じゃこうれんりそう


「兄上ー!!」
「あっ、兄上!」

自分を呼ぶ幼い声と、パタパタと愛らしい足音で物思いに耽っていた足を止めた。屋敷の一角で剣の稽古をしていたイスファーンと、その後ろをイスファーンよりふた回りも違うサルシャーンが追いかけてくる。

手前で立ち止まったイスファーンの頭を撫で、突進してくる勢いのサルシャーンを抱き上げれば、彼女は両手を挙げてはしゃいだ。侍女たちはそれを微笑ましく見守る。のびのびと彼女たちが育つ屋敷は、今日も愛で満ちていた。

「……兄上、またけがをなされたのですか?」

ふと、サルシャーンが無垢な瞳を曇らせる。
彼女の視線の先を追えば、開いた自分の襟元からは白い包帯が覗いていた。

「大したことはない、心配するな。」
「さすがは兄上!どこまでも強くおられる!」
「でも、痛いよ。
イスファーン兄さまなら泣いてる。」
「泣かない!!」

狼に育てられた者ファルファーディン

父が手を出した奴隷の子であり、自分の異母兄弟である彼らは、数年前に正妻、つまり自らの母によって冬の山へと捨てられた。当時イスファーンはまだ10にも満たず、サルシャーンはまだ母親の腹の中にいた。

冬山へ彼らを探しに行ったが、見つけたのはそれから数日も経ってからのことだ。

雪の中でサルシャーンを産み落とし、彼らの母はそのまま力尽きていた。イスファーンは生まれたばかりの赤子を自分の羽織で包んで抱きしめ、母のそばに寄り添っていた。

そして馬で駆けつけた時、彼らを守るようにして狼が立ち塞がり、それから屋敷に戻った彼らは狼に育てられた者≠ニいう二つ名をもらったのだ。

昔から喧嘩早かったイスファーンは、よくこうしてサルシャーンとよく言い争いをする。

「兄上は強いのだ!
怪我など物ともせず今回もこうして戦を勝ち抜いてきたではないか!」

恥ずかしながら、八割方、俺の原因だった。

「戦から兄上が帰って来る度に機嫌を損ねて、兄上を困らせるなサルシャーン!」
「困らせておりませぬ。兄さまのわからずや!」
「良いのだイスファーン。
サルシャーンは心配してくれているだけだ。」

腕の中にいるサルシャーンを下ろし、並んでこちらを見上げる小さな頭を撫でて宥めた。

「…心配してはならぬのですか。
兄さまや兄上を、想ってはならぬのですか。」

背丈は小さいが、サルシャーンは俺にとっては眩しく大きな存在だった。
大義に忠誠を誓う俺たちとは違い、サルシャーンはどんな時も、兄二人を誰よりも慕って、支えようとしてくれる。
戦いに身を投じるのは当然で、怪我など負ってこそ勲章となるのに、傷一つ一つに心を痛めるサルシャーンの存在はこそばゆくて、そして愛おしかった。

「な、そこまで否定しているわけではない!」
「兄さまが言うとそう聞こえる!」
「落ち着け落ち着け!…本当に何も変わらないなお前たちは。」

サルシャーンは、素直すぎる性格が故に誤解されることが多い。良くも悪くも表情豊かであった。怪我を心配する時も、決まって表情を曇らせ、しまいには眉間にしわを寄せて泣きそうな顔をする。それは戦に対しての嫌悪感からくるものであったのだろうが、人の意図を汲み取るのがまだ未熟なイスファーンには上手く伝わらなかったのだ。
すれ違うこの弟妹を仲裁するのが、常に俺の役目でもあった。

「兄さまたちには、たとえ小さな傷でも、つけてほしくないのです。」
「なら俺がもっと強くなれば良いのだ!
そうすれば戦場で兄上をお守りできる。」
「強くなれば、兄上も、イスファーン兄さまも傷つかずにすむのですか?」
「ああ!俺たち兄弟が戦場に揃えば、敵はない!」
「かっこいい、兄さま!!」

喧嘩かと思えば、すぐに機嫌を直し、木製の剣を振るうイスファーンをサルシャーンはきらきらとした目で見つめた。
まったく、仲が良いのか悪いのか。

すぐにでも初陣で手柄を立ててみせる!と息巻くイスファーンに、呆れながらも頼もしく感じた。

「兄さま私にも剣を教えてください!」
「ああ、もちろんいいとも!
早速今日から教えてやる!稽古の続きだ!」
「ははっ、やったー!!」
「あっ、こらこら……」

止める間もなく、走り去っていく二つの小さな影に、笑みをこぼした。ああして無邪気にはしゃいでいる姿を見ると、戦のことなど忘れられる。

彼女たちが俺にとっての唯一の心の安らぎであった。




*




「フン、また辛気臭い顔をしているなシャプールよ。」

そう話しかけ、手に杯を持った万騎士クバードは酒臭さを撒き散らしながら隣へ腰掛けた。珍しく酒の席だというのに女を侍らせていない。

「おぬしには関係のないことだ。」
「当ててやろうか。
サルシャーンのことであろう。」
「ぶっ、ごほっ、」
「図星だな?」

如何にも、俺の悩みといえばサルシャーンのことであった。思わず噎せてしまったのを必死に堪えて、一つ溜息をつく。その様子をクバードは面白がって眺めていた。

「先日ヴァフリーズ殿に稽古をつけてもらうサルシャーンを見かけたが、やれ逞しくなったな。」

サルシャーンは要領がいい。遊びでイスファーンの稽古に参加しているかと思っていたが、いつの間にか、パルスの大将軍に手解きを受けるまでになっていたとは。それを知った時は大層驚いたものだ。

いや、それだけなら良い。自分の身を守るためには多少の武術を心得ておくに越したことはない、だが…

「…もう少し、女としての自覚を持ってほしいものだな。」
「そうか?綺麗に着飾るだけが女の魅力でもなかろうに。」
「おぬしが言うことか!
常に派手な女を侍らせているというのに!」

問題はそう、サルシャーンが自分に対して頓着がないことである。

万騎士に任命されてから、以前よりも戦だなんだと駆り出されることが増え、妹の元へ顔を出すことが減ったように思う。
彼女に服や髪飾り耳飾りを贈ろうとも、女性経験というものが少ない自分には彼女が何を欲しがっているのかわからない。だから屋敷に戻った時にはサルシャーンを連れて城下へ出掛けるのだが、彼女は全くそこらの娘とは違い、着飾ることをしなかった。
むしろ、強くなるためには我々のように硬い鎧で身体を覆い、武器を携えるべきだと考えているのか、専ら出掛けても行くのは武器屋であったりと色気のないところばかりだ。

これでは将来嫁に出すのが心配で……いや、そんなのはまだまだ先の話だが。兎に角、彼女はそうして女物の服にも化粧にも手を出さず剣ばかり振り回しているものだから、周りに男だと思われているのだ。

更に困ったのが、本人が一切それを否定しないことだ。
一度それについて戒めたのだが…

『兵士は男ばかりではないか、兄上。
女の私がそこにいては皆の気が散るだけだし、良い気はしないだろう?
でも私にも私の目的があって、ただの屋敷で帰りを待つだけの女にはなりたくない。
だから彼らは誤解したままで良いのだ。』

と、どこまでも澄んだ目で告げたのだった。
イスファーンも止めてくれればいものを、寧ろ喜んでサルシャーンを助長しているように見える。

酒の所為だけではなく痛む頭を押さえ、もう一つ深いため息を吐き出した。

「ま、才色兼備というではないか。今のままでも十分良い女だと思うぞ。
男にしておくには勿体ない顔立ちだが、女らしさは歳を重ねれば自ずと出てくるさ。」
「そんなことはわかっている!
ただ俺はこのままあいつに剣を持たせても良いのかと…!」
「サルシャーンも過保護な兄を持ったものだな。」

グッと何杯目かもんからぬ酒を煽って、クバードは席を立った。

「このご時世、あんなに敬愛してくれる弟妹などそうはいないぞ。大事にしてやるんだな。」
「だからおぬしに言われずともわかっている!
大事にしろというなら、おぬしこそ妹にちょっかいを掛けるな!」
「いやなに、」

ゆるゆると手を振りながら歩き出したクバードが、一度足を止め振り返る。やめる気などさらさらないと宣言するように、そいつは食えぬ笑みを浮かべた。

「ああいう娘はいじらしくてなぁ。」

サルシャーンが王太子殿下の側仕えになる少し前のことだった。

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