せんじゅぎく


驚いたことに、ペシャワール城塞へ入城された一行は手厚くもてなされた。兵たちはアルスラーンの姿を一目見ようと続々と広場へ集まり、城中が歓声で溢れる。

「……王太子………殿下…。」

ひとり、キシュワードと共にペシャワールを守る任に就いていたバフマンだけは、どこかぎこちなくアルスラーンと面会した。

「…よくぞご無事で…。
…お疲れでしょう、どうぞ中へ…。」

アルスラーンは彼の何か後ろめたさを隠すような言動を見抜くことはできなかったが、ダリューンらはすぐに互いに目配せをした。彼とて、年老いてはいるがこの国きっての将である。しかし今見た彼の言動では、ダリューンらも疑問を抱かざるを得ない。

「かつてアンドラゴラス陛下が東方遠征の折お使いになった部屋がございます。
私がご案内いたしましょう。
すぐに湯の用意もいたします。」
「ありがとう、世話になる。」

逃げるように城内へと引きこもってしまったバフマンに一同は釈然としないながらも、一先ずは各々体を休めるため、キシュワードの案内で部屋へと向かった。


アンドラゴラス国王もかつて使っていたこの城で一番豪華な部屋にアルスラーンは案内された。配下の者たちはその両隣、それから正面の部屋へと割り当てられる。キシュワードの気遣いはどこまでも行き届いていた。

サルシャーンは、二人一組から外れ、アルスラーンの横で一人部屋を占領することとなった。それほど荷物も持ち合わせておらず、早々に手持ち無沙汰となったサルシャーンは退屈そうに、窓へと凭れかかる。

ここまで来てしまった。
ようやく、アルスラーンが王都エクバターナを取り戻す第一歩を踏み出すところまで来てしまったのだ。数えきれない犠牲を払ってやっと得られた始まりと、安息の地。

だがどこかやりきれない気持ちも抱えていた。
救えたはずの命が沢山あった。己の兄然り、話せば武器を手放してくれたかもしれない敵然り。戦に出てはそんな甘いことを言ってはいられないと、アルスラーンを以前諫めたのは紛れもなく自分だったが。

「ちょっといい?」

ふと、部屋の扉をノックされた。短く返事すると、扉を開けて顔を出したのはアルフリードだった。

「湯の用意ができたって。一緒に行かない?」
「アルフリード殿。」

どうやら歳の近いサルシャーンをわざわざ誘いに来たようだ。

「あ、ありがとう。だがなぜ私を…?」

不自然に動揺したサルシャーンにアルフリードはきょとんとした。それから彼女の女っ気のない服装や、立ち振る舞い、汚れたままの頭のてっぺんから爪先までを眺めてから、思いついたようにぽんっと手を叩く。

「もしかして、友達いないの?」
「えっ、そんなことはない!私にはエラムも、殿下もいる!!」
「男の子ばっかじゃない。折角女の子同士なんだから、もっと気楽にしてよ。」
「し、しかし……。」

ファランギースと二人きりになった時もサルシャーンはソワソワと落ち着かなかった。アルフリードは今にも逃げ出しそうなサルシャーンの腕をがっしり捕まえているが、それでも彼女は縮こまってしまいそうだ。どうも異性より同性の方が苦手なきらいがある。

「では、その…えーと…。」
「なに?」

掴まれた手をサルシャーンが強く握り返して、意を決して口を開いた。

「アルフリード…と呼んでも良いか?」
「も、もちろんだよ!!」

サルシャーンにしては大きな前進だ。耳まで真っ赤に染めあげながら尋ねるサルシャーンにアルフリードは飛び跳ねて喜んだ。そして勢いのままに手を引いて部屋を飛び出すと、幼い少女二人はそのまま浴場へと駆けていくのである。




*




「それじゃあ、あたしナルサスのところにいくから!」

と、湯に浸かっていたサルシャーンを置いてアルフリードは一足先に浴場を出て行った。どうやらナルサスに懐いているようだ。

一緒に湯に浸かっている間、サルシャーンは彼女とナルサスの出会いを聞いた。銀仮面に父と仲間を殺され、ひとり立ち向かおうとしたアルフリードをナルサスが救ったのだそうだ。だから父たちの仇を討つためにも、アルスラーンの配下へ加えられて、嬉しいのだと彼女は言う。

サルシャーンが、では私と同じだなと答えると、アルフリードはその傷だらけの体をみて俯いたのだった。
この体は、決して綺麗と呼べるものではない。そこら中に痣は散らばり、アトロパテネで貫かれた右肩の傷はしっかりと痕が残っている。美しいファランギースに憧れがなかったといえば嘘になるが、それでもサルシャーンはこの道を選んだことを後悔しないだろう。例え女を捨てても、大切なものを守り抜きたい。

とはいえ、かなり時を遡るが、以前ナルサスにアルスラーンにはしっかり自分の性別を明らかにするよう遠回しに言われた。自分から男であるとも女であるともアルスラーンの前で公言したことはない。事実を彼に告げたところでどんな反応が返ってくるのか、そう考えたら柄にもなく尻込みをしてしまう。

だが唐突にその機会はもたらされた。
浴場を出て、夜着に着替えて部屋へ戻ろうとしたサルシャーンは前方にアルスラーンの姿を見つける。

今か…今しかないのか。この機会を逃せばもう次に言い出せるのはずっと先になってしまうかもしれない。覚悟を決めて、サルシャーンはアルスラーンの後を追った。

「で、殿下!」
「サルシャーンではないか、どうしたのだ。」

アルスラーンはこちらに気付くと、物思いに耽っていたのを振り払って笑顔を向けた。

「殿下に折り入ってお話ししたいことがございまして。
その、殿下はこれからどちらに…?」
「外の空気を吸おうと思って出てきたのだが…サルシャーン、一緒に行かぬか。」

こくこくと首を何度も上下させるサルシャーンの腕を引いて、アルスラーンは誰の目にも触れることなく、城壁の上へと通じる廊下を歩き出した。




*




上を羽織ってるとはいえ、季節は冬。身震いするような寒さにアルスラーンとサルシャーンは二人体を寄せて、城壁の上から無数に瞬く星々と、月明かりに照らされ、淡く輝く山の淵を見据えていた。

「やはり逃走生活から解放されると安心するな。」

はあ、と白い息と共に吐き出されたのはアルスラーンの本音であった。
アルスラーンがダリューンやナルサスの前で弱音を吐くのをサルシャーンは久しくみていない。以前はよくヴァフリーズに稽古をつけてもらっては、すぐに弱音を垂れていたというのに。

肝心の本題をいつ切り出そうかともたもたして、結局サルシャーンは違う話題を切り出してしまった。

「き、今日が終われば、明日にはまた本格的な戦いの日々が始まるのですね。」
「…そうだな。」

実感はなかったが、これからこの少年は王都を取り戻すため、いずれは何十万もの兵を率いていかねばならないのだ。サルシャーンはほんのひと時でも、彼の心が休まれる、弱音を零せる場所でありたいと思う。

「パルスの全てを取り戻す…。
できるだろうか、私に…。」

城壁の上に添えられたアルスラーンの手を、サルシャーンは冷えた自分の手で覆った。

「こうして城壁から広大な地を眺めていると、兄を思い出します。」

アルスラーンは息を飲んで、彼女の言葉に顔をあげた。

「おぬしの兄は射殺されたのだと…あの晩聞いていた。」
「ギーヴが、兄を苦痛から救ってくれたのです。」
「ギーヴが…。」

アルスラーンの脳裏には、ペシャワールまでの道中、面倒をみてくれたギーヴが思い浮かぶ。お金が大好きなギーヴは、サルシャーンに売り払われそうになった財宝を、しっかりと役立ててアルスラーンたちを守ってくれた。

その彼が、サルシャーンの兄を射殺したというのだ。でもサルシャーンは遥か地平線を見据えたまま、微笑んでいる。

「私は自分が不甲斐ないばかりに兄を救えず、ギーヴにその役目を押し付けてしまいました。」

ふわりと包んだままだったサルシャーンの手に、僅かに力がこもる。

「ですが、殿下はこの身を呈しても必ずお守りしたします。
だからどうか自信を持ってお進みください。」

強い眼差しに見つめられ、アルスラーンはふっと気を緩めた。そうだ、自分の周りにはこんなにも心強い仲間がいるではないか。アルスラーンは繋がれたままの手に触れ、澄んだ夜の空気を吸い込んだ。

「おぬしたちがいれば、私は必ずや王太子としての義務を果たせるだろう。」

そうして二人はまた夜風に吹かれながら、体を寄せて笑いあう。


「王太子だと?
貴様…アンドラゴラスの小せがれか…。」

迫り来る死の足音は、すぐそこまで来ていた。

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