君が涙を零す場所:朔夜



※黒子家族捏造





最近の俺には、妙な日課がある。
部活が終わって、帰宅途中の寄り道。
俺の家からも学校からも外れたその場所は、通りから少し離れた場所は近隣の店から出されたゴミで溢れ返っている。
そこを俺は毎日覗く。
覗いてそして、そこに落ちている"それ"を拾って帰る。
それが俺の、最近の日課。



【君が涙を零す場所】




最初にそれを見つけたのは、たまたまだった。
WCも終わり(うちは本選には出場していないけど)ある意味予想通りな、ある意味番狂わせな結果を導き出した存在に意識を向けていたからかもしれない。
視界の隅を掠めたその色に気が付いたのは。
「・・・あ?今の・・・」
まさか、と思った。
その日は関東にしては珍しい降雪で、一部沿線がストップする程度の積雪だったから、周囲は転ばないように、それでも足早に過ぎ去っていく。
吐く息は真っ白で、突っ立っていれば寒さに震えが来る程の外気の中。
こんな薄暗い場所に"それ"がいるだなんて思わなかったから。
けれどそれは錯覚なんかでは決してなく、ガチガチ歯を鳴らして、信じられない薄着で蹲る”それ”は、この俺を出し抜いて敗北を与えた相手だった。
「何、してやがる・・・」
呆然と呟いた言葉が届いたのか、"それ"はゆっくり顔を上げて、真っ直ぐ俺を睨み付けた双眸で、ぼんやりと俺を瞳に捕らえた。
「・・・花宮さん?」
「マジで、何やってんだ・・・」
「時間潰し、です」
何で、とは、聞かなかった。
聞かなくても解ったし、正直面倒だと思ったのが八割。
もしここでこいつを拾ったなら、木吉に一泡吹かせられるかもと言う打算が一割。
残り一割は、ただの好奇心。
青い顔をして寒さに震えるそいつの顔は、どう見ても殴られたと解る痣があったから。
何を考えているんだとセルフ突っ込みを入れながら、気付けば俺はそいつの、誠凛高校バスケ部1年黒子テツヤの手を引いて自宅まで連れ帰っていた。


「ほらよ」
「・・・・あの」
「あ?好き嫌いあっても知ったこっちゃねぇからな、残したら潰すぞてめぇ」
「いえ、そうでなく」
帰って即効風呂場に投げ入れて、俺のスエットを貸してやって、濡れた髪をそのまま放置する黒子の髪を乾かしてやって、台所の椅子に座らせる。
目の前には出来たてのリゾット。
チーズと生クリームたっぷりのそれは、多分甘党のこいつの口にも合うだろう。
「じゃ何だ」
「あの、どうして・・・」
「ふはっ!やっと聞くのかよ、知らねぇな。何となくだ」
困惑したままリゾットに口をつけようとしない黒子の腕には、顔と同じく青痣。
風呂上りにチラリと見た体の、腹や背中、脚にも同じような痣。
それだけじゃなく、鎖骨付近には小さな丸い火傷。
水脹れになった火傷はさっさと手当てしないと痕になるなと思ったけれど、俺は敢えて見ない振りのままヤツの口元にリゾットをスプーンを突きつけてやった。
スプーンを見て、俺を見て、リゾットを見て、また俺を見て、下がりっぱなしの眉は情けない八の字のまま。
深く刻まれた眉間の皺が緩む気配は無いようだが、俺にしては珍しく根気強くスプーンを突きつけたまま数秒。
先に根負けしたのはヤツだった。
はふとリゾットを咀嚼して、コックンと飲み込んだ顔は少しだけ嬉しそうに綻んだ気がする。
「え、っと・・・・あの、自分で、食べれます」
「そうかよ、じゃあ食え、全部な」
「・・・多いです・・・」
「残したら張っ倒す」
「・・・頑張ります」
もそもそとスプーンを口に運ぶ黒子を眺めながら、居間に置いてある救急箱を手に戻った。
黒子は熱めのリゾットに苦戦しながら、それでも半分程を腹に収めた時点で申し訳なさそうに頭を下げて、スプーンを置いた。
「すみません、ギブです」
「・・・てめぇ、少食も大概にしろよ」
そうだろうとは思ったが、これはない。
高校生男子にあるまじき食の細さ。
この俺が直々に作ってやったリゾットを、半分以上残しやがった。
「すみません・・・」
小さく肩を縮こまらせて、俯く水色はまだ震えているようだった。
外に比べて格段に暖かい筈の室内で、何に対して凍えているのか考える事も億劫だ。
「服脱げ、せめて湿布だけでも貼ってろ」
救急箱を開けて湿布を取り出す俺を、黒子は信じられないとでも言いたげな目で見上げてくる。
そんなに驚く事かよ、俺も驚いてるけどな。
試合中、厄介なパスを繰り出す腕も、コート上で駆け回る脚も、腹も、背中も。
青痣まみれで思わず顔を顰めたくなる。
湿布だけじゃ足りなさそうなその痣に、仕方ねぇから塗り薬を丁寧に塗り込んでやった。
途中何度か痛みに呻き声を上げたけど、全部終わって服を着せてやるまで黒子は何も言わなかった。
「生憎客用布団なんかねぇからな、てめぇはソファだ」
「え・・・・」
「あ?」
「あの、僕、これで・・・・」
「悪童とまで言われた俺だけどな・・・人並みに親切心だって持ってんだぜ?」
「花宮さ・・・「なんて言うと思ったか、バァカ。一宿一飯の恩はキッチリ返してもらうからなぁ?覚悟しとけよ?」
我ながら悪い顔だといつも思う。
が、その悪い顔に黒子は安心したように肩の力を抜いて放り投げた毛布を受け取った。
「高校生男子に返せる内容にして下さい」
「さてなぁ?どうするかは俺の勝手だろう?とりあえず、とっとと寝ちまえ」
「はい、おやすみなさい」
大人しく毛布を被り丸まった体ははみ出す事もなくすっぽりソファに収まって、どんだけ小さいんだと呆れるしかない。
朝になれば少しは落ち着いてるだろうし、ちょっとは事情なんてもんも聞けるかと思った俺が馬鹿だった。
リビングのソファには丁寧に畳まれた毛布とメモが一枚。
『借りた服は洗濯して返します 黒子』
「ふはっ、律儀なヤツ!」
ヤツの気質通りの几帳面な文字と、皺一つ無いよう畳まれた毛布。
温もりの消えたそれに、言いようのない不安を抱いたけれど、俺には関係ない事だと見ない振りをした。
そして放課後。
まさかと言う思いと、もしかしてと言う懸念に覗き込んだ路地裏。
「・・・馬鹿かよ・・・」
そこでは、昨夜と同じ場所同じ体勢で蹲る黒子が、真っ赤に腫らした瞼で俺を見上げていた。


それから始まった俺の日課は既に二週間近く。
一度、いつからそこに居るのか、いつまでそこに居るのか気になって張り込んだ事がある。
部活を終えて、一旦帰宅した後だろう。
フラフラと現れた黒子は、辺りを油断無く窺ってちょこんと座り込んだ。
吐く息も白い、凍える夜に。
ヤツは確かにそこに居るのに誰も気付かない。
誠凛の5番や秀徳の10番なら気付くんだろうか。
カタカタ震える肩は相変わらずバスケ選手とは思えない薄さで、もっと厚着して来いよと俺にしては有り得ないツッコミを何度か呟いた。
俺自身ぶっちゃけ超寒い。
じゃあ帰れよって自分で思うのに、脚が動かない。
アイツが動かないから。
カタカタ震えて、蒼い顔して、じっと宙を見つめ続けて、動かないから。
漸く動き出したのはホットコーヒーを既に5本消費して、ポケットに入れたホッカイロが意味を成さなくなった頃。
日付も変わって、時計の短針は1を指していた。
やっと帰んのか、とほっとしたのは一瞬。
立ち上がって、ゆっくり歩き出したヤツの顔は寒さからだけじゃなく、蒼白だった。
キュっと噛み締めた唇と、握り締めた拳はさっきより震えている。
一歩一歩踏みしめるように歩く背中は頼り無さ過ぎて、何かに怯える水色に思い切り顔を顰めた。
そうして辿り着いたのは小さな一軒家。
真っ暗なその中に吸い込まれるように水色が消えて数分。
恐らくヤツの部屋の窓に明かりが灯るだろうと、留まっていた俺の耳に届いたのは、外にまで漏れ聞こえる罵声と、何かを殴る音。
悲鳴は聞こえない。
聞こえるのは、口汚くヤツを罵るダミ声だけだった。



次の日。
相いも変わらず路地の片隅に蹲る黒子を、問答無用で引き摺って連れ帰って即効服を引ん剥いてやった。
止めて下さい!なんて怒ってるけど、知った事か。
俺は俺の探究心と、好奇心を満たす為ならてめぇの家庭事情なんざどうでもいい。
どうでもいいから、そんな怯えてんじゃねぇよ。
てめぇはいつか俺が潰すんだ。
だから、俺以外に潰されそうになってんじゃねぇ。
初めて拾った日は全身にあった痣が、今日は服からは見えない位置にだけ黒々と刻まれているのを見て試合中の自分は棚上げで虫唾が走った。
こいつを傷付けるヤツは、それでも最低限の外聞は守りたいらしい。
だったら俺は、その外聞もこいつも全部含めてぶち壊してやろう。
そう思う程度には、目の前の小さな背中は傷だらけだった。
「おい、何してる」
「・・・もう遅いので、お暇しようかと・・・」
「はっ!バァカ、こんな真夜中にフラフラ出歩かれて事故にでも遭われちゃ寝覚めが悪ぃんだよ。いいから泊まってけ」
ガシっと頭を鷲掴んで近距離で言い聞かす俺に、黒子は何も言わずに溜息を一つ零しただけだった。
そしていつものようにソファに丸まろうとする体をヒョイと抱えてやると、漸く声を荒げた事に口角が上がった。
ちゃんと感情は残ってるらしい。
ほとんど見えないけれど。
「何するんですか!」
「ナニって、寝るんだよ。言っとくが、てめぇに拒否権はねぇ。最初に言っただろ?一宿一飯の恩はキッチリ返してもらうってな。
って事でてめぇは今日から電気毛布代わりだ。せいぜい俺に風邪引かせねぇように頑張れよ」
ニヤニヤ笑いだけは止めずに、ベッドの上に放り投げた黒子は不満そうに口を尖らせながら渋々頷いた。
抱き締め合って寝るような趣味はさすがにない。
いくら可愛い顔してようがこれは男だ。
ただ、何となく、予想は出来たから、俺は俺の直感に従ってこいつと一緒に寝る事にしただけだ。
出来れば外れて欲しい予想は大当たりだった訳だが。
深夜、普通なら深く寝入っている時間、それは突然聞こえた。
小さな、けれど聞き逃せない叫び。
「――っめ、て・・・!――ぅさ・・・っ!――っゃだぁ・・・!!」
「おい」
「や・・・・や、だ・・・・!も、や・・・―――め、なさ・・・・と――さ・・・・ごめ、――も、やめ・・・!!」
「おい!」
バチンとキツめに頬を叩くと、そこでやっと魘されていた黒子は大きな目を開けて俺を視界に入れた。
とは言ってもその視線はどこか虚ろなままで、ボロボロと流れる涙は次から次へと止まらない。
「起きたか、うるせぇんだよ。どんな夢見てんだ、てめぇは」
「はな、みやさ・・・ん?」
「ふはっ!俺ん家に泊まってる事まで忘れたのかよ、寝惚け過ぎだろ」
「あの・・・」
「何の夢見てたか知らねぇが、次魘されたら鼻と口塞いでやるからな」
「それ息出来ないと思うんですけど・・・」
「じゃあ大人しく寝ろ、俺は眠ぃんだよ」
「すみません・・・え、と」
「今度は何だ」
「おやすみなさい?」
「とっとと寝ろ、バァカ」
今度は額にデコピン一つ。
痛いですなんて喚く馬鹿に背中を向けて小さく細く息を吐き出す気配に目を閉じた。
次の日、いつもなら俺が寝てる間にこっそり出て行くヤツを気付かないフリで見送った俺は、学校をサボってヤツの家に向かった。
外から見るとごく普通の。
一般家庭のサラリーマンの父親と、専業主婦の母親がいる筈の家。
今日は平日なのに、何故か家に居る父親と、気配の感じられない母親。
ご近所の奥様方の話じゃあ、母親は数ヶ月前に出て行ったらしい。
俺と同じか、少し上位の若い男と共に。
残されたのは、母親に生き写しのような外見の息子と捨てられた父親。
その結果導かれた現状に、込み上げる不快感と漏れる舌打ちは、別にあいつに同情したからじゃない。
ただ数ヶ月の間、ほぼ毎日あんな暴力に晒されて、それでも俺達との試合であれ程気丈に振舞えたアイツに脱帽してやってもいい程度には感心した。
チームメイトにも学校の奴等にも、誰にも悟らせずにたった一人、アイツはあんな暗い場所で蹲って耐えてきたのか。
いつか俺が潰すつもりだったあの影が、誰にも見つけられずにあんな場所で潰れそうになっていたのか。
そう思うとやり場の無い怒りが沸々と湧き上がってくる。
俺が最初に目を付けたんだ。
相手が誰だろうが、例えそれが実の親だろうが、俺の獲物を横取りする事は許さない。
静かに燻る怒りを腹に隠して、どこにでもありそうなインターホンを押した。
それから数十分後、目の前で土下座する冴えない男を一瞥し、ボストンバック2つ分の荷物を抱えて家に帰った俺は妙な達成感に包まれていた。
別に助けてやろうとか思った訳じゃない。
可哀想になんて同情した訳じゃない。
俺の獲物が俺以外の人間に好き勝手される事がただムカついて、気に入らなかった。
それだけだ。
だから部活の終わる時間を見計らって、いつもの路地裏であいつを待っていたのも親切心からじゃない。
意外と律儀で頑固なヤツの事だから、こうして恩を売ってやれば俺に逆らえなくなるんじゃないかって打算からだ。
「よぉ、黒子」
「・・・何だか最近貴方との遭遇率が半端ない気がします」
「そりゃ気のせいだ」
「一応お聞きしますが、何故ここに?」
「たまたまだ」
「そうですか・・・では僕はお先に帰らせて頂きます」
「ふはっ!帰るって、どこにだよ」
「自分の家に決まってるでしょう、馬鹿ですか貴方」
「もうてめぇの家にてめぇの居場所もねぇのに?てめぇを待ってるヤツなんざ、誰もいねぇのに?」
「・・・どういう、意味ですか?」
「そのままだ、てめぇの親父は、もうてめぇの顔も見たくねぇんだと」
あんたの息子くれよって言ったら、熨し付けてくれてやるってよ。
「ついでに二度と顔見せんなとさ」
さすがに反応があるかと思ったが、こんな時でもポーカーフェイスは健在らしい。
微々とも動かない表情筋にも、淡い水色の目にも、どんな負の感情も見当たらない。
つまんねぇなと思うと同時、たった数ヶ月でそうまで壊れたこいつの日常を想像するのは簡単で、掬い上げるには難し過ぎた。
「そうですか」
淡々と、酷く静かに一言だけ漏らしたこいつの無表情で無感動な目の色がいっそ哀れで滑稽だ。
そんなコイツが何故か残念過ぎて、せめて涙の一つも見せやがれと毒吐く俺の思考回路の方が一番残念なのかもしれない。
「で、これからどうすんだ?宿無し黒子テツヤ君」
「さぁ、どうしましょうか・・・宿無しどころか文無しですしねぇ・・・ホームレス高校生とかやっていけるんでしょうか」
「出来る訳ねぇだろ、バァカ。てめぇんとこ私立だろうが、どんだけ金掛かると思ってる」
「ですよねぇ・・・となると、辞めるしかないですか・・・バスケも、もう出来ませんね・・・」
小さく、よく見ていても解らない程度に、黒子は笑った。
どこか安心したような、泣きそうな笑顔だった。
「辞めれんのか、バスケ」
「ボールさえあればどこででもバスケは出来ますけど、そのボールがもうありませんし、取りに行くのも面倒なので、仕方ないです」
「っつかよ、取りに行った時点で殺されんじゃね?」
「かもですね、それも嫌なので、やっぱり仕方ないです」
こいつは馬鹿かと改めて思う。
俺は、息子をくれよとこいつの父親に言ったと、そう伝えた筈なのに。
その意味をイマイチ解ってないようだった。
熨し付けてまで寄越したクソ親父にはその点に関してだけは感謝してやってもいいかもしれない。
「やっぱてめぇ頭悪ぃわ。俺の話聞いてたか?
てめぇの親父がてめぇを熨し付けてくれてやった相手は誰だと思ってる」
「・・・え・・・」
さすがにここまで言えば意味が解ったか。
ピクリとも動かなかった眉が僅かに上がって、探るように目が細められた。
寒さからか、怯えからか、一瞬だけ跳ねた肩を引き寄せて胸倉を掴み上げる。
触れそうな程間近で覗いた水色の瞳の深淵は、どうあっても垣間見る事は出来なかったけど。
「今日から俺が、てめぇの持ち主だ。せいぜい恩返ししろよ、黒子テツヤ」
絶望すればいい。
親に捨てられて、悪童に飼われて、最悪な人生だと悲嘆に暮れて傷付いて、絶望すればいい。
闇に塗れたそこで、俺の手に堕ちた自身を嘆いて泣き喚けばいい。
悲しみもせず、喚きもせず、抗う事もせず、静かに諦めだけを浮かべた瞳から涙を流せばいい。
「てめぇの意思も、自由も、感情も、全部俺のもんだ」
もう夢の中だけで泣くような事は許さない。
声をあげて泣いて欲しいと、俺が思った時には子供みたいに泣き叫べ。











[ 7/7 ]
[*prev] [next#]
[mokuji]
[しおりを挟む]



「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -