09
「悲劇の男振るのは、他所でやって欲しいものだな」
静かに、冷徹に投げかけられた言葉に、男は顔を上げる。
暗闇の中で、青い瞳だけがぼんやりと浮かんでいた。輪郭や容姿などが見えなくとも、
青く光る瞳を見た男は、「ぎゃああ!」と、酷くがさつで品の無い悲鳴を上げた。
「そんな状態では、あと何分生きられるかだろう。その間、苦痛と恐怖に苛まれながら、泣き続けるのか?」
少しずつ近付いてくる青い光に、男は只々悲鳴を上げ続けた。両腕で、必死に地面を這いながら、ディックの足に縋り付く。
「た、助けてくれ……!」
シェリーの押し殺した笑い声が響く。
「ディック、今度は止めるなよ」
それを聞いて、ディックは静かに男から離れた。無情にも、縋り付く男の手を振り払う。
男から向けられる、絶望的な眼差しから目を逸らした。
「あたしだって、少しくらい情けがある。おまえ、助けて欲しいんだろう」
シェリーの冷えた声に、ディックは転がったきりの娘を抱えた。
「……」
命の灯火を失くした躯は、重たく感じた。暗がりの中で、初めて見えた娘の顔は、まだ随分と幼いものだった。
――なかよくしようね。
あどけない声が蘇る。子供達の紅一点。お転婆で男相手にも、物怖じせずずけずけと口五月蝿い。
けれども、とても情の深い少女だった。突然浮かび上がった光景を、その顔を思い出さないうちに振り払う。
その場にしゃがみ込んだディックは、娘の遺体を男の傍らにそっと寝かせた。
男から向けられた眼差しから、逃げるように背中を向ける。
その直後、凄まじい熱風が背中に当たった。男の悲鳴が響く。髪が燃えて、皮膚が焼ける臭いが漂ってきた。
やがて、あれだけ騒がしく響いていた悲鳴が、どんどんとか細くなり、聞こえなくなり、少し経ってから、ようやく炎が消えた。
その間、ディックは一度も振り向かなかった。部屋の中が暗くなってから、更に時間を置いて、
ディックはようやく振り返った。骨も衣類も、何も残っていない。何もかも残さず、シェリーは全てを焼却した。
人の形に焦げた跡が二つ並んでいる。小さな焦げ跡に、手を伸ばしていたような、大きな焦げ跡があった。
あの男は、シェリーに焼かれながらも、最期まで娘を気にかけたのだろう。
母の最期が蘇る。けれども、その光景を思い出す前に、
「おまえ、後処理が面倒だったと、言っていただろう」
という、シェリーの声で現実に引き戻される。
「うん」
生返事をしたディックは、突然後ろから抱きつかれた。
細い身体に対して、ドキッとする程の豊満な胸が、背中にぴったりと当たっていた。
シェリーの細い腕が、まるで毒蛇のように絡み付いてくる。首だけを後ろに向ければ、
こちらを見上げている、シェリーの青い目と目が合った。
「どうした、ディック」
甘えるような声音とは裏腹に、その視線は妙に厳しい。
まるで、心を探ろうとするような、懐疑的な目つきだ。その視線を受けて、ディックはかぶりを振る。
「……なんでもないよ」
「何か、思うところがあるんじゃないのか? ん?」
その言葉に、ディックはシェリーへと向き直った。彼女は、まっすぐこちらを見ている。
その青い瞳から、憐憫の眼差しが送られていた。さっきまでの、冷たく探るような意図は感じない。
シェリーは、すらりとした両腕を伸ばして、今度は正面から抱き締めてくる。ディックはそれに応えるように、静かに抱き返した。
腕の中に収まるシェリーは細くて、折れてしまいそうだ。頼りない感触が、腕を通じて伝わってくる。
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