不動堂村屯所に作られた道場で、本日の撃剣指導の役割を務めていた原田さんが稽古の終わりを告げる。
揃って礼をした後、片付けに取りかかる隊士たちのざわめきの中、私が原田さんに手拭いを渡すと、彼は先ほどまでの厳しい顔から一転して笑顔でそれを受け取ってくれた。

その直後、

「ーーなぁ、今、何か聞こえなかったか?」

一人の隊士がそんなことを呟き、途端、何故今の大きくはない声が聞こえたのだろうと疑問に思うくらい急激に、道場内が水を打ったように静まり返る。

「…………来た」

弱々しく、震えた声が隊士の誰かから漏れる。応じるように口を開いた原田さんの顔は、笑おうとしているのはわかるのに、引きつってしまってどうにも無理そうだった。

「明王様の御成りだ」

……。
…………。

『……、…く…つ、……さつ…ぼーくっさつ、ぼーくっさつ、ぼーくっさつ』

聞こえてきた。聞き慣れた女の子の声が、とても物騒な単語を上機嫌に歌う。震え上がった隊士たちが悲鳴を上げ、道場内を駆け回るのを、私はどこか遠くの出来事として眺めていた。

「ぼーくっさつ……あ」

来た。入り口から空色の少女が可愛らしい小顔を覗かせると、道場の隊士たちから一斉にもはや断末魔にしか聞こえない悲鳴が上がる。
明王様と称された少女ことクラちゃんは、道場に足を踏み入れるなり原田さんの姿を見つけ、機嫌良さげに綻んでいた顔に笑みを浮かべた。ーーにたり、と。底冷えのするような笑みを。

「……原田さん。明王様が微笑んでいらっしゃいます」

「ああ……俺にも見えてるぜ、千鶴。ありゃあ何人か殺しに来た目だ」

クラちゃんが近場にいた隊士にその目を向ければ、彼は片付け途中だった刀を一本、半ば反射的に差し出す。それを受け取りながら道場の中央へと歩みを進めるクラちゃんを見て、原田さんは苦笑しながら壁に立てかけてあった槍を取った。どちらも稽古用に刃引きされたものだけれど……なんだろう、まさに真剣勝負、というような異様な緊張感が漂っている。

「ちょっくら付き合ってね、左之」

「よう麻倉、今日は何があったんだ?」

「土方さんと大ゲンカ☆」

「……なるほどな」

道場の中央でクラちゃんと原田さんが対峙すると、隊士たちは慌てて片付けを済ませ、我先にと逃げ出していった。原田組長が相手を務めてくれて助かった、巻き込まれないうちに逃げよう、という声が聞こえてくるようで、私は引きつった笑みを浮かべることしか出来ない。

クラちゃんは感情が表に出やすい人だ。出会った当初はそう思わなかったけど、数年ともに過ごしているうちに彼女が元々表情の変化が豊かなことも、抱いている感情を表に出すのに素直なこともよくわかってきた。
だから、感情と表情の種類が一致しない場合があることも、よくわかってる。
いかにも上機嫌そうに見える笑顔の下に、地を這うような低空飛行を続ける機嫌を隠していることも。そういう時のクラちゃんは、見るからに不機嫌ですという顔をしている時より、はるかに恐ろしいことも。

「千鶴」

槍を構える前に、ううん、と唸った原田さんが私を振り返る。

「お前、道場出てろ」

「え?」

どうして、と続けようとして、やめた。……クラちゃんの笑みが、いつものそれより一層深い。
いつも何かしらがあってその時の道場に居合わせた全ての隊士を打ちのめして鬱憤を晴らすらしい(伝聞に過ぎない。私がそれに居合わせる時は、いつも幹部の誰かがそばにいた)彼女だが、今回は本当にちょっとやそっとでは晴らしきれない鬱憤を抱えているのか(土方さん、大ゲンカって、何をしたんですか)、それとも原田さんという実力者を相手に高揚しているのか……たぶん前者だろうけど、並々ならぬ闘気、…というか殺気、を纏わせている。
原田さんの言葉に素直に従うことにした私は、少しばかり後ろ髪を引かれる思いで道場を後にした。

真っ先に敵陣に斬り込む役割を担う、新選組の中でも精鋭揃いという一番組を、沖田さんにかわって預かるクラちゃんと。
新選組最後の番、殿を務める十番組を率いるに値する実力と信頼を兼ね備えた原田さん。
この二人ならどちらが強いんだろう、なんて疑問は、あまりにも単純すぎるものだった。





(いつまでやってやがんだ、馬鹿野郎どもが!!)

(げっ、土方さん!?)

(なら土方さんが相手してよ!さっきのケンカの決着つけよう!!)

(……あぁ?)

(……いや、ウソですすみません。あたしが全部悪ぅございました)

(……うちの鬼副長は、明王様さえ越えるのか)







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