せいようふうちょうそう


「殿下、よろしいですか。」

控えめに扉を叩く音で、アルスラーンはおもむろに顔を上げた。部屋に入ってきたのはナルサスだ。彼は天蓋付きの寝台のそばまで歩み寄ると、神妙な面持ちのまま、アルスラーンと並んで椅子に腰を下ろす。

寝台の上には、サルシャーンが横たわっていた。

「明日の出立の前に閲兵の準備を整えさせておりますので、殿下もご支度を。」
「うむ、そうだな。」

返事こそすれど、そこから動く気配のないアルスラーンに、ナルサスも横たわる少女へと視線を移す。
サルシャーンが銀仮面の男の剣に倒れてからはや数日。最初の夜こそ熱に魘されていた彼女も、今は静かに寝息を立てている。寧ろ静かすぎるくらいだ。

夜着から出された血の気のない腕をなぞっていけば、その先は、彼女のよりひとまわり大きな手のひらに包まれている。

「容態は落ち着いております。目が覚めるのも時間の問題でしょう。」
「わかっている。わかっているのだが…。」

銀仮面がペシャワール城塞へ侵入したことを聞きつけ、ダリューンやナルサスがその行方を追っている最中、男はアルスラーンとサルシャーンと対峙していた。
ダリューンらが駆けつけた時には、既にサルシャーンは重傷であり、アルスラーンもその後のバフマンの言葉で、今己の出自に不信感を抱くようになった。

借りにアルスラーンが正統な王家の血を継いでいなくとも、そばに仕える家臣たちが離れるわけなどないのだが、育ての親を失い、そして今まで実の父と母だと信じていた者たちですら、本当にそうであるのか分からなくなってしまった。
齢十四の少年には、あまりにも重い事実だった。

「私は何度サルシャーンに無理をさせれば良いのかと…。
サルシャーンに守られることは数知れずとも、守れた試しがないのだ。」

そして彼はいちばん近い存在であるサルシャーンすら失いかけた。

「恐れながら申し上げますが、あの場にいたのがサルシャーンではなく私やダリューンだったとしても、殿下を守れるのが自身だけだとしたら同じ行動をしたはずです。
それが臣下としての役割というものです。」
「……。」
「ですが、サルシャーンの手当てを最優先にしなかったのは私の判断不足でございました。
申し訳ありません。」
「おぬし謝ることではない!」

銀仮面を捕らえる絶好の機会だった。サルシャーンもあれでいて賢いのだから、自分の怪我よりも銀仮面を仕留めることを優先させるのは想像に容易い。
だから、軍師として正しい判断を下したナルサスが頭を下げる必要など、どこにもないのだ。

「ええ、ですから殿下もご自分を責めないでくださいませ。」

銀仮面の騒ぎの後、見張りの兵からシンドゥラの軍勢が闇に乗じて国境を突破しつつあると報告が入った。
心身ともに消耗していたとは言え、王太子としてアルスラーンは眼前の敵を対処すべくナルサスと共に策を練り、すぐに兵を挙げ、エラムやアルフリードの活躍もあって敵将を拉致することに成功する。
国内で腹違いの兄と熾烈な権力争いをする彼、シンドゥラ国の第二王子ラジェンドラは、強引とも言えるナルサスの作戦で渋々パルスと攻守同盟を結ぶこととなった。

アルスラーンは、捕虜から賓客となったラジェンドラの相手をしては、合間にこうして眠るサルシャーンのもとを訪れている。
彼女と手を重ね、目覚めることを待ちわびるその姿は、さながら懺悔をしているようでもあった。

「…うむ、今はシンドゥラの一件を片付けるのが先だ。
サルシャーンのためにも、はやく遠征を終えなければな。」

私も支度しよう、とアルスラーンはここでようやく立ち上がる。よほど離れがたいのか、寝台を離れる際も重ねた手は最後まで残していた。
ナルサスはそんな彼の姿を見て、もしやと、部屋を出ていく背中に声を掛けた。

「時に殿下、これはサルシャーン本人からお伝えするまではと黙っておりましたが、」
「サルシャーンが女性というか?」

紡ごうとした言葉を奪われ、ナルサスは瞠目する。

「気づいておられましたか。」
「気づくも何も、おぬしが言ったではないか。」

アルスラーンが思い浮かべるのは、サルシャーンと洞窟で再会したあの日のこと。
二人の掴み合いの喧嘩に戸惑いながらも、アルスラーンはしっかりとナルサスの口にしたことを今日まで覚えていた。

「サルシャーンを娘≠フように思っている、と。」

首を傾げていたナルサスがはたと思い当たることがあったようで、自分の口をしなやかに押さえた。

「おや、失言は私でしたか。
何卒サルシャーンにはご内密に。」
「もちろんだ。」

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