土方さんに任された仕事のうち、急ぎでないものは夜に回すことが多い。もちろん、皆が寝静まった夜中、一人で黙々と出来るような机仕事のことだ。
そして、そういった仕事がない場合、あたしはひっそりと部屋を出る。音を立てない足運びは慣れたものだ。

目的の部屋の前に着いても、襖を開けることはしない。部屋の主に用があるわけではない。
廊下に腰を下ろし、襖の脇の柱に背を預ける。背後、部屋の主は眠っているようだ。


「ーーおや。また君に先を越されてしまいましたね」


夜闇に溶け込むような声は、時間を気にして潜められている。あくまで穏やかに耳を打つそれに、しかしあたしは笑みさえ返せなかった。

「残念でした。とっとと帰って」

同じく潜めた声で返すけれど、室内の彼には聞こえてしまってるんだろうな。彼は気配に敏い。
どうしたって笑えやしないあたしの、好意的なんて言えない視線を受け取って、山南さんはいつもと同じように微笑む。眼鏡の奥の目が笑ってないのも、いつものことだ。

「随分嫌われたものですね……私は、沖田君の見舞いに来ただけだというのに」

「だから、言ってるでしょ」

ショックです、と顔に書いたような態度で大きく溜め息を吐く山南さんに、あたしが騙されるわけがない。膝を抱えて座り込んだその体勢のまま、彼の顔を見上げていた目を胸元あたりに落とす。

「“それ”を置いてくれば、ちゃんと通しますって」

山南さんは、にこり、と笑う。やはり冷めきった目は、見る者の身を凍らせるのだろう。……あたしには、今更。

「……私は、沖田君の体調を案じているだけですよ」

「知ってるよ。もちろん、“それ”を受け取るかどうか決めるのは総司であって、あたしにそれを妨げる権利なんかないってことも、知ってる。

だから、これはワガママだ。あたしの、ただのワガママだから、アンタがあたしの言うことを聞く必要なんかない」

だけど。
腕に抱いた刀に、右手を伸ばす。鍔に親指をかけ鯉口を切れば、チキ、と微かに音が鳴った。

「あたしはワガママで自己中な人間だから、ワガママを押し通すために全力を尽くす」

「……なるほど」

目を細めた山南さんが、手を刀に伸ばすことはなかった。じっとあたしと目を合わせ、やがて諦めた様子で踵を返す。

「組長代理と呼ばれる実力者を、ここで失うわけにはいきません。…私の闘争を禁ず、という局中法度を忘れた覚えもありませんから」

「それはよかった」

「……けれど、どうぞお忘れなく。変若水が作用するのは、命のある間だけです」

「……山南さん」

「では、私はこれで。おやすみなさい、麻倉君」

ーーまったく、土方君といい、君といい……

小さな呟きを、あたしの耳はしっかり拾った。
知ってる。土方さんは、可愛い弟分を羅刹にしたくないのだ。たとえ総司自身が望もうと、あの人は許さない。ーーそれが、あたしと同じ、単なるエゴでしかないことだって、あたしも、土方さんだってわかってる。

そして、そのエゴを、総司はいつも知らぬふりをしてくれる。
襖の向こうから音はなく、ただ気配だけがそこにある。寝たふりをしているわけではないが、起きていると主張してくることもない。

静寂が戻った廊下を、あたしは変わらず動かなかった。柱に後頭部を押し付けて、暗い天井を見上げる。活動時間真っ只中の彼が言った“おやすみ”に、素直に従うことなんて出来る筈もない。どうせ、まともに眠れやしないのだ。

『変若水が作用するのは、命のある間だけです』

ーーわかってる。わかってるさ。
このままじゃいられないってことも、現状に心痛めている最たる人が誰だかも。
彼の望みも、葛藤も。

わかってるけど、それでも嫌だ、なんて。ワガママ以外の何ものでもない。
だけど。ーーだって。

(山南さん、アンタは)

あの人は、変若水を、羅刹の力を盲信している。
鬼神のような力と驚異的な回復力は、確かに戦場において絶大な力を発揮するだろう。だけどその副作用のことを、山南さんが知らないわけがない。千鶴が羅刹隊隊士に襲われた夜、彼とて血に狂わされ一時は理性を失い、粛清されてしまうところだったのだ。
彼の行動が、新選組のためにという思いに帰結することはわかっている。羅刹を、新選組の戦力として重要視していることも。

(アンタは、わかってるのか?)

あたしが知る羅刹は、山南さんだけだ。白銀の髪に鮮紅の瞳、化け物じみた怪力と身を焦がすような殺気。西本願寺の屯所で千鶴を襲った羅刹は死体となった姿を見ただけで、実際対峙したことのある羅刹は山南さんだけ。戦った相手、となればゼロだ。
それでも、あたしのこの目は、科学者のそれだ。科学者の目から見た、変若水は、羅刹は。

……あぁ、だめだなぁ。

(刀、振ってこよう)

頭の中がぐちゃぐちゃして落ち着かない。新八じゃないが、ちょっくら体を動かして、考えやら心中やら、リセットしたほうがいいだろう。何しろあたしの頭は、科学者だというわりに単純に出来ているのだから。

「…………総司」

抱えていた刀を腰の帯に差し直しながら立ち上がったあたしは、閉まったままの襖に向かって呟いた。けれど、予想通り返事はなくて、無意識のうちに笑みが浮かぶ。
ーーいいさ、それで。今、顔を合わせたところで……かけてやる言葉なんて見つからないのだから。






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