も実行犯に加わるという事で共に行動していた。年が近いせいなのか、それなりに馬は合う。
 今日も下準備の為にこうして同行してきたのだが、盗賊稼業が初めてのイヴェールはこんな場所では役に立たないので、大人しく黙ってろと言いつけてあった。
「久しいなローランサン。おっちんじまったんじゃないかと思っていたが、まだ地獄から嫌われているらしい。後ろの着飾った兄ちゃんは護衛かい?細腕で頼もしいこった」
 恰幅のいい髭の店主は揶揄しながら彼らを眺め、値踏みするように目を細めた。
 人からは『薬屋』と呼ばれているが歴とした闇商人である。法の下を掻い潜り、盗品の買取、人身売買、違法薬物の調合、情報屋との仲介などを一通り取り扱う連中だ。逆らって反感を買う事は勿論ご法度だが、舐められても足をすくわれて痛い目に遭う。ローランサンは気を引き締めた。
「単なる連れだ。俺も気弱でね、これでもアンタのとこに一人じゃ心細かったんだぜ?それより、薬の調合を頼みたいんだが」
 肩をすくめ、話の矛先を変えようとする。イヴェールも努めて関心のない顔をする事に決めたようで、読書家らしく古本の棚へ視線を向けていた。
「……ふん、調合ね。新しいお仕事って訳かい?」
「ああ。お前も本領発揮だろ、『薬屋』?」
 口の端を上げて見せると、一瞬黙り込んだ店主は目配せをして手招いた。訳ありの商談は他人の耳に入らないよう奥の小部屋でするのが普通だったが、生憎、その日は既に別の用件で埋まっているようだ。代わりにカウンターの周りに人払いをする。
「で、どんな種類だ。最近じゃあ色々と不作だぜ?薬師も少なくなってるしよ」
「即効性の睡眠薬が欲しいだけだ。出来るだけ楽に仕込めるものがいい」
「……なんだ、それだけかい。仕事だって言うから期待してんだが、その程度じゃこれで十分だろう。水に溶かしてから布に染み込ませて、口から吸わせりゃ一発だ」
 店主は拍子抜けしたのか、首の後ろを掻きながらカウンターの下から紙に包まれた粉末を取り出した。値段もそれほど高くはない。
 商談は早かった。素早く硬貨と交換する。
「さて、こっちは終わったぜ。そっちの兄ちゃんは何か注文するか?」
 店主は潜めていた声の音量を元に戻し、我関せずといった様子で離れていたイヴェールへ気軽に声を掛けた。
 幾らか気になっていたのかもしれない。青年は突然話の矛先を向けられて面食らった様子だったが、微苦笑と共に返答した。
「……そうだな、この本を一冊貰おうかな」
「へえ、本ねぇ。お上品なこった」
 店主は面白そうに眉を上げる。元から客層が盗賊やら何やらと柄の悪い男たちなのに対し、如何にも場にそぐわない出で立ちの彼に興味を覚えたらしい。カウンターに本を持って近づいたイヴェールとローランサンの顔を交互に見比べ、にやりと笑む。
「どうせならこういう薬もどうだ、ローランサン?そっちの兄ちゃんと楽しめばいい。安くしとくぜ?」
 ちらつかされた小瓶と下卑た視線で中身を察する。
 まあ所謂、媚薬やら何やらという下世話な類のモノだ。確かにイヴェールは品の良い顔立ちをしているしローランサンもそこそこ見目が良いけれど、丸っきり見当はずれな見立てである。ローランサンは苛立たしさより先に馬鹿らしくなり、器用に片目だけ細めた。
「……おい、薬屋」
「なーに、心配ねぇさ。結構あたりじゃ出回ってて入手が難しいんだが、女だけじゃなく男でも効くらしいってんでね、ちょっとした漢方みたいな物なんだぜ。どうだい兄ちゃん、少し舐めてみな」
「?」
 イヴェールは話の流れが分からないようだが、蓋の開けた瓶を為す術がないまま無理に渡されてしまい、仕方なくと言った顔で香りを嗅ぐ。そして一瞬だけ眉をしかめると、ローランサンが止める間もなく指先で液体をすくい、躊躇いなくぺろりと舐めた。
 ──乗せられやすいにも程がある。
 脇では店主がにやにやと事の成行きを楽しんでいる。ローランサンはぎょっとしたが、しかしよく考えれば、相手は顔に似合わず恐ろしく酒に強いイヴェールだ。脳裏に二人で飲み比べしたときの忌まわしい惨劇が蘇り、慌てて打ち消す。
 あの時のアルコール摂取量と比べたら、舐めた程度の媚薬など可愛いものだろう。
 案の定、イヴェールに変化はない。むしろ思慮深げに指先で唇をなぞる様子は泰然としたもので、暫くしてから瓶をカウンターに置くと、冴えた碧眼を閃かせておもむろに切り出した。
「どうやら混ぜ物をしているようだね。媚薬──催淫材にしても悪酔いしそうだな。検品はどうなってる?」
 途端、虚を突かれた店主が顔色を変えた。ローランサンも顔をしかめる。何だか雲行きが怪しい。
「何だテメェ、デタラメ言いやがって!商品にケチつける気か!」

「でたらめだって?」
 心外そうにイヴェールは目を細めた。
「これの何が漢方だ。確かに玉葱や蜂蜜酒など、刺激性物質やアルコールの入っている害のない食材が媚薬とされる事もある。だが、かつて魔女がサバトの饗宴で用いてオルガスムスを得たとされるのは、これと同じように麻薬の種類だ。興奮作用のあるものが性欲昂進に効果があるとされていたからね。ホルモン系を刺激するものだと性的な幻覚も引き起こしやすく、毒と混同した結果に破滅する人間もいたと言うし──」
 長々と説明し出したイヴェールに、何かあったのかと店内の視線が集まり始めた。読書家なだけに無駄に知識だけは多い彼は、ちょっとしたトリビアを披露しながら瓶を掲げている。
「サフランの匂いに紛れているが、これも幻覚性を伴う麻薬の一種だろう。それも結構、中毒性が高いと見える……悪趣味だな」
 ざわ、と辺りに動揺が走った。一方は客の者、一方は店の者。
 その両者に挟まれながら、ローランサンは頭痛を覚えて額を押さえる。気軽な媚薬として流通させ、中毒にかかった者から更に金を巻き上げる──。
 まあ、よく有る話だった。よく有るからこそ賢い者は黙殺し、間抜けな者だけが引っかかる仕組みになっている。あちらからすれば客の前で大っぴらに言い触らされ、営業妨害もいい所だろう。
 ──本来なら聞き流してしまえばいいものを、何故わざわざ指摘するのだろう、このお坊ちゃんは。
 途端に険悪なムードになると、護衛役でカウンターの脇に控えていた強面の大男がずいっと身を乗り出した。これ見よがしに武器を片手に携えながら、ドスの効いた声で吐き捨てる。
「おいおい、面白いこと言い出すじゃねーか。そんなにきゃんきゃん鳴いて掘られてーのかよ、えぇ?簡単にバックレると思ったら大間違いだぜ、お姫さんよォ」
「……?」
 イヴェールは相手の言い回しを理解していないようで「……ばっくれ?」と呟いて眉を寄せている。
 どこの純粋培養だ、ちょっとお前貞操の危機だぞ、とローランサンは忠告してやりたくなったが、まずは事態の収集の為にと袖を引いて、噛み付くように耳打ちした。
「おいイヴェール、さっさと前言撤回しろよ。気のせいでした、って今のうちに素直に頭下げて謝れ!」
「……だが嘘は言っていない」
「馬鹿、強情張ってる場合か!」
 むっとして言い返すイヴェールは本当に馬鹿正直だった。顔をつき合わせて二人がごちゃごちゃ騒いでいる間に店の用心棒たちに周りを取り囲まれ、申し合わせたようなお約束の展開になる。
「呑気にお喋りとは良いご身分だな。うちも信用第一なんでね、ちょっと奥で話し合って誤解を解こうじゃねーか。歓迎するぜェ、お二人さん?」
「……お手柔らかにしてくれるんなら俺も考えたが、どーにも、話し合いで済むほど簡単な問題じゃないみたいだな……」
 人目がない奥に連れ込まれたら、何をされるか分かったものじゃない。こめかみに冷や汗が浮かぶのを感じローランサンは退路を探したが、にやけた顔の男たちに四方を囲まれてしまっては、どう転んでも穏便に済みそうになかった。

 ──結局、イヴェールの腕を引っ張りながらの大立ち回りを繰り広げたローランサンは、どうにかこうにか窮状を脱した。
 裏路地を走って追っ手を振り切り、一息ついた頃にはもう夕暮れである。
 露天商の並ぶ市場を抜けて川沿いの貧民街まで辿り着くと、差し込んだ斜陽が石造りの壁に赤々と反射していた。二人はそこに背を預けて息を整えながら、完全に撒いたことを確認する。
「ったく、お前と居ると身が持たねぇ……!引っ掛けられそうになったら適当に流して、とっととずらかるのが鉄則だぜ。煽ってどうすんだよ!」
 馬鹿じゃないのかと息巻いて、ローランサンは人差し指を相方の鼻先に突きつけた。剣幕にたじろいで細い顎を引きながら、しかしイヴェールは首を傾げてみせる。
「ヅラ狩る……?」
「………………………いや。何を想像したのか大体分かったから、それ以上言うな」
 呆れて言葉がない。馬鹿な発言が出てくる前に掌を翳して制すと、ローランサンは頭を抱えた。
 悪い奴ではない。悪い奴ではないのだが、こうして時おり無性にイラッとさせたり脱力させたりする男なのだ。壁の薄い安宿に泊まれば聞くに耐えない罵声や嬌声が隣部屋からすると生娘のように嫌がるし、埃っぽいからシャワーが浴びたいと贅沢な駄々を捏ね、粗悪なワインには舌がしびれるとケチを付ける……そんな男だ。
「いいか、よく聞けイヴェール。郷に入れば郷に従え、朱に交われば赤くなれ、の精神だ。今回だけとは言え、盗賊として振舞うなら最低限それらしくしろ。お利巧な本の知識も結構だが、簡単なスラングくらい理解するんだな。時には馬鹿な振りや黙殺する事も必要だし、お前だって不慣れなまま見くびられるのは嫌だろ?」
 真剣に忠告してくる相方の様子に心を動かされたのか、イヴェールは神妙に睫毛を伏せた。世間知らずでどこか他人とピントが合わない男だったが、決して愚かな訳ではない。自分に非があると自覚すれば殊勝なもので、ひどく申し訳なさそうにする。
「……そうだな、僕が考え無しだった。あの店も暫くは使えないだろうし、ローランサンの評判も落としてしまったな」
 すまないと肩を落として意気消沈した姿は、耳を伏せた子犬のよう。途端に責任を感じ始めたらしく、しゅんとして反省している。今度は必要以上に落ち込まれてしまい、ローランサンはがりがりと頭を掻くと溜息を零した。
 ──手の掛かる男だ。
 良いも悪いも扱いに困る。だが何だかんだ見捨てる気になれないのは、その美点とも欠点とも呼べる性質に毒気を抜かれてしまうせいかもしれない。幼い子供の相手にしている気分になり、躾ってどうするもんだっけと遥か過去を引っくり返して自分がどう育てられたか思い出そうとしたが、結局は柄でもないと面倒になって早々に見切りを付けた。
 いちいちフォローしてやる程でもない。どちらせよ仕事仲間と遺恨があっては支障が出るし、これから気を付けてもらえばいい事だろう。今日は散々な目に遭ったので多少ぶすっとした口調になるのは仕方なかったが、踵を返しながら片手をひらひらと上げるに留める。
「まあ、いい。終わった事は今更だ。さっさと宿に帰るぞ。一応は目的の物は手に入ったし、このご時世じゃ闇商人も他に腐るほどいるんだ。店を乗り換えるいい機会だったのかもしれない」
 その台詞に許された事を知り、苦笑しながらもイヴェールは顔を上げた。子供と言うより、やはり犬の方に似ているかもしれない。ほっとしたのか今にも尻尾を振りそうな顔をして、彼は親しげに腕を伸ばした。
「……はは、ローランサンは良い奴だな。僕の弟に欲しいくらいだ」
「頭撫でるな、気色悪ぃ!大体、何で俺が弟なんだ!」
 まったく、変わり身が早い。上機嫌で髪をくしゃくしゃに掻き混ぜてくる腕を払い、慌てて怒鳴った。
「誤解するな、お前が足を引っ張ると迷惑だからだ。じゃあ言わせて貰うがな、大体いい年をした野郎が自分の事を“僕”と呼ぶ事からしてゾッとする!まずそっから変えろ!」
「……偏見じゃないか?」
「いいから!」
「じゃあ……“俺”?」
 慣れないのか何度か口の中で言葉を転がしていたが、やがて満更ではないように口の端を上げると、軽い足取りで隣に並ぶ。さらりと長い銀髪が風に踊った。
「悪くないな。君ともお揃いだ」
「それと、ここいらの界隈の奴らともな」
「いいね。“俺”も仲間意識が芽生えるよ」
 微笑する柔らかな物腰は未だ下層民ばかりの町では多少浮いていたが、こちらの背を拳で叩いて気さくに友情を示す仕草には、合格点をあげてもいいだろう。
「そりゃあ、光栄だな」
 同じように相手の肩を軽く叩き返し、ローランサンは苦笑する。風変わりな相方のせいで苦労は続きそうだが、今の態度に免じて、とりあえずは面倒を見てやるしかないだろう。








END.
(2007.07.29)

以前、盗賊イヴェを冬天秤と同一人格に設定してしまったので、結果的に我が家の盗賊コンビはこんな感じです。このあとスラングを覚えたイヴェは喜々として「ヘマすんじゃねぇぞ」と使い始めるのでしょう。
そして今後「俺」の一人称は日常では定着しませんでしたが、イヴェがぶち切れた時のみ発動する事になります。


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