「おや、もう起きてて大丈夫なのかい?」
翌朝、広間の隅で考え事をしていたあたしは、聞こえてきた声に顔を上げた。廊下のほうを見ると、障子戸の辺りに千鶴と、彼女に声をかけたらしい源さんと島田君の姿がある。
「ぐっすり眠りましたから、もう平気です」
「それは良かった。しかし、災難でしたね。傷が痛んだりしませんか?」
「は、はい、えっと…おかげさまで、傷は浅かったみたいなので」
遠くから様子を窺ってみたけど、顔色も悪くないし、たぶん傷はほとんど治っているのだろう。それをまさかそのまま言うわけにもいかず、笑ってごまかしていることにあたしは苦笑するが、とりあえず傷の具合が良くなっているならそれに越したことはない。
「今そこで伊東さんたちに会ったんですけど、何かあったんですか?」
途端、源さんと島田君の顔が曇った。
「そうかい、会ったのかい」
「何だか意味深なこと言ってましたけど。平助君や斎藤さんも、ちょっと様子が変だったし」
そこで初めて、千鶴と目が合った。あたしは軽く笑みを返し、もたれていた柱から背を離して彼女の元へ歩み寄る。
「伊東たちはここから出ていくことになったんだよ」
「え……?」
「新しく隊を立てるんだってさ。新選組とは別にね」
「ええっ!?そんなこと……いいんですか?」
いいも悪いも、局長と副長が伊東と話し合って決めたことだ。問われた島田君は渋い顔で頷いた。
伊東は同志たちと共に新選組を抜けて、孝明天皇の御陵衛士を拝命するつもりなのだと言った。それ自体は前々から考えていたが、今回の件をちょうどいい機会だと判断したらしい。で、羅刹や変若水云々の話を外に漏らさないかわりに、隊士をよこせと言い出したようだ。
「じゃあ、平助君と斎藤さんが!?」
「伊東さんについていくそうだよ。驚いたねぇ」
連れて行くからには本人の承諾を得るように、と近藤さんは言ったらしいから、あくまで本人の意志で隊を離れるというわけだ。平助も、イチくんも。二人とは仲が良かっただけに、千鶴は相当なショックを受けているらしい。無理もない。
これは友好的な関係を前提とした分離だ、と近藤さんは千鶴を安堵させるように言うけれど、彼女の不安げな顔は変わらなかった。
「そうは言うけどさ、土方さん、今後は衛士と新選組隊士との交流は禁止するつもりなんでしょ?」
「…当然だ。これ以上、あいつらの好き勝手にさせるつもりはねぇからな」
「でも……本当にそれでいいんですか?伊東さんや皆がここからいなくなっても」
「伊東派が抜けたところで困ることはない」
千鶴の気持ちもわからないではないが、あたしは事も無げに言い切った土方さんに同意する。あいつらを切り離すことで嫌な予感を千鶴は感じているのかもしれないが、残したら残したでろくなことにはなりそうもない。
「ま、平助と斎藤も一緒だっていうのは、少しばかり計算外だったがな」
「むぅ…少しどころではないな」
それぞれ思うところを話し始めた幹部たちの声を聞き流して、俯いてしまった千鶴の袖をついと引いた。
「クラちゃん…?」
「行っといでよ、千鶴。平助とイチくん、このままサヨナラでいいの?」
話しておいで。
千鶴は大きく目を見開き、直後コクンと頷いて踵を返した。廊下をぱたぱた走っていく背中を見送っていると、隣に人が立つ気配を感じて小さく笑む。
「ね、土方さん」
「なんだ」
「あたしはさ、」
告げた時、彼の顔を見上げることはしなかったけれど、予想通りの表情をしている気がした。
『あたしの敵になるなら、誰でも殺せるから』