10秘慕
雨の降る日が続いた。
梅雨だなあ、とヒスイは教室から曇り空を見てぼんやり思う。この蒸し暑い時期が終わったらもう夏だ。もう、一年の半分が過ぎてしまうのだと思うと、少しだけ切ない気分になった。
ホームルームを終えて帰支度を済ませる。まだざわつく教室内を抜けて、昇降口へ。そして下駄箱の前まで来ると見知った姿を見つけた。
「あ、スモーカー。」
「おぅ。」
珍しい。いつもならこれから部活の時間だ。
「帰るの?」
「ああ、今日は部活休みだからな。」
「じゃあヒナ、今、何処か聞いてみようか。」
「…別に二人でもいいだろ。待たねぇぞ、」
そう言って黒い傘を手に取ったスモーカーを、ヒスイは慌てて追いかけた。
二人で帰るのは久しぶりだった。いつも三人が当たり前で、だから少しスモーカーの隣に並ぶのが自分だけなのが変な感じだった。水溜まりを避けて歩く。他愛もない話をして駅を目指していたが、ふと、スモーカーが溢した一言で足が止まった。
「そう言えばお前、この前、誰と校内歩いてたんだ?」
「この前?」
「休みの日。誰か男と来てただろ。」
その一言で蘇った記憶。彼が言っているのはロシナンテをローに会わせる為に連れてきた日の事だと理解した。
ただそれをなんと説明するべきか。言葉に詰まると、スモーカーは視線を逸らした。
「…別に言いたくないことならいい。聞いただけだ。」
「そうじゃないよ。違うけど、」
「…」
言い掛けて、少し後悔する。そのまま流してもらった方が良かっただろうか。しかし、実際、ロシナンテは彼氏ではなく、友人だ。雨足が強まる中、彼女はゆっくり口を開いた。
「あの人は…他校の友達だよ。学校がみたいって言うから、来て貰って、」
空が光る。雷鳴に驚いて、一瞬、傘が手を離れた。
地面に落ちる前にスモーカーがそれを掴む。ヒスイが固まっていると、彼は冷静に近くのアーケードまで彼女を引っ張り歩いて行った。
「ゲリラ豪雨ってやつかな?凄いね、」
苦笑いしながらヒスイはスモーカーから傘を受け取る。
雨を吸い込んだ前髪が邪魔だなと思っていると、そっと横に流された。
触れたその指先の感触が妙に甘く、ヒスイは驚いてスモーカーを見つめた。灰色の瞳と視線が重なる。
「……今までそんな事一回もなかったよな。」
たったその一言に、彼女は言葉を失った。
今日のスモーカーは何だかおかしい。何故そんなにあの日の事を気にするのか。…いや、わかっている気もした。
でも、彼は大切な幼なじみで、その絆は失ないがたい愛で作られていた。
「…スモーカー、嘘なんかついてないよ。私、」
「知ってる。お前は俺に嘘なんかつけないからな。」
だから不安なんだ。その言葉をスモーカーは呑み込んだ。
今の彼女は、朧気に記憶している消えた子供時代と同じだ。 周りを心配させまいとする振舞い、しかし、何処か意識は違う所にあった。
(お前は覚えていないだろう、)
あの日、彼女が消えた部屋の前の廊下には死体が点々と転がっていた。
賊に拐われてから、あれからあの世界では結局、一度も会うことはなかった。世界から追われていたクロノスはいつしか幻の存在になった。彼女の食べた時の実も、再び現れる事はなかった。
「好きだ、ヒスイ。」
だから今度こそ、離さない。
幸せそうに笑う顔をずっと、側で見つめてきたのだ。
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2017 08 06
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