ごくらくちょうか


等間隔に松明の灯された地下水路を歩くこと、數十分にも及ぶだろう頃、ギーヴは己が手を引く黒いヴェールに覆われた女人に問いかけた。

「疲れたでしょう。少し休みますか?」

女は首を振る。

「無理はしないほうがいい。
王妃のふりをするだけでも大変なのだから。」
「……なぜわかったのです?」

宰相フスラブに王妃を地下水路を通って王都の外へ連れ出してほしいの頼まれたのがもう数刻も前になる。彼はギーヴに王妃を王宮から逃すよう指示したが、実際のところはただの囮。こちらに敵の意識を向け、事態が収まった頃、匿っていた本物の王妃を逃す算段なのだろう。

身分の高い人とは、卑怯だ。
この女も王妃の身代わりとなってここにいる訳だが、自分のための犠牲をものともしない貴族、王族には殆反吐が出る。

それに対し、あのサルシャーンはどうだろう。地下水路へ足を踏み入れる前、彼女の部屋に寄ったが、調達した槍を持ってギーヴよりも先に城を出たようだった。
彼女もまた万騎士を兄に持つ、身分の悪くないとこの出だろうが、この流浪の楽師を見下すような物言いはしなかった。
…別の意味で嫌われてはいるが。

サルシャーンはそう、例えるなら逆境に咲く花だ。故の危うさを常に凛とした表情に宿している。今までに出会った女とは違う彼女に自然と惹かれるのも必定。

…手放すには惜しかった。
せめて行き先を聞いておくべきだったか。

「身分の高い人とは、他人が奉仕してくれるのが当然だと思っている。いい気なものさ。」
「王妃さまを誹謗するのは許しませぬぞ。
王妃様や宰相様のお考えがどうであろうと、私は忠実にご命令に従って、自分の役目を果たすだけのことです。」

呆れの含んだ鋭い視線を女に向けた。

「あんたみたいな献身的な人間の存在が、身分の高い連中をのさばらせる。
奴らをいい気にさせて、結局のところ、あんたの仲間たちを苦しめることになる。」

そんな役回りはごめんだ。他人の意思で動かされるただの捨て駒に過ぎないではないか。

これ以上先には連れて行けぬと告げれば女は短剣を突き出し、一撃、二撃とギーヴに向けて突き出す。武人であるギーヴがそれを軽々と躱していくのを見て剣では敵わないと判断したのか、女は短剣を突き出すと同時に体を屈めて、そしてギーヴの急所を蹴り上げた。

「………!」

余裕をかましていたのが悪かったか、予期していない痛みに蹲ってしまったギーヴを放って、女は地下水路を駆け出す。

「……エクバターナの女性は何か、俺の股間に恨みでもあるのかな?」

怒りとも嘲笑ともとれる、震えた声音で呟いて、ギーヴは立ち上がって女の後を追った。




*




「シャプールだと……!?」

地下水路をひとり突き進むサルシャーンの目の前に現れたのは、アトロパテネで国王陛下を裏切り、敵のルシタニア軍を勝利に導いたカーラーンだった。その傍らにはルシタニアの兵と、正体のわからぬ男がいる。

「兄上がどうなったのか、貴様はよく知っているだろう。
カーラーン殿。」
「なに、お前はサルシャーンか?」

カーラーンが困惑した原因は、サルシャーンの容姿である。先日のアトロパテネの大戦まで、長く伸ばしていた髪を高くひとつに結っていたのだ。

まさかあろうことか、同じ戦場にいた自分たちよりも早く城へ駆けつけていたとは。一目見てはわからなかった少女に驚きつつも、カーラーンは部下たちに彼女を捕らえるよう指示を出した。

だが兵たちが2、3人がかりで斬りかかっても、サルシャーンは槍で振り払い、簡単に倒してしまった。

「怪我を負っていたはずだが…?」
「7日も寝れば傷くらい塞がる。」

舞い上がる水滴の中、鬼神宿したそのあどけない顔で構えを低くしたサルシャーンは、カーラーンの疑問に得意げに答えると、そのまま彼に矛先を向けた。踏み込んで突進すれば、すぐに刃は届く。

しかしカーラーンが自ら剣を抜くよりも早く、彼の影から躍り出た男が素早くサルシャーンの槍を弾く。

「な、に…っ!」

重い衝撃で手が痺れる。こんなに重い攻撃は、ダリューンと稽古して以来だった。

まずい、敵わない。
そう直感したこの目の前の銀仮面をした男に、サルシャーンは歯を食いしばった。




*




「武器を渡せ!」
「私に死ねと申すのか!!触るな離せ!」
「やかましい!このままじゃ埒があかんぞ…カーラーン殿、なにゆえこのガキを生かしておくのだ!うるさくて敵わぬ。」

呆気なく捕らえられてしまったサルシャーンは、ルシタニア兵数人に押さえられながら地下水路を元来た方向へ戻って行く。腕を掴まれても、武器だけは離すまいと握れば、それを奪おうとする兵たちが青筋立てた。

「そいつはアルスラーンの護衛をしていた者だ。
ろくに戦いも出来ぬ子どもではあるが、王太子をおびき出す餌くらいにはなろう。」

先ほど銀仮面な男がもう一度攻撃を繰り出そうとした矢先、カーラーンがそれを止めた。まだ利用価値がある、殺してはならぬ、と。

思えばアトロパテネでもカーラーンはサルシャーンを殺そうとはしなかった。
まさか本当に戦えないと思われているのだろうか?

「私は戦える!今すぐにでも貴様の首に噛みついてやろうか!!」
「負け犬の遠吠えだな。」
「…なんだと?」

負け犬呼ばわりしたのはカーラーンの横に並ぶ銀仮面だ。
仮面の奥からこちらを睨む双眸は、有無を言わせぬ威圧感を放ちサルシャーンにぶつけた。言い返そうとした言葉を思わず飲み込んだ。

「誰なのだ、貴様は。」

震える声でサルシャーンが問いかけた時、地下水路の先からひぃっ、と女の悲鳴が聞こえた。そこに黒いヴェールをまとった女がいるのに気付くと、仮面の男は眼光を放ち、サルシャーンに背を向る。

「これはこれは…光栄あるパルスの王妃様は民衆を捨て、自分ひとりで脱出なさるおつもりか。」

女の後ろに、人影。
思わずげっと声を漏らして、その人影の正体、ギーヴから目を逸らした。

「あのアンドラゴラスめと似合いの夫婦と言うべきだな。
片や兵を捨てて戦場から逃げ出し、片や人民を放り出して地下へもぐる…。
王座に座る者の威厳はどこへやら。」
「…そなたは何者です!?」

固唾を呑んで仮面の男の言葉を待つ中、彼はやがて口を開いて昂然と言い放った。

「パルスにまことの正義を布こうと志す者だ。」

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