彼が告げる『真相』
 AさんとBさんはあの事件以来連絡を取り合っていないらしい。それなのにCさんがBさんの連絡先を知っていることに驚きつつも、私はAさんの練習スタジオから去った直後にBさんの携帯電話に連絡を入れた。電話越しに柔らかなソプラノの女性の声を聴き、私は彼女に取材の申し出をした。彼女は不自然なほど快くその申し出を受け入れてくれた。待ち合わせ場所は都内某所の喫茶店。
 2008年3月某日。学生時代ずっとその活躍を見守ってきたもう一人の天才にもうすぐ会える。彼女に抱く感情はこの取材を始めた当初とだいぶ様変わりしていたが、それでも彼女がどのような成長を遂げているのかと思ったら胸が高鳴った。若気の至りとも言えるあの事件を起こした後、彼女はどこで何をして過ごしていたのか。
 待ち合わせ時間になったその時、私の目の前に黙って腰掛けたのは鮮やかな銀髪に金色の目が印象的な美青年だった。と言ってもCさんとは違う種類の美しさだ。癖のある釣り目と口元のほくろが年に不相応な色気を醸し出している。
 私は確かにその彼を別の場所で見ていた。あの立海テニス部の特集記事の写真でだ。
「残念だが、Bはここには来んぜよ」
 特徴的な訛りを含んだその言葉、しかしそれには決定的な違和感があった。どう聞いても明らかに男性の声ではないのだ。柔らかなソプラノの音域。そう、Cさんは私にBさんではなくこの青年、Dさんの携帯番号を教えていたのだ。
 Dさんは数回咳払いをすると、「特技は物まねじゃき」と今度はちゃんと青年の声で私に告げた。
――あなたはBさんとはどういったご関係ですか?
「いきなり答えにくい質問じゃのう。まぁ、一言で言うなら現在の関係は同居人ぜよ」
――同居人? 恋人ということですか?
「まぁ、Cのヤツが俺たちの関係をそう勘違いしてるのは確かじゃき。でも厳密にはちょっと違う」
――肉体関係というやつですか?
「お前さん、そういうことサラッというのは止めときんしゃい。まぁ、その表現が一番近いような気もするけどのう」
 言うならば共犯者じゃ。そう言って、彼は不敵とも悲しげともとれる曖昧な笑みを浮かべて頬杖をついた。その時ウェイトレスが彼へ注文を聞きに来る。アメリカンを頼んだ彼は、ウェイトレスが去るのを見計らうとそっと私に問いかけ始めた。
「アンタ、Bの何が知りたいんじゃ」
――Bさんというか、AさんとBさんの間に何があったのかを知りたいのですが。
「なんてことない、中学生のガキの間で起きた擦れ違いじゃ。そんなのは記事にはならんぜよ。それよかバレエ団と立海の周り張ってた方がよっぽど週刊誌向けのネタが手に入ると思うが?」
 私は、この記事の冒頭でも記した私とAさんとBさんの出会いについてから、Bさんの活躍をずっと追っていたことを全て話した。Dさんは静かにその話を聞いていてくれて、ウェイトレスがアメリカンを運んできてからも時たまそれを口に含みながら相槌を打ってくれた。
――当時、確かにBさんはAさんに比べたら凡庸なダンサーでした。ですが彼女だった10年にひとりの逸材です。化け物みたいな存在の横に並ばされて、その中で彼女がどう成長するのかが見たかった。彼女にしかない才能を私は確かに感じたんです。当時の彼女がそんなファンの心を知ったら、きっと重荷に感じたことでしょう。実際、彼女に壁を乗り越えることはできなかった。でも、消えたから先のことは知らなくていい、というのは違うと思ったんです。……彼女が消えた理由を知りたいと思い、編集長を騙してまで取材を始めました。取材を続けるうちにBさんがAさんに嫉妬で暴力をふるったのだと悟り、失望しかけたこともありました。でも今は、その背景にあった真相をすべて知りたいと思っています。Bさんのことを知りたい。Bさんが
「もう、その先はいい」

 その時、Dさんは一瞬だけ顔を歪めた。
「真相が聞きたいんじゃったか?」
 Dさんは、このことを記事として掲載しないことを条件に私へすべてを語ってくれた。泣き出しそうな歪んだ表情はすでに消え、代わりに飄々とした涼しげな顔で彼は淡々と真相を言ってのけた。

「BがCに特別な感情抱いてると俺が気付いたのは、二年生になってすぐの頃じゃ。BはCが好き、CはAが好き。そしてAはバレエが好き。分かりやすい一方通行の関係が出来上がりぜよ。それでもその当時はそれで良かった。その状態がずっと続けばいいと俺は思っとった。Cはテニス、AとBはバレエ。互いに目指すものがあったから、恋愛なんて日常のおまけみたいなものじゃき。何か動きがあってCがテニスを疎かにする様になったら困る」
――でもその均衡を崩す行動をBさんが起こした?
「それは違う」
 諦めたような、懐かしむような表情で過去を語っていたDさんは、突如鋭い視線を私にぶつけてきた。
「さっきも言ったが、俺の特技は物まねじゃ」
――はい。
「学生時代テニスをしていた時も、俺のプレイスタイルは人の模倣じゃった」
 Dさんが何を言いたいのかがいまいち分からない。
「俄かには信じられんかもしれんが、俺は人に成りすますイタズラと言う名のトレーニングを日々欠かさずしとったんじゃ」
――人に成りすます、といいますと?
「人のプレイスタイルを盗むにはまずその標的の日常からなりきるのが、当時の俺の常套手段ぜよ。俺は中三の全国大会で負けた後、更に完成度の高い模倣を目指してとある男によく変装しとった。その男とは背格好も肌の色もほとんど同じで、かつらとカラコンを買ってメイクで目の形を少し弄れば案外誰も気が付かんかった」
 そう語るDさんは確かに、その神秘的な金の瞳に暗い影を映していた。弧を描いた口元は寂しげな自嘲とも狂気の片鱗とも見て取れる。
「CはAに夢中で、Bのことなんて存在すらも忘れていることがよくあった。Bの中で生きているCとの思い出の、ほとんどは」
――それは……Bさんの気持ちを弄ぶことになると自覚して、やっていたのですか?
 事態がいまいち呑み込めなかったが、彼なら不思議とやってのけてしまうような気がした。フィクションの世界じゃあるまいし、中学生がかつらとカラコンとメイクで他人に成りすますなどと。いやしかし、それがもし事実なのだとしたら。
「無自覚、じゃな。当時はCを模倣する練習になればそれで良かった。深くは考えとらんかった」
 私の中で沸々と湧きあがるDさんへの怒り。自分の好きな人が別の男性が成りすました偽物だったと知れば、大概の女は怒りで我を忘れるだろう。ましてやその偽物の所為で自分の感情が抑えられなくなり、本物に告白してフラれ、親友に暴力を振るってしまったのだとすれば。
 Dさんの罪は許されるべきではない。
――真実を知ったらBさんが悲しむとは思わなかったんですか?
「男子中学生の原動力なんて所詮は自己満足と興味本位ぜよ。当時Bは俺にとってただの同級生の女子。少しばかり大がかりなドッキリを仕掛けた、くらいにしか思っとらんかった」
――AさんやCさんはそのことを知ってるんですか?
「Cには高校の時にバレたが、Aは未だに知らないんじゃなか?」
――Bさんにすべての罪を擦り付けたままでいいんですか?
「お前さん、何か勘違いしとらんか?」
 金色の瞳が私を鋭く射抜いた。
「BがAの右足首を鉄パイプで何度も何度も叩いて神経切断まで追い込んだ。これは何の誤魔化しようもない事実じゃき。その裏でどんな事情が渦巻いていたとしても、Bに罪がないなんてことはありえん」
 お前さんが知りたい『真相』ってのはいったい何じゃ? 事実と何が違う?

 やりきれなかった。AさんもBさんもCさんも、すべてはこのDさんの気ままな暇つぶしが生んだ矛盾に翻弄されて、苦い体験をしたのだ。確かにAさんに暴力をふるったBさんが許されることは永遠に無いだろう。CさんにもAさんとの交際を否定しなかった非はあるし、AさんもBさんの傷ついた心を察せなかった過失はある。しかしすべてはDさんの気まぐれな変装ごっこから始まっていたのだ。
 それが真相だ。それ以外の何が真相だというのか。

 私は自分と彼の分の代金を机に置いて早々に席を立った。Dさんはただ一言、
「もうこれ以上、Bについて嗅ぎまわらんでくれ」
 とだけ言って、残りのアメリカンを啜っていた。
――最後に、1つだけ聞いてもいいですか?
「なんじゃ」
――どうして、ただの同級生だったBさんといまだに交流があるんですか? そんなことがあったら疎遠になりませんか?

「言ったじゃろ。共犯者じゃ、って」


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