×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -



1


とても内気だった弟が突然バイトを始めた。
ヒカルにはそれが不思議で仕方なかったが、止める理由もなくひとまず暫く影ながら見守る事にした。
頻繁に顔を出しても仕事の邪魔になるだろう。
そう考えた彼女は月に一度か二度、金木研がバイトしている「あんていく」に足を運んだ。

店の看板である珈琲の味は味わい深く素朴で、落ち着ける薫りが店内に漂う。
次第に彼女は弟がいない日にも足を運ぶようになり、スタッフとも言葉を交わす程度知り合う事となった。


「…ヒカルさんはさ、金木と全然似てないよね。」
「そう?」
「でもブラコンだね。あいつも極度のシスコンだし。」
「ごめん、不快なくらい?」
「…別に。家族は各々で良いんだけどさ。」


歯に衣を着せぬ発言をするのは研の二つ年下の女子高生霧島董香だ。クールな表情と態度をあまり崩さない子だが、ヒカルは気にする事なく微笑んだ。
この店で珈琲を飲みながら読書をするのはとても落ち着く。姉弟で共通の趣味は活字だけ、と言っても過言ではないくらい彼女と研は違っていた。
両親を失ってから引き取られた家も違えば、育った環境も異なる。それなりに外交的で現実主義を持ち合わせて成長した彼女は、早く働いて研を自由に進学させてやりたいと考えていた。ヒカルは、高校を卒業すると同時にすぐに都内の会社に就職した。

研とまた一緒に暮らす為に。
たったひとりの家族と、一緒に。


「君…綺麗な髪をしているね。」


ふわり、一房、髪の毛が掬われる。首を捻ると、真っ赤なシャツが視界に飛び込んできた。
顔を上げると、隣で端正な顔立ちの青年が薄く微笑んで此方を見下ろしている。なんて冷たい貌。彼は確かに笑っていたのに何故そう感じたんだろう。


「ありがとう…、ございます。」


口をついて出たのはそれだけだった。多分普段ならもっとうまく言葉が出た筈だが何故か唇が震えてうまく動かなかった。そっと触れられた髪を取り返すと今度はずい、と顔が寄せられた。やはり綺麗だけれど、怖い目。心の奥を探るような、その瞳は不気味な光を宿して見えた。


「…、見ない顔だ。でも誰かの匂いに似ているな。名前は?」
「月山!!」「姉さん!!」


董香と、入口のドアベルを鳴らして飛び込んできた研の声がはもる。ヒカルが研…、そう呟くと目の前の青年が嗤った。その表情に彼の隠れた感情が見えた気がして鳥肌がたつ。彼女が席をたって青年から距離を置こうとすると、彼はヒカルの肩を軽く押さえた。
美味そうだ、そう耳もとで聴こえたのは気のせいではないと思う。

―――パキ、ン。
指を添えたままになっていたティーカップが割れ、欠片が掠めた皮膚が赤く滲む。痛みを感じるより早く、ヒカルの指先は月山と呼ばれた青年の口に含まれており、彼女はあまりの展開の速さに全くついて行けなかった。
思考が停止してしまって、動けない。傷口を丹念に舐める舌の感触は性的というよりはまるで飴でも舐めるようで。霧島董香が割って入るまでヒカルは完全に呆けていた。


「気色悪い事してんじゃねぇよ変態。ヒカルさんにもう一回触ったらぶっ殺すぞ。」
「…レディがそんな口を利くのは感心しないな、霧島さん。失礼、ヒカルさん。つい、自分の怪我のようにしてしまった。」
「………いえ。」


近くにあったナプキンで手を拭く。月山はそれに僅かに眉を潜めたが、彼女は気付かない振りをした。
彼はどこか可笑しい。席を立つと、ヒカルは割れてしまった陶器を片付け始めた。


「ごめんなさい、霧島さん…。」
「いいよ、私がやるから。金木、奥でヒカルさんの手当てして来て。」
「う、うん!」


弟に腕を引かれ、ヒカルは店の奥へ入って行く。後ろは振り返らなかった。視線がこちらに向いているのは解っていたから。
ごめんね、姉さん…何故か研がそう呟いたのに漸く彼女は首を横に振って息を吐いた。


「…素敵な味わいの女性だ。流石はカネキクンの血筋だね。珈琲を戴きに来たんだが思わぬサプライズだよ。」
「おい、あたしの言うこと聞いてたか?」
「フフ…一目惚れは致し方ないと思わないかい?ああ、どうやってこの愛を彼女に伝えようか。早々に喰らうのはあまりに勿体無……おっと!」


董香の牽制を身軽に避けて、彼はスマートに店を出ていく。
カップの隣には多すぎる金額の札束。霧島董香は無言でそれをドアにぶつけると若干荒れた店内を片付け始めた。
窓を開けて換気する。甘い、砂糖菓子のような血の匂い。その辺の人間よりもずっと濃厚な匂いに彼女は重いため息をついた。
美食家はきっと正体を晒す。そして、彼女を殺しにかかるだろう。ヒカルの恐怖に染まった顔を想像すると、何とも言えない気分だった。彼女の読み掛けだった本の頁がパラパラと風で捲れあがる。
ちょうどその時フロアへヒカルが戻ってきて、店内は元の落ち着きを取り戻しつつあった。


「ごめんなさい、霧島さん。ありがとう。」
「いえ。金木、今日はヒカルさん送っていきなよ?」
「あ、そ、そうだね!姉さん、そうしよう。」
「……、」


過剰なまでの二人の様子に彼女はふと先程の彼を思い浮かべた。その姿は、既にない。とても美しい容姿をしていたが、……。彼女はじっと研を見つめてその瞳を瞬かせる。
彼は誰なの?その詞を呑み込んで彼女は笑みを繕った。やはり、ここへ来始めてからの研はどこか違う。何が?分からないが、何かを隠しているのは明らかだった。
夕暮れの道を二人歩く。


「ねぇ研…、」
「な、なに…姉さん」
「何があっても私は貴方の味方だから。もう私、大人なんだから。いつでも頼ってね。」


少しでも安心させたい、そう思った。しかしヒカルの言葉に、金木研が涙を溢したのを見て、ますます彼女は糸口の見えない迷宮に一人落ちていく気がした。
ごめん、そう弟が呟いた言葉の意味を推し量る事は出来ない。

大人に成れば、大抵の事は解決出来る。
そう信じて疑わなかったのに。

大切なひとが泣く意味すら、今の私は分からない。
――――――――――――――
2014 09 21

[ 1/36 ]

[*prev] [next#]