無味無臭 | ナノ

さん


シライシが私を家に呼ぶ。それは彼が新しい女と付き合い始めるか、別れたという合図だ。シライシはよく「今度家に招待する」と言うけれど、女関連以外で呼ばれることはむしろ少ない。ほとんどの場合は社交辞令だ。

それがもし付き合い始めなら、延々ノロケを聞いてあげて、かつまだ女が踏み込んでいない状態の部屋を記憶する。彼らが別れた後、元通りに直せるように。無駄のない部屋に、女が入れば無駄が生じるのだ。例えば先ほどから鼻を掠める甘ったるい芳香剤のように。

「おう、来とったんか」

玄関に入るなりファブリーズをまき散らしていたら、奥から酒臭いシライシが顔を覗かせた。毎度毎度よくやけ酒ができるものだ。どんな女とも3ヶ月〜1年しか保たないというのに。

「このサンダル誰の?」
「…金出したんは俺や」
「はいゴミー」

長く続かないと知っているくせに、相手のためなら何でも先回りして用意してしまう。この男の悪い癖だ。ほとんど新品のサンダルを捨てるのはもったいないが、ここで息の根を止めておかなくては面倒なことになる。一つでも思い出の品を残してしまうと、シライシは立ち止まってしまうのだ。私はいつも前進する男であって欲しいと思う。シライシだけは。

「食事は」
「食べてないよ。出前かなんか頼も?どうせまた空きっ腹に酒流し込んだんでしょ」
「久しぶりに名前の手料理食べたいわぁ」
「掃除しなくていいなら作るけど」
「蕎麦でええな、蕎麦。寿司っちゅう気分やないし」

こちらの返事を待つことなく、すぐに電話をかけ始めた。これだから、もう。寿司がよかった。ちなみに掃除といってもゴミが散らかっている訳ではない。髪の毛一本落ちていないフローリングは私の部屋よりずっとずっと綺麗だ。私はただ、シライシが捨てられないものを捨てるためにここにいる。

本棚から金属製の美しい栞を抜き取り、寝室ではシーツをすべて取り替える。見たくはないがエロ本の類もチェックして、新しい(恐らく元カノに似ているらしい女の)ものをボッシュート。服も新しいものがあれば横に出しておく。彼女と一緒に買ったものなら捨てなければ。殆どは私が買い物に付き合ったときのものだけれど。水回りは特に大変だ。歯ブラシに化粧水に、簡単なメイク道具まで揃っている。バカじゃないの。無駄だ。全部無駄。同棲していた訳でもあるまいに。

「………バカは私も、か」

こんな不毛なことを繰り返して、もう10年目になる。シライシが大学進学を機に上京してきてからずっと。高校から東京に越してきていた私の前にひょっこり表れて、そのまま一人暮らしのワンルームに連れ込んだのだから、犯罪一歩手前だと思う。イケメンなら何しても良いと思うなよ。

酒臭い息が背後に近づいてくる。次に言う言葉はこれだ、なぁなぁそれ、名前使ってくれへん。

「名前が使うてくれたらええんやけどなぁ」
「嫌よ。人のお下がりなんて」
「でも勿体ないやろ」
「自分で使ったら?女装、似合ってたじゃない」
「あー、あれな。でもあんまウケへんかったな、なんでやろな」

言いながら、私の背中にのし掛かってくる。ええい、邪魔だ退け重い。私はシライシが大好きだけれど、恋人と別れたときのシライシは一番面倒くさくて嫌いだ。だからいざシライシ宅に足を踏み入れると、途端に不機嫌になってしまう。言葉が刺々しくなっている自覚だってちゃんとある。ごめん。

はやく新しい女を見つけてほしい。シライシは案外無駄だらけだけれど、私なんかに寄りかかってくるほど分別を失うのは今だけだ。明日には私の大好きな、正しいシライシが戻ってくる。なんにも迷わないし誰も傷つけない、真綿のように優しいシライシが。私なんかに振り向かない、賢明なシライシが。


2014/07/22

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