キミと愛を誓い合うまでの長い道のり
 千代田の後に付いてレンタルドレスショップに足を踏み入れると、自動ドアの開いたその先にはたくさんのウェディングドレスとカラードレス、そして紳士物のタキシードなんかが飾られていた。カウンターに椅子がずらりと並んでいる正面から少し視線をズラすと、窓際にいくつかのテーブル席が設けられている。
 楓は口元をハンカチで押さえ、そこで先週挨拶したプランナーさんと話し合っていた。
「あ、新郎様! 良かった、お待ちしていたんですよ」
 先に俺を発見したのは、プランナーさんの方だった。30歳前後の小奇麗にした細身の女性で、彼女が立ち上がると楓も釣られて振り返った。
「遅れてしまって申し訳ありません。……楓、あの」
「良かった。その、私だけではちょっとよく分からなくて……」
 楓は俺が何を最初に言おうか迷っている隙を付いたのか否か、遮る様にそう言ってテーブルの上に広がる複数枚の用紙に目を落とした。
「披露宴当日まで7週間を切っていますので、これから先にお二人にやっていただきたいことを恐れながらリストアップさせていただきました」
 彼女はキリッとした表情でそう言うと、所々にバツ印が書き込んであるA4用紙を指差す。覗き込むために俺も楓の隣に座った。背後から立ったまま千代田が覗き込んでくる。お前仕事あるんだろ帰っていいぞ、と言う余裕は俺には残念ながら無い。
「まずは最優先で婚姻届を提出する日にちを決定してください。これはできれば今日明日中に。お日柄を選んだ上でお二人の都合がよろしい日となると、日程も限られてきますので」
 いきなり頭を殴られたような衝撃に襲われる。そうだ、式云々に捉われ過ぎて本当に夫婦になる日のことをすっかり忘れていた。
「それから婚約指輪と結婚指輪のご購入を。こちらもできれば来週の打ち合わせまでにお願いします。デザインによっては発注から納品までに数週間かかるものもございますので」
「はい、今日このあと見に行こうと思っています」
「そうでしたか。素敵なものが見つかるといいですね」
 彼女はそう言いつつ紙面を滑らせる指を進める。
「先ほど新婦様にお伺いしたところ、ご両家様への報告や顔合わせはお済みとのことでしたので、こちらは大丈夫です」
 指輪購入の下に記載された両家報告と顔合わせの欄に、バツ印が書き込まれている。本来ならその位置にそれが来るのかと少し不思議な気分だった。
「そしてもう一つ。次回の打ち合わせまでにやっていただきたい大仕事が」
「はい、何でしょう」
「ゲストのリストアップと、招待状の発送です」
 おそらく一番面倒くさくて頭を捻るその仕事の存在を、忘れたわけではなかった。何となくのメンバーは決まっていても、その住所が全員分あたまにはいっているわけではない。親戚や上司の住所なんか今年の年賀状を引っ張り出さなくてはならないだろう。
「手作りされる方もいらっしゃいますが、今回はお時間もあまりありませんのでオーダーという形でよろしいでしょうか? 別途料金が掛かってくるのですが……」
 そう言って彼女は別途料金24300円を指差した。
「はい、大丈夫です」
「かしこまりました。では、4月28日正午までにこちらのアドレスへゲストのご氏名とご住所のデータを添付したメールをご送付ください。様式はこちらの紙に詳しく記載しておりますので」
「分かりました」
 彼女は薄く色を塗ったテラテラ光沢のある爪でそのアドレスと様式が記載された紙を三つ折りにした。
「それからこれは挙式披露宴にはあまり関係の無いことなのですが」
「はい」
「ゴールデンウィーク中には、お二人のご新居を決められた方がよろしいかと」
 頭部への衝撃第二段。目の前の披露宴準備に追われて全く手を付けていない、しかし今後の俺たちのことを思えば披露宴よりもずっと大事な事が急に目の前に横たわった。
 横目で楓を盗み見ると、伏し目がちに書類に視線を落として口をハンカチで押さえたままだ。
「だいたい皆様、お式の1カ月前くらいからお式の翌日翌々日くらいまでで一緒に住まわれるので。差し出がましいとは思うのですが」
「いえ、ありがとうございます……すっかり頭から抜けてました……」
 会場が決まってホッと一息ついて夕方テニスクラブとかに行ってた先週日曜の自分を殴り飛ばしたい。やることたくさんまだ残ってるよ、一つずつ片付けていくしかないんだろうが正直頭パンクしそうだ。
「頑張ってください新郎様。ここを乗り越えればだいぶ余裕が出てきますから!」
「はい……」
 ガッツポーズで励ましてくれるプランナーさんに苦笑いしか返せない俺をどうか許してほしい。
「話を戻しますが、本日衣装選びは行いますのでこちらは大丈夫」
 彼女の光沢のある爪は再び紙面を滑り始める。バツ印をまた一つ通過した。
「それから衣装選びに関連して、先ほど新郎様が来られる前に新婦様とご相談してたのがこちらなのですが……」
 そして、その指は紙面の『ブライダルエステの検討』という文字の上で止まった。
「後ほど新郎様には新婦様の衣装も考慮した衣装選びを行っていただきますので、その際に新婦様が選んだドレスもご覧いただきますが」
「えっ、楓もう選んじゃったの?」
「……はい」
「ウェディングドレスもカラードレスもよくお似合いでしたよ」
 着てるところ見たかったなと呟く資格は俺には無い。が、少し気落ちしたのを目敏く見抜いた千代田が後ろから頭を小突いてきた。
「写真撮ったから後で送ってあげるよ。とりあえず話の腰折るな」
「……どうも」
 写真はありがたいが最後の一言が余計だ。
「そちらのドレス、どちらもビスチェタイプと言いまして肩紐の無い両肩や背中の上部を大きく露出させるものとなっています」
「ああ、チューブトップみたいな」
「ええ、そういったものです。ドレスでは一般的な形なのですが、普段あまり露出されない部分が出ますのでそちらや腕、顔、デコルテなどのお手入れをされる新婦様が一般的にとても多いのですが」
 手入れなんてしなくても楓のそこはどこもとても綺麗だぞとはさすがに口を挟まなかった。男基準の小奇麗さと女基準の美しさに天と地ほどの差があることは、さすがの俺でも知っている。
「先ほど新婦様にご確認したところ、特に行きつけのエステサロン等も無いようでしたので、よろしければ当社が契約しているサロンをご紹介いたしますが」
 そう言ってスッと指差された別途料金105000円の文字に、正直言うと眩暈がした。10万? 10万ってなんだ、一部をサイボーグにしますとかそう言う系か!? だが、女の身体のメンテナンスに男が口を挟むのは野暮というものだろう。こればかりは即答できずに困って楓を再び盗み見ると、ばっちり目が合ってしまった。
 非常に困ったような顔をしている。そうだよな、楓こういうのめちゃくちゃ疎いし。
「これ全身マッサージの複数回の値段ですよね?」
 その時、背後から俺たちの間を割って入る様に手が伸びた。
「はい。割引が効いているのでかなりお得ですよ」
「ホントですね。全身コースは相場12万とか聞きますし」
 千代田が急ににこやかにプランナーさんと話し始める。しかし俺が来ていない間にそれなりに親睦を深めていたのか、プランナーさんは大して驚くことも無く対応していた。
「でも、さっき着てるのを見てる限り脇の肉がはみ出してたわけでもないし、腕もほっそりしてて楓ちゃん綺麗だったけど……川浦さんはどう思いました?」
 いつの間にか名前まで聞いていたのかと面食らったが、彼女の左胸にひっそりと挿された『プランナー 川浦』の名札に合点がいく。
「そうですね。元からスタイルが大変よろしいので、マッサージによる引き締めはあまり必要ないかもしれません」
「ですよね。それに赤みも特になかったから、美白とかも必要ないと思うんですよ。それよりは式に向けて体調整えてこれ以上痩せないようにするのが先決っていうか」
「そうですね……でしたら、エステは露出部分のシェービングのみで間に合うかもしれません。それでしたら通う回数も少なくて済みますし」
「だって! 楓、それならたぶん5万以内で収まると思うけど、どう?」
 そう言って、千代田は満面の笑みで楓を覗き込んだ。まさかの助け舟に俺が唖然としていると、楓は少し驚いた後にまだ少し困った顔をする。
「でも、私なんかの身体に5万も掛けなくても」
「んー、じゃあ私がなるべく安そうなところ探しといてあげる。できれば4万以内に収まりそうなとこ」
「……幸村さん、良い?」
 突然伺うような目で俺を覗き込んできた楓に、同じく伺うような千代田の視線が追従した。もちろんと頷くと、楓はホッとしたような顔をして千代田は良かったねと笑った。
「本当に仲のいいご姉妹ですね」
「えっ、そう見えます?」
「ええ。私も姉妹がほしかったなーって思っちゃいます」
「そう言われるとなんか照れるなぁ」
「ふふっ、姉さんにはこうやっていつも助けられてしまって」
 照れながらそう言う楓に、最近感じていたもう一つの違和感の正体を察してしまった気がした。
 あれ。この姉妹。
 いつの間にこんな仲良くなったんだ?
「では、サロン探しはお姉さまにお任せするとして」
 披露宴までの段取りの説明に話題は戻ったが、俺は正直それどころではなかった。席次表と当日の料理メニュー表、それから席札の作成を委託し5万円弱がまたもや吹っ飛んだのを確認しながら、俺は最初に僅かな違和感を覚えたあの日のことを思い出していた。
『いてもたってもいられずにほんのちょっとだけーと思って……』
『最っ低! どこから聞き耳立ててたのよ!!』
 千代田の無礼さと不二の放任主義具合に腹が立っていて失念していたが、そもそも千代田は妹に過干渉するタイプではない。デート先で出くわしてしまったときに彼氏と一緒に弄り倒すようなことは間々あったが、あれはおそらく俺と楓がセットなら大好きなふたりと絡みやすいという安易な発想からだ。俺の知っている千代田の根底にはまだ、楓は少し怖いという感情があったはず。いくら俺と楓が揃っていたからといって、結婚報告の盗み聞きなんて真似をしたら怖い妹の逆鱗に触れると、分からないほど脳内花畑でもないだろう。
 加えて、あの時の楓の対応。
 断言していい。俺の知っている楓なら低い声で「姉さん」と一言呟くだけだ。それからあの絶対零度の視線で殺気を飛ばし、即座に姉を泣かせて退却させるくらいのことくらいはできたはずだ。不二の存在になど触れもしなかっただろう。そしてすぐに楓自身が、俺に謝ったはず。
『ごめん、ごめんってば楓ちゃん許してえええ!!』
『ゆーるーさーなーい!! 婚約者共々幸村さんに土下座して謝れ!!』
 怒ってはいたと思う。けれどあれは激怒していたというよりむしろ、照れ隠しが紛れ込んだ姉妹同士のじゃれ合いに近かったのでは。
「ちょっと幸村、聞いてる!?」
「!!」
 千代田のでかい声で現実に引き戻された。眉を顰めた姉と、心配そうな表情の妹が俺を覗き込んでいた。
 俺は確かに変わってしまった。楓の恋人として、いつのまにかその立場に胡坐をかいて彼女のことを分かっていると思い込んで日々を過ごしてきた。けど、それにしたって。
 キミたち、俺の知らないところで一体何があったの。
「ああ、えっと……何だっけ」
「二次会。今週中には会場押さえた方がいいって」
「あと、最近では二次会で幹事様をお決めにならない方も増えてきているのですが、今回は新郎新婦様共に短期間でたくさんのお仕事を頼んでしまっているので、今のうちにどなたか信頼できる方に幹事を頼んでしまってもいいと思いますよ」
 プランナーさんの少し申し訳なさそうな声音に、ゆるゆると頭が切り替わってくる。
 今はいつの間にか急接近してた姉妹仲に想いを馳せる時ではない。いいじゃないか、仲が悪くなってしまうよりはずっと。そう言い訳して、得体の知れない疎外感に一旦蓋をする。
「分かりました。ちなみに二次会って相場どれくらいなんですか?」
「だいたい30万弱でなさっている方が多いですよ。でも、安いところでしたら人数にもよりますが10万円台からでも」
 そしてアンニュイ気分に蓋をすると一気に流れ込むのは現実、すなわちお金の問題。二次会をしないという手もあったが、俺も楓も顔はそこそこ広い方だ。式に呼べなくて拗ねる人間が出てくる程度には。
「分かりました。とりあえずいろいろ調べてみます。……楓、二次会は俺の方で幹事も決めていいかな?」
「はい、お願いします。また何か手伝えることがあったら言ってください」
 今出ている出費額を数えたくなくって、無理やり例のレギュラー面子でかき消してみた。丸井はケーキを作ってもらう、柳生は研修で音信不通、この二人は除外しよう。順当にいけば幹事は真田だが、二次会なんて楽しげな企画となれば実は赤也の方が向いているのかもしれない。もしくは面倒見のいいジャッカルに泣き付くのもありか。とりあえず一人は確定だなと、脳内で参謀に丸を付け『会計』と書き加えた。
「あとは……そうですね。次回の話し合いで必ず決めたいことを説明させていただきますね」
 彼女はそう言って紙面の『当日のプログラムと演出、装飾を決める』という項目に、次回の話し合いの日付、4/29とボールペンで書き込んだ。
「今回、お二人は人前式での挙式をご希望とのことですが、人前式は非常に自由度が高く式の内容も多くのバリエーションがあります」
 希望というより、チャペルが付いてるような式場が押さえられなかっただけなんだけどねという独り言は心の中で呟いておこう。プランナーさんが差し出した人前式の内容例にざっと目を通す。ゲストが何か細長いヒモのようなものを掲げて何かをしていたり、ウェディングケーキの上に何かを書き込んでいる新郎新婦の写真など、なんだかよく分からないことをしている光景がずらりと並んでいた。
「あの……そもそも人前式っていうものがどういうものなのか、私よく分からなくて……」
 か細い声で楓が口元を押さえながら訪ねた。プランナーさんは微笑んで口を開く。
「チャペルでキリストに結婚を誓うのが教会式、神社で神に結婚を報告するのが神前式なのに対し、場所を問わず、ゲストの皆さんにおふたりの結婚を認めてもらうというのが人前式です。教会式でしたら讃美歌や誓いのキス、神前式でしたら三三九度や玉串奉てんなどの必ずプログラムの制約が発生しますが、人前式はそういったものは無いので最近とても人気なんですよ」
 説明を聞きながら、あ、これもしかして選択ミスかと思ってしまったことは容赦してほしい。俺はそもそもこういったことは流れに沿ってこうしてくださいと言われた方がやりやすいタイプだし、楓もオリジナリティだとか目立つ行動はなるべく避けたい方だ。
 これはあれだ、明らかに跡部みたいな目立ちたがり屋か観月みたいな個性派下調べ大好き人間が好むスタイルだ。
「ご自身で誓いの言葉を考えていただいたり、おふたりのご成婚をゲストの皆さんが承認する方法を工夫したり、いろいろ楽しめるんですよ」
 まずい。非常にまずい。ただでさえやることが山積みなのに、そんなことを考えている余裕はなかった。どうしてこれにした俺。あ、ケーキに釣られたんだった。
「あの……私たち、そういうの考えることすごく苦手で……もしよろしければ、相談に乗っていただいても?」
 楓が恐る恐るそう言うと、プランナーさんは満面の笑みで頷いた。
「もちろんです。全力を尽くさせていただきます。ただ、折角の一生に一度の挙式ですから、おふたりにもしお時間の余裕がございましたら次回までに一度この資料に目を通していただけたらと。皆さん、個性的な人前式を行っておいでですよ」
 そう言って、彼女はその人前式のパンフレットを先ほど三つ折りした招待状関連の紙の上に乗せた。
「それから具体的に披露宴で何を行うか。カメラマン、音響担当、司会者、会場装飾は委託するのかご自身で選ばれるのか。主賓、乾杯の音頭はどなたにするか。ケーキ入刀時の演出、新郎新婦紹介は口頭かプロフィールビデオか、お色直し後の再入場演出、余興はどなたかに頼むのかそれとも全員参加のゲームを企画するか、ご両親への贈答品の内容、エンディングムービーは流すのか等々……あとはそれらの細かなタイムスケジュールですね」
 すらすらと、事も無げに出てくるたくさんの馴染みのない単語に、正直言うともう全部貴方が決めてくださいと言いたくなってしまった。正気か、それ全部次回に決めるの?
 楓が明らかに面食らって思考停止している様子に、この子がああしたいこうしたいと意見をあまり言わないのは俺にとって果たして幸か不幸かと一瞬思案する。
「……と、まぁこの辺りは次回しっかり説明させていただきますので、とりあえずおふたりは他の方がどのようなことをされているのか少し調べてくださると幸いです」
 小難しい話はこのあたりにしましょう。そう言ってプランナーさんは散らばった様々な書類をかき集め始めた。俺は彼女が差し出した資料を受け取りながら、家に帰ったら予定を全部書き出す必要があるなと内心深いため息を吐いた。
 はたして、今の俺たちに今更改めて向き合う時間は用意されているんだろうか。


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