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ネモフィラの海に誰を視る(唐沢 克己)

空閑遊真が入隊してきた頃から少しずつヒカルの周囲で変化が起き始めた。迅が急に距離を詰めてきたり、太刀川に勉強を教えることになったり、影浦の店へ時折食事に誘われるようになったり。今までは城戸の命令通り隊員達との距離を取るよう心掛けてきたが、ヒカルはこのまま彼らとの壁が縮まっていくのが良いものか密かに悩んでいた。


「ヒカルさん、最近、モテ期じゃないですか?」


同僚の何気ない一言にキーボードに触れる指が一瞬止まる。努めて一度作り笑顔を貼り付けようとしたが、無意味な気がしてすぐにやめた。隣のコンソールで事務処理を行っているのは、沢村響子。ボーダー歴も長い忍田本部長付きの優秀な補佐官だ。


「沢村さんから恋愛の話題が出るのは新鮮ですね。」
「そうですか?」
「ええ。多分、今まで聞いたこと無いかと。」


歳も近く同じ配属先の二人だが、同業務に当たることは殆ど無かった。ヒカルの場合、在籍は忍田の部下という事にはなっているが、沢村がいる際は他の支部へのフォローによく入っていた。元々人当たりが良い為、本部内では特に営業と広報から重宝されていた。


「面白い話題が提供出来ずがっかりさせまてしまいますが。生憎、今、彼氏もいませんし、好きな人も居ません。」
「…そうなんですか?」
「ええ。適齢期だって自覚はありますけど…今はこの仕事や仲間の方が大切ですし。そもそも…私、恋愛にあまり向いてないと思ってますから。」
「…」


大切な思い出が。記憶が。再び、人を愛そうとする事を邪魔する。近界侵攻で知った失う事の怖さ、悲しみが深くて。独りに慣れてきてしまっている自分もいて。色んな感情を呑み込んで彼女は笑った。


「沢村さんは今は?」
「…好きな人はいます。でも、私もこの近界侵攻が落ち着いてからだと思っています。」
「そうですか。」

「おいおい、若い女性が揃いも揃って。それはちょっと聞き捨てならないなあ。」


ぽん、とヒカルの頭の上に柔らかく掌が落ちてくる。見上げて肩が一瞬跳ねた。あまり聞かれたくない人に聞かれたなと、彼女はごく自然にその手を退けた。


「唐沢部長。お耳汚し失礼致しました。」
「そんな畏まる事ないさ。君から普段聞けないオフ情報が聞けて俺は得したけど。…だが、二人共仕事とプライベートは並行して考えた方が良いぞ。此処以外に生き甲斐も持っておかないとな。」
「…はあ、」
「で、出張のお誘いに来たわけなんだが。ヒカル君、急で悪いが今週末、予定空けられるか?」
「了解しました。問題ありませんので、同行致します。」
「…君ね、そこはちょっと悩むとこだぞ。」
「ボーダーの任務より優先する事はありませんので。チケット等お取りしておきますので後程、詳細メールでいただけますか。」
「了解。じゃあ宜しく頼む。」


離れていく唐沢を彼女は静かに横目で見送る。公にはなっていないが、実は忍田の元から唐沢の部署へ異動の話があがっているらしい。基本的に唐沢の仕事は外交であり単独行動の多い人物だが、組織が大きくなってきて、彼の下にも専属の補佐官がいた方が仕事がやりやすいようなのだ。


「…唐沢部長、いつも急なんだから。ヒカルさん、来週までの忍田本部長からの仕事もありますよね?こちらで手伝える事があれば遠慮なく振ってください。」
「お気遣いありがとうございます。」


沢村の進言に胸が温かくなり微笑む。あまり雑談する機会はないものの、彼女は忍田のチームが好きだった。だが、戦闘体の基礎訓練を殆ど終えた今、忍田の元にいる理由はなくなってしまったのかもしれない。彼には優秀な部下もいるし、彼自身も非常に有能だ。

他の部署が嫌な訳ではない。しかし彼女の心は何処か晴れなかった。

***

「珍しくぼーっとしてるな。何か気になることでも?」
「…いいえ。陽射しが少し春めいてきたなと思っていただけです。」


出張当日は新幹線のホームで落ち合い、指定席に乗り込んだ。窓側に彼女は座る。移動中にあまり資料などを読み込むと乗り物酔いしそうで、ヒカルは特に何もせず静かにしていた。
週末の公共機関はやや混雑していた。今日は休日出勤になるし、仕事時間以外はオフモードでいたい。ふと、煙草の残り香が鼻をくすぐる。軽い重みに視線を落とすと彼のマフラーが膝掛け代わりに掛けられていた。


「着いたら起こしてやる。寝てても良いぞ。」
「ありがとうございます。平気ですよ。私、移動時間に景色見てるの結構好きなんです。」


彼女が朗らかに笑うと、唐沢もつられるように目を細めた。


「…迅はそういう所が気に入ってるんだろうな。」
「…。何故、今、迅さんが?」
「ん?いや、何となく浮かんだたけさ。例えばこの時間がオフで不躾に探るなら付き合ってるのか?と聞いてみたい気は正直あるが。」
「まさか。」
「だろうな。俺が知ってる君はそういう女だ。」
「唐沢さんには私はどう見えているんです?」
「合理的かつ理性的。方向性は違うが、城戸さんに似てるよ。君は。」


いくら何でもそれは城戸司令に失礼過ぎる。奇妙な顔をしていたのだろう。唐沢は一笑すると、肩を竦めた。


「あくまで俺の主観だ。でも結構当たってると思うぜ。」
「…私は自分の脆弱性を自覚しています。城戸司令みたいな人を統率出来る力も無い。」
「それは違う。君は弱いんじゃなく、攻撃的な事に向かない人間なだけだ。能力はあっても優し過ぎるからな。君特有のトリオンの件もある。そんなに卑下する事はないし、十分役に立っているよ。俺は戦闘に関しては専門外だが、スキルならそこいらの隊員を君は圧倒出来る筈だ。」
「…」
「城戸さんのマニュアルに従う事も勿論大事だとは思うが…人はいつか必ず死ぬ。俺達のやっている事が例え全てうまく行ったとしても、年を取れば皆死ぬんだ。だから、自分のやりたいように行動するのも大事な事だと俺は言っときたくてな。」
「…唐沢さん」


ふわ、と頬に指が触れそうになって「おっと。これはセクハラだな。」と笑って引っ込められた。心臓の歯車が奥底で軋む。ここにいない彼の顔が脳裏に浮かんで。


「…私が唐沢さんくらい余裕と度胸のある大人なら良かったんですけどね。」
「俺みたく人心掌握術に長けると相手が警戒してなかなか本気にしてくれないって欠点もあるがな。」
「確かに。」


軽口に自然と笑みが溢れる。唐沢はそれを横目に優しい瞳で苦笑した。年齢的にも自分とちょうど良い具合で、落ち着いた真面目な女性。一見クールだが、話せば朗らかで穏やかな彼女に魅力を感じない筈がなかった。本音を言えば、城戸に進言してさっさと自らの部署へ完全に籍を引き抜いてしまいたいが、忍田の下で居心地良さそうに働いているのを見ると一歩憚られていた。


「あ…あそこ。一面に花が。ネモフィラでしょうか。」


車窓から見える青く群生した花畑を見つけて、ヒカルは綺麗と小さく声をあげた。淡い蒼。遠浅の波面のような穏やかな色を通して、彼女が見ているものを唐沢は察した。

腕を伸ばし、ブラインドを少し下げる。不思議そうに振り向いた彼女に唐沢は口角を少しだけ上げた。


「失礼。少し眩しくてな。ああ、良い色だ。」


君に似合う色だな。
唐沢の口からその言葉は出なかった。噤んだのは少しの独占欲。青い花畑を見つめる彼女の横顔が、女のそれに見えたから。

ーーーーーーーーーーー
2022.04.17

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