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馬鹿だな、


例えるなら、聴力検査の時のような高い音が聞こえた気がした。視界がちかちかする。
安定しない目の前の世界はまるで時を刻む事を忘れたよう緩慢で、全てがスロー。
崩れ落ちる男と、それを笑って眺める男。
静寂に満ちたその中で心臓の音だけが逆行するようけたたましく体の中で警鐘を鳴らしていた。


「…困ったのう」


ちっとも困っていない様子で、目の前の黒ずくめの男はくつりと笑う。確かに軽率だった。
夜遅くに女一人、だが仕事が終わらなかったのだから仕方ない。しかし誰が会社のエレベーターを降りて、正門が閉まっていたから裏へ回ってみれば殺人事件が起きているなどと思うだろうか。

私は悪くない。断じて。
と、思う。


「わ、私を殺したら化けて出てやるんだからね!!」


我ながら何と陳腐な捨て台詞かと呆れるが、もう大声で叫んだ手前訂正は効かない。
手持ちの鞄と脱ぎ捨てたヒールを思い切り投げつけて彼女は全速力で走り出した。
膝は既にみっともない程震えているが、幸い普段からは考えられないスピードで動いてくれた。
無我夢中で泥だらけの足で、帰宅路をロボットのようにひた走りマンションのエントランスへ雪崩こむ。

息を吸い込み、階段を一気に駆け上がって――――そこで初めて、彼女は大きな過ちに気がついた。


「―――あ、か、鍵…」


そう、呟いた瞬間。
まるで黒い羽のような両腕が彼女の体を背後から優しく包み込んだ。長い指に挟まれた見慣れた銀色のキー。
息が、止まる。


「鬼ごっこは終わりかの?」


ああ…、この人はきっと人間じゃなく死に神に違いない。彼女がゆっくり首を捻るとぱっちりした可愛らしいともとれる瞳と目があった。


「素人にしてはいい足じゃ。ああ…そう言えば。まだ名前も聞いてなかったの。」
「、っ…」
「あの男のように命乞いせんのも大したもんじゃ。もののついでに教えてくれんか?」


何が最後の言葉になるか分からない。
朗らかに話す鼻の長い彼を見つめて、彼女は静かに口を開いた。


「て…天国へのエスコートなんて私には要らない。行く時は自分の足で行きますから。」


気丈で、かつきっぱりとした拒絶に彼女を観察していた丸い瞳が、一際開く。やがて、彼は吹き出すと困惑する彼女に手套を落とし小柄な体を抱き上げた。


「なら転職の斡旋をしてやるしかないの。」


薄れゆく意識の中。
響いた声は、やはり変わらぬ明るいトーンで閉じていく重たい瞳に彼女は何故か不安を感じなかった。

―――最悪の、その出会いから数年。
彼女は今、エニエスロビーの優秀な職員として第2の生を送っている。


「のぅ、コーヒー入れてくれんか?後、書類もまた溜まっとるからサイン手伝ってくれ。あー疲れた。膝枕もしてほしいのぅ…」
「カクさんいつもですけど甘え過ぎです!私、これからルッチさんの所にも書類を届けに…」
「…!いかーん!お主はわしのじゃ!わしの面倒をみるのが第一じゃ!」


だってその為に連れてきたんじゃから。
可愛く膨れる目の前の諜報員に彼女はくすりと苦笑を漏らす。


「カクさんは馬鹿ですね。」
「な、何じゃと?」
「そんなに縛らなくても私は貴方以外見ていません。」


そう言って優しく頭を撫でれば、骨が軋むような抱擁が返される。
初めは壁を作っていた。しかし強くて、寂しがりやで脆い所があって…彼女がカクの人間らしい面を目にして心を開くのにさほど時間は掛からなかった。


「大好きです。」
「……馬鹿はおぬしじゃ。
じゃが、……嬉しい…。」


困ったように、どこか泣きそうな声で囁くカク。その言葉に、彼女は優しく微笑んだ。
失った過去は戻らないけれど、
貴方との未来を何よりも今、大切に想う。
―――――――――
企画「きりんさんと一緒」様提出。
2011 05 09

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