君の傷口は僕だけが舐める(マクギリス、ラスタル)
※↑と同じ主。ラスタルと出会う以前より。
家に恥じない生き方を。幼い頃からそう教えられ、振る舞ってきたつもりだ。初めて父親に連れられモビルスーツをみた時、その大きさと美しさに目を奪われた。パイロットになりたい。無自覚に幼い彼女は夢を抱いていた。軍学校に入り、彼女のシュミレーターの成績はトップクラスだった。本来なら輝かしい道を歩むはず、だった良家の彼女。今ではそれを知る者はほとんどいない。そう、ただ一人を除いては。
「ヒカル」
落ち着いた声に、彼女はパソコンの画面から顔をあげた。それはまだ彼女がモビルスーツのエンジニアをしていた頃。人気の少ない遅い時間に、彼はふらりと会いに来た。隣には青い髪をした青年が一人。彼もまたセブンスターズの人間であることは認知している。作業を止めて一礼する。汚れた作業着姿では会うのは失礼だと思うが致し方ない。
マクギリスは手をあげると、同僚とは少し離れた場所で分かれ一人で彼女の傍に来た。
「こんばんは、ファリド様。遅くまでご苦労様です。」
「お互いにな。マクギリスで構わない。」
「…畏まりました。」
マクギリスとの出会いは士官学校に遡る。それは彼女が、じわじわと自分を閉ざしていきかけていた頃。彼は比較的唐突に彼女の前に現れ、その心の問題を指摘した。少女は驚いた。彼女はその頃、服の下に痣を抱えていた。パイロットの適正を彼女が早くに受けた為、上の兄弟からの圧力が掛かった。
兄は普段は優しい人だったが、跡継ぎの事になると目の色が変わった。隠れた暴力と、先の見えない未来。
(どうして分かったの…?)
両親にさえ話していない事をあっさり言い当てたマクギリスが彼女は不思議で仕方なかった。
(君が同じ目をしているからさ。)
***
「あの頃から比べたら私も大人になったわ。パイロット候補からも外れたわけだし。だから、もう大丈夫。」
「だろうな。」
「…どうして、分かるの?」
「今の君は俺とは違う。」
小休憩に手渡されたインスタントの珈琲はお世辞にも美味しいとは言えないものだったが、ヒカルは気に入っていた。実家から宿舎に移ってからはシンプルで必要な物だけに囲まれて生活している。家を出て、モビルスーツ整備の仕事に就いてからは開放的な時間を過ごしていた。
「マクギリスは嫡男だものね…。私に出来ることがあれば言ってね。とはいえ、大したことは出来ないけれど。」
「…男に簡単にそんな事をいうものではないよ。」
そっと唇を寄せられ、彼女は目を瞬かせた。反射的に身を引くが、あっという間に背中を固定され身動きがとれない。抵抗するように俯けば、マクギリスは痺れるような甘い声で囁いた。
「俺が嫌いか?」
「…そんなわけない。でも、私たちがこんな事をするべきじゃない。」
「何故?」
「貴方はファリドを継ぐ人だから。いつかはもっと良い人と結ばれる筈でしょう?」
「かもしれないな。だが、今は君が好きで、君が欲しいと本気で思っている。…俺を助けてはくれないか?」
「…」
マクギリスとの交際はなし崩し的に幾年か続いた。初めは肉体関係だけを強要されたような最低な気分だったが、たまの休日に緑で囲まれた田舎で過ごす二人だけの時間は次第に彼女の心を溶かしていった。
何より、彼は一番つらい時に近くにいてくれた男の子だ。マクギリスが疲れた時寄り添う相手を求めるならそうなろう。ヒカルは近すぎず、遠すぎない距離でマクギリスの傍にいた。
彼と、ボードウィン家の令嬢との婚約が決まるまでは―――。
「さようなら、マクギリス。これまでの時間が貴方の為になれば幸いです。」
愛してはいなかったのかもしれない。胸は痛んだが、別れを告げた時、引き裂かれるような痛みはなかった。ある程度、予測していたことも要因の一つかもしれないが。マクギリスからはそうか、と一言返っただけで二人の関係は終わった。
呆気ないものだ、彼女はどこか他人事のように感じた。
***
「…意外、だったな。」
「何がですか?」
「私をすんなり受け入れた事だ。お若いご令嬢でも経験がおありだったとは。」
「…。以前、恋人がおりましたので。ご不快な思いをさせてしまいましたか?」
「いいや。君にも君の人生がある。構わんさ。言葉通りの意味で受け取ってくれ。」
ラスタル・エリオンとの婚約が交わされて、彼に抱かれた夜。髪を撫でられながら言われた事に、ヒカルはマクギリスを思い出した。
あれから順調にキャリアを積んでいるようだが、気掛かりなのは彼の友人が亡くなったこと。だが、もう彼を慰めることは出来ない。自分はこのエリオン公のものになってしまった。
セブンスターズの相手に自分が望まれるなど、あの頃は考えもしなかった。それが赦されるとも思えなくて。
「…ラスタル様は本当に私が相手で宜しかったのでしょうか。」
「?どういう意味だ?」
「…、私が妻になって貴方に出来ることがありますか?貴方は全てをお持ちのように見えますから。」
ラスタルは手を止めて、隣にいるヒカルを見る。大人びているように思う彼女だが、時にジュリエッタのような少女くさい事を口にする。自信なく揺れる瞳にラスタルは唇を寄せると、出来るだけ柔らかく抱き締めた。
少し驚いたように身を強張らせたヒカルだがやがて力を抜き、彼の胸に手を添える。温かい体温と心臓の音に目を閉じる。かつて身体にあった傷は今、ひとつもない。彼女の抱える淀みを知るのはマクギリスと一部の家族のみ。この人には知られたくない。自分の汚いところを、ラスタルには見せたくなかった。
「先程の話だが…そうだな、一つ嘘をついた。」
「?」
「前の恋人とやらに嫉妬している。多少はな。」
頭を抱かれて、ラスタルの顔は見えなかった。しかし、喜びと笑みが心から溢れる。必要とされる意思を口にしてくれた事が嬉しくて、彼女は涙が溢れた。以前には感じたことのない、止められない気持ち。面倒だが、嫌ではなかった。
「私が今、愛するのはラスタル様お一人です。」
マクギリス…。かつて私に寄り添ってくれた孤独なひと。どうか貴方も幸せになって欲しい。
貴方を癒す人が現れる事を、
私はこの人の隣でただ祈る事しか出来ないけれど。
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2016 12 13
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