02
引っ越し先はマスターの住居兼店舗。
猫を預かって困っていたおれを、マスターは喫茶店で出す菓子や飯+まかないを作ることを条件に住み込みで働かせてくれた。
もちろん高校に上がる前のことだからバイト禁止だし、調理師免許なんかなかったから違法だったし、風紀委員長に見つからないかとヒヤヒヤした。
そうやってこそこそと過ごしている内に高校生になって、調理師免許も取得して、おれは正式に雇われた。
そしておれが高校卒業を目前に控えたある日、喫茶店を引き継いだ。
マスターが死んだのだ、死因はガン。
おれと初めて会った時から患っていて、もって一年と宣告されていたらしい。
おれはマスターが死ぬまで病気のことも、彼の本当の名前も、彼がイタリア人だってことも知らなかった。
葬儀は本人の希望から日本式の火葬、常連さんが資金援助を申し出てくれたけど断ってマスターとおれが稼いだ金で執り行った。
マスターに身内はいなかったから、常連さんだけ呼んで小さなものにしようとしたのに、当日小さな式場にたくさんの参列者が集った。
特に印象的だったのは、黒い正装がやけに似合うどっかのご隠居。
強面の護衛に囲まれながら喪主をするおれの前にやってきて、おれの手を握って感謝の言葉を伝えてきた。
おれは号泣した。
それからおれの進路は喫茶店を継ぐことのみに集中した。
マスターが行けって言うから大学に入ったけど、調理系の専門学校。
葬式したり墓建てたりで無一文になったから苦学生だったけど、嫌だとは少しも思わなかった。
心配した弟たちが資金援助(あいつらイタリアで何やってんだか億万長者)を申し出てきた時も全力で断ったくらい、心に余裕があった。
・・・思えばあの葬式のあたりから中・高の時の付き合いが揺らいだ。
当時はおれも必死だったし、笹川たちも何か大変そうだった。
そしておれが専門学校に進学が決まった時、笹川たちからイタリアに渡ることを聞かされた。
おれの知り合い皆が皆“イタリア”に繋がっていると知って、今イタリアが熱いのか?とアホなことを考えて笑った時もあるけど、山本たち一つ下の後輩連中が揃ってイタリアに渡ってからは
――全員と連絡がつかなくなった。
笑えない話だ。
中・高で知り合った連中全員、並盛町からごっそりとイタリアに移住しやがった。
喫茶店のおかしな常連さんたちも関係者だったらしく、ぱったりと訪れがなくなった。
大学在学中は開店しないって決めてたから収入に痛手はないし、代わりのように並盛町に残った山本の父さんとか沢田の母さんとか笹川妹とその友達とかが通ってくれるようになったけどさ。
(・・・・・・・・あれだけ世話焼いてやったのに、なんともまー情の薄いやつらめ)
渡伊して一年経っても二年経っても、やつらは誰ひとり姿を現さなかった。
お盆や同窓会、成人式にも帰省する様子はなかった。
本当にあっさりと縁が切れた。
・・・いいんだけどな、元気でいてくれれば。
奈々さん情報であいつらが元気でやっていることは知れるし、おれも並盛町から離れる気はないから元気でやっていることは伝わるだろうし。
いつか、皺くちゃの爺さん婆さんになった時にでもおれの店に来店してくれれば、それでいい。
(・・・・そんなおれのささやかな夢も危うくなってきたなー・・・)
銃口突きつけられ中なう。
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