夏の夜を流るる


2206年7月1日


通達
貴下有する本丸に関する連絡事項


貴下本丸の利権及び処遇は審神者見習いに準ずることとする。

一、入手刀剣の顕現を禁ず
一、本丸の増改築の一切を禁ず
一、演練場以外での他審神者との交流を禁ず
一、政府本部及び会議場への立ち入りを禁ず

上記禁則事項を以て本丸の運営を委託し、登録名称:審神者名を時の政府所属歴史守護本丸の審神者と認める。

以上




暑さ増す午後。日差しはらんらんとして、空の下、太陽がずいっと顔を寄せて近い。

山から吹き降りてくる風が、吊り下げられた青簾を透かして通り抜けて、ほんのりと涼やかに薫る。風鈴がちりんと鳴って、こんなのはまだ夏の端くれだよ、と言っているようだった。

名前は広間の机で手元の紙に、必要な備品を書き出していた。業務の一環だけれど、今朝方届いた政府からの通達文に目を通してからというもの、ひとりで居るともんもんとしてしまう。だからどうしても、執務室に籠もる気にはなれなかった。皆の気配を近くに感じていたくて、広間にやってきたのだ。夏休みの宿題だって、自室よりも居間でやったほうが意外と捗る、そんなものだ。

禁ず、禁ず禁ず禁ず、と書かれた政府からの文書には大いに辟易した。禁則事項があるのは分かっているし、従うつもりだ。
だけどあの書き方じゃあ政府との交流を厭う審神者が居るというのも頷ける。そりゃあ審神者の好感度下がりますわ、と納得せざるを得ない。

本丸の増改築の一切を禁ず!とか、演練会場以外での他審神者との交流を禁ず!とかではなく、どうせなら庭とか畑は自由にいじってね!とか、演練会場では審神者同士大いに仲良くしたまえ!という感じでポジティブに書けないものだろうか。

なんて、考えても仕方ないことだと頭の片隅では分かっている。自分にできるのは、与えられた権利の中でこの本丸の審神者としての責務を果たすことだ。わかっているけど、いや、わかっているからこそ、ああいう一方的な通達文書なんかで支配を示されるとどうしたって嫌な気分になる。

そうっとため息で胸のつかえを緩める。伸びをして、少し上の空気を吸い込んで、心を洗う。

気持ちを切り替えて、縁側、その向こうの庭へ視線を移した。そして、これからさらに厳しさを増す暑さを想像する。

既に風鈴や簾などの備品は取り寄せたのだが、先の通達文によって少々へそを曲げている名前は、備品発注を政府にしこたまぶつけてやるつもりだ。だって備品の発注を禁ずとは書いてない。経費で落としてやるからな、と常々おだやかなはずの瞳の奥には、季節を先取った陽炎がゆらめいていた。

紙の上、こつこつと鉛筆の芯を鳴らして書き出す。夏用の内番服、扇風機、エアコン、それから、それから………しかし、いざ欲しいものを連ねるとなると思い浮かばないもので、んー、と唸って机に乗せた両腕に突っ伏した。

「うーーーん。」
「おや、文字通り煮詰まってるねえ。」
「…青江…あついなぁ。」
「そりゃあ夏だからね。ああ、僕がぞくぞくさせてあげようか?怪談話は得意だからねぇ。」

名前の独り言を拾ったのはにっかり青江。せっかくの提案だけど怖い話は苦手である。こんな日本家屋で怪談話なぞ聞かされた日には、夜中一人でトイレに行けない。
顔だけ青江にむけて話す。

「ごめん、怪談以外で涼しくなることないかな…。」
「へえ、苦手なら仕方ないねぇ。…それじゃあ君の後ろから、ゆっ…くりと、こちらへ近付いてくる二つの影の話でもしようか。」
「は、こわ!」

言いながら名前が身を起こす。腕にくっついてきた紙がぺりっと剥がれて、知らず汗ばんでいたことに気付かされる。振り返るより先に、背中から声が掛かった。

「主君、冷たいお茶をお持ちしました!」
「お茶菓子に琥珀糖もいかがでしょうか。」
「…前田と平野のことだよ?」
「…くないやん…かわいい…。」

平野が籐で編まれたコースターを置いて、前田がその上にガラスのコップを置く。からんと氷が鳴って、冷えた麦茶が注がれる。

「お茶ありがとう。こはくとう、ってなに?」
「琥珀糖というのは、砂糖と寒天を煮溶かした茶菓子のことです。」
「疲れたときには甘いもの、といいます。どうぞ、食べてみてください。」

差し出されたのは青の食紅で色付けされた琥珀糖。爽やかな濃淡は目にも涼しげで、まるで夏空を砕いたようなお菓子だ。
いただきます、と齧ったら、しゃりりとした歯触りのあと、舌の上にとろんと甘味が広がる。夏の空を食べられたなら、きっとこんな味がするのだろう。

甘みを味わって、麦茶ひと口飲む。甘さをやらかく持ち去りながら、胸の芯まですうっと冷えて、生き返る心地がした。

「…はあ、美味しいー、ありがとう。」
「良かったです。主君はお仕事中ですか?」
「うん、夏に要るもの書き出してるとこ。」
「夏に必要なもの…ですか。よろしければお手伝いしましょうか?」
「皆で考えたらすぐに済みそうだよね。僕もやろうか。」

前田と平野が申し出てくれる。青江も引き受けてくれるらしい。ひとりで煮詰まっているよりずっと捗りそうだ。名前は三振りに手伝いを頼むことにした。

そこからは早かった。

「麦わら帽子、あと浴衣や甚平はどうでしょうか。」
「打ち水をするのに、柄杓があるとよいですね。」
「寝苦しい夜には蚊帳や走馬灯もいいんじゃないかな。」

いいなあ、と名前が頷いて麦わら帽子、浴衣、甚平、打ち水の柄杓、蚊帳、走馬灯、蚊取り線香、と書き連ねていく。

書き連ねていくうち、りりんと吹きぬける風の、涼しさが増していくような気がする。

「かき氷器も申請しよっか。」
「良いですね。氷菓が美味しい季節です。」
「ラムネやサイダーも、この時期になると飲みたくなりますね。」
「ビールに冷奴、なんかもいいよねぇ。」

かき氷器、氷菓、ラムネ、サイダー、ビール、冷奴。
うんうんと頷きあって、4人それぞれに思い描く夏の品々。言葉で涼をとるようにして、またひとあし、暑さが遠のいていく。机の上の、麦茶が入ったコップだけが汗をかいている。

「海へ行くなら水着が要るなぁ。」
「西瓜割り、というものをしてみたいです。」
「水遊びならば、水鉄砲や水風船はどうですか?」
「足桶に氷水、金魚鉢なんかも涼しそうだね。」

海水浴、水着、スイカ、水鉄砲、水風船、足桶、金魚鉢。
つい先ほどまで政府への当て付け半分、億劫だったはずの夏が、いつのまにかわくわくと胸を高鳴らせる。

「金魚鉢、っていうと夏祭りとかあるんかな?」
「下町へ行けばあるようですよ。たしか盆の時期だったと思いますが、愛染が詳しく知っているはずです。」
「なるほど…夜は花火とかしたいなあ。」

それはだんだんと連想ゲームのように連なって、名前の手元の紙を埋めていく。並んだ単語は嬉々として、進む季節を待ちわびているかのよう。

「夏の夜というと、星々も綺麗ですよね。」
「ああ、星といえば今週末は七夕だねぇ。」

夏祭り、盆、花火、星、七夕。
したためた夏は、ずいぶんと楽しげだ。

「七夕かあ!今週末なら早速準備しよう。笹も要るなぁ。」
「夕ごはんに流しそうめんをするのはいかがでしょうか?」
「前田くん天才やな。めっちゃ良い。」
「竹は裏山のものを使いましょう。道案内はお任せください。」
「なるほど。じゃあ平野くん隊長で竹取り部隊を組もう。」
「僕はたっぷり中に入れるのが好きだなぁ…薬味のことだよ?」
「青江…………それは私も好き。」

笹の葉、短冊、折り紙。
そうめん、竹、薬味。

名前が麦茶を飲み干した。こうしてはいられない。

コップを洗うついでに厨当番に週末の献立をお願いして、それから竹取り部隊の選出と、浴衣選びも頼まなければ。
本丸全員分となると大仕事だから、目利きの得意な何人かと博多を反物屋さんに進軍させる。衣食住の一環、夏服ということで政府宛に領収書を送るつもりだから、とびきり良い品を選ぶようにと歌仙に言伝ておこう。
それから短冊や折り紙の調達は万屋でできるはずだ、今週の買い出し当番は誰だったっけ。

前田と平野、青江を連れて名前が立ち上がる。忙しくなるね、と顔を見合わせて笑った。

四人が去ったあと、机の上に残されたままの紙は、誰かが広間へ来るたびに夏のかけらで埋まっていく。

「日焼け止めとペディキュア」
「浮き輪が欲しいです」「釣り道具」
「主は日傘をお使いください、俺が持ちます」
「冷酒に枝豆!」
「きゅうりの酢の物と茄子の浅漬け」
「カルピス」「炭酸水で割るのもいいね」
「寒天」「ゼリーは?」「俺フルーチェ派」
「水羊羹」「見ずよう噛んで食べましょう」「←こぎつねまる2てんです」「涼しいね」
「浴衣と甚平はあるのに草履はないのかい?」
「俺はビーサンで!」
「麻の道着を支給されたし」
「Tシャツくれ」「おれもー」
「小松菜の種」「ひまわり植えたい!」
「俺は朝顔がいいな」「咲いたら国行も起きるよね」「せやかて蛍〜」

その夜、自室に持ち帰った紙を読んで名前が笑う。備品の発注をしようと部屋に招いた歌仙もまた彼女の手元に視線をやって、まるで歳時記だね、と微笑んだ。

政府より課せられた禁則事項も上等。そんなものに捉われない、来たる夏を迎え撃つ、作戦会議は上々だ。



七夕当日。本丸の庭では、浴衣を着た刀剣男士たちが銘々に星を楽しんでいた。

刺すことしかできないんだよなあ、と流れる素麺に苦戦している御手杵に鯰尾と骨喰がかわるがわる麺を分けている。

小夜を江雪が肩車して、笹に短冊を結んでいる。

兄者が俺の名を呼んでくれますように、と書かれた短冊のとなりに、弟の願いが叶いますように、と書かれた短冊。

手持ち花火を持った加州が、短刀たちに混ざって目をきらきらさせている。

追加の素麺が茹で上がったと、ひと抱えもある笊を蜻蛉切が運んでいる。そのザルから素早くそうめんをさらっていく、ちゃっかり効率重視の博多を真面目に流しそうめんに取り組む長谷部が叱っている。

陸奥守はじめ酒飲みの一団は夜露に湿った地面に気にせず座り、飲み比べをしている。

満天の星に相まって、それはとても美しい光景だった。

名前は、輪からすこし外れた本丸の縁側から、皆を眺めていた。それぞれの楽しそうな姿が微笑ましくて、全部覚えていられたらなあ、なんて無茶なことを考えている。

と、鶴丸が傍へやってくる。

「きみもどうだ?」

そう言って差し出されたのはお猪口。鶴丸のもう一方の手には徳利。入っているのは冷酒だろうか、名前は少しだけ、とお猪口を受け取った。

ああ、とひとつ頷いて、鶴丸が徳利を傾げると、るりりりり、という音とともにお猪口へと注がれたのは白と黄色、それから水色の金平糖。

お酒が注がれるとばかり思っていたから、陶器に触れて涼しく音を立てるそれが予想外で、名前はふわ、と目を見開いた。したり顔で鶴丸が笑う。たくらみが功を奏して嬉しそうだ。

「天の川から汲んできたのさ、驚いたかい?」
「っふふ、驚いた。」

天の川から汲んできたなんて、あまりにも可愛らしいいたずらに名前は思わず吹き出してしまう。

夜闇の下で、金平糖は星明かりを吸ってほんのりとふくらむように光っている。もしかしたらほんとに星を掬ってきたのかもしれない。鶴丸は神さまだから、彦星や織姫にも口利きできそうだ、と、夜闇を照らすような金色の目を見上げる。

「隣に座ってもいいかい?」
「もちろん。どうぞ。」

ぽりりと星を食べながら、鶴丸が問う。

「考え事か?」

そんな難しい顔してた?とおどけながらも、名前が答える。

「幸せやなあーと思って、それから、全部覚えてられたらいいなぁって考えてた。」
「ははは、そりゃあきみらしいな。」

ぱりぽりと星が砕ける。夏の空と同じで、恒星もまた甘いらしい。

鶴丸から見た名前は、この賑やかな夜にあってもの悲しく、とてもちぐはぐに見えた。彼女の憂いを払うべく、こうして隣へやってきたのだ。

名前は、楽しいときや幸せなときほど、つい終わりを考えてしまう癖があった。好きな本ほど読み終えるのがいやになったり、楽しみにしていた予定ほど近付くにつれて寂しくなったりする時がある。

視線を星空へ向けながらも、名前が話すのを待つかのように鶴丸は優しく沈黙を守っている。

「戦いが終わったら、こんな日常も無くなるんかな。」
「ん?、ああ、おそらくは…そうだろうな。」

時の政府から、この戦争の現状は明かされていない。それは他の本丸の審神者に聞いても同じことで、戦いの第一線に立ちながらもいつ終わりが来るのか、果たして先が見えない。
だから終わりが来るとすれば、きっと突然で、平穏な日常がある日ぷつんと途切れると思うと、それはとても恐ろしかった。

「…私たちの戦いは、なかったことになってるんやんな?」

歴史遡行軍を討伐するにあたり、その時代で関わった人たちの記憶に、彼らは残らないらしい。
みんなの戦装束ってあれで大丈夫なん?目立ちすぎじゃない?と名前がこんのすけに聞いたときに、言われたことだった。その時代の歴史修正主義者を討伐した瞬間、彼らにまつわる記憶もすべて、元どおり、なかったことになります故、問題ございません、と。

元どおり、なかったことに、なんて言われると在ることのほうが不自然だと聞こえて、気持ちのやり場に困った。

「まあ、そうだなあ。正しい、本来あるべき歴史から見たら俺たちの存在は、歴史修正もろともなかったこと、だからな。」

名前がいつぞやくる終わりを惜しんで寂しく思っていることを察したが、それは鶴丸にはどうにもしてやれないことだった。

戦争が終わったら、刀に戻るのだろうか。人の体を得たまま、主の生涯を見送り共に朽ちることは、叶わないのだろうか。
鶴丸国永もまた、人のゆき先を案じている。だけど千年を生きようと、未来のことは誰にもわからないのだった。

悠久の時間を過ごしてきた刀の付喪神にとって、人の一生なんてまるで泡沫のような時間だ。だけど人の器を得たこの身で過ごす一日一日は、刀であったときよりもずっと色濃く、長く感じられる。

体は人だが、心はどうだ。と自らを顧みたとき、鋼のような冷たさや鋭さは、ずいぶんまろくなっているように思えた。
刀が戦いに用いられるのは常、だが人の子が戦いに率いられるのは、鶴丸にとって物悲しく、不運なことのように思える。

「この本丸での日々は忘れがたい。失いたくないと思う。…だが戦いの記憶なんてのは、ない方が幸せだと思うんだが、きみはどうだい?」
「え、ないよりあったほうがいいよ。」

思いの外すぐに、すとんと降ってきた返事に、鶴丸は目をまるくした。名前は言葉を続ける。

「つらい思い出やったとしても、失くすよりあったほうがいいと思う。覚えてなくて、悲しいことも悲しい、って思われへんのってなんか、…なんか違う気がするねんなぁ。」

うまく言われへんけど、と名前がむず痒そうにしている。

「そういうものか。」
「うん、悲しいー!って誰かと泣けたほうが、なんか健康そうやん。」
「……健康?」
「あるべき姿っていうか。」
「ふむ。」
「だから歴史遡行軍は次々現れるんかなぁ、なかったことになりたくなくて。」

と言った名前の中で、何かが、繋がる。
点が線になりかけて、名前は動揺し、思考を逸らした。
ものすごく恐ろしい想像が、一瞬、脳裏に過ぎった気がしたのだ。そんな自分を、振り払う、いやそんな、ばかなことがあるわけないと。

「……まあ、考えても仕方ないか!」
「おいおい、随分と切り替えが早いな。」

星を見る。何億光年も遠くから、はるか時間をかけて届く光は過去のものだ。未来が見えないことは、幸せなのかもしれなかった。

「なあ、きみにとっての幸せとはどんなものだ?」

鶴丸が不意に問いかける。首を傾げた名前が答える。自分の中から、探すようにして。

「うーーん?どんなもの、かな?なんか、いい匂いがすることかな。」
「ほう?匂いとは、どんなにおいだ。」
「例えば朝、味噌汁をつくってる出汁のにおいとか、お日様に膨らんだタオルのにおいとか、…幸せって見えへんから、たぶんそういうもので出来てるんじゃないかな。」

「……におい、なあ。」

なにかを思い出したのか、一瞬、鶴丸の眉間にしわがよって、名前が笑う。

「ふ、有機野菜の肥料のにおいは私も苦手。」
「……!なぜ俺の考えがわかったんだ。」
「あはは。さあ?なんでかな。…でも、こういうのが幸せっていうやつかもしらん。」

満点の星の下。皆のはしゃぐ声がする。ネギやしょうがをたっぷり入れた素麺のつゆの味が、舌の奥に少し残っている。
お猪口の中に、天の川から汲んできた金平糖。蒸すような空気をほのかに揺らす夏の夜風。

見渡すかぎりに皆が笑っていて、そこにいて。足跡をたくさんつけた庭は、きっと空から見下ろしたら、天の川みたいに光っているんだ。

日々を過ごして、星とかそうめんとか皆の笑顔とか金平糖とか。誰かから見たら、てんで繋がりのないものを結び合って、私たちは近付いて、連なる。星々を結んで、星座をつくるみたいに、書き連ねた夏に要るもの、を結んだりして。

共に過ごした記憶。
それは、この過去をめぐる戦争が起こらなければ、付喪神と審神者にとって、持ち得なかったものだ。

まさか、無かったことになんか、できないよなあ、と思い直す。

「そうめんのおかわり食べに行こう。」
「それなら俺が流してやろう。驚きをもたらすぜ。」
「いやいや普通に流して。」

たくさんの短冊と七夕飾りをくっつけた笹は、色とりどりの思いを背負ってその背をしならせている。

願いのこもった重みに、ゆったりと頭をもたげる様は、たくさんの記憶を抱えて年老いていく、人の姿に似ていた。


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