そして終幕に向けて加速する悲劇
!注意!
 必読にも明記いたしましたが、この話では流血描写が記載されております。今回の話のみ、ストーリーの展開に関する苦情は一切受け付けません。あらかじめご了承ください。









 どうしようもなく満たされていた。こんなに幸せでいいのかと、怖くなるくらいに。
『3日後の2月20日、早朝4時に迎えに行く。引っ越しの荷造りをするフリをして、必要最低限の物をまとめて玄関で待ってて。強制は、しないから』
 甘ったるいキスを全身に受けていたら、車庫から聞きなれたエンジン音が聞こえてきたので慌てて服を整えた。アタフタとしながら出ていく準備をした幸村さんを裏口から逃がそうとしたが、彼はベランダから飛び降りるから良いと言う。その方がロミオらしいだろ、と。そういえばどうやって二階まで上がってきたのだろう。まさか、よじ登ったのだろうか。
 顔に熱が集まった私の額に口づけて、彼は再会の日時を告げた。三日後、二月二十日。その日は私の引っ越し予定日だった。
 それからの毎日は綱渡りをするように、全身の神経を研ぎ澄ませて取り繕うのに必死だった。定期的に掛かってくる婚約者の彼からの電話では何事もないかのように振る舞い、家族にもバレないよう必死に演技した。姉とは全く顔を合せなかった。母から聞いたのだが、今は不二周助のお姉さんのツテを頼りに小さな個人のバレエ教室を朝から昼にかけて使わせてもらっているらしい。寝泊まりは不二周助の実家でしているようだった。
 もう、どうでもいいのだけれど。
 頭の中は、幸村さんとの幸福な駆け落ちのことでいっぱいだった。あんな姉の事などもう知らない。彼女の言うとおり、私はもう自己犠牲なんてくだらないことはやめたのだ。
 何を持っていこうか。お金はできるだけ現金で、カードは足がつくから駄目だ。着替えと、化粧道具と、携帯はどうしよう。電車で移動するのだろうか。だとしたら酔いやすい私は酔い止めを持っていかなければならない。
 どこへ行くのだろう。どうやって暮らすのだろう。分からないことだらけで、そちらに進めば辛いこともたくさんあることは明白だった。
 けれど、もう幸村さんと離れられる気がしない。

 もちろん、あの脅しのことを忘れたわけではない。幸村さんが家から出るときも、周りを入念に探った。けれど家に火をつけそうな不審人物は誰もいなかったのだ。現に今のところ家族は全員無事だった。相変わらず父はワーカーホリックで、母は普通の専業主婦としての毎日を送っている。
 もしかしたら、あれはハッタリだったのかもしれない。
 そうだ、きっとそうなのだろう。いくらあの人の本性が醜く歪んだものだったとしても、所詮は温室育ちのお坊ちゃん。彼が犯罪者の連中と交流を持っているはずがない。きっと探偵か誰かを雇って数日尾行だけさせたのだ。
 言いようのない胸騒ぎを、そうやって押さえつけた。今更どんな理由があろうとも、もう幸村さんから離れる未来なんて想像できなかったのだ。


 そして。
「嬉しいよ、楓」
「幸村さん、大好きです」
 約束通りの時間に姿を現した彼に、私は抱きついた。季節がまだ冬であったことに感謝する。周りは真っ暗で、私は人目を憚ることなく彼に抱きつけた。相変わらず彼の体温は私よりも高い。
 幸村さんがギュッと抱き返してくれる。しばらくそうしていたが、やがてどちらからともなく離れた。しかし私の左手と彼の右手は繋がれたままだ。
「しばらく帰ってこられないけど、大丈夫?」
「覚悟はできています」
 夜明け前の一番暗い時間。闇の中でボーっと見える長年住み慣れた我が家を振り返り、私はそう呟いた。幸村さんの手が、離すまいと力を込めて握ってくる感覚が嬉しかった。何も永遠の離別ではない。落ち着いたら互いの両親には連絡を入れられるだろう。その時に理由を話して謝ればいい。
 ほとぼりが冷めるまで。その言葉を呪文にして、私たちは歩き出した。

 始発の時間は五時。それまで私たちは、最寄駅の近くにある公園のベンチで時間を潰していた。他愛のない話をした。趣味や好きなものについて、互いの中学高校時代のこと。そのうちに時間は来て、まず私たちはJRで東京駅を目指した。特に行先が決まっていたわけではない。ただ、東京駅なら新幹線に乗れば大概の場所に行けるだろうという安易な考えだ。
 東京駅に着いたのは朝の六時。まだ駅の構内は比較的静かで、出張に行くのであろう大荷物を抱えたサラリーマンや、スーツケースを持った旅行客とたまにすれ違うくらいだった。
 共に空腹感を覚えていた。と言っても早朝六時。シャッターはまだどこも閉まったままだ。しばらく東京駅付近を歩き、開店している喫茶店をやっとの思いで見つけ出したのは六時半くらいのこと。幸村さんはエスプレッソとトースト、私はブレンドとサンドイッチを注文した。
「さて、どこに行こうか」
「幸村さんはどこか行きたいところはありますか?」
「んー。特にはないけれど、しいて言うなら北は嫌かな。きっとまだ寒い」
「西へ行きましょうか。私まだ西日本に行ったことないんですけど」
「そうなの?」
「はい。中学の修学旅行で沖縄に行ったくらいで」
「じゃあ、大阪行く?」
 そう言って、エスプレッソを口元に運んでいく幸村さん。少し意外だった。あの食い倒れと笑いの街と、幸村さんのイメージが合わなかったのだ。
「もし楓がそこでいいなら、俺ちょっとツテがあるんだ」
「ツテ?」
「事情を話せば一週間ぐらい家に泊めてくれそうな知人が何人かいるんだ」
 あの包帯男のメアドまだ消してないよなぁ、と呟きながら青い携帯取り出し、弄る幸村さん。さすがと言うべきだろうか、大阪にまで友人がいるのか。顔が広い。だがしかし、包帯男とはなんだ。
「ああ、でも忍足のほうが遠慮しなくていいから楽かな。んー」
 まぁ、困ったら金色くんに言えば何とかしてくれるよね。と一人納得した幸村さんは、顔に似合わず大きな口を開けて豪快にトーストを齧った。
「楽しみです、大阪」
 私がそう呟くと、幸村さんはトーストを咀嚼しながら優しそうな眼をして頷いた。

 朝食を終えると、もう時刻は7時を過ぎていた。東京駅には先ほどまでなかった人ごみが増殖し、足早に闊歩していくサラリーマンと、荷物を抱えた観光客で溢れている。私と幸村さんは強く手を繋ぎ、はぐれないようにスクランブル交差点を共に歩く。
 七時四十分発の新幹線の切符を買えた。眠たそうな駅員にお礼を言ってそれを受け取り、改札に入る前にコンビニで飲み物と軽食を買おうという話になった。一番近くにある駅構内のコンビニに向かったが、すでに店内はサラリーマンで溢れていた。
「混んでそうなので、私買ってきますね」
「え、でも」
「大丈夫です。お嬢でもコンビニで買い物ぐらいはできますので、ここで待っていてください」
 少し意地悪な口答えをすると、彼は苦笑いを浮かべながら「じゃあ、お茶とおにぎりと適当にお菓子お願い」とだけ言った。
「はい」

 繋いだ手を、放す。
 財布だけ取り出し、必要最低限の旅支度が入ったトートバックを彼に預けた。人通りの邪魔にならないように、幸村さんが壁際に凭れ掛かって携帯を取り出したのを確認してから、私は店内に入る。
 サラリーマンで溢れかえる店内を縫うようにして歩き、緑茶のペットボトルを二本、おにぎりは梅と鮭とおかかと昆布。たけのこの里とプリッツサラダ味をかごにどうにか収めて、レジに並んだ。前に並んでいるのは三人。こんなに混んでいるのにレジの店員が一人というのはいかがなものだろう。
「お待たせいたしましたー」
 やる気のない若い男性店員の声に、かごをレジに置く。ピッ、ピッとバーコードを拾う音が何回か響き、金額が表示された。財布から三千円を取り出して、おつりをいくらか貰い、商品を受け取った。


 その時、だった。


 コンビニの外、駅の構内から女性の甲高い悲鳴が聞こえる。店内は騒然とし、その窓ガラスからも構内に人が群がるのが見て取れた。
「救急車!誰か早く!」
「駅員さん、こっちですっ!」

 コンビニ、悲鳴、張り詰めた空気、救急車。すなわち、怪我人。
 なんだ、この既視感は。


「っ!!」
 コンビニの自動扉にぶつかる様な形で外へと飛び出す。人ごみをかき分けながら、ただひたすら幸村さんを探した。足が縺れ何度も転びそうになりながらも、必死で、ひっし、で。探した。私は、さがしたのに。
 いない。
 いない、いないっ。

 いない。

「幸村さんっ!!っ、幸村さんっ!!」
 コンビニの袋からたけのこの里が落ちた。拾っている暇はなかった。
 一際騒がしい一角、野次馬と思われる者たちの足元に転がっていた、見覚えのある青い携帯電話を見つけてしまったから。

 かき分けた。
 不快を表す唸り声をあげられても、あからさまに舌打ちされても構わなかった。勘違いならいいんだ。いいや、そうでなければ困る。
 野次馬たちを体を張って押さえている駅員の腕の間を掻い潜り、
 私はその空間を、見た。

 見てしまった。


 真っ赤な。まっか、な。

「幸村っ!!幸村、しっかりして!ゆきむらっ!!」


 美しい男の鮮血に染まった、泣きじゃくる姉の姿を。



 第三幕 終


prev next

bkm
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -