09
何処からともなく、魔物は湧いて出てきていた。
リアトリスのすぐ脇を、十五センチ程の軍隊蟻が擦り抜けていく。
思わず身構えたものの、その群れはリアトリスを無視して、戦闘を繰り広げる前方へと、迷い無く進んでいく。
――殺意と闘争心に塗れた魔力に、惹かれてやがんのか。
軍隊蟻とは、常に数十匹の群れで行動する魔物だった。体の大きさに反して彼らの目は退化しており、殆ど何も見えていない。
しかし、絶えず動き回る、くの字型の触角を使って、周囲の気配や異変を探っている為、
群れ同士で衝突することはない。退化している筈の目は、血潮のように真っ赤に染まっている。
頭部には大顎が発達しており、これは獲物を引き裂く為に使う為、非常に鋭利なものだった。
――今は、文月だ。この季節は、軍隊蟻の子供の育成期だったっけ。
……なら、この時期の軍隊蟻は凶暴だ。普段よりも、ずっと活発で獰猛で、気性も荒くなる。
リアトリスは頭の中で、軍隊蟻の特性を思い出していた。
――目の前に立ちはだかるものは、それが何であれ攻撃する上に、獲物だと判断すれば、群れ全体で取り囲んで、食い千切る。
それは全部、巣にいる子供の餌にする為だ……
リアトリスは、そこでようやく気付いた。
――確か、軍隊蟻は地下に巣を作る。産卵時期は文月から葉月の間。
孵化するまでの時間は、……だいたい一週間前後だ。オールコックの地下にあった、あの巣穴は軍隊蟻のものか?
子供の成長は、餌の量にもよるけど、早ければ四、五日で大人になるんだったか。
リアトリスは、ディックへと視線を戻した。幾ら彼が、魔物達を蹂躙しているとはいえ、いずれは限界を迎えてしまう。
斬っても、斬っても、際限なく湧いて出てくる魔物の群れを相手に、たった一人で戦い続けるのは、無理がある。
それに、軍隊蟻まで出てきてしまったのだ。
――どうする。
リアトリスは息を潜めたまま、思索する。
――この場は今、魔力で満ちていて、魔物はみんな狂ってやがる。
下手を打てば、おいらも標的にされちまう。ディックがいるとはいえ、こんな状況だ。それに……
と、リアトリスはアストワースの出来事を思い出す。
――おいらに、合わせて動いてくれるのか分からねえ。
アストワースでのあの一件以降、ディックとはちゃんと話をするどころか、顔をまともに合わせていない。
そして、シェリーの言葉がずっと尾を引いている。
あの魔将は、真っ赤な唇を不敵に歪めてこう言ってきた。
『ヒトらしく振舞ったところで、あいつにも魔物特有の闘争本能がある』
『魔物の血を引くあいつも、決して抗えない』
『戦闘を好むのは、魔物の性だ』
彼女の言葉を信じるわけではない。しかし、今目の前で繰り広げられるその戦い方は、普段とは違って見える。
傷付くことも厭わず、守りを捨てたその戦い方は、畏怖すら感じてしまう。額に滲む脂汗が、頬を伝って落ちた。
――そもそも、魔力結晶を大量摂取しちまった軍隊蟻に、たった二人で勝てるかどうかすら……
その時、その場にいた魔物達が次々と咆哮を上げた。見れば、突撃してきた軍隊蟻の群れが、片っ端から彼らを噛み千切っている。
しかし、やられるだけではなく、とある魔物は襲い来る軍隊蟻の一匹に食らい付き、その肉を引き千切っていた。
別の魔物は目を潰し、触角を引き抜き、そして腸を軍隊蟻に引き摺り出される魔物もいた。
殺し合いどころではない。食い合いを行っている。
そのうち、数匹の軍隊蟻が、ディックを標的に定め、襲い掛かっていた。それを見て、リアトリスは鞄の中を探ったが、
軍隊蟻を駆除する為の薬はない。その薬に使う、専用の薬草があれば短時間で作れるが、今は探す時間もない。
一匹の軍隊蟻を、魔剣で斬り捨てたディックの背後に、別個体の軍隊蟻が飛び掛かろうとしている。
それを見て、リアトリスは今度こそ拳銃の引き金を引いた。
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